「味いちもんめ」は料理マンガとして長期連載に至っている
和食と人間ドラマを描いているヒット作。
だが自分としてはラーメンとかカレーなどに比べれば
日本料理屋の和食は親しみもインパクトもない料理の話で、
あまり興味を引かないマンガだった。
和食はどーたら、とか小難しいと感じたし。
人情ドラマとしてもそれほど深くないし、と感じて。
なので大体の登場人物達やマンガとしてのスタイル、
おおまかな話の流れは知っている、という程度でいた。
嫌いではないけれどもスペリオールを読む機会があるなら読む、
という感じだった。
たまたま「独立編」の単行本を読む機会があり
「お店の経営とかも絡む話になったのか。
それなら面白いかも。」
と1巻から6巻まで読んでみた。
面白かったし、自分の理解が色々と足りなかったんだな、
ということが判った。
それまで自分好みではないと感じていた要因として
「マンガとして絵の表現が少ない」
「セリフで説明をするシーンが多すぎる」
と感じている部分があった。
添付した画像は独立編の第4巻の1シーン。
こういう場面だったら自分としてはマンガだったら
「通常の和食技術で鮟肝を調理する絵」
を描き、その次に
「フランス料理でのフォワグラを調理する絵」
を描くのが、文章だけでなく絵で表現できる
マンガならではの手法だし、良さだし、
そうすべきだ、と思っていた。
セリフで説明するのは芸が無い、
絵も活用して判り易くしてこそのマンガだろ、と考えていた。
例えば「美味しんぼ」とかはそんな感じの
話の展開が多かった。
場合によっては「口で説明するのは簡単なんだが・・」
とかいって山岡さんは話を打ち切って、
わざわざ北海道とか九州とかに直接に行って
「現地で実際に見て説明する話」
にしてまで絵的に表現するマンガだった。
なかには超能力者を登場させて時と場所を超越して
登場人物がその目でそれを見ているから、と絵的に
表現する話もあったりした。
そういう話と「味いちもんめ」のセリフ過多?の
話を比較して改めて
「どっちがリアルなんだろうか」
という点で自分は考え直すところがあった。
いまは「味いちもんめ」のほうがリアルだと思う。
実際に料理店で料理を味わっているときに、
どんなに美味しい料理を出されても、
意識が別世界に飛ぶということは殆ど無い。
頭の中に調理人が料理を作っている光景が浮かぶとか、ない。
よし現地に行って確認しよう、なんて思わない。
やはりその店のその席に座り箸を握り椀を持ち、
店内のBGMや周りの会話も耳にし、
カウンターの向こうの板さん達の仕事振りも見て、
お店全体の雰囲気に包まれながら料理を味わうのが普通。
そういった、皿の上だけでなく店全体を味わう感じ。
知識を得るのではなく店の雰囲気を味わうのが大事。
突然にフランス料理の絵なんか見せても、そんなマンガじゃ、
日本料理の店の雰囲気を伝えられない。壊すだけ。
その辺をリアルに感じさせてくれるマンガかもしれない、
そう思ったりした。
(直接に現地に行っちゃう、という展開も
だからマンガは面白いという面はあると思います)
料理や調理方法を正しく理解するということと、
お店に入って料理を味わうということ、
それぞれは微妙に違うし、現実には
料理は皿の上のものだけで味わうのでは無く
そのお店の全体の雰囲気の中で味わうもの、
その点が、重要視すべきで現実的なんじゃないか、
そこらへんも含めて「味いちもんめ」は
「店の味」を描いて伝えたいマンガなのではないか、
そう思いました。
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