ただいま台湾の百合漫画『綺譚花物語(きたんはなものがたり)』の日本語版を出版するべく、クラウドファンディングに挑戦中の翻訳者、黒木夏兒(くろきなつこ)です。タイトルからお察しの通り、本作は吉屋信子の『花物語』へのオマージュ。昭和11年の台中市を主要な舞台として、少女たちの葛藤を描いています。
ご興味をお持ちの方は、是非、『綺譚花物語』のクラファンページをご覧ください。マンバ通信の別記事にも『綺譚花物語』クラファンの紹介が掲載されております。
『綺譚花物語』の背景には、儒教的価値観に基づいた父権社会台湾があり、その社会に於いて女性の地位を向上させてきたフェミニズム運動の歴史があります。台湾漫画にはこういった、社会が孕んでいる問題を背景にした作品や、その問題を題材として取り上げることで人目に触れさせ、問題の存在に気付かせる作品も少なくありません。
今回は社会問題を積極的に取り上げている作品を二作、台湾の表現の自由の中でこそ生まれた政治風刺漫画を同人誌商業誌取り混ぜて何作か紹介していきたいと思います。
『火人FEUERWEHR(ファイアーマン)』:著者、羊寧欣:協力、韓璟
台湾の消防士を取り巻く理不尽な環境について告発した漫画『火人FEUERWEHR』。本作誕生のきっかけは、2014年の夏に高雄市で起こった大規模なガス爆発事故でした。ひまわり運動直後の7月31日~8月1日に発生したこの事故では、32人が死亡、321人が負傷しています。死者の中には消防士が5名、他に「義消」と呼ばれる消防団員が1名含まれており、警察と消防団員合わせて22名が重軽傷を負いました。爆発は複数回に亘ったため、当初の爆発現場に駆けつけて活動中だったこれらの人々が、予期していなかった再度の爆発に巻き込まれることになったのです。消防士の死者のうち、現場で指揮を執っていた1名と放水中だった1名は、付近での再爆発発生後に消息不明となり、土砂に埋まっていた遺体がようやく発見されたのは事故から2ヶ月近くが経過した9月20日のことでした。
台湾にとって2014年がどういった年だったかを一言でいうと、社会運動が非常に盛り上がり「意見を言う権利は誰もが持っている」ことを台湾人が再確認した年でした。
2014年3月に、時の政権が「サービス貿易協定」*を、野党の反対を押し切って締結しようとしたことから、この締結を阻止するための大規模な学生運動「ひまわり運動」が始まります。
*中国の「第三次産業」企業に台湾市場を、台湾の「第三次産業」企業に中国市場を、互いに開放する協定。一見、台湾企業に対し広大な中国市場が開放される一獲千金のチャンスのようですが、むしろ大資本を背景とした中国企業によって台湾市場が席巻される可能性が高く、例えば通信分野などでは中国企業のサービスを利用することで情報漏えいなどの不安を利用者が感じたとしても、情報漏えいの心配がない台湾企業は既に競争に負けて市場から撤退してしまっているため、利用者には選択の余地がないといった事態が起こり得ます。
「立法院(日本でいう国会議事堂)を自分達有権者の手元に取り戻す」ために学生たちが議場を占拠し立てこもったこの運動は、同じく協定締結に反対する台湾中の人々からの応援を受けて長期化。それと同時に立法院周辺ではこの運動に呼応するように、他にも幾つもの社会問題に対するデモや演説が行われ始めました。最終的にこの締結は見送られることとなり、学生たちは4月10日に立法院から退去して、ひまわり運動は終了します。
実は台湾ではこの時期、民主化以降の民主主義と国民との関係は倦怠期に陥っていました。民主化以降、2000年には初めて、民進党(民主進歩党)出身の総統が誕生します。しかし、この時の国会与党は国民党(中国国民党)だったためねじれ国会状態となり、陳水扁総統は改革を思うように進めることができず、国民の失望を招いてしまいます。加えて、2004年の選挙では、陳水扁総統が辛うじて再選はしたものの、この結果には疑惑がつきまといました。更に身内の汚職が明らかになり、国民は総統本人に対してだけでなく、野党民進党に対しても、民主主義そのものに対しても失望していったのです。
