アスペルガー症候群の診断が自分を解放する瞬間だった 『見えない違い 私はアスペルガー』トークイベントレポート

アスペルガー症候群の診断が自分を解放する瞬間だった 『見えない違い 私はアスペルガー』トークイベントレポート

こんにちは、ドッグナマコです。

先日、マンバ通信のニュースでも告知したフランスのバンドデシネ作品『見えない違い 私はアスペルガー』の作家陣の来日講演に行ってきたのですが、その内容がすごく良かったので失礼コーナーでレポート記事を書くことにしました。

作品の内容については先日のニュース記事で触れているのでそちらを参考にしていただくとして、まずは原作者と作画者について簡単にご紹介します。

写真はすべてアンスティチュ・フランセ東京より提供

原作者のジェリー・ダシェさん(写真左)は、現在34歳の社会心理学博士。27歳の時にアスペルガー症候群と診断された自身の経験を綴ったブログが編集者の目にとまり、そのブログをもとにこの作品の原作を書き上げました。

作画を担当したマドモワゼル・カロリーヌさん(写真右)は、多数の著書を発表してきた経験豊富なマンガ家。自身も鬱病にかかった経験を持ち、そのときのことを『Chute libre: Carnets du gouffre(自由落下──深淵日記)』という作品で描いたことでも知られています。最新の共著として『Mon programme anti-dépression(私のうつ病対策プログラム)』を発表。

司会進行ならびに通訳は、アンスティチュ・フランセ東京メディアテークの野村昌代さん(花伝社の編集者でもある山口さんも来ていました)。

この講演のよかった点は、司会者からの質問に作家陣の二人が答えつつ、その都度来場者からの質問にも答える形式だったところ。おかげであらゆる視点から作品のことを知ることができました。

既にこの作品を読まれた方には副読本として、まだ読んでないという方にはぜひこの作品を手に取るきっかけになればいいなと思います。

 

27歳でアスペルガー症候群と診断されて

──まずはジュリさんが27歳でアスペルガー症候群だと診断されたときのことを教えてください。

ジェリー(以下ジュリ) 私は27歳でアスペルガー症候群という診断を受けたのですが、一般的に考えると年齢的にも遅い段階での診断でした。

  

フランスでの自閉症の認知度はまだまだ低く、私自身もどういう問題を抱えているのかがわからずにいました。

アスペルガー症候群だと自覚する以前の私は「どいうして他人と違うのか?」「どうしてこんなにいつも疲れているのか?」という不安を日々抱えながら過ごしていて、その不安がどんどん大きくなってくると、自殺したい気持ちになるときもありました。

周りを見回してみると、みんなカップルで暮らし、仕事もして、さまざまなことを同時にこなしているのに、私はすべてを同時進行でこなすことがとても苦手で1つのことしかできない。

そんな私に対し周囲の人たちは「そういうことはがんばって自分でどうにかしなきゃ」と言うので、私も他人と同じように生活をしようと必死になっていましたが、だんだん心の底から疲れ果ててしまい、燃え尽き症候群のようになりかけていたのです。

ある日、たまたまインターネットで自分と同じ問題を抱えている人がいることを知り、専門の機関で診断を受けることにしました。結果、医師の診断により、私はアスペルガー症候群だということを知ることとなりました。その瞬間の気持ちはまさに「解放された!」という一言に尽きるものでした。

努力をしているのにうまくいかず精神的にも追い詰められていた中で、自分がアスペルガー症候群に生まれたことを知れたことは「自分は決しておかしいわけではなく、これが当たり前なんだ」と肯定するきっかけとなり、心から自由を感じました。

だから私にとってこの診断は、自分自身を取り戻し世界が違って見えてきた瞬間でした。

原作者とマンガ家が顔を合わせたのは出版後のサイン会だった!?

──この本を作ることになったきっかけは?

カロリーヌ(以下、カロ) もともとジュリが書いていたブログを編集者が読んでいて、彼女から「アスペルガー症候群についてのバンドデシネ(以下BD)を作ってみてはどうだろうか?」と提案をもらったことがきかっけです。

その編集者には二人の息子がいて、二人ともがアスペルガー症候群の診断を受けています。彼女はそのこともあって、アスペルガー症候群についてのBDがあればいいなと思ったようです。

私も以前から自閉症について興味を感じていたので、自閉症がどんなものかを紹介するBDを描くことはごく必然的なことだったと思います。

──ブログをどのようにしてBDへしていったのでしょうか?

