ただいま台湾の百合漫画『綺譚花物語(きたんはなものがたり)』の日本語版を出版するべく、クラウドファンディングに挑戦中の翻訳者、黒木夏兒(くろきなつこ)です。タイトルからお察しの通り、本作は吉屋信子の『花物語』へのオマージュ。昭和11年の台中市を主要な舞台として、少女たちの葛藤を描いています。
こちらのクラファン、11月8日の夜に無事に成立し、日本語版の出版が決定いたしました!
成立後も11月15日まで実施中ですので、ご興味をお持ちの方は、是非、『綺譚花物語』のクラファンページをご覧ください。発売後の価格よりも若干お安く、しかも非売品の美麗なクリアファイル付きで日本語版をご購入いただけます。また、出版記念イベントには原作者の楊双子さんと作画の星期一回収日さんがともにオンラインでご参加決定済み、他にクラファンでのみ申し込み可能な超絶詳しくマニアックな100ページ超えのフルカラー聖地巡礼ガイドブック付きコースもございます。『綺譚花物語』クラファンの紹介はマンバ通信の別記事にも掲載されております。
そして先日この『綺譚花物語』は、台湾の文化庁にあたる「文化部」が主催する台湾漫画の賞「金漫奨(ゴールデンコミック賞)」で「年度漫畫奨(今年の漫画賞)」を受賞しました。作画の星期一回収日さんにとっては三度目の、原作の楊双子さんにとっては初めての金漫賞受賞となります。本当におめでとうございます。
この受賞の際、楊双子さんが行ったスピーチでは、台湾漫画が長年「現実の台湾」を描くことを禁じられていたことにも触れていました。そして今ではそれが一転し、「台湾」はむしろセールスポイントになっていることについても。
前回のこの記事でもちらりと言及した「文創」。そして台湾史を描いた漫画の紹介の際に触れた「台湾アイデンティティ」。最終回となる今回は『綺譚花物語』の誕生にも繋がったこのキーワードと、漫画を含む台湾文化の急激な隆盛の背景にあるクリエイティブ産業を支える「表現の自由」、そして台湾漫画の現在とこれからについて語っていきたいと思います。これまでも毎回かなり長い原稿を書いてきましたが、今回は更に長くなりそうなため、章立てしてみました。それではどうぞ。
1、表現の自由こそが台湾の存在価値
2、台湾アイデンティティ作品と「文創」~海外市場に於ける台湾の存在感アップ作戦~
3、台湾でしか出せなかった漫画と、今後の台湾漫
1、表現の自由こそが台湾の存在価値
これまでことあるごとに「台湾には表現の自由がある」ことを私は主張してきました。台湾の表現の自由は、「表現の自由がなかった」時代の果てにようやく獲得されたものであり、だからこそ台湾では表現の自由が非常に重んじられてきています。
しかし、かくも表現の自由を尊重している台湾に於いて、表現の自由に影響を及ぼす懸念のある法律が、実は2020年1月15日に施行されました。「台湾に対し敵対的な国外勢力」が、台湾の選挙を通じて、台湾の未来に影響を及ぼすことを禁じるための「反浸透法」です。
「台湾に対し敵対的な国外勢力」による指示の下で台湾選挙に対する介入や遊説、デモなどが行われた場合、その実行者には5年以下の懲役に加え合計で台湾ドル1000万元(日本円換算でざっと3500万円ほど)以下の罰金が科されることになりました。かなり強固な抑止力を持った法律だと言っていいでしょう。
台湾の選挙に対する中国の介入はこれまでもなかった訳ではありません。でした。割と知られているのは、選挙に際しての台湾人の帰郷に対し中国政府が飛行機をチャーターしていた、というもの。
台湾の選挙は、不正投票や票の操作、開票時の不正を防ぐための規制が多く、戸籍のある場所での当日の直接投票でしか投票ができないため、選挙のたびに台湾国内では帰省ラッシュが起こります。当然、海外投票も不可能なので、投票のためには帰国の必要が生じるのです。そして、中国にビジネスで来ている台湾人なら当然親中派のはずだ、という思い込みの下、親中派政党を勝利させるため、中国は台湾人ビジネスマンを投票帰国させる飛行機をせっせとチャーターしてあげていたのでした。
