マンガの編集部に赴き、編集者が今おすすめしたいマンガやマンガ制作・業界の裏側などを取材する連載企画「となりのマンガ編集部」。第11回は、『路草』編集部を訪ねました。新進気鋭のレーベルながら、マンガ好きに刺さるラインナップで注目を集める『路草』の作品はどのように作られているのか。どのような想いによって立ち上げられたのか。編集長の井上雄樹さん、編集部員の佐藤杏奈さんのお二方を取材しました。
取材:マンガソムリエ・兎来栄寿
――マンバの自由広場というところで「読んでたら「趣味が良いな」と思うマンガのレーベル」というトピックが立っていまして、実はそちらでは「今現在、2023年だったら『路草』」というコメントに一番多くのいいねが付いていました。
井上 ありがとうございます。はじまったばかりの編集部なので、そんなに知ってくれている人がいることに驚きますが、とても光栄です。
――それくらい関心を持っていらっしゃる読者の方も多いと思いますので、本日はよろしくお願いいたします。最初に、編集者になられたきっかけを含めてお二方の自己紹介をお願いします。
井上 私は電子書籍の会社にデザインから入って、営業を経て、それから編集職になりました。なので、デジタルの世界から、出版業界の変遷を見てきました。20年近くこの業界にはいます。
編集をはじめたきっかけは、電子書籍アプリですね。当時はまだ少なかったですが、電子書店オリジナル作品みたいなものを作り始めたんです。出版社から提供されるものだけでなく、自分たちでも信頼する作家さんと一緒になって、発表できる場に育てていくことも大事なんじゃないかということで。
実は私も横にいる佐藤、そして「路草」の編集者も、ちゃんとしたマンガ編集の教育を受けてきたわけではないんです。大きな出版社の有名編集部で鍛えられたわけでもありません。
それぞれが手探りで知識や経験を持ち寄りながらやっている、というのがこの『路草』編集部の特徴でもあります。
佐藤 私は新卒でグループ会社のほうに入社をしまして、1年勤務した後、路草編集部に配属となりました。編集者という仕事に就きたくて、新卒時代は就職活動をしていたので編集部配属が決まった時はとてもうれしかったですね。編集部のなかではいちばん若手になります。
――お二方の担当作品でいうと、どのあたりになるでしょうか。
佐藤 連載作品ですと齊藤万丈先生『べじたぶるサンドイッチ』、あやき先生『べんりなふたり』、ito先生『きらきら、あおい』、トキワセイイチ先生『三角兄弟』、大白小蟹先生『みどりちゃん、あのね』を担当しております。
――なるほど。『べんりなふたり』なども個人的に紹介を書かせていただいておりまして、あやきさんは細かい人間の機微を掬って描くのがとてもお上手だなと思っています。
佐藤 ありがとうございます!あやきさんの魅力を的確におっしゃってくださって、嬉しいです。
――井上さんの担当作品はどの辺りでしょうか。
井上 今連載している中だと、イラストレーターとして長年活躍されてきたサイトウユウスケさんの初のマンガ作品『チャック・アンド・ザ・ガール』、それから2023年8月から3ヵ月連続で刊行が続くロシアのマンガ『サバキスタン』。あとは『ベルリンうわの空』を描いた香山哲先生の新連載『レタイトナイト』ですね。
――『サバキスタン』などはまさに「今」ですよね。『ベルリンうわの空』も非常に良かったので、『レタイトナイト』も楽しみです。『路草』さんは8~9月の間に新連載攻勢で8本くらい立ち上げられるんですよね。
井上 そうですね。この1年、春と夏で一気に増えました。
トゥーヴァージンズの根底に流れる哲学
――『路草』編集部がどのような想いを込めて立ち上げられたのか、というところもご紹介いただけますか。
井上 それにはまずトゥーヴァージンズという会社のことから話したほうがいいかもしれません。2015年に設立された出版社ですが、その頃には出版業界の不況といわれる状態が当たり前のものになっていました。本が売れないというのはその前からもずっと言われていましたが、実際にかなり顕著になってきて、書店もどんどんなくなっている状態だったと思うんですね。
私はだいぶ後になって入社してるんですけど、そんな状況の中であえて出版社を小規模、少人数で立ち上げているということには明確な意志があったといいます。
基本的にトゥーヴァージンズが刊行している本というのは、世の中にそこまですぐに必要ではない本ばかりです。今、本がなかなか売れない世界の中で、即効性があって来週には会議で使えるとか、人気者になるには、とか、逆に「本は読むな!」みたいな刺激的な本が多くなるのは必然だと思います。その中で出版人は皆苦労をしているわけですが。
