マンガの中の定番キャラとして欠かせないのがメガネとデブ。昭和の昔から令和の今に至るまで、個性的な面々が物語を盛り上げてきた。どちらかというとイケてないキャラとして主人公の引き立て役になることが多いが、時には主役を張ることもある。
そんなメガネとデブたちの中でも特に印象に残るキャラをピックアップする連載。第29回は[メガネ編]、痛快かつ痛切な社会人群像ラブコメディ『セクシー田中さん』(芦原妃名子/2017年~連載中)の(一応)主人公・田中京子をご紹介しよう。
田中さんは40歳の独身OL。TOEIC900点超えで税理士の資格も持ち、「経理部のAI」と呼ばれるほど仕事はできるが、地味で暗く社交性も乏しい。少女マンガが好きで、ペットのハムスターの名前は「真壁くん」(説明するまでもないと思うが『ときめきトゥナイト』からのネーミング)。ひっつめ髪に小ぶりでフレームレスのオーバルメガネをかけたルックスも含め、タイトルに掲げられた「セクシー」とは対極にあるようなキャラである。
しかし、その田中さんが実はアスリート並みに引き締まったスタイルの持ち主であることに気づき、興味津々なのが同じ会社の23歳の派遣OL・倉橋朱里(あかり)。男子ウケするゆるふわな容姿を武器に絶賛婚活中だが、「初めてもらった給与明細を見た時に一生独りでは生き抜いていけないと思った」という彼女が望むのは、玉の輿ではなく「堅実」で「普通」の生活だ。が、合コンで出会うのはビミョーな男ばかりで……。
そんなある日、朱里は女子会でたまたま入ったペルシャ料理店で、会社の顔とは別人の田中さんに遭遇する。なんと、ベリーダンサーとしてショーに出演、妖艶かつキレッキレの踊りを披露していたのだ。メガネを外して髪をほどき、濃い舞台メイクに派手な衣装をまとった田中さんに最初は気づかなかった朱里だが、毎日観察して脳裏に刻まれている体のラインから田中さんと確信。興味が憧れに変わり、翌日会社で声をかけるも、「誰にも言わないで!!」と壁ドンからの土下座で懇願される【図29-1】。
以来、朱里は田中さんの追っかけと化し、ついでに自らもベリーダンスを習い始める。朱里から見た田中さんは、ストイックな努力家で、自分の世界を持っている人。しかし、子供の頃からブスだ何だといじめられてきた田中さんの自己肯定感は低い。友達も彼氏もいたことがなく、いつも一人でうつむいて生きてきた。それがベリーダンスと出合ったことをきっかけに、背筋を伸ばし前向きに生きられるようになったのだ。
逆に、田中さんから見た朱里は「若くてかわいくてコミュニケーション能力があって 器用でいつも人に囲まれて」いる人で、「あなたの持ってるモノ全てがうらやましい」とすら思う。実際、朱里は子供のころからモテモテだった。しかし、本人は良くも悪くも容姿だけを評価されることにうんざりしている。一方で、それ以外に誇れるものがなく、いつも笑顔で場を取り繕う自分も好きじゃない。
一見対照的だが、自分に誠実であろうとする点では共通する。そんな二人が、お互いに影響し合い励まし合いながら、少しずつ変わっていくシスターフッド的関係も見どころのひとつ。精神の解放と自立、その先にある自己肯定。シビアなテーマを絶妙の抜け感で、しかしキッパリとテンポよく描く筆さばきは痛快だ。朱里が合コンで知り合った男たちの無自覚かつ失礼な言動は、昨今のセクハラやルッキズム、ジェンダー問題にも通じる。が、そうした男たちの生育環境や置かれた状況もきっちり描き、一方的に断罪はしない。実は武闘派の策略家でコメディエンヌとしての才能も発揮する朱里のキャラもいい。そういう意味では、みんなが主人公なのである。冒頭で「(一応)主人公」と書いたのは、それゆえだ。
とはいえ、最もユニークで物語の中心となるのは、やはり田中さんである。何といっても、地味OL姿とダンサー姿のギャップがすごい。「メガネを外すと美人」ではなく、完全に別人に変身する。いわば、クラーク・ケントとスーパーマンみたいなもの。その姿を「メガネもいいけど やっぱりキレイだなあ」とほめたたえるのが、ペルシャ料理店のマスターでダラブッカ(中東の代表的打楽器)奏者の三好である【図29-2】。彼こそが田中さんをポジティブに変えた人物であり、彼女が密かに恋心を抱いている相手なのだった。
しかし、三好は別居中ながら既婚者で、博愛主義の女たらし。恋愛経験も男性経験もない田中さんにとっては、とても手の届かない相手である。それでも「好きな人の隣で踊ることができる」ことに喜びを見出す田中さん。そして「誰に何を言われても何度でも背筋を伸ばす 踊ることが好き 自由に呼吸ができる 私にはダンスがある…!!」とレッスンに励むシーンは、ちょっと自己陶酔も入ってギャグ風味【図29-3】。が、そんなノリノリの田中さんを悲劇が襲う。なんと四十肩になってしまうのだ……!
ドアも開けられず寝返りも打てずトイレでパンツを下ろすことすらままならない。ましてやダンスなど踊れる状態ではなく、激しく落ち込む田中さん。そうとは知らず明るくダンスの話題を振ってくる朱里に向かって思わず叫ぶ。「ダンスが踊れない私なんて ただのおばさんよ――っ!!!」。
筆者も四十肩は経験あるが、アレは本当につらい。しかも、田中さんの場合は心の支えであるダンスが踊れなくなってしまってつらさ倍増。幸いブロック注射が効いて早めに快復するものの、そのクリニックを紹介してくれた昭和脳で言動がナチュラルに失礼すぎる男・笙野とひと悶着あったり、三好と過去にいろいろあったらしい伝説のダンサーが現れたり、うっかり素顔で踊ったところを動画に撮られて会社バレしたりと、いろんな事件が降りかかる。けれども、それらの出来事ひとつひとつが彼女の世界を広げていく。
現時点の最新5巻では、失礼男・笙野との関係にも変化が……。単行本の帯(裏表紙側)の人物相関図も巻を重ねるごとに少しずつ変化している。田中さんはもちろん、器用そうに見えても不器用な人々に幸あれ。