2008年には再び国民党出身の総統が当選し、2012年の選挙でもこの馬英九総統が再選されます。国会与党は相変わらず国民党で、政治に対する台湾人の関心は薄れていました。そんな中、このひまわり運動は、サービス貿易協定の締結見送りという確かな結果を勝ち取ったことで、声を上げることは無意味ではないのだと台湾の全ての人々に知らしめた。
国民には声を上げる権利があるのだということを台湾の全世代が幅広く認識することに繋がったこの運動は、これ以降も多くの人々が様々な形で社会運動へ参画していく基盤となりました。
「消防士は人々を守る。ならば、誰が消防士を守るのか?」と問いかけるこの漫画も、そういった中で誕生したのです。
主人公は新米消防士の兄と、同じく新米警察官の弟。訓練を終え、台北駅近くの華山分隊へ配属された立安倫の目を通し、読者である私たちは台湾の消防士が置かれている過酷な日常を目の当たりにすることになります。
住宅火災や、2016年春節直前に起こった台南地震をモチーフにしたマンション倒壊、大型動物逃走事件や、大規模交通事故など、様々な状況での活躍はもちろん描かれますが、決して不死身のヒーローではない彼らの命を預かるはずの装備の不足といった「不都合な真実」も次々に暴露されます。そして何より、日常の防災やいざという時に取るべき行動といった「火事で命を落とさない」ために台湾で暮らす一人一人が事前に気を付けられることが繰り返し提示されている。それは彼らの出場回数を減らし、彼らが殉職する可能性を減らすために、台湾で暮らす一人一人が、そして台湾を旅行する一人一人が、できることなのです。
そして弟編である『菜比巴警鴿成長日記』。
『菜比巴警鴿成長日記(ひよっこ警官成長日記)』:著者、蠢羊:協力、花栗鼠
「母さんは言った。来世は警官になんかなるんじゃないよ!、と」というなかなかに衝撃的な帯が巻かれた本作では、弟の戴巴莱(なぜ兄弟で姓が違うのかは『火人』で明かされます)の目を通し、台湾の警察官の日常と、その訓練の様子が描かれます。台湾警察のエンブレムは鳩なので、キャラクターの大半が擬ハト化され非常に可愛く見えますが、内容は『火人』同様にかなりシビアなものとなっています。「菜比巴」は台湾語で青二才、新米、ひよっこといったニュアンスの言葉であり、「巴」の字は主人公の名前の巴莱にも引っ掛けてあります。
羊寧欣さんは警察官と消防士の境遇改善のため、まずFacebookページ「蠢羊與奇怪生物(お馬鹿羊と変な生き物)」で一コマ漫画や四コマ、一ページ漫画などを発表し始め、その後『火人FEUERWEHR』でデビューしました。協力の韓璟さん(花栗鼠さんもしくは奇怪生物さんとして、
『大城小事(大きな街の小さな話)』全五巻:著者、HOM
この連載の第一回目で取り上げた際には、性的マイノリティを描いた第五巻を中心に紹介しましたが、実は本作はそれ以外にも様々な社会問題を取り上げています。第五巻でも『アイスクリームとフライドポテト』のヒロインの夫側カップルに焦点を当てた『執子的手(「躾」の手)』では、老母の介護がカップルに大きな影響を及ぼす様が描かれました。
他にも身体障碍者、格差社会、ジェンダーギャップ、親を失った子供の生活、DV、いじめ、カスタマーハラスメントなどが本作では静かな筆致で浮き彫りにされています。
民主化によって表現の自由を手にした台湾では、「これまでアンタッチャブルだった」「そもそも気付かれていなかった」「認識する価値を見出されていなかった」様々なものに光が当てられ、可視化されるようになりました。
社会問題もまた可視化され、認識されることによって、台湾社会そのものを変えていきます。台湾の美しい景色と環境破壊によってそれらが損なわれ失われていく様を空撮によって可視化したドキュメンタリー映画『天空からの招待状』が社会現象となり、環境問題を「自分事」として台湾人が捉え、エコバックとカップホルダー、マイ箸やマイストローを持ち歩くといった些細な行動ででも環境の改善に寄与しようとするようになったように。
同性婚法成立にも、「性の多様性」の認識が高まり、当事者ではなくとも「性的マイノリティ」を「他人事」ではなく「自分事」として捉えるようになった人が増えたことが影響を及ぼしています。