もっとも台湾人ビジネスマンは割と、それはそれ、これはこれ、という人が多く、中国によるチャーター機で帰国しても、むしろ投票先は中国と距離を取る政策を主張する政党、というパターンが多かったようですが。
他にも、国民党の元兵士たち、日中戦争中に村々から強制連行される形で兵士になり、そのまま台湾に来る羽目になり、結婚という形で台湾社会に溶け込むこともできないまま年老いてしまった「栄民」と呼ばれる人たちは、近年になって故郷の女性と結婚し、中国から呼び寄せる場合が増えたのですが、呼び寄せられたこの女性たちが親中政党を作ろうとするケースが出てきて、問題視されています。台湾に生きる女性の政治参画自体は非常に望ましいのですが、親中政党の結成は台湾政界にとって想定外の事態でした。
また、メディアの親会社に中国資本が入り込むことで、報道内容が中国寄りになる、という問題も生じています。投票率の高い高齢者が慣れ親しんでいる、新聞やテレビといった昔ながらのメディアに中国の影響が浸透することで、高齢者の意識が中国の都合のいい方に誘導される、という問題は、ここ数年で浮かび上がってきました。
もっとも高齢者自身は別に中国大好きという訳ではなく、単純にこれまでの人生で積み重ねてきた既得権益を守ってくれそうな保守政党に投票していて、その保守政党が利益を守る方法として採用している政策がたまたま親中派路線なのだ、というのが一番正確なところのように見えます。このため、既得権益にあまり縁のない若年世代でリベラル政党に投票している人であっても、かたくなに保守政党を拒否している訳ではなく、親中政策を止めてさえくれれば保守政党も投票先の選択肢のうちに入れる、という考えの持ち主はいるのですが。
こういった状況を背景に、「反浸透法」は世論による大きな反対を受けることなく成立しました。ただし成立を妨げるほどの大きさこそなかったものの、
中国で報道の自由がさらに狭まり、個人による発信すら制限を受けようとしている今、その点だけをクローズアップすると、まるで「台湾も中国と同じ土俵にまで堕ちてしまった」かのように見えます。
とは言えこの法律はあくまでも、「台湾に対し敵対的」だと見做される範疇を最小限にまで絞り込み、恣意的な運用と適用ができないようにしてあります。そして何よりも今や台湾は法治国家であり、白色テロ時代のように政府がこの法律を乱用し、ただ単に時の政府と異なる見解を持ち方針に疑問を抱いただけの相手をもことごとく売国奴と見做し、やみくもに嫌疑を掛けて台湾国民を虐げることはないのだという信頼関係が国民との間に成り立っているからこそ、懸念の声が大きくなることはなかったのです。
国に対する国民の信頼は一朝一夕で得られるものではありません。台湾は信頼を得るための努力を怠りなく続けてきました。「国安法」に対して香港市民は懸念を抱き、「反浸透法」に対し台湾国民は一定の理解を示した、この差異はそれゆえに生まれています。加えて、台湾人自身がある程度成熟した民主社会を築いており、この法律に便乗して私的に敵対者狩りを始めたりするようなレベルにはないということも大きいように思います。
また結局のところ、この「反浸透法」は、自由の価値を理解していない者が自由を一方的に利用すること、それによって自らに都合よく事を運ぼうとすること、この二つを禁じたに過ぎません。自由の価値を知らない者には、自由を語る資格も自由を利用する資格もない。現時点でこの法律が念頭に置いている存在は具体的には中国な訳ですが、自由の価値を否定している時点で中国には、台湾が所持している自由という土俵に上がる資格など元よりないのです。
その意味でこの法律は「資格なき者は去れ」という法に過ぎず、台湾に於ける表現の自由に対する影響を論じる対象ではそもそもないのだと、現時点では考えてよいはずです。
加えて香港の自由が「国安法」によって陥落し、
ただし、それはあくまでも「現時点に於いては」であり、懸念が懸念のままでは終わらずに、この法律が台湾の表現の自由を崩壊させる蟻の一穴になってしまうかもしれないことを台湾人は常に念頭に置き、この法律が存在する限り観察を続ける必要があるでしょう。
翻って日本はどうでしょうか?