カロ まずはジュリがBD用のシナリオを書いて私に送ってきました。そのシナリオはマンガに落とし込むにはやや窮屈に感じる部分があって、アスペルガー症候群や自閉症をよく知ってもらうためには日常のことを綴った方がいいと考えたんです。

例えば日常生活の中での「ルーチン」といういわれる行動ルールやクセについて、また仕事場での同僚との関わり方、恋人との過ごし方について、ジュリにいろいろと細かく質問して、それを再度シナリオに落とし込んでいきまいた。

シナリオ完成後、私がクロッキー(下書き、ネームのようなもの)を描く作業に入るのですが、実はそれを描き上げるのに約1年かかってしまったんです。

制作だけに限ると1年ですが、この本のアイデア発案から実際に出版されるまでにはトータルで3年という時間がかかっています。その間、私とジュリは一度も会うことなく、制作上の相談はメールでやりとりのみ。実際にお互いが顔を合わせたのは出版後初のサイン会の時でした。

──なぜ制作中の3年間一度も会わなかったのでしょうか?

カロ 大きな理由のひとつはお互いの住む場所がそんなに近くなかったこと。だからといって私がジュリの住む場所へ訪ねていき、彼女の生活のリズムを乱してしまうような乱暴なことをしたくなかったし、逆にジュリをわざわざ自分の家まで呼びつけるという気もありませんでした。

ジュリ 私からすると「なぜ会わなかったのか?」ということを考えたこともなかったので、こうやってあらためて質問されると驚きますね(笑)。

『見えない違い』は制作に10年かけても完成しないと思った

──共同作業で一番難しかったことは何ですか?

カロ 制作についての相談はメールや電話でやりとりしました。電話でのジュリはとても気さくに話してくれるので、私は彼女がアスペルガーであることを忘れてしまうときもあったんです。

ジュリとはまるで友だちの同士のように比喩を交えたフランクな会話をしていましたが、実のところジュリにはそういった比喩の意味が全く通じておらず、こちらの意図とは違った悪い意味にとっていたんです。

さらに、私は作品の内容について、思いつくまま変更の提案をしていましたが、それに対してもジュリはあまり良く思ってなかったようです。

そういった行き違いの積み重ねから、制作自体が非常に困難になってしまい「これでは10年かかっても出来上がらないのでは?」と途方に暮れることもありました。

その時、助け船をだしてくれたのが編集者のファビエンヌです。彼女はアスペルガーの症状をよく知っていたので、ジュリへの提案方法や話し方などを詳細にアドバイスしてくれました。そこからだんだんとお互いの話が通じるようになり、いい関係を築くことができたのです。

──制作中、二人の間で話がまとまらなかったというエピソードがありましたが、今回の本の中で一番議論が生じたシーンは?

カロ 二人の友人同士がバカンスに行く相談をしているシーンですね。彼女たちがバカンスで行くホテルを実在するホテル名にしようと思い、ジュリにいくつかのホテルを提案しました。

しかし、ジュリにはマンガの中の例えとしてホテルの名前を出すことが納得いかず、まるで研究論文かのように各ホテルの客層や特徴を調べ上げ、「○○というホテルは△△な人たちが行くような場所なので不向きだ」といった3ページにも及ぶレポートを私に送ってきたのです。その時ばかりは「この調子では一体どうなることか!」と途方に暮れました(笑)。

今回の作品は、ジュリの他にファビエンヌとその二人の息子が厳しくチェックをすることになっていたのですが、あるトイレのシーンでは右側のノブの高さと左側のノブの高さを揃えずに描いてしまったことがありました。

その高さの違いを二人の息子に指摘され、大変な思いをしながら何度も描き直しを行い、やっと完成したシーンなのです。

アスペルガー症候群の3人と1人の編集者による厳しいチェックのお陰で、今はこの本に描かれていることは大変完璧な状態だと私も満足しています。

──今回の作品はどこまでがノンフィクションなのでしょうか?