その背景には2002年に成立した「性別平等教育法」があります。元来は、台湾に於ける男女の不平等、女性に対する様々な差別克服のために制定が求められていた「学校での性差別を禁じる」法律でしたが、2002年の成立時、この法は「性自認や性的指向を理由とした差別が学校で行われることも禁じる」ものとなっていました。これは実は、ある不幸な「可視化」*に起因しています。そして台湾に於いて女性の地位が向上していったのも、幾つかの不幸な「可視化」*をきっかけとしていました。
*前者は2000年に起こった「葉永鋕(よう・えいし)事件」。「女の子っぽいしゃべり方をする」ことを理由にトイレでパンツを下ろされるいじめを受け、いじめを避けるために授業終了の五分前に一人でトイレに行くことが常態化していた少年が、学校のトイレで血だまりの中に倒れているのを発見され、搬送先で亡くなった事件です。その死因はいまだに完全に解明されてはいませんが、少なくともいじめがなければ発生し得なかった事件でした。
*後者は、1993年に起こった「鄧如雯(とう・じょぶん)事件」と1996年の「彭婉如(ほう・えんじょ)事件」。鄧如雯事件は中学三年時にレイプされ妊娠出産した少女が、犯人と結婚する羽目になり、結婚後も暴力を振るわれ続け、22歳の時に夫を殺害した事件。この「夫」がそもそも鄧如雯の母親をレイプした上で家に君臨し、娘たちをもレイプしていたことなど、DV事情が次々に明るみに出たのみならず、度々の被害の訴えにもかかわらず殺害まで司法の介入が一切なかったことも判明し、DV防止法成立に繋がりました。彭婉如事件は、女性の地位向上や女性の政治参加を推進するリーダー的存在だった女性が、夜、タクシーに乗り込んだのを最後に失踪し、三日後に尋常でないレベルに損壊された遺体で発見された事件。当時彼女は「民進党の候補者名簿の四分の一以上を女性とする」という党制度成立のため奔走中で、この日は翌日の臨時党大会のため、高雄から台北に戻るところでした。失踪翌日の大会でこの制度は成立し、更に多くの民進党女性議員の誕生に繋がります。一方で事件の遺留品は乏しく、遺棄されていた彼女の所持品からも犯人の指紋は検出されず、タクシー運転手が容疑者としては最有力視されていましたが車両ナンバーが特定できなかったため割り出すことができませんでした。迷宮入りとなったこの事件は、その後の性暴力防止法成立に繋がっています。
不幸な「可視化」はこれで終わった訳ではなく、今でも起こり続けています。それらの発生と積み重ねは社会が変わる大きな原動力とはなりますが、だからといって起こっていいものではありません。「作品」による可視化は、不幸な「可視化」の発生を防ぐことにも繋がります。そして変革までに「不幸な可視化の積み重ね」を必要としてきた社会に対し、その積み重ねの代替を務めてもいるのです。
他にも台湾では政治や世界情勢を題材にした同人誌が販売されていたり、即売会で「腐女子」のサークル主たちが卓上にレインボーフラッグを飾って同性婚への支持を訴えていたり、香港デモのメッセージが表示されていたりという光景が見られます。
2018年から2019年に掛けて翻訳に関わった書籍、台湾の非チェーン書店の店主たちに取材している『書店本事 台湾書店主43のストーリー』では、単に書籍を売るだけではない、社会運動の一スタイルとして書店を経営する姿が描かれていました。実際にそれらの書店を訪問してみると、香港デモへの支持や、原発への反対が店頭で明確に示されている店舗が多く、2020年1月の選挙の時期には投票を呼び掛けるメッセージも見受けられました。
自分は社会の一員であり、社会を良い方向へ変えるために動く権利と義務がある、という意識を持つ人が多いなというのは、台湾を歩いていてよく感じることです。最近の台湾産業のキーワードであるクリエイター活動の一つ「文創」については詳しくは次回の記事で触れるつもりなので、今は単語としてだけ覚えておいてほしいのですが、この「文創」に関わる人々には特にそういった意識を持った人が多い気がします。そして「文創」関係者はとにかく活躍している範囲が広く、「○○というジャンルで活動しています」の○○部分を繋げていくとほぼ台湾に関わる全てを網羅できるのではないかと思うくらいです。