日本では表現の自由がある程度、法律で保障されている。だが、それ以上に、表現の自由が同調圧力によって脅かされている。これが日本に於ける表現の自由の現状だと私は思っています。そして、この「同調圧力」を日本人自身が克服しない限り、日本ではゾーニングを含めこれ以上の表現規制がされるべきではないと考えています。
台湾にも同調圧力がない訳ではありません。しかし、同調圧力は不要で不当なものであるという認識があり、それに従う必要はまったくないのだということがきちんと周知徹底されている。そして何より「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という意識が確立されている。だからこそ台湾では、ゾーニングも一律にではなく、個々の店舗の自主判断に任されています。
前回紹介した、日本からの輸入BL本がキスシーンしかない小説含め一律に18禁扱いでシュリンクされていた件。あの店舗は、日本人向け住宅地や日本人学校に近いデパート内にある日系の一般書店で、利用客にはBLを含めたサブカルに強い興味を持つコア層ではない人々の方が多いことが想定されました。だからあの店はそういったゾーニングを行なったのでしょう。
また通販サイトでは基準が厳しめになる場合があって、「親を失った未成年の少年と、その保護監督者である弁護士」のカップルを描いた台湾オリジナルのBL小説が、台湾版アマゾンと呼ばれる通販サイトの博客來(ボーカーライ)
他にやはり繁華街にあって家族連れの利用が多く、児童書と絵本の在庫が非常に多い総合書店では、BL漫画本が日本作品の翻訳版も台湾オリジナル作品も、漫画コーナーの奥に設けられた18禁コーナーに置かれていました。
しかし、実はそこから500メートルほど離れたアニメイトに行けばそれらの本は別に18禁扱いにされることなく、普通に棚に並んでいて中学生も購入可能なのです。同じく500メートル圏内の雑居ビル内にあるBL専門店でもそれは同じです。
そしてアニメにもBLにも同人誌にも興味のない人が、アニメイトやBL専門店を訪れて「あの書店では18禁扱いでシュリンクしている本を、なぜこの店では中学生に販売しているのか?」などと問題視することもありません。やったところで「今後二度と当店をご利用いただけないことを残念に思います」と対応されて終わりになるはずです。
日本はその段階に至っていない。だから、その本が、その本を必要としている人の手に届かなくなる可能性が高い。ならば、同調圧力が歴然とありその圧力を拒むことが困難な今の日本では、ましてや「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という意識に達してすらいない今の日本では、今以上の規制はゾーニングを含め、されるべきではない。私はそう考えています。
2、台湾アイデンティティ作品と「文創」~海外市場に於ける台湾の存在感アップ作戦~
国連にも加盟していない台湾の存在感は、長らく世界にとってさほどのものではなく、それは台湾が民主化してからも同じでした。日本に於いてすらも台湾の認知度は数年前まで決して高くはなく、ガイドブックコーナーで中国の各地、香港と来た後、なぜか韓国、そしてフィリピンやベトナムが挟まり、タイ・バンコク、の隣に台湾のガイドが置かれているのも決して珍しいことではありませんでした。
しかし、そんな台湾が認知度を上げるのにぴったりの風潮が、世界の市場で1990年後半から起こりつつありました。それが「クリエイティブ産業」の振興です。
