クワトロバッテリー

2組のバッテリー、4通りの可能性 #1巻応援

クワトロバッテリー 高嶋栄充
sogor25
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野球マンガにおいて、投手と捕手の一組・"バッテリー"は絶対のパートナーとして描かれることが多い。野球というスポーツの特性上、攻撃は全員参加なのに対し守備は投手の占める比重が異常に高く、投手及びサインを出して投球をコントロールする捕手は、個々の能力以上に2人の間に強い信頼関係がないと成り立たないからだ。では、そのバッテリーが1チームに"2組"いるとしたら、果たしてどうなるのか。 幼馴染で中学からバッテリーを組む投手の夏速一汰と捕手の虹村優多郎、そして2人とは別の中学で天才バッテリーとして名を馳せる投手の天宮地大と捕手の氷波蓮。この4人が同じ高校に進む所から物語が始まる。当然中学時代は個々のバッテリーしか知らなかった4人は、高校でそれぞれの人間性や才能に触れるうちに徐々に心境が変化していく。 夏速はコントロール度外視で誰よりも速い球を投げることに全てを懸けていて、それに幼い頃から付き合ってくれていた虹村に全面の信頼を置いている。 虹村は夏速に対して絶対の友情を感じてはいるが、抜群のコントロールを持つ天宮の球を受け、"配球"という捕手としての醍醐味を初めて感じる。 天宮は自分への絶対的な自信から中学の頃から氷波と対立していたが、氷波の能力を最大限に認めていて、自分と組むのは彼しかいないと思っている。 氷波も同じ思いではいたが、ノーコンの夏速の投球を自身の指導で劇的に改善させられたことから、夏速を教育して成長させることの楽しさを感じ始めている。 というように、元々が別々の2組のバッテリーだった4人が同じチームになることにより、いつのまにか一方通行の4人片思いのような状態となってしまっている。しかも、それぞれの気持ちのベクトルの原点が元々の信頼関係や選手としての能力、もしくは自己実現の楽しさのような感情であったりと様々。 この"一方通行の四角関係"が、本来投手も捕手も1人しか試合に出られない高校野球という舞台においてどういう化学反応を引き起こすのか、これまでの野球マンガでは見られなかったものが見られそうでとても楽しみな作品。 1巻まで読了。

完全版 ピーナッツ全集

海外漫画の最良の入り口

完全版 ピーナッツ全集 チャールズ・M・シュルツ 谷川俊太郎
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

ビル・ワターソン『カルヴィン&ホッブス』のクチコミに書いたことだが、日本では本当に海外の漫画が読まれない。 この『ピーナッツ』ですら、「スヌーピー」というキャラクターを知る人の数に比べたら(いや、日本国民全員でしょう、それは)、実際に漫画を読んだ人は驚くほど少ないだろう。 とは言え、谷川俊太郎の美事な仕事によって、『ピーナッツ』は版元を変えながら、延々と刊行され続けている。誠に喜ばしいことである。(アメリカへ会いに行った谷川に、シュルツが「翻訳できるなんて、あなたは私よりもジョークが上手いんでしょうねえ」と感謝していた記憶がある) ごく最近刊行が始まった『完全版 ピーナッツ全集』は、本書「15」が第1回配本分となる。 個人的には、70年代のピーナッツが、今の日本人読者にとっては一番違和感なく楽しめると思うので、できれば、近いうちに刊行されるであろう「12~14」を、まずはお薦めしたい。 ちなみに、50年代や60年代は、結構絵柄が違うので、少し戸惑うと思います。 いや、もっと正直に言うと、ツル・コミック『PEANUTS BOOKS』か角川書店『SNOOPY BOOKS』、例の縦長の、横に英語が載ってるヤツを古本で探して読むのが一番良いですよ。 なんと言っても、我らが西の巨人いしいひさいちの『ドーナツブックス』が思いっ切り形をパクった、4コマ漫画の聖典なのですから。 とにかく、海外の漫画(コミック・ストリップ、カーツゥーン)を読み味わうということにおいて、これほど日本人にとってイージーな作品はない。 チャーリー・ブラウンもサリーもルーシーもライナスもシュレーダーもピッグペンもペパーミントパティも、皆、我ら極東の民と同じように人生に悩む「隣人」である。スヌーピーはいつだって、尊大で小心でええカッコしいで、魅力的だ。 『ピーナッツ』なら、誰でも海外の漫画を心から楽しむことができるのだ。 そして、この極めた優れた「入り口」を通ることが、世界中の漫画へのパスポートになる、と自分の経験を考えて断言できるのです。

