ちょっと前まで、ごく身近なところにあったモノや景色がいつの間にか無くなっていた、ってことがある。いつの間にか無くなってしまったモノや風景を「昭和の遺物(アレ)」と名付けることにした。
そんな「昭和のアレ」を、物語の重要な小道具や舞台装置としてマンガの中に見つけることがある。するとある年代以上には懐かしさと嬉しさが込み上げてくる。一方で、若い人たちにも、好奇心が湧いてくる。好奇心は珍しさや新しさに繋がるかもしれない。まさに、温故知新。
このシリーズでは「昭和のアレ」にこだわりながらさまざまなマンガを読んでみたいと思う。
第1回のアレは、お化け煙突、防空壕跡、ビニ本自販機の3題。マンガは諸星大二郎のアレだ。
お化け煙突は、東京都足立区千住の荒川沿いにあった。1926(大正15)年に稼働した東京電力(当時は東京電灯)千住火力発電所の煙突につけられた通称である。
4本の煙突が細長い菱形に配置されていたため、長いほうの対角線方向から見ると、煙突が重った太い1本の煙突に。短いほうの対角線方向から見ると3本に。斜めから見ると2本に。少しずらすと4本に、と本数が変わって見えた。それが、不思議なので「お化け」と呼ばれたのだ。昭和の東京オリンピックの前年の63年に発電所が役目を終えると解体され、今はもう見ることができない。
防空壕跡は、爆弾よけに掘られた壕の痕跡。太平洋戦争末期の45年には、アメリカ軍の爆撃機による空襲が激しくなった都市部を中心に日本各地に掘られた。数人が身を隠す程度の狭いものから、しっかした地下壕のようなものまでさまざまな防空壕があった。戦後の高度経済成長時代に、開発などでほとんどの防空壕跡は姿を消した。だが、一部は戦争遺跡として保存されている。お化け煙突があった東京都足立区では千住神社に境内に掘られた防空壕跡がある。
3つ目のビニ本自販機は、ヌードグラビアを中心にしたアンダーグラウンド・エロ雑誌を販売する自動販売機のこと。関係者は「エロ本自販機」と呼ぶようだ。中の商品を見せるパネルがマジックミラー式になっていて、昼は何を売っているのか見えないが、夜になると淫靡な表紙が暗い中に浮かび上がった。考えてみれば、これはかなり不気味だろう。70年代半ばから80年代半ばにかけて全国に広がり、その台数は2万台以上だったとか。販売する流通経路は書店ルートとは全く別だったが、最盛期の市場規模は5億円以上に膨らんだと言う。しかし、80年前後から、未成年者がこっそり買っていることなどが社会問題になり、ほとんどが姿を消した。
この3題噺のようなバラバラの「昭和のアレ」が絡んでくるマンガが、諸星大二郎のSF短編『ぼくとフリオと校庭で』なのである。
ぼく=ジロの学校に転校してきた富利夫(フリオ)は、ちょっとおかしな子どもだった。地下鉄工事現場で働くために町にやってきた父親とアパートで二人暮らし。学校では突然、「UFOがやってくる」だの「超能力を使える」だのと言い出して、クラスの仲間達からほらふき扱いを受けていた。ジロはおそらくフリオのたった一人の友達だった。
ある日の放課後、フリオは、今日がこの町にいられる最後の日だからと、ジロを秘密の場所に誘う。明日にはUFOが迎えに来るというのだ。連れて行かれたのは、坂の下に掘られた防空壕跡だった。フリオは「宇宙人の基地や ここは…」と言い、タバコ屋の脇の自動販売機で買ったというビニ本をジロに見せた。ジロはタバコ屋の横に自販機なんて見たことがなかったが、宇宙人はそういうことも含めて調査しているとフリオは説明した。そして、この穴から出たときに、世界が全く別の世界になっていることがあるような気がするとも言った。タバコ屋の横から自動販売機が消えていたり、川向うの煙突の数が減っていたりするのだ、と。
ジロは煙突は見る角度で本数が変わることをフリオ教えたが、ふたりで土手を上がったときには、煙突は3本に減っていて、いくら見る角度を変えてみてもそのままだった。
翌日、ジロがタバコ屋の横に行くと自販機はなくなっていた。忘れてきた懐中電灯を探すために防空壕跡に行くと、フリオが釘一本で簡単に開け、ジロが開いたままにしてきた防空壕跡の扉は固く施錠され、懐中電灯は扉の外に置かれていた。
そして、フリオは学校にこなかった。
フリオに別れを告げたくて走るジロが路地の向こうに見たのは、父親と一緒にUFOに乗るフリオと、バス停で父親とバスを待つフリオ。実際に路地の向こうにいるのは、どちらのフリオなのだろうか? フリオが言ったように全く別の世界があるのだろうか? ジロには確かめる勇気がなかった。
初出は1983年1月の『少年ジェッツ』増刊号。91年に出版された双葉社・アクションコミックス版の作者あとがきには、「S&G、UFO、お化け煙突、防空壕跡、ビニ本等…。この作品の中には、よく考えると時代的に合わないものが無配慮に入っています。自分の中にある思い出や記憶を深く考えずごちゃごちゃに突っ込んでしまったもののようです」とある。
S&Gは、サイモン&ガーファンクルのこと。本作はポール・サイモンが72年に発表した『僕とフリオと校庭で』のタイトルを借りているのだ。
ポール・サイモンを「昭和のアレ」と呼ぶのはまずいかもしれないが、UFOに乗るフリオと、父親の新しい仕事場のある町に行くためにバス停で待っているフリオ、ふたつのフリオの世界を分ける「お化け煙突」「防空壕跡」「ビニ本」がマンガの鍵になっていることに異論はないだろう。
UFOに乗っていく世界では、お化け煙突は目の錯覚ではなく、実際に本数が減ったり増えたりする。防空壕跡は宇宙人の基地で、ビニ本の自動販売機はタバコ屋の隣に存在する。フリオがバスに乗る世界では、お化け煙突は目の錯覚にすぎないし、防空壕は施錠され、自動販売機も存在しない。
もっと複雑な分岐もあるのかもしれない。
本作が描かれた82年にはまだあったものと、すでに姿を消したものが混在してはいるが、3つの「昭和のアレ」が物語の要石となって構成されたのが『ぼくとフリオと校庭で』だ。そこから生まれた不思議な既視感がこのマンガの魅力なのだ。