自国の商品に独自性を付与することで類似の他国製品との差別化を図ったり、コンテンツ産業に政府が補助を出して人材育成や新作を下支えしたりするこの動きは、既に知名度と独自性の高いコンテンツや製品が多かった日本に於いては、「クリエイティブ産業」の振興促進よりは、むしろ既存の「クリエイティブ産業」の成果を日本の魅力として最大限に政府が活用する「クール・ジャパン」に結びつきました。その一方、これまで日本のドラマやアニメ、漫画によってコンテンツ市場を席巻されていた他のアジア各国では「クリエイティブ産業」振興策が取られ、韓国ドラマやタイBLなど各国独自のコンテンツが続々と誕生し、アジア市場に於ける存在感を増して、これまでの日本作品による独り勝ち状態を徐々に塗り替えていきつつあります。
そして台湾もまた2000年代初頭の陳水扁総統の下、2002年に発表した「挑戦2008:国家発展重点計画(2002~2007)」の中で、「人文要素と経済を結合させ、文化産業を発展させる」ことを目標とした「文化創意産業発展計画」を立案し、この動きに参入しました。台湾「文創」時代の幕開けです。
台湾は中華圏にありますが、そのほとんどの歴史に於いて、台湾独自の路線を歩んできています。日本にとっての沖縄や北海道のように。
このため台湾には文化だけを見ても、元々の住民であるオーストロネシア語圏の人々が長年に亘って育んできたそれぞれの部族の文化がありますし、明代から移り住んできた漢民族の文化があります。漢民族の文化もタイムカプセルのように、それが伝来した当時の姿を今なお留めているものもあれば、台湾という土地の条件に合わせて独自の発展を遂げていたりもします。清朝末期からはイギリスや日本も影響を及ぼし、中華民国の文化も初期は雑誌などのメディアを通して、戦後はダイレクトに流入します。加えて国民党政府との関係が深かったアメリカ文化も最先端のものとして生活のあちこちに取り入れられて行きます。
また中華人民共和国で、既存の価値観を破壊する「文化大革命」が起こり、中国の伝統的な文化が、洗練されたものも土着のものも一緒くたに消されていく中、台湾では国民党政府の下、原住民族の伝統的生活様式なども含めた従来の台湾文化が一律に辺境の田舎臭いものとして軽んじられ、正統派な中華文化の履修と継承が礼賛され奨励されるという台湾の「文化大革命」が行われていました。
民主化後の台湾では、それまでは触れることすらできなかった二二八事件や日本時代を振り返ることができるようになります。それはこれまで「中国の辺境、鄙の地」であり、メジャーな中国史の中ではちらりとしか登場しない脇役に過ぎなかった台湾が、台湾を主役とした台湾史を持っていることを意識し、単なる中国の脇役ではない「独自の文化と歴史を持つ台湾」という誇るべきものへと昇格していく動きとなりました。
一種のナショナリズムであるこの動きと、海外市場での存在感アップという国威発揚が目的である「文創」とは、非常に親和性の高いものです。国内での自給自足率アップと外国製品の排除より、海外市場に於ける自国製品の存在感アップに重点を置かれているため一見わかりにくいのですが、クリエイティブ産業「文創」とは、そもそもイギリスで始まった当初から、国産品振興のための政策でした。
しかしここである意味幸いだったのは、台湾製品に付与されるべき独自性の基盤となる「台湾アイデンティティ」が決して一枚岩ではなかったことです。
「台湾アイデンティティ」の中には、日本時代以前の清代から長年に亘って「非原住民化」を強いられ続けてきた台湾原住民が自分達のそもそもの姿と文化、誇りとを取り戻そうとする復権運動も含まれていました。台湾の複雑な歴史は、「台湾人」とは何か、の定義をも一言では言い表せられないものにしていたのです。
この国家としての台湾の複雑性が、「文創」と「台湾アイデンティティ」に含まれるナショナリズムをも、決して単純な「台湾スゲー」にはさせ得ませんでした。そして台湾の文創産業自体も、海外市場で戦えるよう商品にバックボーンを付与するためだけに台湾アイデンティティを消費するのではなく、むしろ台湾に於ける社会運動の一部、これまでの台湾社会に於ける様々な不足分を補うためのツールとして文創産業が活用されていると言っていい状態になりつつあります。