ばるぼら

どうしようもなく憎くて愛しい謎の女

ばるぼら 手塚治虫
nyae
nyae

作家・美倉が、酒に溺れた浮浪者・ばるぼらを道端で拾うところから物語が始まり、同時に美倉の人生が破滅へ向かうスタートが切られます。売れっ子小説家であるがゆえに様々なしがらみに囚われた生活を送っている美倉に対しばるぼらは、人の金を使って酒をあおり、機嫌を損ねれば別の男のところへ去り、行くところがなくなればふらっと美倉の元へ戻る、の繰り返しという気まぐれな生き方。 そんな傍若無人なばるぼらに振り回されて少しずつ人生の歯車が狂っていくのに、ばるぼらがそばにいないと何もできなくなる美倉。これは恋なのか、愛なのか、すべては毒に冒されて見たただの幻なのか…? ばるぼらの正体が魔女だと美倉が言い張るエピソードもあり、魔法は使えないけど、魔力はあるんじゃないかと思わせる意味では本当に魔女なのかもしれません。 ばるぼらに謎の魅力があるのも事実ですが、美倉が底抜けのお人好しなんだろうというのも読んでいて常に思うところでした。出会ってはいけないふたりだったんだと思います。 映画は特に見るつもりはなかったけど、読んでみると、これが実写映像化されるということに非常に興味深くなりました。

となりの席は外国人

多国籍でパワフルな小学校の日常!!

となりの席は外国人 あらた真琴
たか
たか

私が町立小学校2年生のとき学年に3人のブラジル人の子がいました。1学年だいたい100人なので外国人率は3%。これは令和2年の川崎市と同じ外国人割合なんだとか。 90年代のブラジルの経済状況と、日本の法改正により日系3世に定住資格が与えられたことが重なり、工業団地があるうちの地元にたくさんのブラジル人が家族を連れて出稼ぎに来ていたんですね。おかげで今でもゴミ捨て場は日葡併記です。 この作品は私の母校のよりも遥かに広く、世界中の国々の子供たちを受け入れる日本の公立学校のお話です。 https://dokusho-ojikan.jp/serial/detail/t51291 まず冒頭は入学式から始まるのですが、もうこっからすごい!! ティアラをつけお姫様のようなドレスで来る子に、欠席する子(入学手続きをしたものの親の事情で国に帰ってしまった)など、「こいつはとんでもねぇぞ…!」と初っ端から面白さが止まらない。 和式便所の使い方がわからない…などは定番かも知れませんが、運動会でドレッドヘアや、遠足にマックのセットなどなど、「その発想はなかった…!」という文化の違いがバンバン出てきて圧倒されます。 何より読んでいて楽しいのが、学校での子供たちのパワフルさとエキセントリックさ…!! もう、どの子も元気いっぱいで自由気ままでメチャクチャなんですよね。 元気いっぱいのユリア、心配性のビト、お嬢様シェイラ、自由人のアレンetc...。次から次へとまだ出てくるのかと驚くぐらい、様々な子が登場しエピソードには事欠きません。 「いやそんなことある!? 」というようなやらかしに笑いが止まらない一方で、自分が先生でこれを全部対処する側だったら…という考えが一瞬、頭をよぎってゾッとしてしまいました。先生たちすごい…! 最近ではいじめだけでなく、言語の習得が上手く行かずダブルリミテッドとなってしまうケースなども聞かれるので、こうして日本の学校で憂いを知らず元気いっぱいに過ごす子供たちの姿を見るとホッとします。 日本で子供時代を過ごす全ての子に、こんな風に楽しい学校生活を送ってほしいと思わずにいられません。 「庶民の娘ですがセレブ学校へ通っています」が、日本で多国籍の子女に欧米流の教育を施すインターナショナルスクールエッセイだとしたら、「となりの席は外国人」はそのカウンターとなる、日本で多国籍の子女に日本流の教育を施す公立学校エッセイ。両方合わせて読むのがおすすめです。 読めば間違いなく元気が出ます。笑いたいときにぜひどうぞ…!