そういった台湾では、同人誌即売会もやはり「社会の一部」です。現実社会から完全に乖離し、現実を持ち込むべきではない夢の空間ではありません。もちろんただ同人誌を売り買いし、コスプレを楽しみ、最新の情報に触れたいだけの人もきています。
しかし、サークル参加者の中には、例えば中国の作家によるBL同人誌を台湾でだけ販売していたりするサークルもありますし、企業スペースでは中国BLの台湾版ノーカット書籍や、中国作家がこっそり台湾出版社で出した本が売られていたりもする訳です。作品内容こそファンタジーであっても、その作品に関わる全てが現実から乖離できる訳ではないのです。
ここからは台湾社会の根幹である「政治」を題材とした漫画を紹介していきます。
『火人』の羊さんは2016年の総統選挙後に、『總統級貓奴』を同人誌で刊行し、キャラを使用したLINEスタンプも人気となって2020年の選挙では応援グッズ化して持ち込んでいる人までいました。
同人誌『總統級貓奴(総統ランクの猫奴)』:著者、蠢羊
第一巻は総統選直後の1月30日31日に開催された即売会、FF(ファンシーフロンティア)で発行されたもの。実はこのイベント、当初は1月16日17日の総統選挙と同日開催予定でした。これは、FF開催日が先に決まっていたところ、ひまわり運動の影響で投票率が高まりそうな今回の選挙を懸念した国民党側が、特に政治意識の強い若いオタク層の投票率を削るべく、イベント開催日に投票日をぶつけてきたのでは?と言われています。
実は台湾の選挙は、不正投票や票の操作を防ぐためかなり色々な策が講じられていまして、投票は選挙当日にその有権者の戸籍がある場所でしか投票できないため、毎回選挙のたびに帰省ラッシュが起こります。
投票を済ませてから台北に向かうのでは即売会開始時間に間に合わない、ならば新刊を買うため今回の投票はキャンセル、となるのを期待してのこの選挙日程なのでは?と疑惑を持たれていましたが、FF側が選挙ぎりぎりのところで開催日を二週間遅らせ、喝采を浴びました。
そしてなんと開催当日、16日の選挙で勝利を収めたばかりの蔡英文次期総統が会場を視察する、という事態が起こり、「査水だ!」「査水だ!(笑)」と政治ネタを扱うサークル界隈は大いに盛り上がります。「査水」というのは水道メーター検査のことなのですが、この場合は「水道メーター検査を口実に警察が犯人にドアを開けさせる」の意味。映画でよくある、「ルームサービスです」「え~?頼んでないけどなあ?(うっかりドア開ける)」「動くな!」となるあれのバリエーションです。
この会場視察は日本のサークルがレポ漫化したものを載せている同人誌(サークル:やまだや、『ハマる。台湾3.5』。とらのあなで販売中)も出ていて、当日の様子が窺えます。
また国家を擬人化したり、動物化したりといった作品も出てきています。
『麗島狂想:FORMOSA的秘密(シュールな麗しの島:フォルモサの秘密)』『和湾秘密(日本と台湾の秘密)』『廢日常。(取るに足らない日々)』:著者、魔魔嘎嘎MOGA
MOGAさんの作品では、普段はポニーテールにホットパンツとタンクトップ姿の女の子である「小湾(台湾)」が、時々青天白日旗のTシャツと短髪のカツラを着用することで幼馴染みの「龍兒(中国)」の真似をする姿が描かれ、台湾人の複雑なアイデンティティをこれ以上ないほど巧みに表現しています。
『和湾秘密』では、西欧諸国から馬鹿にされていた貧相な少年「大和」が「俺だって強くなってやる」「あいつらみたいになってやる」と刀で髪をばっさり切り「西洋人にできたことなら俺にだってできる!」「俺も世界的に偉大な帝国になってやるんだ!」と誓って修行を始めるところからスタート。そしてすっかり中二病患者になった大和は、泣き虫な幼児「龍兒」の育成に手一杯な清の下から、ほぼネグレクト状態だった野生の少女「小湾」をゲット。執事と共に、果てしない「光源氏」計画へと踏み出すことに。
