原作を超える翻訳はありうるか──ポール・オースター『幽霊たち』とデイヴィッド・マッズケリ『アステリオス・ポリプ』の翻訳を通して

サウザンコミックスレーベルで企画されている『アステリオス・ポリプ』日本語出版クラウドファンディングの連動企画として、発起人はせがわなおさんと矢倉喬士さんの連載記事をお届けします!

『アステリオス・ポリプ』日本語版出版クラウドファンディングページ


『Asterios Polyp』『The New York Trilogy』

原作を超える翻訳はあるのだろうか。結論から言えば、その創作が目指す表現をより良く体現しうる言語体系に翻訳される場合に、翻訳が(部分的にではあれ)原作を超えることはありうる。

私は大学の二回生のとき、三回生以上の学生向けに開かれていた文芸翻訳の授業に聴講生として参加していた。グループに分かれて毎週4~5ページ程度の課題英文を和訳し、グループごとに仕上げられた訳文を比較して論評し合う授業だった。そこでテキストとして採用されていたのは、上岡伸雄『現代英米小説で英語を学ぼう』(2003年)であった。ポール・オースター、ティム・オブライエン、JD・サリンジャー、ジュンパ・ラヒリ、カズオ・イシグロ、マーガレット・アトウッドらの現代小説について、英語原文と邦訳を照らし合わせて英文読解力を鍛えると同時に、翻訳の技術を解説する本だ。この本の最初で翻訳の名人芸として紹介され、以降50ページ以上にわたって手厚く解説されるのが、柴田元幸訳のポール・オースター『幽霊たち』である。

 

『現代英米小説で英語を学ぼう』『幽霊たち』

 

ポール・オースターの『幽霊たち』(原題: Ghosts, 1986年出版)は、ブラウンという人物に探偵術を仕込まれた若手私立探偵のブルーが、ホワイトという人物の依頼でブラックという人物を調査する物語だ。他にグレーやグリーンやレッドやヴァイオレットといった人物も登場し、人名には全て色の名前が使われているのが印象的である。本来は固有名であるはずの人名に、記号的な普通名詞をあてがうことによって、この小説は1980年代の都市に生きる人々の無個性的な日々を描いている。タイトルの「幽霊たち」は、どこでもない場所の誰でもない者たちを描く作品を適切に表している。

この『幽霊たち』の柴田元幸訳は、どのあたりが名人芸なのか。以下の部分は、翻訳を学び始めた頃の自分にとって大きな衝撃だった。

Now, when he himself is the boss, this is what he gets: a case with nothing to do. For to watch someone read and write is in effect to do nothing. (Auster 166)

 

そしていま、いざ自分がボスになってみると、ありついた仕事がこれである。何もすることのない仕事。だってそうじゃないか。他人が読んだり書いたりするのを見張るだけなんて、要するに何もしないに等しい。(邦訳 13)

この箇所は、上岡伸雄『現代英米小説で英語を学ぼう』でとりあげられており、「Forを「だってそうじゃないか」と訳すあたりがうまいですね」(上岡 17)と評されている。そう。そうなのだ。“For” を「だってそうじゃないか」と訳すあたりが、めちゃうまいのだ。受験勉強で英語をそれなりに頑張って勉強していた私は、“S1 V1, for S2 V2.” が、「S1はV1する。というのも、S2がV2するからだ。」のように訳せることを知っていた。当時の私には公式のように定番の訳が頭に刷り込まれていただけに、 “For” のうちに「だってそうじゃないか」という生々しい声が聞こえるとは思わず、さらには、句点を打って英語原文とは違う位置で文を終了する選択がありうるとも考えられなかった。まるで見えない角度からのアッパーカット。私は翻訳の不意打ちを食らってダウンしてしまった。大の字に伸びて教室の天井を見上げながら、大学受験までの英文和訳で味わったことのない感覚に打ちのめされつつ、大学の勉強はなんと自由なのだろうと嬉しく思った。

上岡氏の翻訳指南本によって、英語原作と邦訳を比較する面白さに気づいた私は、オースターの Ghosts と柴田訳『幽霊たち』を一言一句比較していくことにした。そうして私は発見したのだった。末永く語り継がれるべき伝説的な訳業を。

It is as though some spectre has suddenly materialized in front of her, and the ex-future Mrs. Blue gives out a little gasp, even before she sees who the spectre is. Blue speaks her name, in a voice that seems strange to him, and she stops dead in her tracks. Her face registers the shock of seeing Blue─and then, rapidly her expression turns to one of anger.