私たちのような小さな出版社が同じ土俵に上がっても戦えないというのもありますが、そういった大きな消費サイクルの中で勝負する本とは違うかたちでアプローチをすれば、まだ未来も描けるんじゃないかと。本を読みたいと思っている人自体は減っているわけではないと思いますので、そういう人に選んでもらえる個性ある本を誠実に作っていくんだ、という意志がトゥーヴァージンズには明確にあると思っています。
「路草」もそういった考えの中から生まれていますので、同じ姿勢を持っています。Webにも書いてあるとおり、消費されないもの、その本が作られる過程を含めて作品だ、という考えを大事にしています。
マンガも消費のサイクルが早くなっているなというのは常々、ここ10年ぐらいずっと感じています。少年ジャンプとかマガジンみたいな超メジャーな作品ならまだしも、サブカルチャーやリトルプレス的な本来は小さなサイクルで長い時間をかけて動いていくような作品にもそういう波を感じます。それはもちろん、今の出版を取り巻く状況を考えると仕方のないことでもあるんですが、少し不安にも感じます。
私たち「路草」では、数ヶ月でなくなるものよりも、3年とか5年とか、できることなら次の世代にまで求められる、そういうものにできるだけエネルギーをかけていきたいな、という考えの下に運営しています。
――素晴らしいですね。私も近しい理念の下で活動しておりますので、非常に共感するところです。
井上 そうですね、これってたぶん出版に関わる人は皆少なからず持っている考えなんだと思います。
編集部が今推したいマンガ3選
――『路草』編集部さんが今おすすめしたい作品を教えてください。
井上 まずは、8月9日に新刊で発売しました『サバキスタン』、ロシアのマンガの翻訳です。
ご存知の通り、世界情勢がロシアを中心にとても複雑になっている中で、ロシア人の若い作家が自分の国の歴史についてユーモアを交えて批判的に描いているというかなり社会的な作品です。
――帯に書かれている「なぜ不幸の中の自由は、幸福の中不自由よりも良いとお前たちは考えるんだ」というセリフをあのキャラに言わせているところがすごいなと個人的に思いました。
井上 このセリフには、私たちが是としている民主主義、資本主義だって果たして正解かどうかわからないじゃないか?っていう本のテーマとは逆の指摘も感じます。こんな風に言われると「確かに、自分たちだって幸せじゃないかも…?」ってなりませんか?独裁批判をベースにしていますが、決して一面的ではない作品です。
――『サバキスタン』は3ヶ月連続で刊行されるということで、今後の展開も楽しみしております。では、次の作品をお願いしてよろしいでしょうか。
本作は連載ペースに特徴があります。基本的にマンガは、週間連載とか隔週、月1回とかって間隔が多いんですが、この『レタイトナイト』に関しては3~4ヶ月に1度、数話まとまったストーリーを一気に公開するというスタイルを取っています。
その理由は、先ほどのトゥーヴァージンズがどういう出版社かという話にも関わるんですけど、今SNSを見るとあらゆるエンタメの宣伝で溢れていますね。熱心な方は読むマンガをスケジュール化してたりとか。そうしてマンガを読んでもらえるのはとてもありがたいことなんですが、やっぱり、これは!と思う作品はもう少し余裕を持って、じっくりと読んでもらう時間があってもいいな、というのもあります。
読者の皆さんは新しい話をしばらく待つことになりますけど、例えばNetflixなども、次のシーズンまでに半年や1年待つじゃないですか。マンガもそういうスタイルのものがあってももうあまり違和感もないのでは、ということでやっています。
待ってる間に忘れられてしまうのは怖いですけど、「そう簡単に忘れられないものを作っているんだ!」という気持ちにもなります。
――まさに、Netflixのアニメは1クール1,2,3話のような尺の縛りがないのが良いところですし、マンガも作家さんごとに描くペースや物語のスピード感って全然違っていて画一的に週刊や月刊と決められていると零してしまうものもあるのかなと個人的に思っていたので、そういったペースで執筆することを選択できるのはすごくいいなと思います。では、3作品目をお願いしてよろしいですか。
佐藤 これから連載が始まる作品ですが、大白小蟹先生の『みどりちゃん、あのね』をご紹介させてください。
マンガ好きな方なら読んだのでは!? というくらい、昨年末に刊行され話題になりました『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』の大白先生の初連載が路草ではじまります。今はプレスリリースで発表している「地方に住む野球少女と、都会からやってきた叔母のひと夏の物語」しかまだ明かせないんですけれど(笑)、大白先生を好きな方の期待を裏切らない作品になっていると思います。ぜひご期待ください!