一方、2009年に「CCC創作集(Creative Comic Collection 創作集)」が創刊されたことで、台湾漫画も文創産業時代に足を踏み入れました。実際には「国家発展重点計画」の中で既に漫画とアニメも振興対象として言及されているため、ようやく漫画にも順番が回ってきたということになります。
この時期、実は台湾漫画は瀕死の状態でした。白色テロ下で自由な創作活動を封じられ、日本漫画の模倣に走るしかなかった台湾漫画ですが、それでも民主化へ向けて徐々に規制が弱まる中、単なる手描きコピーの時代は終わってオリジナリティが芽生え始め、鄭問のような作家が生まれてきてはいたのです。しかし、民主化以降なだれ込んできた日本漫画の戦後42年間分蓄積されたコンテンツは、それらの漫画家の大半からあっさりと読者を奪い取っていきました。
一部の漫画家の作品はこの時期に日本進出を果たしていたのですが、それらも90年代末期からの出版バブル崩壊で日本人漫画家すらマイナージャンルの描き手が次々と作品発表の場を失って消えていく中、ほとんどが淘汰されます。
また元々紙の漫画雑誌が少なく、デジタル移行前で個人が作品を発表できる場もほぼなかった当時の台湾では、漫画家とコンテンツの育成以前に、その環境が新たな描き手と作品の誕生自体を阻害していました。
台湾独自のコンテンツ、他国の漫画家では描けない作品、そしてそれらの発表の場と、その描き手。2000年代の台湾漫画界はこの四つを至急生み出す必要があった。そういった状況下、見つめ直されつつあった「台湾史」「台湾文化」「台湾の自然」を題材にした漫画を描く場として「CCC創作集」が誕生したのです。つまり、CCC創作集をきっかけとして生まれ始めた台湾アイデンティティ作品とは、実はその誕生に政府が大きく寄与していたジャンルだと言えます。
さて、これは「表現の自由」とは対極にあるのではないでしょうか?
国益のためのコンテンツ振興政策。作品テーマは検閲を受けるまでもなくあらかじめ、こういうもの、と定められたお仕着せ。これは「金は出すが口も出す」という姿勢ではないのでしょうか?描き手たちは「御用漫画家」ではないのでしょうか?そしてこれは本当に台湾漫画の振興に繋がるのでしょうか?
結論としては、繋がりました。
これは、ただし「奇跡的に上手く行った」と言った方がよい気がします。「CCC創作集」のこの編集方針は、仕事にありつくために漫画家自身がそもそも描きたかったものを捨てて台湾アイデンティティ作品を描くといった忖度をも生みかねないものだった。台湾アイデンティティ作品が、誰も見向きもしないつまらない官製漫画、政府による単なる自己満足の駄作、利権ビジネスの温床へと堕さなかったのは、作り手全てが漫画好き(オタク)であり、表現の自由を徹底的に守り抜けたからこそだと言えます。
他の文創産業と同じく、台湾アイデンティティ作品も当初想定された枠を超え、自由闊達に発展を遂げていこうとします。計画の根底にある「人文」、「人が創り出した文物、文明」の範囲は広大ですが、それに対し政府が資金援助の対象になる「文物、文明」の範囲を区切るといったことは一切なかった。このため作家側も資金援助を得るためにおもねってわかりやすい題材を選んだり、表現を控えるといったことは一切なく、台湾アイデンティティ作品にどこまでも真っ直ぐな発達を促すことができました。
タピオカミルクティーもキーホルダーになったり、『Mori Shu』ではウサギで表現されたり。
また、この時期は、同人誌市場の台頭や、デジタル移行による様々なプラットフォーム誕生により、個人での発信を含めて作品発表の場がそれまでに比べて大幅に増えた時期でもありました。このため、「CCC創作集」以外にも作品発表ルートは常に確保されていましたし、台湾アイデンティティに縛られることのない創作もまた可能だったのです。
