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『天国 ゴトウユキコ短編集』双葉社 2023年 ジャンルについて(1)【夏目房之介のマンガ与太話 その22】

『天国 ゴトウユキコ短編集』双葉社 2023年 ジャンルについて(1)【夏目房之介のマンガ与太話 その22】

 今回は『天国 ゴトウユキコ短編集』【図1】を取り上げてみたい。すでに活躍している作家で、ちょっと怖い作品や人の闇を扱うような作品も描いているようだ。が、申し訳ないが、私はこの本で初めて読ませていただく。版元から送ってもらったのだ。

『天国 ゴトウユキコ短編集』

 表紙を飾る少女の絵が、この作家の資質を示している。ピュアな少女の表情をサラッと描いているように見える。しかし、どこを見ているのかわからない二つの瞳の微妙な位置関係、小さな鼻に慎重に描かれた鼻の穴、唇の位置や繊細に引かれた線、淡い彩色の気遣いなど、とても注意深く表情を描き込んでいる。この本を手に取る人は、そんなことまで考えないだろうが、無意識にそうした繊細さを受け取っているはずだ。漫画読者であれば、初見でもそうした無意識の印象で、ある種の「期待」をもって手にとるかもしれない。
 『天国までひとっとび』『2月14日の思い出』『家庭教師』『迷子犬とわたしたち』の4作を収録。『天国まで』は「webアクション」2020年発表、『2月14日』と『迷子犬』が2023年と3年かけて一冊分にまとめている。版元の「ご案内」には、〈SNS上で大きな話題を呼んだ「天国までひとっとび」〉との一文があり、ネットで反響があったようだ。私のような古い漫画読者にはなかなかそういう評判までは目が届かない。
 以下、いわゆる「ネタバレ」になる。こういう書き方が好きではないし、昔はそんな配慮なく書いてたじゃんとか思うが、まあそういうのに神経質な人もいるんだろう。
 『天国まで』では、素朴な受験生の少年の前に、亡くなった同級生少女の幽霊が出現する。彼女は担任教師が好きで、その想いで成仏できない。少女は少年に、先生に自分の思いを伝えてくれれば成仏できるという。少年は、背後霊みたいに一生先生にくっついていれば〈そのほうが幸せじゃん〉と少女にいい、彼女もそう決断する。が、少年は少女の決断のセリフと同じコマに、〈違う あれは… そうじゃないんだ〉と内語で叫ぶ。
 少年は約束を違え、教師の前で、少女が今ここにいて、先生が好きだったと告げてしまう。すると教師は〈どこにいるって…?〉と聞き、少年の指した方に向かって、〈早く逝きすぎだ…!! 天国で待ってろ ありがとう…〉【図2】と唐突に叫ぶ。少女は泣きながら消え、成仏する。卒業の日、少年は黒板に少女が好きだったと大書し、署名する。

【図2】同書P.50-51

たしかに、どこかで読んだ気もするお話で、そういう意味での新味はない。が、読むとまことに爽やかな読後感で、新鮮に感じる。しばしばアップになる少年と少女の表情と、そのさいのコマの切り替え、心理表現の強弱のうまさによるものだと思う。ヒューマンな、嫌味のない、期待通りの作品である。一方、少年にとっては怖いだけだった教師の、見えない少女への唐突な叫びが、ほんの少しだけ、この作品への読者の「期待」の稜線を越える。作品とは常に、受容者の期待に沿って、しかも巧妙にそれを裏切ることで、面白さを保証するのだ。
 『2月14日』は、『天国まで』の爽やかさとは逆に、やはり先生に片思いする少女が、先生の奥さんが就職祝いにくれた大事な万年筆を盗み、その万年筆で自慰する。先生へのバレンタイン用手作りチョコには、自分の唾液を落とす【図3】。

【図3】同書P.69

この場面の生々しさは、ちょっとギョッとする。そう、この作品の描写には明らかに秘めたエロと人の闇の部分、それらへの「悪意」がある。そうか、この人はそういう作家なのだ。ってことは、『天国まで』もまた自覚的に「爽やかさ」を描いたのだ。いわば『天国まで』で生じた読者の「期待」を、ここで裏切ってみせているのだ。見事なもんである。
作者の「あとがき」での『2月14日』についてのコメントを引く。
 〈主人公死ね、気持ち悪い、ただの犯罪者、川で転んで失明すればよかったのに、こういう性暴力をラブコメといわないでほしい、という感想が強く印象に残っています。本当に、その通りだな、と思いました。/でも私はこういう漫画を描いていたいです。〉同書P.191
 ここに引かれた読者の即時的反応こそ、作者の意図だったのではないか。だとすれば、作者は読者の「期待」の稜線を見越し、その限界を越えてみせ、読者を裏切ったのだ。そして、あえて自分の描きたい「悪意」の宣言を書き込んでいる。その確信的ないさぎよさが、作者の作家性を示している。
注意したいのは、読者の反応の中に「ラブコメ」というジャンルが引かれていることだ。読者の「期待」と作品の裏切りは、じつはジャンルと深い関係がある。この反応を示した読者は、「ラブコメ」がもっと爽やかで恋の甘さを肯定するものであってほしいという、ジャンルへの「期待」をもち、作品がそれを裏切る「性暴力」だと感じた。むろん、この作品に「性暴力」が描かれているといいうるだろう。が、それゆえこれが「ラブコメ」ではないと断定できるわけでもない。
重要なのは、ここでジャンルという作品集合そのものが読者の「期待」で形成され、また作者や編集者もそれを共有し、その「期待」をどこでどれだけ外し、裏切るかを意図してもいる、ということだ。そして諸コンテンツにおいて「ジャンル」という集合と、それを巡る諸関係がきわめて曖昧で錯綜していること。そもそも「ジャンル」が共同幻想、我々の共有する観念やイデオロギーとして機能する厄介な概念であること。しかし、それこそが漫画や諸コンテンツの「面白さ」を作り出してもいる、という複雑怪奇な問題について、これから少し考えてみたいと思っている。

 

 

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