第弐回「筆武将」

とつぜんですが僕、トーハク好きなんです。トーハクとは、東京国立博物館の略称です。常設展(トーハクでは総合文化展もしくは平常展という)が大好きで、しょっちゅう通ってる。「書」を学んでる僕の定番コースは、門を入ってすぐ右の東洋館からスタート。【1】エレベーターで4階に上がって中国の書、王羲之とか唐の時代の碑文を観ます。その後、日本美術が収蔵されている本館へ。【2】2階に上がり国宝室をチラ見してから隣の部屋で平安古筆や写経、一休宗純あたりの軸を眺めた後に順路に沿って建物を反時計廻りにグルーっと巡って、【3】西側にある近代の書で締め括る、という流れ。トーハク、企画展は激混みの印象強いですけど、常設展はゆったり観られていいですよ。

(トーハクで「書」を見る定番コース)

ていうか、ここまでマンガの話一切無し。

そんなトーハクでの僕の定番「書」を観るコースですが、エレベーターで目的の部屋まで一気に移動できる東洋館はともかく、本館のほうはお目当てのところに辿り着くまでに他の部屋を通らなければならず、必然的にいろんなもんが目に入ってくるわけです。たとえば縄文式土器とか仏像とか能面とか。その中でも、平安古筆のある部屋から近代の書のある部屋に行く途中で、どうしても足を止めてしまう場所があります。

ひとつは、茶器の部屋。茶碗とか茶入れとかが置いてある。正面に小さいけど床の間的な場所が設けてあって掛軸がかかっているので「あ、書だ」ってんでつい見ちゃう。

もうひとつは、その次の直線コース、鎧・兜・刀といった武具の部屋です。ここにも武士の書状、つまり秀吉が書いた手紙、なんてのがあって、ついつい見ちゃうというわけ。「花押」っつって当時のサインみたいなものも見られるから面白い。

(途中で「茶」と「武士」のコーナーをつい見ちゃう)

あれ……、おかしいな。平安古筆と近代の「書」を純粋に観るコースのつもりが、いつの間にか茶の湯と武士の世界に見入ってしまっているではないか。

ていうか、茶と武士で思い出すのはあれだ、『へうげもの』の世界だ。

(『へうげもの』(山田芳裕)第1巻より)

時代は戦国乱世。織田信長や豊臣秀吉の時代から描き始まる戦国ものでありながら、いわゆる「武」だけでなく、茶器などの「美」そして「数寄」をも描いたマンガ『へうげもの』。

トーハクに通っているうちに、このマンガに出てくる鎧や器とか、見たことあるのが出てくるから親しみを持っちゃって読んでます。もちろん画も好きで、キャラクターたちが描かれているのはちょっと太めの力強い線なんだけど、鎧や器のディテールはしっかり描かれている、大胆にして細心とも言える画風。

で、実を言うともっと好きなのは、このマンガで使われている効果音。これが全て筆文字なんですね。よくあるマンガ的な輪郭太めの白ヌキ文字とか、両端の尖ったスピード感のあるやつ、あるいは逆に均一な太さで書かれた効果音といった表記ではなく、どれも同じ太さの筆で書かれた手書きに近い、というかほとんど手書き文字といっていい、祇園、いや擬音が使われているんです。

(第1巻より)

で、このキャラの描き方と筆文字の効果音。この組み合わせが実にいいんです。絵との距離感といいますか、ポジション取りが実に興味深い。太めの線で描かれたキャラクターや背景は、当時の木版画をうっすらと思わせます。するとそこに書かれた筆文字の擬音が、まさに版木に彫られた地の文のように見えるんです。つまり「〜と音がした」と、本文で書かれたように読めてくる。

(2巻より)

たとえばこのシーンでの織田信長の「うひゃひゃひゃひゃひゃ」は、場面全体を包み込む音でもありながらやはり信長のセリフなわけで、これが絵巻物であれば「信長公うひゃひゃひゃひゃひゃと云ふなれば」と記されるであろう、しっかり読ませる系、読んでしまう系の音の書き方になってる。

(3巻より)