結果、台湾アイデンティティ作品の誕生を受けて、台湾漫画自体がこれまでの「日本漫画を源流とした発達」という枠組みから大きくはみ出していくことになりました。取り上げる題材や絵柄、漫画文法も、「日本漫画流」に限定されることなくアメコミやバンドデシネ風のものになったり、またはバンドデシネ風題材をアメコミ風キャラデザと日本漫画風コマ割りで描く、バンドデシネ風コマ割りの中に日本漫画風コマ割りが取り入れられている、といった複合的な作品も誕生するなど、独特な発展が見られるようになっていきます。
とは言え、その一方で台湾の漫画市場に於ける主流作品とは相変わらず日本の漫画です。2021年現在なら『呪術廻戦』が二次創作対象としても人気ですし、『鬼滅の刃』のコスプレをした子供たちは台湾のハロウィンでも大勢出現したようです。『名探偵コナン』の映画も台湾では毎年7月末に字幕付き日本語音声で封切られる定番の夏休み映画(2020年の『緋色の弾丸』は2021年に日本と同時公開されました)。加えて近年は中国のプラットフォーム上で発表されたオンライン漫画*も大量に流れ込んできています。
*ネット上で繁体字変換するだけで不自由なく読める中国オンライン漫画は、日本作品と違って翻訳コストが掛からず、その分読者の金銭的負担も少なくなります。この点を考えると、今後は日本漫画の中でも台湾に翻訳輸入されるのはアニメ化レベルのヒット作だけとなる可能性もあるでしょう。日本との人口比から初版部数も日本に比べてかなり少ない台湾市場では、各出版社がこれからのヒット作を先んじて輸入しようと青田買いにしのぎを削っていましたが、今後はそういった需要が消えていくかもしれません。
2012年に有償雑誌としての発行に移行したCCC創作集は、その後、売り上げの低迷と販売部数の低下を受けて、2015年に発行された第20号を最後に休刊しました。しかしこの段階では台湾アイデンティティ作品はまだまだコンテンツとしては脆弱。このため台湾アイデンティティ作品の作成をサポートすべく、中央研究院のデジタル文化センターが文化部のバックアップを得た上で、月刊誌としての2年間の発行計画を立て、2017年に復刊が行われます。復刊したCCC創作集は2019年に「文化內容策進院」に移管され、2020年の第26号を最後に紙版での発行を停止、同年8月からは無料で閲覧できるWEB雑誌として新たなスタートを切りました。
WEB雑誌版「CCC創作集」では今も新たな作品が次々に発表されていますが、そこからは徐々に「台湾アイデンティティ」を真っ向から扱った作品が減りつつあります。
だからと言って台湾漫画が再びその特徴を失って、かつての源流である「日本漫画」風へと回帰しかけているのかと言えば、そういうことは全くありません。むしろ台湾アイデンティティ作品は「CCC創作集」を既に離れ、台湾漫画の一スタイルにまで昇格し、自らの力で発表の場を切り開いていけるまでに成長した。そして台湾漫画自体も、台湾アイデンティティ作品という枠に縛られず、台湾アイデンティティを下敷きとして存在する台湾社会を描く、もしくは表現の自由がある台湾社会を下敷きとした幅広い表現、という新たな段階へと進化したのだと考えていいでしょう。
ただし、「台湾漫画」は前にも述べた通り、まだまだ台湾の漫画市場に於いてメジャーな漫画ではありません。海外での評価は高く、海外翻訳もされているものの、台湾国内に於いてはむしろ意識高い系の読者が好む「台湾ニュー漫画」の位置にあり、その流通は一般書店の漫画コーナーではなく、漫画専門店や、こだわりを持った店主のセレクト書籍で棚が構成されているタイプの店舗が中心になっていることも事実です。とは言え、台湾漫画の現状の基盤となっている「文化創意産業発展計画」の目的自体が、海外市場に於ける台湾漫画の知名度と価値を高めることにあり、国内市場はそもそもターゲットではなかったことを思えば、これは当然の結果であり想定の範囲内のはずです。