――告知とプロローグが出たのは結構前だったと思うんですが、連載をとても楽しみにしております。
佐藤 プロローグもチェックいただいて…! ありがとうございます。実はもうだいぶ前…2年ほど前から大白先生とやり取りをさせていただいて考えてきた作品なので、私もとてもワクワクしています。
――まさにこの「となりのマンガ編集部」というこの連載企画も第1回目が『トーチ』編集部で、そのときにももちろん大白先生の名前が挙がりましたね。
井上 「路草」では初の長編ですので、楽しみにしていてください。私も楽しみです。
海岸で綺麗な貝殻を集めているような編集部
――次に「路草」編集部についてお伺いしていきます。「路草」編集部さんの中で今流行っているものやことがあったら教えてください。
井上 もしかしたらこれから流行るのかもしれませんが。編集部の中で「サブ担当制」という制度があります。
マンガの制作って基本的には作家と編集の2人で進めて、たまに編集長とかのチェックが入って、ということがほとんどだと思うんですけど、私たちの場合、先ほど話した通り全員が知見を持ち寄りながら進めています。全員が基本的には全作品を理解している状態があります。ただそれにも限界があって。なので、チームの中でもっと実践的にバックアップできる制度を作ろうとしていて。
――良いシステムですね!
井上 私たちのような経験が乏しいチームは、今はこうして工夫してやっていかないといけないです。作家さんにはのびのび描いてほしいというのが第一ですけど、売り方も含めて間違った方向に進めてしまっては良くないので、そういう部分も知恵を出しあってやっています。
――そこに繋がるかもしれないんですけども、『路草』編集部が自慢できることを挙げるとすると何でしょうか?
井上 小さな規模と大いなる素人性、とでもいいますか。これはいい意味でとらえて欲しいんですが、作品に対しての真摯さと大胆なことができる環境だと伝わるとうれしいです。
「路草」編集部って、私のイメージだと「海岸で綺麗な貝殻とかを集めている人たち」みたいなところがあるのです。それを組み合わせて「綺麗だな」「いやこっちと合わせたらいいかも」とか言ったり、そういう純朴さを見ると嬉しい気持ちになります。
もちろん、経済的に利益を積んでいかなければいけないんですけど、一方で、そういう素朴な感覚には経済的観点から見ても理がある、ということを根っこの部分で会社が理解してくれているな、と感じます。だから思い切ってやれることも多い。
そういう環境ってなかなか得られるものではないし、できることなら文化として続けていきたいですね。私たちは営利企業ですが、最後に残るのは文化だと思っています。今の世の中でそれを続けていくのは簡単なことじゃないけど、そのために頑張ろう、と皆が思えているんです。
佐藤 路草編集部は井上と私含め4名いるのですが、みんな対等な感じというか。自分が担当している以外の作品に対しても、感じたことはきちんと伝えていて…でもそれは担当が作品への考えをブラッシュアップさせたり、方針を固めたりするためのものにもなっているかなと思います。
――今のお話を聞いていて、とても良い空気感の中で作られているんだなというのが、『路草』作品の内容と共にすごく納得感がありました。
救われた思い出の1冊
――編集者が繋ぐ思い出のマンガバトンということで毎回編集者の方の思い出のマンガ作品をお聞きしているんですが、みなさんの人生の思い出の1冊を挙げていただけますか。
佐藤 思春期に大きな影響を受けて、今もずっと大切な作品はヤマシタトモコ先生の『HER』です。
本作はオムニバス短編集なのですが、その中の一篇にそのときの自分と似たような悩みを持った主人公が出てきて。彼女が悩みを乗り越えるのではなくて、それを持って、思ったまま生きていくという選択肢を選んだ時に、すごく救われた気持ちになりました。『HER』を読んで物語の力を知った気がします。