マッドメン

諸星大二郎試論 ~きわめて視覚的な、きわめて即物的な~

マッドメン 諸星大二郎
影絵が趣味
影絵が趣味

諸星大二郎といえば、民俗学的であったり、神話的であったり、異界的であったり、幻想的であったりと語られ、じっさいに柳田国男の研究書やクトゥルー神話を愛読している一面があったり、扉絵や表紙の絵などからはたしかにシュルレアリスム作家ダリの影響を彷彿とさせずにはいられない。しかし、これら数多の要素は諸星大二郎について何か説明するひとつひとつの所以にはなりえようが、漫画家・諸星大二郎を語るさいの言葉としてはどれをとっても全てを合わせてみても片手落ちになっているような気がしてならない。 さきほどシュルレアリスムという言葉を出したが、これを日本語に訳すと超現実主義となるらしい。超現実とはすなわち、現実を超えるということであり、これを画家という立場に合わせて言うなれば、目に見えない何かを描くということになるだろうか。まさしくそのようにして幻想画家としてのダリが生まれている。ところで、ある種の民俗学にしても、神話にしても、異界にしても、幻想にしても、それらはひとしく目には見えないもののはずだが、じっさいのところ諸星大二郎の漫画ほどよく目に見えるものもないのではないか。衝撃の連載デビュー作となった『妖怪ハンター』では民俗学的な切口から、いきなり異界がひらけて、ヒルコなる怪物との遭遇が為されるが、本来ならば目には見えない異界なるものが、これでもかというぐらい目に見えるように描かれている。さらなる衝撃の長編デビュー作となった『暗黒神話』では、よくよく読んでみればふざけているのではないかと思うぐらい唐突に、これまた異界がひらけて、神話の怪物がしっかりと目に見えるように描かれている。諸星大二郎という作家は、目には見えないはずの、手では触れられないはずの幻想的な何者かとの遭遇をあまりに唐突に意図も簡単に描いてのけ、しかも、それらの怪物たちはふつうの現実の人間であるところの登場人物に、まるで自身の存在が幻想の産物ではないこと示すかのように、抜け目なく傷まで負わせてゆくのである。 まさに『暗黒神話』は主人公の少年が異界の怪物と遭遇するたびに四肢のひとつひとつに傷を受ける物語であったし、『壁男』では壁男が壁ごと人型にくり抜かれて倒れてきてアパートの住人に傷を負わせるし、『鎮守の森』では男がいきなり異界に迷いこみ目に怪我を負いながら十数年も放浪したのちに汚れたそのままの姿でいきなり現実に戻ってくる。 さらには異界やその怪物ばかりではなく、諸星大二郎の真骨頂とも言うべきは、本来は目に見えるはずもない人間の内面の感情のようなものをあっけらかんと視覚的に描いてしまうことにある。まさしく『不安の立像』では不安という名の目に見えない感情が外套の影のような姿で描かれ、『夢の木の下で』ではひとの内面での変化が植物が枯れることで如実に描かれ、『遠い国から』のとある惑星ではひとがもの凄く感動したときにすぐその場で自殺をするように描かれ、『感情のある風景』にいたっては感情がそのまま目に見える文様として描かれている。 諸星大二郎の漫画はこのように幻想的であったり超現実的というより、むしろ、視覚的過剰によるきわめて体験的なものとして私たちの目に飛び込んでくる。そこで私たちは何かの幻想や超現実に想いを馳せる必要などまるでなく、向こうの方からすでにいきなり唐突に、視覚的現実としてそれが目に突き付けられている。 あるいはマッドメンや縄文人をはじめ、身体に傷を負う(入れ墨を負う)という行為は、神や異界の存在を現実のものとして視覚的に示すものだったのかもしれない。

