マヌエレ・フィオール 著、栗原俊秀/ディエゴ・マルティーナ 訳『秒速5000km』マガジンハウス【夏目房之介のマンガ与太話 その19】

マヌエレ・フィオール 著、栗原俊秀/ディエゴ・マルティーナ 訳『秒速5000km』マガジンハウス【夏目房之介のマンガ与太話 その19】
『秒速5000km』マガジンハウス 2023年

 

日本の戦後漫画はほとんどが一色印刷で普及した。戦前には高価なハードカバーのカラー印刷の子供漫画もあったが、敗戦後の経済事情と、漫画雑誌のほとんどが白黒印刷だったこともあり、カラー印刷を使ったものはごく限られていた。
 欧米では20世紀初頭に新聞日曜版のカラー印刷漫画が流行したが、本紙では白黒印刷が多かった。『タンタン』も戦前の連載時は白黒。アメリカン・コミックスはある時期からカラーになり、欧州でも戦後の単行本はカラーになっていった。
 欧米の漫画雑誌が徐々に少なくなり、単行本中心に移行したのに比べると、日本の漫画雑誌は長く生き残り、現在でも雑誌連載から単行本という流れが残る。そして、雑誌ではカラーだった頁も単行本では白黒になるのが多く、世界的に日本漫画といえば白黒が特徴とされることになった。
 そんなわけで日本漫画では、歴史的に「色彩で物語を語る」表現は普及せず、ほとんどの日本人は色彩で漫画を読む習慣を持ってこなかった。この事態が変わるのは、2000年代もだいぶ過ぎて、漫画市場を電子メディアが支えるようになってからではないか。日本より早く電子メディア漫画が定着した韓国、中国では、カラーのスクロール漫画が日本より早く浸透し、日本でもその傾向は大きくなっている。これからはカラーの漫画が当たり前になり、「読み」の習慣も変化してゆくだろう。
 前置きが長くなってしまったが、今回紹介するマヌエレ・フィオール秒速5000km』は、とにかく絵と色彩表現が素晴らしく、色彩の違いと変化によって物語を展開するイタリアの漫画なのである。イタリアのとある都市に住む二人の思春期男子と、引っ越してきた魅力的な少女の三人が、やがて大人になり、引越し、再会し、もの悲しい別れに至るまでを、淡々と、言葉を抑制して描いている。「登場人物が考えていることを言葉で書かない」*1ことをルールにしたというフィオールは、ナレーションを入れず、短いセリフしか使わない。なので、物語の流れは、読者がエピソードの断片の隙間を想像してつないでゆくしかない。
 一方で、絵と色彩が多くを語る。
 〈作中では、観葉植物を思わせる緑、厳寒のノルウェーを覆う青(あるいは雪解けの季節を満たす薄紅色)、砂埃の舞うエジプトに漂う土色など、場面が転換するごとに基調となる色彩が移ろっていく。〉 *2
 
 思春期の男子たちの前に引っ越してきた少女ルチアは、緑と黄色の中に佇む。それは一幅の絵であり、隣の窓から少女を覗く男の子同様に、読者もしばし彼女を眺める。絵画的な鑑賞といっていい「読み」である。色彩は若草の萌える匂いや、イタリアの明るい陽光を思わせる。まだ人生の何たるかを思いもしない、自覚のないままの希望の時間がある。

 

【図1】同書P.10

 

ルチアに憧れた少年ピエロは、やがて考古学者になり、エジプトを訪れる。列車内で風邪を引き、熱に浮かされた幻想の中でルチアを見る場面では、赤と黒で幻想的に描かれたヤシの樹のコマが挿入される。意識の底にある情熱と不安を象徴する赤と黒は、ルチアの緑と対照をなしている。

 

【図2】同書P.63

 ピエロは髪が薄くなった中年となり、元カノのルーシーと再会する。この断章は冒頭見開きの雨で始まり、雨は薄紫だ。薄紫の雨は暖かく、かつ寒々とも感じる。ルーシーは、楽しい再会でひとしきり笑ったあと、「雌牛」のように太ってしまい、「間違ってばかり」の自分の人生を嘆いて泣く。「見られたくない」というルーシーとの目をつぶったままのセックスは、何とも優しく哀しい。

 

【図3】同書P.118

彼らの別れは、人生そのもののように苦い。ただ、それを劇的な感情として読者に訴えることはない。ただそうして人生がそこあるだけ、とでもいいたげに投げ出されている。そして、これは成熟した大人の視線なのだ、と静かに語りかける。
 『秒速5000km』は欧州で成功を収めたが、出版までには苦労があったようだ。フィオールに惚れ込んだ訳者が日本の出版社を回ったとき〈恋愛が題材の漫画なら日本にいくらもある〉*3といわれたという。たしかに、市場での位置付けを意識する編集者がいいそうなことだ。しかし、絵画鑑賞体験というべきレベルで、コマと吹出しと色彩の変化を使って構成された本作は、既存の日本漫画では味わえない成熟した「読み」を示している。
 ちなみに私のお気に入りの場面の一つは、ノルウェーの穏やかな入り江の遠景をさりげなく描いたシンプルな、にじんだ色彩の絵だ。日本ならここに歌をさらさらと書き込む色紙のような、ふとした瞬間なのだが、セリフは「変化」について語る。そして、この穏やかな入り江には、この頁の中で船があらわれ、次の頁で港に停泊する。同じ色彩の中での変化が、物語の語る時間、変化の性質を暗示する。

 

【図4】同書P.93

 訳者は、日本におけるBD(バンドデシネ)翻訳出版推進の陰の功労者であり、かつ私の学習院大学でのゼミの初期の参加者でもある原正人氏を介して、これもわがゼミ出身者で、現在マガジンハウスの編集者である川勝徳重氏によって出版にこぎつけたという。私の大学勤務もあながち無駄ではなかったと思わせてくれる。またこのことは私の密やかな誇りである。

 

 

  • *1 ^ 「訳者解題 フィオールに魅せられて 文学、美術、建築が綾なす漫画の世界」栗原俊秀 同書P.151
  • *2 ^ 同上
  • *3 ^ 同上P.156

 

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