――ヤマシタトモコさんはちょうど『違国日記』も完結巻が先日出ましたが、あそこまで踏み込んで描けるのは素晴らしいですよね。マンガとしてもすごいですし、救われている方もたくさんいると思います。
「なかなか面白いことやってるな、がんばれよ」と思ってもらいたい
――次の編集者の方へのバトンとしまして、何かコメントをお願いします。
井上 編集者って不思議な存在です。別に何かを創れるわけじゃないけど、編集者がいないと作品が世に出ないことが多い。責任は重大だけど、経験や資格は必要ない。
最近、昭和の時代の編集者のことを想像することがよくあります。どうもめちゃくちゃな企画の通し方をしていたようです。お金が余っていたのかな?わかりませんし、もちろん時代が違うので参考とかではないですが、やっぱり若い頃の自分を楽しませてくれていた人たちです。今の自分たちの仕事を見たらどう思うか。できることなら「こいつらはまあ、なかなか面白いことやってるな、がんばれよ」とかって思ってもらいたい。
で、そんなようなことを次の世代の同じような若者にも、思ってもらいたいですよね。どうでしょうか?
――勝手な一読者の意見としても、安全圏からではない挑戦した作品を読ませていただきたいなと思います。最後に、『路草』を読んでいる読者の皆さんと、この記事を読んでくださってる方読者の皆さんに一言ずつお願いします。
井上 いろんなマンガが世の中にあって、「路草」というのはもしかしたら、かなり遠い場所、飛行機を何度か乗り継いでやっと着ける離れ小島のような場所にあるのかもしれません。
でも、そこまで遊びに来てくれた人がいたら、私たちとしては思い思いに楽しんで帰っていただきたいと思って運営していますので、たまには遊びに来てください
佐藤 これからも真摯に作品に向き合っていきます。遊びにきてくださることをお待ちしています!
――本日はどうもありがとうございました。
『路草』のホームページの「『路草』とは」という項には、以下のように書かれています。
私たちは、生活に息づく文化や風景、
そこに育まれるさまざまな視点を“本”という形で記録(または発信)してきました。その一冊が日々の答え合わせになるような、
皆さまの生活に少しでも混ぜてもらえるような出版社でありたいと願っています。ここからはじまるコミックレーベル「『路草』/みちくさ」は、その地続きにある表現です。
「旅はその過程にこそ価値がある(The Journey is reward)」と、とある偉人がいいました。
目的地へ真っすぐ進むのではなく、
「過程の路上=今ここにいること」にこそ楽しみや、発見、出会いがあるはず。なので焦らず。
先ばかり見ていないで、たまには「路草」を食らいに来ていただけると嬉しいです。
食べつくしたら、皆で種を蒔きましょう。
私は、これを読んで『ドラゴンボール』の人造人間17号を想起しました。同じ人造人間の16号、18号と共に孫悟空の家を襲撃するのに、自分たちで空を飛んで行けば数分で着くにも関わらずあえてクルマを手に入れてそれを走らせていくシーンで17号は言います。
「のんびりと楽しみながら行こう いそいだって意味はない」
「なんども言うなよ そのムダが楽しいんじゃないか」
子供心に印象に残ったシーンですが、大人になった今読み返すとひとつの真理が含まれているように感じます。
あらゆることに合目的性を求めがちな社会ですが、ふとそこから離れ、小島へと流れて意味など考えずに貝殻を探すことが人生においてどれだけ豊かな時間であることか。現代のスピードの中で忘れてしまいそうなことに気付かせてもらえる稀有なレーベルである「路草」を、これからも応援しています。