『麗島狂想』では『和湾秘密』より前の時代や、後の時代、そして現代が描かれています。中二病を卒業した大和や、めんどくさい幼馴染みの龍兒と過ごす小湾の日常を描いた『廢日常。』という同人誌もあり、Facebookページでも次々に新作が発表されているので、今後の続刊も期待。
また羊さんによる『動物國家』シリーズでは、台湾が台湾黒熊(ツキノワグマの一種な台湾固有種)、日本が柴犬、アメリカが白頭鷲、イギリスがコーギー、中国がパンダで表現され、より広範な世界情勢が描かれています(こちらは残念ながら今のところ書籍化なし)。
そして擬人化の先駆けと言えば、台湾の変態魔術師こと韋宗成(ウェイ・ヅォンチョン)さんによるこの二作が上げられます。
『五都争覇(ごとそうは)』『六都争覇(ろくとそうは)』:著者、韋宗成
台湾の「直轄市(日本でいう政令指定都市)」擬人化。台北、新北、台中、台南、高雄の五都に加え、2014年12月25日に桃園市が直轄市に昇格したので、六都になりました。
異世界で最後の希望として待ち望まれている朱雀の聖女降臨。ちょうどその頃、台北では図書館で不思議な古文書『五都争覇』を開いた蔡英文ならぬ櫻文(インウェン)が本の中に吸い込まれてしまいます。
実は彼女こそが朱雀の聖女で、額に文字のある五人の戦士と共に、都市の精霊五人を攻略する旅に出ることに。そして図書館に残されていた本は櫻文の友人、馬英九ならぬ櫻玖(インヂウ)も吸い込んでしまい、櫻玖は青龍族に保護されて青龍の聖女となってしまう……という総統選挙戦を『ふしぎ遊戯』のパロディに仕立てた一作(『ふしぎ遊戯』は日本とほぼタイムラグなしで台湾でもアニメ、原作共に一世を風靡)。
都市精霊の設定は『六都争覇』にも持ち越され、こちらではカードバトルで精霊カードを従える展開に。しかし『六都争覇』では選挙戦を描いたストーリー漫画よりも、むしろ都市それぞれの気質や歴史を、比喩表現を多用して描いた四コマ漫画の方が主体となっています。
なお、『五都』での都市精霊攻略法が「精霊を物理的に捕獲する」ことで、青龍一族との戦いが全て武芸によるものなのは、この頃の台湾の民主主義が「拳に物を言わせる」系のものだったため。蔡英文総統と馬英九総統をそれぞれ武林の人として描いた武侠もの仕立ての作品があるのも、こういった事情に基づいています。
総統は民進党出身とは言え与党は国民党、という陳水扁総統時代のねじれ国会な状況下で行われた、審議を拒否する国民党議員に民進党議員が殴りかかり、審議拒否を明るみに出して国民党を糾弾、という戦法。これもまた民主主義に対する台湾国民の失望を招くことになりました。
『馬皇降臨(ばこうこうりん)』『覇海皇英(はかいこうえい)』:著者、韋宗成
2020年総統選挙を描いた最新作『台灣爭覇』でもこの武闘路線は健在で、蔡英文総統と韓国瑜候補の戦いはリングでのタイトルマッチになぞらえられていました。
『台灣爭覇(たいわんそうは)』:著者、韋宗成
台湾人の政治参画意識は日本時代を通して高まり、少数派の日本人によって一方的に統治されるのではなく、台湾人に選出された台湾人が議員となることで多数派である台湾人の民意を台湾の運営に反映することができる議会の設置がたびたび要求されてきました。戦後も国民党による一党独裁の下では台湾人の民意が顧みられることはなく、この悲願は民主化まで長年に亘って持ち越されることになります。そんな中、民主化直前とは言え、まだ政党結社の自由がなかった1986年に結成された民進党は、台湾人がその民意を託せる初めての野党でした。
このため、民進党への失望は、台湾に於ける民主主義への失望となったのです。
ひまわり運動以前の時代、そして2016年の政権交代とねじれ国会解消以前に描かれた『五都争覇』や『馬皇降臨』、そして『六都争覇』は、民進党への、民主主義への、そして政治に対し無関心になり当事者意識を失いつつあった台湾人一人一人に対しての叱咤激励でした。そしてその姿勢は、民進党が与党となった現在も、維持されています。
『覇海皇英』には本編以外にもう一本、短編『蛆與吱』が収録されています。このタイトルは、国民党支持者と民進党支持者が互いに用いる罵り言葉「藍蛆(青い蛆虫)」と「綠吱(緑の不平屋)」に基づいたもの。直訳すると『寄生虫とクレーマー』という意味になりますが、まあ『藍と緑』くらいにソフトに認識しておいてください。
