今のきらら読者にも知ってほしい。萌え4コママンガの始祖、海藍先生の『トリコロ』

2002年5月、4コママンガ史における大きな出来事が起きました。

『まんがタイムきらら』の創刊です。

この雑誌は「萌え4コママンガ」と言うジャンルを定着させました。

その立役者と言っても過言ではない作品を今回、取り上げます。

 

その作品は、海藍(はいらん)先生の『トリコロ』です。

 

主人公は架空の都市、長織県長織市に住む高校2年生の七瀬八重。

母親の七瀬幸江と2人暮らしだったがある日突然、幸江の友人達の娘である青野真紀子(あおのまきし)と由崎多汰美(ゆざきたたみ)と同居することに。

さらに、クラスメイトの潦景子(にわたずみけいこ)を加えた日常を描いた作品です。

 

海藍先生は当時、『まんがタイムジャンボ』で行われていた「新人鑑定団」と言う企画出身です。

この企画は新人発掘が目的で、掲載された方は新鋭と呼ばれていました。

そこから数多くの作家さんが育って行きました。

重野なおき先生の『ひまじん』。師走冬子先生の『スーパーメイドちるみさん』。大乃元初奈先生の『おねがい朝倉さん』。辻灯子先生の『ただいま勤務中』。関根亮子(せきねりょうじ)先生の『ソーセージ☆まーち』。

まだまだありますが、この企画から輩出した作家陣はかなり豪華なラインナップになっております。

 

この企画で揉まれていたために、起承転結を守りつつ独特なリズム、そして、小見出しでもニヤリと笑わせてくれる秀逸な作品『トリコロ』が生まれたと私は確信します。

 

『トリコロ』の最大の魅力は個性的なキャラクターにあります。

七瀬八重は、勉強も運動も苦手。本人曰く、唯一できることは料理。背が低いことを気にしております。成長を引きかえにくじ運がいい模様。見かけによらずSっ気たっぷり。ダジャレ好きですが周りの評判は良くありません。

青野真紀子は、大阪から引っ越して来たメガネっ子。進学校から転校して来た為、勉強が得意。主にツッコミ担当。

由崎多汰美は、広島から引っ越して来た元陸上部の体力オバケ。高価な金目のモノが近くにあるとハイエナ化するトラブルメーカー。

潦景子は、八重のクラスメイトで前の席。八重の料理で餌付けされてからはベッタリに。口癖が「あによ」のツンデレ。

七瀬幸江は、夫と死別したシングルマザー。元将棋の棋士で七瀬家の長女を名乗ることも(笑)。

 

よく萌え系4コママンガは、キャラクターがかわいいだけで面白くないと言う人もおります。

かわいいそして面白い!それが『トリコロ』だ!と私は声を大にして言いたいです。

 

『トリコロ』が『まんがタイムきらら』創刊3号目から長い間表紙と巻頭をつとめ雑誌を引っ張っていったことが、その面白さの証拠になると思います(通算29回の表紙を飾ったのは『ひだまりスケッチ』に次いで歴代2位、連続表紙回数20回は今なお歴代最高記録です)。

『トリコロ』はまんがタイムKRコミックスレーベルの単行本第1号でもあり、当時通常のまんがタイムコミックレーベルの単行本よりも200円くらい高く物議を醸しました。

しかし、今ではその値段も定着しました。

KRコミックスでは当たり前となっている描き下ろし巻頭カラーページも『トリコロ』からです。

ファンブックやドラマCDなどの展開もきらら系作品第1号でした。

芳文社の作品である『トリコロ』のドラマCDのCMが、竹書房のももせたまみ先生の『せんせいのお時間』のアニメで流れたことも4コママンガファンの間で話題になりました。

ただ、この頃から休載が目立つようになりました。

私見ですが連載以外の多数の企画とそれに伴う描き下ろしが海藍先生の負担になっていたと思われます。

当時の人気ぶりから編集部側も当然アニメ化も視野に入れていたであろうと想像できます。

しかし、創刊したてでまだノウハウも無かったために加減ができず、海藍先生に負担をかける結果になってしまったのかもしれません。

 

長期休載の後、色々大人の事情があったように思われ『トリコロ』は『月刊コミック電撃大王』に移籍しました。

そして『電撃大王』連載分の単行本が出た後、休載が続き連載が終了になりました。

海藍先生は大病を患われたようで、その後連載をされていません。

 

私としては叶わぬ願いと知りつつ、再び『まんがタイムきらら』での連載再開、そしてアニメ化を希望します。

今も色褪せないファミリー4コマと萌え4コマが見事に融合した大傑作を多くの方に知ってもらいたいのです。

記事へのコメント

自分も特ダネ三面キャプターズから藍海先生を知ってきらら全号買ってました。しばらくしてひだまりスケッチがアニメ化した時 「ほんとはここにトリコロがくるはずだっのでは…。」と考えてしまいましたね…。あとかわいいキャラとは裏腹に細めのペンでパキッと書かれた車が印象的でしたね。

背景の書き込みぶりや単行本時にカラーページを白黒用に修正するなどからも分かるように、完璧主義の傾向が強かったので、それが休載の原因だった気もします。
最近ではまちカドまぞくの作者さんもその傾向がありますが、出版社もノウハウが貯まったのか休みを与えるようになっていますね。

きらら展の図録に載っていたひだまりスケッチ蒼樹うめ先生のインタビューで、「美術科の高校と言う特別な設定だったことが、後のきらら作品のテンプレートになった」という話に対してうめ先生は「きららで連載するにあたり、海藍先生のトリコロがこの雑誌のカラーだと思いそれになぞって作風(特殊設定があるということ)を考えた。私が元祖という訳でない」という旨のコメントをしていた。つまり、トリコロがなければひだまりはなく、同時に今のきららもないという事。偉大だと思う。。

当時、4コマ漫画雑誌はクロスワードパズルと同様、キヨスクに積んであるオッサン御用達だったものが、ハーレム漫画の多数ヒット、エンタの神様、レッドカーペットに見るどんどん短くなるネタ番組などの時代の潮流からきららは生まれたと思う。弊害として女顔キャラしか描けない漫画家の登場などあった。地味な登場だったが確実に線路をひいた漫画雑誌だったと思う。

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