昭和43年12月。世にいう三億円事件が起きた時、私は小学2年生の冬を過ごしていた筈です。
何故このような言い方になるかというと、この事件のリアルタイムを全く憶えてません。
テレビも新聞も大きく取り上げて世の中は騒然としていた筈なのに、7歳の私の記憶には刻まれてません。
もちろんその後この事件はちゃんと頭に入りますが、どうしても直後の報道の記憶がないのですよ。
また別の昭和の重大事件「あさま山荘事件」も当時の報道の記憶がありません。
これはかなり若い頃から自覚してて、なんでこんな大きな事件の報道を覚えてないのか理由を見つけられないままです。
地方都市の子供でした。学校が終わったらまずは暗くなるまで外で遊ぶ。
帰ったら貸本屋さんで借りた漫画を読みふける。
きっとそんな日常にかき消されたのだと思います。
それでも「三億円事件」は世間がかき消しません。
1975年の公訴時効が近づくにつれメディアの取り上げも増えて、私も事件の知識が膨らんでいきます。
捕まらない犯人、行方が分からない三億円、事件の象徴ともいえるモンタージュ写真。
事件の経緯を追った再現フィルム。
時効成立後に犯人が名乗り出るのではないか、等々。
この頃のことは良く憶えてます。「時効」という言葉を細かく理解したのは間違いなく「三億円事件」です。
その後1988年の民事時効成立後も事件は解決せず、奪われた現金も出てこない。
令和の今、昭和世代の昔話となった感は否めません。
しかし事件から長い間「三億円事件」を題材にした作品は作られ、フィクション、ノンフィクション問わず映画、テレビ、小説、漫画と多岐に渡ります。
公訴時効直前の1975年6月から放送された『悪魔のようなあいつ』というテレビドラマも、三億円事件が題材です。
沢田研二さんが主演でなんかやってると思った記憶はあります。
残念ながら当時はそれだけの印象で観てません。もっとも描写的にお茶の間で家族が観る内容ではない為、今思うと観なくて正解だったかもしれません。
大人になって古い漫画を集めるようになって『悪魔のようなあいつ』のコミックが存在するのを知りますが、全2巻でなかなかの高額品(※編集部注…現在はKindle unlimitedでも読むことができます)。
読む機会はありませんでした。
しかし長生きはするものです。先日、状態が悪いながらも全2巻帯付きで入手しました。
読んでみての感想、そして戦後の昭和という時代。
少し語らせて下さい。
私の自論ですが、戦後の日本は団塊の世代と呼ばれる方々の歩みといっていいと思ってます。
令和の今に至るまで全て繋がっているのではないでしょうか。
漫画では「島耕作」が団塊世代の代表選手です。
10年ちょっと後に生まれたオタク第一世代の私はずっと、かの方々が歩いた後の世界で育ちました。
昭和40年台前半、学生運動が盛んな頃。
象徴ともいえる東大紛争は記憶にありません。
しかし地方都市に住む私でさえ「学生によるデモ」を何度か見たことがあります。
中でも危ないからと歩道橋の上から親と一緒に見たデモは今も鮮明に覚えてます。
白いヘルメットにタオル。
10人程度が横一列になって1本の長い棒を支えに持ち、先頭の列は前へ横へと不規則に動き後ろの列がそれに合わせて波のようなうねりとともに進みます。
周りに警察がいたかどうかは憶えてませんが、集団による圧は子供でも確実に感じました。
この混沌とした頃の世相を私はあまり憶えてませんが「三億円事件」はこの時期に起きます。
三億という数字、ましてお金の単位となると当時の感覚では実感を伴わない響きです。
その上に兆という桁があるのは知ってますが現実に使われることはあまりありません。
今や死語と言っていい「億万長者」は昭和のころはよく使われてました。
後年、職人で博打好きの父から三億円事件が起きた時、「やった!」と当時賛美を交えて思ったと聞かされます。
父の思考は博打好きの一攫千金によるものですが、また別の理由で同じ様に思った人も少なからずいたのではないでしょうか。
高度成長とは一体どこの話か、貧富の差は大きくまだ貧乏が当たり前の時代です。
資本主義社会への疑問。働いても働いても貧乏から抜け出せない。
三億円をかっさらった行為。
犯罪なのに当時の金銭感覚からすると現実味に乏しく、犯人側に同調する考えも多少は理解できます。
その混沌の時代も終わりを告げ、7年後の昭和50年。事件は公訴時効を迎えます。
団塊世代も多くが社会に出て働き、現実に溶け込む毎日だったでしょう。
この頃に「しらけ世代」という言葉を耳にする様になります。
団塊世代より少し年上の安保世代の方が書かれたとある本にとても印象深い一文があります。
「我々は闘った。そして負けたのだ。」
闘った反動で無関心、無気力へ向かう。
しかし内面ではまだ終わってない。
負けたかもしれない、世の中は変わったかもしれない、でも気持ちは引きずったまま。
この辺の心情を持つ主人公をよく描いた『太陽を盗んだ男』という映画があります。
個人的に日本映画史上最高のエンターテインメントだと位置付けてます。
公開は1979年10月(参考までに同じ年の12月に『カリオストロの城』が公開)。
その数年後に劇場で観る機会を得ました。
主演は沢田研二さんです。
しらけ世代で無気力無関心の学校教師がとある事件をきっかけに菅原文太さん演じる刑事と対峙していく。
もう沢田研二さんと菅原文太さんの演技が凄すぎるくらい上手いのですよ。
最後の最後まで目が離せないとても面白い映画で、是非一度観るのをお勧めします。
