ルトゥ・モダンというイスラエル人アーティストは、世界中の人々(専門家から一般人まで)から人気を集めてしまうほどの魅力がある。理由は様々で、物語を紡ぐ頭脳だけではない。「ある人の不完全なところは、その人の完全なところとつながっているの」と彼女は私たちのインタビューで話したことがある。また、彼女のいくつかの作品を読んでいると、人間とは英雄でもないが、堕落して何の救いもないわけでもないというのが彼女の基本的スタンスとして感じられる。そういったありのままの人間を肯定する世界観や彼女の謙虚さも、イスラエル国内外で認められる要素に違いない。
そして、日本にも彼女を高く評価する専門家たちがいる。京都精華大学国際マンガ研究センターの伊藤遊先生は、彼女の最新作である『トンネル』を「極上の考古学ミステリーエンタメ作品」と呼んでいる。伊藤先生はさらにこう続ける、
「ポリティカルな批評性を多分に持っているこの作品は、ひるがえって、考古学エンタメ、
ひいては「考古学」という営み自体の政治性についても考えさせる、
きわめて知的な挑発に満ちた作品である。」
漫画家のうえはらけいた氏も『トンネル』を読むことで、「国際問題というシンプルなラベルでしか捉えることができなかったイスラエル・パレスチナの事をそこに暮らす人達の会話や感情、そして息遣いとともにリアルな日常生活として捉え直すことができた」と話す。ルトゥ・モダンは言い換えれば、大きな問題を巧みに小さな人間のレベルに結びつけて物語を作ることに長けていると言えるだろう。
今回の作品『トンネル』では、対立するイスラエルとパレスチナや、その間に建設された分離壁、またイスラエル軍やイスラーム系の武装組織など、現実と同様の状況が描かれている。しかし、キャラクターは誰一人として和平の重要性を掲げていない。彼らはむしろ個々の利害の上で、敵対するか協力するか選びながら動いていく。例えば、主人公のニリはイスラエル人の考古学者のなりそこないだが、パレスチナ人との対立以前に、自分の弟との確執から抜け出せないでいるのだ。
アイズナー賞を受賞した前の二作品も同様である。『エグジット・ウンズ(Exit Wounds)』では、女性兵士ヌミの年配のボーイフレンドが突然行方不明になり、彼女はイスラエルの町のハデラで起こった爆発事件との関係を疑う。ヌミはボーイフレンドの息子コビを探し出し、彼と 2 人で爆破事件とボーイフレンドの行方不明になったこととの関係を捜索していくのだ。この作品もイスラエルで自爆テロが多発した時代を個人の日常生活の視点から捉え、読者は自爆テロそのものよりもヌミの人間としての魅力、そして不完全さに共感していくだろう。
同じくアイズナー賞を受賞した作品『プロパティ(The Property)』も彼女のそういった感性を感じられる。ホロコーストを逃れるためポーランドからイスラエルに移住したレジーナという女性とその孫についての話だが、大きな問題として描かれているのはポーランドとイスラエルという2つの国家の間の遺産問題である。イスラエルには、ホロコーストの虐殺を逃れるため、ポーランドに資産を置いてきたユダヤ人が住んでいる。しかし、生き残った人々にとって、資産を取り戻すということは家族が皆殺しにされ自分だけが生き残ったというとてつもない悲しみと向き合うことに等しい。それでは、レジーナはなぜある日、ポーランドに戻る決意ができたのか。ネタバレはしないが、この点もまたルトゥ・モダンの世界観を表しているのだ。
一方、うえはらけいた氏は、「マンガという表現が国際的な理解を助けるのに強い力になるというこの事実を、漫画家の端くれとして誇らしく思います」と述べている。終戦後の国と国にまたがる個人の資産問題や、地政学と密接に関わる考古学の問題などは、一般の人々にとって非常に遠く、難しさを感じるのは仕方がない。だからこそ、国際問題や社会問題を取り入れた物語の中に生身の人間が確かに存在し、読者が知っている人や自分自身の話のように共感できるルトゥ・モダンの世界観は人々にとって重要なのではないだろうか。
以上の『エグジット・ウンズ』と『プロパティ』も伊藤遊先生は作品として高く評価しており、ルトゥ・モダンの作品全般が日本で翻訳出版されることに意欲的だ。今回、ルトゥ個人の作品の初の日本での翻訳出版『トンネル』のためのクラウドファンディングを行っている。ぜひ、日本の方々にご協力いただければ幸いである。
▼バヴアが日本で翻訳出版を目指しているルトゥ・モダン『トンネル』のクラウドファンディングはこちらから
暗く先の見えないトンネルのようなイスラエルとパレスチナの関係を描いたイスラエル発のグラフィックノベル『トンネル』を翻訳出版したい!
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わたしたちバヴアの願い