エティエンヌ・ダヴォドー『ワイン知らず、マンガ知らず』【夏目房之介のマンガ与太話 その13】

エティエンヌ・ダヴォドー『ワイン知らず、マンガ知らず』【夏目房之介のマンガ与太話 その13】

  この本の原著は2011年にフランスで刊行されたマンガ(BD=バンド・デシネ)で、27万部を売るヒットとなり、当時14言語で翻訳され、2021年に限定特別版で復刻された。その版を日本語訳したのが本書である【図1】。お話は、BD作家エティエンヌ・ダヴォドーがワイン生産者リシャール・ルロワの畑に入って無償で働き、ワインの話を聞き、同時にリシャールにBDの話をして課題図書を読ませる【図2】。つまり、ワイン作りとBDの対話、相互交流を試みた一風変わった記録漫画なのだ。

 

【図1】エティエンヌ・ダヴォドー『ワイン知らず、マンガ知らず』大西愛子訳 サウザンブックス 2022年 表紙
【図2】同上 P.147

 

  日本漫画のキャラクター造形や物語に慣れた読者は、はなから面食らうかもしれない。比較的地味な絵柄で、平凡な対話で始まり、ぶどうの苗の剪定作業の描写が続く。リシャールは老いたぶどうの苗に「じいさんや」と語り掛ける。彼は率直でいささか頑固だが(そもそもフランス人だし)、ワイン生産についてもBDの感想にしても斟酌がない。世界的に知られ、神様のように思われているメビウスを「ダメだ」の一言で切り捨てる。フランスのBD関係者には衝撃的な一言だろう。「嫌い」とか「趣味じゃない」ではなく「ダメ」なのだ。面白い。

 彼は農薬はもちろん、化学的なものは使わず、ただ牛の糞を土に埋めたものを希釈して撒く。これは人智学の創始者ルドルフ・シュタイナーによって考案された農法なので、カルト扱いされたりする。エティエンヌも当初かなり戸惑っていた。が、牛糞どころか人糞を使っていた時代の日本を知っている私などは、少なくとも牛糞農法には抵抗感がない。

 エティエンヌは、リシャールを印刷工程の見学や出版社の企画会議に連れ出し、彼が気に入った『フォトグラフ』(写真と漫画によるアフガン戦争の記録作品)の作家エマニュエル・ギベールに会わせたりする。リシャールは、少なくとも虚構世界に触れるとき、手に触れられる「現実」があるかどうかが価値基準のようだ。また彼を取り巻く登場人物はフランス人だから、何かあるとワインを飲んで食事をするのだが、そのたびにリシャールのワインへのこだわりが顔を出し、ワインを選び直したりするのがおかしい。

  「どんな色をつけるのかは出版社が決めるのか?」という、エティエンヌにとっては信じられない衝撃的なリシャールの疑問に答えるべく、彼を出版社に連れて行く。が、ここで訪れる出版社の石造りだろう古い建物の入り口にまず私などは驚く【図3】。こんな出版社は日本にはない。フランスの漫画出版の会議の様子も、珍しくて興味深い。

 

【図3】同上 P.117

 

 出版社が色を決めるかどうかに作家が驚くのは、それが作家の芸術的な営為であり、当然の権利と思われているからだろうが、じつのところそういうことがまったくないとは思えない。BD界では作家主義的芸術観が根強い。一方、日本のように商業的な作品も多い世界では、編集者がここは赤を使えと指示したりすることはありうる。それやこれや、この本を読み進めると、あれこれの文化的な差異、小さな衝突、様々な文化ごとの慣習の違いが見えて来て、大変面白い。

 しかし、じつは他にも本書の魅力がある。まず何よりも、意外なことに、ぶどう畑の風景の描写が、作品を読み進めるときの解放感、救いにたびたびなっているということだ。表紙のカラー絵を見てもわかるが、その空の描写は、全編白黒であるにもかかわらず、じつに表情豊かで、嵐の感じ、雷の落ちるコマなども素晴らしい【図4】。そもそも物語の起伏があるわけでもなく、ただ淡々と二つの領域の交流が描かれるだけなのに、不思議なほど飽きないし、惹きつけられる。

 

【図4】同上 P.130

 

  そして、もうひとつの特徴は、読むにしたがい、「ああ、これは急いで読んじゃいけないな。ゆっくり少しずつ読まないと」と思わせるところだ。正直にいえば、最初からそんな予感はあって、読み始めるタイミングを計っていたので、送ってもらってからずいぶんたって、ようやく読み終えたのだった。世の中にはそういう種類の漫画もあるのだ。

 この本にもそれを想定している仕掛けはあって、一つ一つの挿話ごとに真っ白い頁が挟まれている。何というか、自分の人生を構成する日一日と同じような歩速度で読んではじめて、味わいが出てくるような印象だ。本書には、そういう種類の読みが前提とされている。それは日本で主流となった漫画にはほとんど見られない(ないとはいわないが)。けれど、ここには日本では失われた「大人」の価値観のようなものがある気がする。ひょっとしたら私の世代の古い価値観なのかもしれないが、こういう読みの広がりも漫画の多様性として大事かもしれないと思う。

 


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