 You! She says to him. You! (Auster 195)

 

目の前に突然亡霊でも現れたかのように、かつての未来のミセス・ブルーは、その亡霊が誰なのかも気づかぬまま、はっと息を呑む。ブルーは彼女の名を呼ぶ。その声は彼自身にさえ奇妙に響く。彼女はぴたっと足をとめる。彼女の顔に、亡霊がブルーであることを認識したショックが現れる。それから、一転して、それは怒りの表情に変わる。

 人でなし! と彼女はブルーに言う。人でなし!(邦訳 60)

ここで、人間の固有性が剝ぎ取られて記号化し、どこでもない場所の誰でもない人間であるブルーは、“spectre (亡霊)” という言葉で表現されている。かつてのフィアンセである女性がブルーを街で見かけて、 “You!” と怒声を浴びせている場面だ。 “You” とはもちろん、「あなた」を意味するわけだから、翻訳も「あなた!」で間違いではないように思われる。しかし、この箇所の柴田訳は冴えわたっている。 “You” を 「人でなし」と訳しているのだ。固有名が記号化し、どこの誰でもなくなった者に対して、「人でなし」という呼称はこれ以上なくふさわしい。ここでブルーは “spectre (亡霊)” と形容されていて、もはや人ではない存在だ。そもそも作品のタイトルも “Ghosts (幽霊たち)” である。人でない者たちが登場する作品において、「人でなし」という言葉の選択は有無を言わさぬ正解のように思われる。この場合、翻訳者によって様々な翻訳があるなどとはいえず、一度それを読んでしまったが最後、「人でなし」という訳語しかありえないとさえ感じられるような魔力が働いているようだ。これは、無限に可能性があるはずの大喜利において、ときおり芸人たちが口を揃えて正解と表現する回答が出ることと同じである。もうそれ(だけ)が正解じゃないか、と否応なく思わされるような、厳粛な祝福の瞬間が確かにあるのだ。

『幽霊たち』の邦訳版におけるこの箇所を読んで感じられる面白さは、英語原作を超えているように感じられる。単語のレベルにおいて、より作品に適した部品を翻訳先の言語が持っていて、それを翻訳者が使用したのだ。作者がその作品において表現しようとする内容が、作者が親しんでいる言語体系によって最も十全に表現できるとは限らない。語彙、文法、語順、人称、品詞の活用、文字のような様々な言語的差異を考慮するとき、自分が得意とする言語より他の言語で制作する方が良い場合さえあるのかもしれない。

 

***

 

さて、ようやく本題に移ろう。現在、めでたく目標額をクリアしてクラウドファンディング期間が残りわずかとなっているデイヴィッド・マッズケリの名作グラフィックノベル『アステリオス・ポリプ』の翻訳についてである。この作品は言語的な工夫が凝らされており、全登場人物のセリフの字体が個別にデザインされ、話し方にも人物ごとに固有のクセが与えられている。このような作品はどのように翻訳すれば良いか考えてみよう。

まず、英語と比較した際に、日本語は一人称が豊富な言語である。登場人物ごとに文字デザインや話し方が全て異なる作品を翻訳するのであれば、全ての登場人物について個別の一人称を与える方法が考えられる。『アステリオス・ポリプ』は、全ての登場人物を個性的でクセのある存在として描き分けようとしているが、英語原作の一人称は全て同一の “I” である。それに対して日本語版では、「私」「僕」「オイラ」「アタイ」「うち」「俺っち」「我輩」など、豊富な一人称代名詞を個別にあてがうことによって、登場人物がそれぞれに固有の特徴を持つ存在として表れるような翻訳案を検討している。同じ音であっても、たとえば「僕」「ボク」「ぼく」では随分と印象が異なるし、面白いことに、全ての人物に異なる一人称を使おうとするときにだけ新たに可能になるテクニックもある。以下に一例を挙げる。

『アステリオス・ポリプ』の主人公であるアステリオスは、理論派のカタブツであり、セリフの字体は全てが大文字のブロック体で、ページの水平方向に対して直立している。セリフの吹き出しの形は長方形で、文法的にも往々にして破綻のない話し方をする。彼の一人称は「私」を検討している。この時点で、他の人物の一人称には、原則として「私」は使わない。

