マンガの中で登場人物たちがうまそうに酒を飲むシーンを見て、「一緒に飲みたい!」と思ったことのある人は少なくないだろう。酒そのものがテーマだったり酒場が舞台となった作品はもちろん、酒を酌み交わすことで絆を深めたり、酔っぱらって大失敗、酔った勢いで告白など、ドラマの小道具としても酒が果たす役割は大きい。
そんな酒とマンガのおいしい関係を読み解く連載。10杯目は、酒であらゆるトラブルを解決する無敵の剛腕バーテンダー伝説『バッカス』(作:青木健生・画:井上元伸/2009年~10年)の登場だ。
まずオープニングからしてスケールがデカい。中東某国の超高級ナイトクラブで、以前から犬猿の仲のハマド王子とガリエダ将軍が泥酔状態で遭遇、互いに銃を突きつけ合う。どちらかが引き金を引けば内乱勃発……という一触即発の場面に、テンガロンハットの大男が割って入る。二人に銃ではなくカクテルグラスを突きつけた男は、そのジンベースのカクテル一杯で二人をクールダウンさせ、一国の危機を救った。正体不明のその男を、腕に彫られた刺青から、人は「バッカス(酒神)」と呼ぶ――!
かくして、いきなりアクセル全開で始まる本作は、とにかくすべてが過剰である。まず主人公・バッカスのキャラが過剰。カウボーイのような出で立ちだが、上半身はレザーベストのみでムキムキの大胸筋や腹筋丸出しだ。全身から酒の匂いを漂わせながら、酔った様子は微塵もない。ロン毛にキリリとした顔立ちで、女には優しい。そんなさすらいのバーテンダーの活躍を濃厚なタッチで描く。
第1話では、亡き両親が経営していたバーを継いだ娘が、地上げ屋に嫌がらせを受けていた。そこに現れたバッカスは、用心棒の元力士を片手で軽々と持ち上げる。そのパワーはシェイカーを振るときにも大いに発揮され、超高速のシェイクに地上げ屋たちは「なっ……なんてェスピードだ!!」「あれならシェイカーの中の分子まで混じり合いそうだっっっ!!」と驚愕の表情を浮かべる【図10-1】。
できあがったカクテルは、名付けて「父の遺産(ダディーズ・ヘリティジ)」。父が娘のために残した日本酒の古酒にバニラアイス、味醂を加えてシェイクし、グラスの縁にライムを塗ってマルガリータソルトをまぶしたうえ、中央に金箔をトッピングという代物だ。これが人気メニューとなり、閑古鳥が鳴いていた店は賑わいを取り戻す……って、いやいや、そんな簡単にいかんだろ。ていうか、バッカスのシェイク術がなくても同じ味になるの? とツッコみたくなるが、そんな細かいことは気にしちゃいけない。
心に決めたキャサリンという女を探して世界中を回っているというバッカスは、同じ名のストリッパーが出演している劇場を訪ねる。そのキャサリンはもちろん芸名で別人だったが、ブロードウェイの舞台をめざして奄美から上京したのに、自称プロデューサーに騙されたという彼女のためにカクテルを作ったときのパフォーマンスがまたすごい。
コーラの栓を指で抜き、噴き出して宙を舞うコーラを一滴もこぼさずグラスで受ける。そこに黒糖焼酎ときび酢を加え、全身を激しく振動させる。それでいて左手に持ったグラスだけは微動だにさせない身体操法にはダンサーの彼女もびっくりだ【図10-2】。その全身の振動がグラス内の液体を渦巻かせ、「アメリカの象徴コーラ! 奄美の誇り黒糖焼酎! 互いを認め合いながら分子レベルでまぐわえ!!」と唱えて完成したのが「故郷×夢(カントリードリーム)」なるカクテルだった。そのカクテルで初心を思い出し、バッカスの言葉に背中を押された彼女は、夢に挑戦するためアメリカへと旅立つ。
極めつきは、ひょんなことから政治家の船上パーティに紛れ込んだバッカスと、政治家の愛人でもある有名女性バーテンダーとのカクテル勝負。ウイスキーの樽ほどもある巨大な特注シェイカーに大量の酒を注ぎ、超高速で振り回しながらブリッジの階段を駆け上がり、頂上から飛び降りて後部甲板に巨大シェイカーを叩きつける。その衝撃で船首が持ち上がるのだから、もはや人間業とは思えない【図10-3】。
なぜそんな無茶をしたのかというと、「強い遠心力を用いてアルコール分と味、香り成分を分離させる」ためで、「揮発性物質回収法」というものらしい。「バッカスは超回転と超衝撃でこれを行い 実にほんの一杯のエッセンスを抽出する為 大量の酒分を必要としたのだ!」と解説されてもよくわからないが、政治家の内臓が弱っていることを見抜いたバッカスは、薬草酒をベースに牛乳やレモンジュースを加えたアルコール軽減カクテルで体調回復に導こうとしたのである。
とにかくハイテンション&ハイカロリーな描写の連打。エロいシーンも結構ある。バーテンダーが主役の酒マンガは数あれど、ここまでワイルドでバイオレンスでセクシャルな作品は見たことがない。ストーリーも正直とっちらかっていて、結局キャサリンとめぐり会うこともなく、あっさり終わってしまうのだが、それはそれでいい。理屈じゃないパワーと超絶調理のノリは『北斗の拳』のグルメパロディ的な怪作『ドカコック』(渡辺保裕)に通じるものがある。
「酒に敬意を払え」「酔って女に絡むな それが酒呑みの掟(コード)だ!」「所作・雰囲気・匂い 一瞬の内に相手の心の襞まで汲み取り適切なサービスを提供する それがバーテンダーって生き物だ!」「オレは飲みたい時に飲み 言いたい事は言い 抱きたい女ダケを抱く それが俺の生き様(スタイル)だ!」など、イカした決めゼリフも頻出。トンデモ描写のなかにも酒と酒場に対するリスペクトは感じさせる。
各話の合間に挿入されるコラムは普通に酒のウンチクを綴っていて、本編とのギャップが激しい。いろいろブッ飛んだ作品ではあるが、酔っぱらって読むにはちょうどいい……かもしれない。