その『太陽を盗んだ男』から4年前、同じ沢田研二さん主演のテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』。
ドラマの挿入歌が阿久悠さん作詞の「時の過ぎゆくままに」。
若かりし沢田研二さんの艶やかな歌声が心地いい、昭和を代表する中の1曲と言っていいでしょう。
当時の沢田研二さんは光り輝く芸能界のスターたちの中でもトップクラスの華やかさを持つ方でした。
その沢田研二さんは昭和23年生まれ。
時効間近の三億円事件を題材にした物語が沢田研二さん主演で作られた。
遅まきながら喝采を贈りたいと思います。
コミックは同じ1975年にドラマより3か月早く『ヤングレディ』という雑誌で連載。
ドラマでは「原作 阿久悠・上村一夫」、コミックでは「作ー阿久悠」「絵ー上村一夫」とクレジットされてます。
少年週刊漫画誌を読む中学生の私は『ヤングレディ』という雑誌を知りません。
大人になって古書漫画の世界に浸るようになり、当時の『ヤングレディ』を手にしたことはありますが『悪魔のようなあいつ』が掲載されたものではありませんでした。
雑誌連載から46年。
令和の今あまり取り上げられることがない作品ですが、きっと何かの縁でしょう。
還暦間近になってようやく読んだ次第です。
主人公は可門良、27歳。三億円事件当時は20歳。
そして良を三億円事件の犯人だと疑いまとわりつく刑事。
元刑事のバーのマスター。
良にかかわる女性たち。
先述した様に1975年当時は闘った世代が世の中に埋没していく時代です。
漫画も全体に暗く、登場するのも何かを背負った訳ありの癖のある人物ばかり。
救いがない、とまではいきませんがどんよりした展開です。
第1章から第24章まで。
1巻は昭和50年6月、2巻は9月の発行。事件の時効は12月。
リアルタイムで読みたかったとは思いますが、それは今の年齢での理解力あっての話です。
当時中学生の私に理解できる内容ではありません。
最初の3章は序章だ、と4章の冒頭に書かれてます。
実は3章まで読んで「なんかよくわからんぞ」と思いましたが、4章の序文を読んで「そういうことか」とまた1章から読み返します。
連載開始から第3章まで主人公を取り巻く環境を特に細かく説明をせずに描く。
第4章から物語は徐々に進んでいきますが全体像はなかなか見えてきません。
大胆ですね。連載でこの手法をとるのはなかなか勇気がいると思います。
話は時効を迎える昭和50年3月から9月までの半年間が描かれてます。
系統だったストーリーと呼べるものはなくただただ半年間の出来事を追っていく展開。
上村さんが描く妖艶な人物画、人物と背景のバランス、時折差し込まれる誰もが知るモンタージュ写真。
漫画というよりは劇画といった方がしっくりきますね(令和の現在、劇画という言い方をあまり耳にしなくなりましたが)。
連載と作中の時系列が同じであるが故の昭和50年のリアルな描写がとても刺さります。
上からの俯瞰、あえて斜めに書かれる建物。後半には見開きページも出てきます。
細かく描き込まれている箇所と情報量を極力排除した箇所との組み合わせの絶妙さに唸らされます。
良の肩には小さな薔薇の刺青があります。
性描写の中、肩の刺青は花として浮き上がり1ページを一コマとした薔薇の花の群れが描かれる。
作品後半にはこんな幻想的な演出も入り、上村耽美劇場に感嘆しきりです。
阿久悠さんという作詞家が原作なのも異色です。
昭和歌謡という言葉がありますよね。私は昭和歌謡には陰と陽があると思ってます。
音楽的には短調と長調。
アイドルタレントさんが歌う華やかな曲はもちろん陽。
逆に暗い世相や上手くいかない人生を歌った曲も多くあります。こちらは陰。
作中にも何度か歌詞が差し込まれる阿久悠さん作詞の主題歌「時の過ぎゆくままに」はミドルテンポで陽ですが、陰の部分も感じます。
コミック版『悪魔のようなあいつ』は陰の昭和歌謡の世界と言っていいでしょう。
ただこれは私が昭和を過ごしたからそう感じるのだと思います。
この記事を読まれる若い方々にどこまで共感してもらえるかは、ちょっと自信がありません。
登場人物は良を含めて皆が何かに追われるように生き、作品は最後まで緊張感が途絶えません。
終盤時効が近づくにつれ良も刑事も女性たちもあわただしくなっていき、読む側にも緊張感が増しますが、これからお読みになる方のためにこれ以上書くのは止めておきます。
1975年という年を検索してみました。
私は14歳、中学2年です。
まだまだ世相に興味を持つ年齢ではなく、出来事や事件の多くが記憶にありません。
しかし団塊の世代と呼ばれる方々にとって心が揺さぶられるであろう出来事が多く起きてます。
闘った時代を思い起こさせる「三億円事件」が時効を迎える。
自らも30歳という年齢を目前とし、何を感じられたかは当事者ではない私には何も言えません。
しかしその様々な要素がこの『悪魔のようなあいつ』に詰まっているのは感じ取れます。
だからこそ時効の年にこの作品が生み出されたのも十分理解できます。
上村一夫さんは45歳の若さで亡くなられました。阿久悠さんも亡くなられた今、お二人がコンビを組んだこの『悪魔のようなあいつ』。
昭和漫画史の1ページに記しておくべき作品です。
なかなか理解するには世代の違いが壁になりそうですが、興味を持たれたならば御一読をお勧めします。
さて最後にもう少しだけ。
この「三億円事件」、公訴時効から13年後の昭和63年12月に民事時効が成立し事件は完全に終わります。
翌年1月8日に元号は平成に代わり昭和も終わりを告げるのは、「奇しくも」という表現を当てはめてもいいのではないかと思う次第です。