次に、アステリオスの歪んだ分身とも言える強烈なキャラクターのウィリーは、プライドが高く、文学作品を引用しながら難しい言葉を使って不必要なまでに韻を踏みつつ、会話の中に卑猥なダブルミーニングを仕込んでセクハラをしながら話す。セリフの字体はアステリオスの字体とかなり近いが、少し太めの文字が使われており、セリフの吹き出しの形は不安定でいびつだ。彼の一人称には「我輩」を考えている。

そして、アステリオスが居候するメジャー一家の一人息子ジャクソンは、好奇心旺盛な子どもで、使用する語彙は平易で、他の人物よりもセリフの文字が大きく表示されている。吹き出しの形はモクモクとした煙のようで、これは母親のアースラの吹き出しの形から親子で受け継がれたもののようにも思える。ジャクソンの一人称は「ボク」を検討している。

 

(左がジャクソン。右がアステリオス。)
(左がウィリー。右はハナ。)

 

ここまでに、アステリオスとウィリーとジャクソンの一人称をそれぞれ「私」「我輩」「ボク」にして、それぞれが個別の存在としてデザインされている作品の性質を、日本語の特徴を活かしながら効果的に表現するような翻訳案を考えてきた。しかし、これだけでは話はとても単純である。ここからは、原則的には人物ごとに異なる一人称を採用するからこそ、原則を逸脱する選択肢が生まれ、作品に新たな意味が与えられることを考えてみよう。

既に述べたように、幼いジャクソンの一人称は「ボク」を検討しているが、成人男性であるアステリオスやウィリーも幼く振る舞うときがある。周囲の話を聞かずに一方的に喋り続け、水色で透明なデフォルメされた身体で “LOOKIT ME!” と叫ぶアステリオス、仕事がうまくいかなかったり思うように評価されないときに取り乱して “LOOKAT ME!” と泣き叫ぶウィリー。この幼児退行して泣き叫ぶウィリーのセリフと近いセリフで叫ぶアステリオスに関して、「ボクをみて!」という訳語で統一する案を検討している。

 

“LOOKAT ME!”
“LOOKIT ME!”

 

このとき、「ボク」という一人称や、漢字を使わない翻訳は、ジャクソン少年のセリフの翻訳用に検討されていたものである。ジャクソン用の翻訳スタイルをアステリオスやウィリーに採用することによって、アステリオスとウィリーの間に感じられる分身関係や双子的なモチーフが、ジャクソンにも波及する効果が生まれる。これには良い面も悪い面もあるだろうが、ジャクソンを分身や双子という観点から読み解くように促す効果が強まり、作中のある部分の仕掛けが英語原作よりも見えやすくなる(ネタバレに配慮してボカした表現で申し訳ないと思うが、作品を読んでからのお楽しみに)。

このように、日本語の多様な一人称を全ての作中人物に個別に割り振ることによって、セリフの字体や吹き出しの形や話し方のクセに個別のデザインを試みた英語原作をもう一段階先に推し進めると同時に、その原則を逸脱することによって作中の仕掛けを効果的にあぶり出す工夫を検討しているが、これはまだ『アステリオス・ポリプ』の翻訳をめぐるアイデアのほんの一部にすぎない。日本語には漢字に読み仮名を振るルビというものがあるが、これを使った日本語版だけの仕掛けの可能性も模索している。日本語版の翻訳案については、版権交渉以前の最初の連絡時にマッズケリさんにお伝えしてある。日本語の人称代名詞や漢字の表記体系を駆使した日本語版が、英語原作の優れたニュアンスを損ねることなく、もしかするとより良く表現できる部分さえあるかもしれないと伝えると、そのアイデアに賛同する旨のお返事をいただけた。(マッズケリさんは日本語版の最終的な仕上がりを自分でチェックしてから出版したいという意思をお持ちで、著者の要望に沿った日本語版になることも確かなので、その点にもご安心いただきたい)

長い時間をかけて精巧なパズルのように組み上げられたグラフィックノベル『アステリオス・ポリプ』。その翻訳は、言語体系の違いを有効に活用したうえで、ほんの少しだけ違ったパズルになるように思われる。それが原作とどのように違うのか、原作よりも面白い部分があるのかそうでないのか、2023年の秋以降に日本語版が出版されて実際に読める日が来るまで楽しみにしていただきたいと思う。


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記事へのコメント

>(マッズケリさんは日本語版の最終的な仕上がりを自分でチェックしてから出版したいという意思をお持ちで、著者の要望に沿った日本語版になることも確かなので、その点にもご安心いただきたい)

最高のやつですね。楽しみにしています

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