ここでも「ワー ワー」という群集の声は、音でありながら会話文の間に溶け込んできます。単なるバックグラウンドに流れる声、じゃあ無い。その証拠に、明智秀満の体より手前に「ワー」が書かれてます。台詞と同じレイヤーなんです。

まぁ言ってもこれらふたつは、人の声なのでセリフ扱いしても違和感無いといわれればそれまでですが、このマンガでは、効果音や擬音だって同様に扱われています。

(3巻より)

どうですか。「ドパーン」もさることながら、「パシッ」がいいですよね。「ドパーンと打ちし火縄銃をパシッと手渡し交換するとふたたびドパーン、そしてパシッと打ちつづけたり」と書かれるであろうシーンです。「ン」と「シ」の二筆目の力強い打ち込みが、画面を引き締めていますね。

(5巻より)

実に『へうげもの』ならではの筆文字づかい! と唸らされるのが、この、庵の中のあらゆる音が主人公の古田織部には見える、というシーン。器の美しさを「はにゃあ」などといったオノマトペで表現する癖のある織部は、ここでも板壁を「めたぁ」と評しているわけですが、これが音なのか形容詞なのか、ちょっと判断がつきにくい。とはいえそのどちらか一方に決めつける必要も無さそうだ、と考えたときに、その両方にも取らえうる書き方が、この筆文字によって成立している、ともいえるわけです。

(4巻より)

こちらに至っては、織部が筆書きした窯印でありながら、擬音と同じ書き方、扱い方をしつつ、だけど記号として機能している。台詞と書き文字が同じレイヤーに位置して補完しあっているのが、実に面白いのです。

ということでこのマンガ『へうげもの』では、そこに書かれた筆文字は「武」「美」「数寄」を描くにはうってつけの表現といえます。それが分かったとき、武士と書、茶と書、が並ぶトーハクのあの部屋でついつい立ち止まってしまうのは自然なことと納得。あぁ自分もひょうげたものであるよ、と高笑いしてしまうのでした。うひゃひゃひゃひゃ。


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影絵が趣味
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2019/11/16
顔面の圧で押し切る!
山田芳裕の作家性ついては、幻にして伝説の未完作品『度胸星』のたったひとつだけで信用に足る漫画家だということが分かります。およそ漫画にかかわらず、ありとあらゆる作品と呼ばれうるもので、いくつもの世代を超えて読まれ続けているものには不思議と未完作品が多い。なぜ未完なのか、ということについては、作者の死と、それ以外の理由とにわけることができると思いますが、どちらにしても、あまりにも無謀で途方もない挑戦をしたがために完成が無限に遠ざかっていったということが言えると思います。その意味で『度胸星』は、ほんの一瞬でもその途方のない遥か遠方を垣間見させてくれたというだけで素晴らしい作品であることはまちがいない。しかも、山田芳裕はその果敢な挑戦を気合ひとつでやってのけたのです。 そう、山田芳裕のマンガはとにかく気合の入り方がちがう。問題の有無や大小にかかわらず、とにかく気合が入っている。なんだ気合か、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これが実はなかなか容易ではない。どうしても、ひとというのは、何らかの効果を狙った手段を投じることで、問題を問題解決に導こうとする習性があるように思われます。つまり、どうしても語りが二義的で説明的になってしまう。それにつき山田芳裕のマンガにはまず気合の入った顔面がある。「目は口ほどにものを言う」という言葉がありますが、何よりもあの顔面がすべてを物語ってしまっているんですね。何かの効果のある手段といった副次的な語りを追い越して何よりもまず、あの顔面が最前線ですべてを物語っている。 『へうげもの』に話をうつせば、私たちは安土桃山時代の数寄者ではないのですから茶のことはよくわからない。それでもとにかく古田織部の毎度のこと驚愕する顔面をみれば、何かヤバイことが起きているとすぐに察知することができるのです。そして何より、稀代の怪人、千利休を顔面として描き切ったことの素晴らしさよ。けっきょくのところ、何を考え、何を為したひとなのかがよくわからない千利休、何なら楳図かずおの『イアラ』のように何千年も生き続けていると言われたほうがしっくりくるあの千利休をありのままの顔面として描き切ったことは『度胸星』の挑戦にも並ぶチャレンジだったのではないでしょうか。