イスラエルの作家の家族観が面白い!人間くさいキャラクターたちを通して見えるリアルな家族!

 前々回の記事では、ルトゥ・モダンの最新作『トンネル』の内容についてご紹介し、彼女の深い物語とシンプルな絵柄の間にある落差についてお話した。この落差は読者に余白を持った読み方を促し、自分との対話を生み出すのだが、今回は『トンネル』の中に描かれている家族という普遍的なテーマについて、主人公のニリと弟のブロッシに焦点を当て見ていこうと思う。なぜなら、家族という視点から『トンネル』を読んでいくと、読者自身が日常の中で感じる感情や考え方をニリやブロッシというキャラクターの中に見出すことができる、つまり彼らが我々の鏡となっているのである。

 ではまず最初に、ニリとブロッシというキャラクターについておさらいしていこう。ニリは子供の頃、神童と呼ばれるほどの頭脳を持ち、有名な考古学者である父親の秘宝探しを手伝っていた。しかし、インティファーダというパレスチナ人の民族蜂起が発掘作業をしていた被占領地パレスチナで起こってしまい、ニリと父親は撤収を余儀なくされてしまう。その後、二人が秘宝探しに戻ることはなく、さらに父親が認知症を患ってしまい…。成人したニリはアメリカに渡り、そこで子供を授かった。ニリがイスラエルに戻れなかった間、父親の世話を一手に引き受けていたのが弟のブロッシだった。

 

図版1神童の娘ニリを発掘作業に参加させた考古学者の父親イスラエル氏(『Tunnels』p.26)

 

 さて、本作品の和訳出版をバヴアが支援する理由は二つある。一つは、『トンネル』が、バヴアが描こうとしているイスラエル社会の複雑な多様性を描いているからである。もう一つは、ルトゥ・モダンという作家が、家族というものを鋭く見るまなざしを持っているからである。今回のマンバ通信では、モダンの新作『トンネル』を通して、彼女の家族観をぜひ紹介したいと思う。

 本作品の特徴として、ルトゥはキャラククターの性格や生きてきた人生を詳しく物語で語ろうとはしない。むしろ、彼らがどのような人物で、家族としてどのように生きてきたのかを、やりとりの中に見える彼らの表情や小さな台詞から読者に想像を促し、理解をさせようとしている。例えば、同じ家庭に育った姉弟とはいえ、姉ニリと弟ブロッシの二人の性格の違い、二人の父親との関係性の違い、そこから生じる発掘に対する気持ちの温度差の違いを、ルトゥは物語の中に散りばめ、そこからニリとブロッシの人柄や、彼らの生き様を感じてもらおうとしているのだ。

 まず、野心的だが狡賢いところもあるニリから始めよう。彼女が状況に応じて、顔色変えずに嘘をつけることは、物語の早い段階で分かる。たとえば、アブロフが物語の鍵となる碑文を彼女に譲るよう、それが偽物だとまず彼に嘘つくのだ。そしてアブロフに断られると、ニリは大学の考古学部学部長ラフィの補佐として働く弟ブロッシに、碑文を譲ってほしいと頼む。ここでも碑文が偽物だと言って、実の弟を出し抜こうとするが、ブロッシは騙されない。賢さと狡賢さの境目について考える意味で、ニリは興味深い人物である。なぜなら、ニリは単なる嘘つきではなく、むしろ父親の名誉を取り戻すという目的を達成するためには手段を選ばないだけで、立派なのかもしれないからだ。

 

図版2「契約の箱」のありかを記した石板を取り合うニリとアブロフ(『Tunnels』p.17)

 

 ニリは少女時代、父親の夢が自分の夢であった。大人になっても契約の箱のありかを突き止めたい気持ちを失わないでいられるのも、彼女の才能と「契約の箱」発掘への情熱、そして父親への尊敬があるからだ。他方で、ニリの大人になりきれないように見える点も興味深い。たとえば、読者によっては、ニリを頑張り屋で微笑ましい人物と見るのか、それとも癪に障る人物に見えるのかという点がある。子持ちのシングルマザーでありながら、子供の頃、父親と一緒にみた「契約の箱」発掘という夢を追い続けているニリというキャラクターに対して、人によってはニリを応援をしたい気持ちにかられ、人によっては、いつまでも子供の頃の夢を馬鹿みたいに追いかけてと思うだろう。この感じ方の違いは、それぞれの読者が夢を追いかけることをどう捉えるかによって違うのだ。つまり、『トンネル』は自分の子供時代の夢と向き合う鏡を読者に提供してくれているのだ。

 一方、ブロッシは姉のニリとは違う。彼は、父親の名を上げる意気込みを姉のように持ってはいない。なぜブロッシがそのようになってしまったのか考えるのも興味深い。姉のニリが子供時代、「契約の箱」発掘に三年間も費やしたのに、大人になってプロジェクトを再開しようとするニリにブロッシはむしろ反対する。また、認知症になった父親にとって、「元ライバルのラフィが「契約の箱」を先に見つけようが、見つけまいがそんなことは父親にとってもうどうでも良いことだ」とブロッシがニリに言い放った時、ニリは「人でなし」とブロッシを責めた。これに対し、ブロッシは、「いや、リアリストなだけだ」と切り返す。大人としての二人の仲は、それぞれの子供の時の父親との関係に根ざしているように見える。

 では、ブロッシは父親へどのような気持ちを抱いていたのか。ニリと父親が発掘に出掛けていた間、まだ幼かったブロッシは家で留守番をさせられていたが、一体どういう気持ちでいたのだろう。モダンは、この点を伏せたままにしておくことで、読者の好奇心を惹きつけている。たとえば、過去を描く数少ないページでも、肝心なブロッシの表情は見えないようにしている。ブロッシは、怒った表情の母親と二人で家の玄関に立っており、父親とニリは家から遠ざかっていく。幼いブロッシの表情は、遠すぎて見えない。そして、この「表情が見えない」という空白があるからこそ、読者が自己の経験に引きつけブロッシを想像し、ブロッシに自己投影しやすいのかもしれない。

 

図版3「契約の箱」発掘に出かけるニリと父親を見届けるブロッシと母親(『Tunnels』p.44)

 また、父親の発掘の手伝いのおかげでニリが不登校になってしまったことを、大人になったブロッシは無責任だと思っている。大人になったニリが父親と同様に息子の「ドクター」を発掘に連れ出そうとすると、今度はニリを「無責任」と呼ぶ。このように父親と姉を無責任と批判する一方で、ブロッシは父親とニリが発掘で出かけている間、書斎にあった父親の本を全て読み込み、後を継ぐかのように考古学者への道を歩んでいく。そういったブロッシの生き方に、モダンは興味深い問いを物語の中に提示している。ブロッシはなぜ神童と呼ばれていた姉を超え、考古学者への道を選んだのか。なぜ彼は父親のライバルであった人の部下として働くのか。なぜ、ブロッシが認知症を患った父親の世話を姉以上に担ってきたのか。

 『トンネル』を読むと、姉弟関係と親子関係は常に繋がっているという感覚に陥る。そしてこの二つが社会ともさらに繋がっていると感じられるのだ。このようなルトゥ・モダンの世界観がしっかり描かれ、難しい学術本では分かりづらいイスラエルとパレスチナの入りくんだ現状について学べる『トンネル』をぜひ日本の読者に届けたいと切に願っている。ぜひ、支援をご検討いただける方々には、出版プロジェクトのページを見て頂けると大変ありがたい。

 

図版4 認知症を患った父親にシャワーを浴びさせるブロッシ(『Tunnels』p.165)

 

 


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