なずなのねいろ

絵から音楽が聞こえる

なずなのねいろ ナヲコ
野愛
野愛

音楽を題材にした漫画は多数あるので忘れてしまいがちだけれど、漫画で音楽を表現するのって物凄いことじゃないですか? なずなのねいろ、物凄い漫画に出会ってしまった気がしています。 ギター少年の伊賀が三味線を弾く少女なずなに出会い、三味線を教わろうとするところから物語は始まります。 なずなの三味線に感動し、自らも三味線の魅力に引き込まれていく…のは間違いないのですが、一筋縄ではいかないのがこの作品。 なずなには三味線を弾かなければならない理由と、三味線を弾くことができない理由がありました。 何故なずなは三味線を弾くのか、何故なずなは三味線を弾けないのか、なずなが抱えているものは何なのか。 多くは語られないまま、揺れ動くなずなの心だけをたっぷり描写して物語は進んでいきます。 真実が明らかになり、動き出したなずなの音色は静寂を切り裂くように鳴り響きます。 漫画だから音が聞こえることはありません。それでも、自分自身の音を見つけたなずなの姿が心を震わせる音楽そのものに見えました。 なずなが子どものような容姿で描かれているのにもしっかり意味があって驚きました。何から何までよくできている…。 本当に本当に出会えてよかった作品です。ぜひ多くの人に読んでほしい!

仁義なき異世界シノギ。《合本版》

スライムをタピオカにするという発想よ

仁義なき異世界シノギ。《合本版》 輔艮
六文銭
六文銭

一大ジャンルになった異世界転生もの。 メインは、ゲームの世界だったり、転生したら最強だったりしてますが、最近は異世界と現実を行き来できるようになったり、通販で道具を仕入れたりとか、その内容もどんどん先鋭化していきますが、本作もその一つだと思います。 ヤクザが異世界へ。ええ、ヤクザが異世界です。 しかも、そのヤクザが現実世界のシノギで「タピオカ屋」をやっているという点が、まず本作の面白ポイント。 ヤクザがクッキー焼いちゃうくらい面白い。 競合におされうまくシノギが稼げず、代償として指詰めになってしまいますが、そのエンコから何故か「鍵」が出てきて、それが異世界にいく道具となる。 ここが第2の面白ポイント。 異世界でもヤクザはヤクザ。得意の拳にものをいわせ、スライムを倒すのですが、ふいに口に入れたスライムの残骸が予想以上の美味。 独特の食感にひらめいヤクザは、シノギが不調だったタピオカの材料にしてしまうという流れ。 これが第3の面白ポイント。 もうヤクザという設定も、タピオカという流行り物も、異世界も、フルに使っているこの発想に脱帽です。 異世界ジャンルのなかでも、俺TUEEEだったり、国盗りだったり、ほのぼのだったりに飽きた方、この一風変わった異世界ものはいかがですか?

さよならブラック企業 働く人の最後の砦「退職代行」

いのちだいじに。

さよならブラック企業 働く人の最後の砦「退職代行」 外本健生
兎来栄寿
兎来栄寿

朝の唱和、厳しいノルマ、パワハラ、恫喝、休日出勤、飛ぶ同僚……典型的なブラック企業で働く契約社員の水城リコ(25)の退職から始まる物語です。限界を迎えつつあったリコが、「退職代行」を生業とする弁護士・不知火に出逢うことで人生に転機が訪れます。 はたから見れば絶対に辞めた方がいい、と思える状況でも追い詰められた当人はまともな思考力も奪われ、どうやっても抜け出せない状況にあると思わされてしまうのがブラックな環境の恐ろしいところです。そんな時に利用できる「退職代行」というサービスの存在を知っているだけでも人生は大きく変わることでしょう。 「耐えていればいずれ報われるなんて考えは…自分を殺すことになる」 という作中のセリフの通りです。 この作品が面白いと思ったのは、ブラック企業から抜け出したことで開放感・幸福感に満ち溢れたヒロインがかつての自分と同じような苦しみを背負っている人に無自覚的にマウントを取ってしまうシーン。人間の業を感じさせられました。 幕間には、監修を務める実際に退職代行を行っている女性弁護士のコラムもあり、参考になりつつ仕事とは、雇用とはと考えさせられます。 真面目な部分も面白いですが、美人でデキるお姉さんの不知火さんは格好よくて惚れてしまいますし、ゆるふわに見えてバリバリに仕事ができるスーパー事務員の恋川さんなどキャラも立っています。 追い詰められる前に読みたい、あるいは周りに追い詰められていそうな人がいるならその人に差し出したい一冊です。