3、台湾でしか出せなかった漫画と、今後の台湾漫画
今後の台湾漫画、そして台湾の書籍市場そのものの今後の風潮を示唆するのではないかと思える一冊の漫画の出版が、昨年2020年の台湾では行われました。
『被消失的香港(消失「させられた」香港)』:著者、柳廣成
この漫画は香港を描いた作品でありながら台湾で出版され、香港では店頭販売すらできない状態にあります*。作者は2021年に香港を離れ、台湾での生活を始めました。
*越境出版というべきこの状況はこれまでもあり、政治的に敏感な題材を扱ったもの(中国ではそもそも出版できないか、出版されていても部分的にカットされた不完全版)の他、中国の創作プラットフォームで発表されたBL小説も、台湾での出版が盛んです。中国で出版済みのものであっても、ラブシーンをカットしていない完全版は台湾繁体字版としてしか出ていなかったり、またそもそも著者が台湾出版社に直接原稿を送付して台湾でのみ出版されているBL本、さらには台湾と日本の同人誌即売会でのみ活動する中国BL作家による個人サークルもあります。創作プラットフォームで作品がロックされる事態が相次ぐ現状を見るに、今後ますますこういった作品は増えていくかと思われます。フランスでのみ出版された中国漫画もありますが、「外国勢力との結託」と見做される危険が出てきた現在では、中国が「自国の一部」だと明言している台湾での出版であれば、文句のつけようもなく一番安全だとも言えます。また香港での漫画の出版状況、販売網の状況などについては、 2021年11月3日に開催された「おもしろ同人誌バザール」 で「大香港研究会」さんが発行した突発コピー誌『 それでも描くんだ。香港の自主性あふれる漫画家たち』 にかなり詳しく情報が載っております。
香港では2019年3月から始まった「反送中」デモ。警察の対応は次第に暴力的なものとなり、香港デモ隊は6月半ばからは、怒りを現す黒で身を包むようになっていきます。そして2020年1月の台湾総統選挙では、蔡総統の再選を目指す与党民進党が投票前夜に総統府近くの凱達格蘭大道(ケタガラン通り)*で開催した応援大会の会場に、香港から多くの黒衣の若者が訪れていました。
*総統府の真正面から東へ向かう道路で、10車線ある幅の広さから様々な大会などの会場として利用されることが多い通り。凱達格蘭大道という名称は、名前はかつて台北周辺に居住していたものの既に固有の文化や歴史、言語などの継承が途絶えてしまい、民族コミュニティとしては存在が確認できなくなってしまっている台湾原住民族「ケタガラン族」から取られています。ここではこの前日の昼間、野党国民党による韓国瑜総統候補の応援大会も開かれていました。
香港の選挙の中で唯一、ほとんどの枠を市民が直接投票で選ぶことができる「区議会議員選挙」*を11月24日に終え、返還以来最高の投票率で大勝利を収めたばかりの彼らは、それでも香港の行く末を決して楽観視せず、最後の応援大会で「香港独立」の旗を振り、応援大会が終わった後の路上で、香港の現状を訴えていたのです。
*香港の選挙の中では最も民主的な区議会議員選挙でも、479の 議席のうち27議席は市民による直接投票の対象にはなっていませ ん。また立候補段階で候補者に制限が課せられ、ジョシュア・ ウォンは立候補ができませんでした(これ以外の選挙では、 市民が直接投票で選べる議席枠は半分以下)。そして、 この時に当選した388人の民主派区議会議員も、2021年5月 以降、次々に辞職を余儀なくされています。これは2020年7月 1日の「香港国家安全維持法(国安法)」施行以降、 香港の公務員や立法会議員に義務付けられていた「香港基本法、 国安法、中国政府」への忠誠の宣誓が、2021年5月から区議会 議員に対しても義務付けられることとなったためです(更に「 忠誠心」の有無は宣誓によってではなく、 香港政府によって恣意的に判断される旨や、 免職された場合これまでの議員報酬などを返還させられる可能性が 示唆されたため、経済力に乏しい若手の民主派議員は、 免職される前に自主的に辞職するしかなくなりました)。
