名無し1年以上前編集当時、4コマ漫画雑誌はクロスワードパズルと同様、キヨスクに積んであるオッサン御用達だったものが、ハーレム漫画の多数ヒット、エンタの神様、レッドカーペットに見るどんどん短くなるネタ番組などの時代の潮流からきららは生まれたと思う。弊害として女顔キャラしか描けない漫画家の登場などあった。地味な登場だったが確実に線路をひいた漫画雑誌だったと思う。13わかるfavoriteわかるreply返信report通報
シュン1年以上前今の人には、きらら作品はけいおんとかひだまりとかって印象があると思うけど きららを世に浮上させたのはトリコロだと言いきるし、否定されても頑なにそれを否定するマンバ通信今のきらら読者にも知ってほしい。萌え4コママンガの始祖、海藍先生の『トリコロ』
名無し1年以上前きらら展の図録に載っていたひだまりスケッチの蒼樹うめ先生のインタビューで、「美術科の高校と言う特別な設定だったことが、後のきらら作品のテンプレートになった」という話に対してうめ先生は「きららで連載するにあたり、海藍先生のトリコロがこの雑誌のカラーだと思いそれになぞって作風(特殊設定があるということ)を考えた。私が元祖という訳でない」という旨のコメントをしていた。つまり、トリコロがなければひだまりはなく、同時に今のきららもないという事。偉大だと思う。。マンバ通信今のきらら読者にも知ってほしい。萌え4コママンガの始祖、海藍先生の『トリコロ』31わかる
当時、4コマ漫画雑誌はクロスワードパズルと同様、キヨスクに積んであるオッサン御用達だったものが、ハーレム漫画の多数ヒット、エンタの神様、レッドカーペットに見るどんどん短くなるネタ番組などの時代の潮流からきららは生まれたと思う。弊害として女顔キャラしか描けない漫画家の登場などあった。地味な登場だったが確実に線路をひいた漫画雑誌だったと思う。