ジュリ この作品の90%は本当のことが描かれています。日常的なルーチンとして自分がどんなことを行っているのかはこの作品の通りです。

作中でのフィクションといえば、カロリーヌは本屋の店員として描かれていますが、彼女はプロのイラストレーターであり、本屋で会ったこともありません。

別のシーンではいつも同じ時間に同じパンを購入するシーンがあります。そこに登場するパン屋の店員もある種のクセを持っている方として描かれていますが、それもフィクションです。

──マルグリットがアスペルガー症候群と診断されたあと、それを忘れないためにとタトゥーを刻むシーンがあります。そのデザインがとても個性的に感じたのですが、そこにはどういう思いが込められていたのかを教えてください。

ジュリ 私が非常に好きなアインシュタインの言葉からデザインを考え、彫り師の方に入れてもらいました。

私は幾何学的なデザインが好きなので、このタトゥーを大変気に入っています。しかし、日本ではあまりこのようなタトゥーを入れる文化がないようですね。この国へ来てからいろんな人にじろじろと見られました(笑)。

色使いや表紙から見えてくるさまざまな「違い」

──作品の中でテキストの文字色を変えて表現している部分がありますが、それは主人公の感情が色で表現されているのでしょうか。例えば、赤文字だと彼女にとってとてもキツく嫌な思いをして受け取っている表現なのかなと。こういった色を変えるのはどちらのアイデアだったのでしょうか?

カロ 最初はモノクロで描いていましたが、描き進めていくうちにジュリが音にとても敏感ということがわかり、神経にさわる攻撃的な音については赤を使って描くことにしました。

マルグリットがウチに帰るシーンは自分の世界へ戻れることへの安堵感を表現したかったので青を使って描いています。フランス人にとって青という色は、穏やかさを表現する色だからです。

そのほかですと、隣に住む男性がマルグリットに対してボディタッチが多く距離が近すぎるシーンは、その困惑や嫌悪感を表すために他の色を使用しています。

マルグリットにアスペルガー症候群の診断がおりてからは、彼女にとっての世界が大きく変化したシーンなので、たくさんの色を使って世界が明るい方向へ変わったことを表現しました。

──仏語版と日本語版は表紙の印象が全く違っていますよね。表紙を変えた意図があれば教えてください。

カロ 日本版の表紙は花伝社さんの意図で変更されたものでした。確かにはじめてこの表紙を見たときは、あまりの印象の違いにビックリしましたね。

仏語版の表紙
日本語版の表紙

日本版は明るい色を用いてとても幸せな印象を受ける表紙になっていますが、おそらく日本の市場ではこのような表紙の方が売れるんではないかと思っていたんですけど……実際の理由については、今日ここに来ている花伝社の山口さんにぜひ聞いてみたいです(笑)

山口 弊社は学術系の出版社で海外コミックを手がけるのがこれが2冊目でした。これまでにアスペルガーや自閉症に関しての専門的な本を何冊か出版していた流れで、この『見えない違い』を出すことになったんですね。

実際に読まれた方はわかるかと思うのですが、アスペルガー症候群という診断を受けて思い悩むのではなく、自分自身が解放されていくところが、この本の一番のメッセージだと思いました。これは日本の書籍ではない展開だったので、アスペルガーと診断されて明るい気持ちになったということが伝わる表紙にしたいと思い、この装丁になりました。

小話をすると、マルグリットが上を向いている視線の先にどんなイラストを配置するかで迷いまして……5種類くらいの案の中から、この赤い鳥を追いかけているという表紙になりました。

──作中に赤い鳥がよく出てくるのですが、これには何か意味があるのでしょうか?

カロ 赤い鳥はジュリがひとりぼっちになっている時に現れ、自分の悩みを打ち明ける相手だったり、安心感を与える存在として描きました。私にとって鳥というのは心の軽やかさを象徴する存在なので特に診断のあとはいろんなシーンに登場していますよ。

ジュリ 私は小さい頃、その日あった出来事を大好きなぬいぐるみによく話しかけていました。この鳥を眺めていると、そのぬいぐるみのことを思い出します。

──この本を出版した際、フランスではどのような反応がありましたか?

カロ このような内容のBDが多くのプレスの注目を集めるということはほとんどないのですが、フランスでも非常に評判がよかったです。

出版から3年経ってますが今でもよく売れてるようです。Amazonではベストセラー(フランスではAmazonで本を買うということがあまりいいとはされていないのですが……)になることもできました。

発売当初、実際に同じ問題を抱えた人たちに大変売れたようです。しかし、ストーリー自体非常に美しいものですし、何よりもこの本が語っているのはさまざまな人、世界中どこにでも存在するような「他人と違う」というそれぞれの問題を扱っていることがとても重要だと思います。この本が伝えたいメッセージは「自分が他人と違うということは、とても当たり前のことなんだ」ということなんです。

ジュリ 私も同じ意見です(笑)

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