台湾にとって香港は、坑道のカナリアのような存在です。
香港で行われたデモに対する警察の暴虐はまさに第二の天安門事件であり、一国二制度は中国が気まぐれに投げ与える自由の中でしか成立し得ない程度の信用に値しないものであること、中国政府が自発的に民主化を選ぶこともあり得ないのだということを半年以上の長きに亘って台湾にまざまざと突きつけ、中国と距離を取ろうとする方針の蔡政権の継続を台湾人自身が選択するに至らせたのです。
その後、2020年7月に香港では「国安法」が施行されます。香港人が心に抱き続けてきた懸念、映画『十年』で彼らが描いた不吉な予感は、その予想よりもはるかに早く現実のものとなりました。香港返還の8年前にあたる1989年に起こった天安門事件に、世界は衝撃を受けなかったでしょうか?
香港人は衝撃を受け、1997年に中国のものとなる運命が決まった香港から多くの人が脱出し、様々な方法で欧米諸国のパスポートを手にする状況が続きました。香港人の不安と恐怖を目の当たりにしながらも、香港返還という決定を覆すためには誰も動こうとはしなかった。
1945年の日本降伏後、台湾は中華民国へと返還されます。この時のことを描いた書籍の邦題は『裏切られた台湾』ですが、原題は『売り飛ばされた台湾』でした。香港もまさに『売り飛ばされた香港』ではなかったでしょうか?
一国二制度という鎧をまとい、中国に自由と民主主義をもたらす白馬の騎士の如く、万雷の拍手で送り出された香港は、香港自身の自由と民主主義をまず守り抜こうと最前線で孤軍奮闘した挙げ句、返還から僅か23年で息の根を止められてしまった。この本は、まさにそのタイミングで「台湾で」出版された本です。
台湾の自由は一朝一夕に生まれたものではありません。そして決して盤石でもない。その薄氷のように脆い自由の上に成り立っている台湾漫画は、だからこそ台湾社会を描いていようがいまいが、台湾社会と密接に繋がっている。
台湾漫画とは何なのか。台湾的なものを題材として描いている、台湾の気配が画面から感じられる、そういうものだけが台湾漫画なのか?
台湾が自由で民主的な社会であるということを前提として生まれてくる全ての作品が、台湾漫画なのだと私は思います。台湾漫画は今後ますます多様化し、その多様化の根底には表現の自由がある。そして世界が台湾漫画に対して求めるものも、作品を通してそれを感じられるか否か、が今後は主流となってくるのではないでしょうか。
「台湾漫画も自分達も鳥籠育ちの鳥で、今、改めて飛び方を学び直している」。
これは楊双子さんのスピーチにあった言葉です。そして彼女はこうも述べています。
「台湾漫画はファンタジックな世界を――現実とも、台湾アイデンティティとも無関係なものを描くことができる。しかしそれと同時に、台湾漫画は台湾人自身の物語を描くことができるようになった。それを避ける必要など断じてなくなりました」。
ファンタジックな物語だからと言って、現実から完全に乖離することなどできるのでしょうか? 創作は、必ずどこかで現実と繋がっている。現実を敢えて書かないか、現実を反映させるかの違いはあっても、そこには必ず「現実」が浮かび上がり、読者はそれを読み取ります。
描いてはならない題材などない。描いてはならない表現などない。これこそが台湾漫画の最大の強みです。無限の大空がそこにある限り、飛び方を学ぶことはいつでもできる。手遅れになることなど決してないのです。