ある街の入口へと向かう通り沿いで、屋台を営む兄弟(兄は青天白日旗をイメージした衣装を着ていて割と優等生風、弟は袖なし衣装でやんちゃっぽい)。やがてその街が再開発することになり、資金不足で出資を募っている計画に、兄はいくばくかの投資をします。街が取り壊された後の更地には新たな屋台がやってきて賑わいますが、兄弟の店を含む旧来の店舗は客を奪われていき、やがて工事が始まると地価が高騰したため次々に周りの屋台は去っていき……。
道の行く手はいつだってあなた自身の選択に基づいているのだと告げ、あなたは何を選ぶのかと問いかけるこの作品は、台湾人一人一人がその未来を選ぶ当事者であることを突きつけます。
台湾の政治漫画は、政治家や政党や国家といった対象を、それが自分の支持している相手であっても、ただやみくもに持ち上げることを決してしません。時にはその欠点や不都合な真実もネタにして容赦なくいじります。それは結局のところ、書き手自身もその欠点によって被害を受ける当事者であり、その改善は自分の利益になるのだという意識があるからです。漫画以外でも様々な場面で発揮されているこの「台湾人の当事者意識」については次回、もう少し詳しく触れたいと思います。
また韋宗成さんの自由闊達な筆致は、歴史にも及びます。
『跳躍吧!大同萌會(舞い上がれ!大同萌会)』:著者、韋宗成
銀河の歌姫の地位にシェリルならぬ「蘭兒(ランアル=西太后)」が選ばれて以来、世にはびこる「巨乳偏重」。
この風潮に一石を投じるべく、幼女萌えな孫文ならぬ「孫玟」は久々に開催される歌謡コンテスト「中華達人ショー」に向け、幼女「宋慶玲」をボーカルに据えたバンド「中国革命同盟会」もとい「大同萌会」を結成し、蘭兒に歌で戦いを挑むことに。というかっ跳びまくった比喩設定で清朝末期と中華民國誕生の歴史を描き、台湾人のみならず日本人の度肝まで抜き顎を外れさせた作品。
続編である『我的委員長哪有這麼萌!』では、
『我的委員長哪有這麼萌!(うちの委員長でこんなに萌えられるはずがない!)』:著者、韋宗成
孫文、蒋介石共に、
さて、韋宗成さんの作風は変態魔術師の異名の通り、割とエロと萌え要素が多めなもの(版元である未來數位:フューチャーデジさん自体が日本のエロゲとか成人向けコミックの台湾輸入を手掛けている会社)。
台湾でこういった表現はどういう扱いを受けているのか? 実は、別にどういう扱いも受けてはいません。
台湾のフェミニズム運動の中でも、「極端に女性の肉体的特徴を誇張したキャラクター」が問題視されることはあります。ただし今のところは「私はこれが嫌いだが、あなたがこれを好きだというのを止めさせることはしない」というところに落ち着いていると感じられます。
見たくない、見せたくないという声には、個々の出版社や通販サイト、書店によるレイティングやゾーニングで対応しています。全体として「子供向け」と見做されがちなテレビアニメなどは、ビキニアーマーの胸部にモザイクが掛かるといった処理をされることもありますが、これだって映画館で掛かる劇場版には、そういった処理もありません。
同人誌にもモザイクは掛かっていません(このため、台湾漫画家さんが日本の即売会やダウンロードサイトで作品を販売しようとする場合、どの程度モザイクを掛ければいいのかに戸惑うことも)。同人誌は基本的に、専門書店や、即売会、作家自身の通販などでしか販売されず、そこは興味のない人がわざわざ文句をつけるためだけに訪れるべき場所ではないと認識されているからです(BLもリアル販売は専門書店や出版社直営書店、即売会の企業ブースが中心)。
何を見るも見ないも、選ぶのはあなた自身だというこの姿勢は、先ほども書いた通り、台湾社会全般的に見られる「当事者意識」に通じるものです。突き放した態度のようにも見えますが、「何を選ぶのも政府の決めた範疇内で」という過保護にして過干渉な社会が横にある現状では、とても価値あるものであることは言うまでもありません。
次回は最終回。「台湾人の当事者意識」をベースに発展した「文創」「台湾アイデンティティ」、そして表現の自由と台湾作品の未来について語ってみたいと思います。