グラフィックノベルの傑作と名高い『アステリオス・ポリプ』翻訳のためのクラウドファンディングがはじまります

今年のアイズナー賞で日本の漫画家 萩尾望都が殿堂入りを果たしたことが大きな話題となったが、アメリカのコミックアーティスト  ディヴィッド・マッズケリも同じく本年アイズナー賞殿堂入りを果たした。

そのマッズケリの作品の中でも傑作と名高い『アステリオス・ポリプ』のクラウドファンディング出版企画が、奇しくもマッズケリがアイズナー賞の殿堂入りを果たした今年、9月16日から始まった。

この『アステリオス・ポリプ』はマッズケリが途中に作業の中断期間を経ながらも、なんと実質5年もの歳月をかけて完成させた長編グラフィックノベルである。

 

図1 大判のアートブックのようにずっしりとした迫力のある『アステリオス・ポリプ』

 

物語は50代の著名な建築家(しかし彼の設計した建物は実際に建設されたことはない)であるアステリオス・ポリプの住むアパートに雷が落ち、主人公が文字通り全てを失うところからはじまる。アパートから焼け出されたアステリオスは、わずかな所持金を手に「この金でいけるところまで…」とバスのチケットを買う。そしてたどり着くのがアポジーという街だ。彼はアポジーの街で自動車修理工として、メジャー夫妻宅に居候をして働きながら、自らの思い出、過ち、過去を振り返り、またアポジーの人々との交流を通して、自らの行いのせいで失ってしまったものを見つめ直すことで、果たして彼は変わることができるのか…

こう書くといわゆる中年の危機に直面した男性のアイデンティティの危機の話と思われるかもしれないが、この本の要所はそれだけではない。アステリオスの元妻のハナ、アポジーの街で出会うメジャー夫妻とその子供ジャクソン、アポジーの町の風変わりな住人や、ハナの飼い猫のノグチに至るまで、物語の中心にいるアステリオスをめぐり、現在・過去のたくさんの登場人物とその物語がこのグラフィックノベルに鮮やかな多面性を与えている。(『アステリオス・ポリプ』の登場人物について興味を持たれた方は、次回登場人物をご紹介する予定なので楽しみにしていただきたい)

 

図2 書籍およびカバーのデザインも著者マッズケリによるものである

 

歴史上最も素晴らしいグラフィックノベルのひとつに挙げられることも多いこの『アステリオス・ポリプ』の日本語訳が、これまで10年以上もの間、出版されてこなかったのはなぜだろうか。

それは私たちが、本書『アステリオス・ポリプ』の翻訳出版をクラウドファンディングを通して目指すことになった理由のひとつでもある。『アステリオス・ポリプ』は細部までこだわった美しい装丁とフルカラー印刷で300を超えるページ数があり、また、20×27cmと大判の書籍である。日本語版の出版の際にも著者の希望により、英語版とまったく同じサイズ、印刷技術、印刷クオリティが求められている。そのため、通常の書籍を出版するよりも何倍もの費用がかかることになり、通常の出版ルートでの出版が難しくなってしまうのだ。

 

図3 カバーを外すと表紙にはタバコを吸うアステリオスが刻まれている。このように細部にも作者の意思が通っており、その再現にももちろんコストがかかる。 

 

本書の魅力はその著者が約10年以上もの歳月をかけて緻密に組み立てたストーリーだけではない。物語をイラストで提示してゆくグラフィックノベルならではの表現方法や、こだわりのフルカラーでしかできない視覚的なしかけが『アステリオス・ポリプ』を完璧な作品として構成する大切な要素となっている。そのため、コストを下げるために書籍のサイズを小さくしたり、印刷の仕様がオリジナルと少しでも異なってしまうことで大きく失われる魅力が、そして白黒の印刷では伝わらなくなってしまう視覚的な表現が本書にはあるのだ。

 

図4 細部までこだわった美しい装丁。内表紙にはアステリオスの元妻ハナの名前が表すようにたくさんの花々のイラストが描かれている。

 

それらの点は、実際に本を手に取っていただき、見ていただかないと感じることのできないことだと思うのだが、残念なことに『アステリオス・ポリプ』の日本語版はクラウドファンディングの目標金額を達成しなければ出版されず、みなさんのお手元に本をお届けすることができない。そのため、ぜひ今回のクラウドファンディングにご参加いただきたいのだが、その前にマッズケリのこだわりとこの作品の魅力を少しでも先に感じていただくために、本書ならではの魅力的な視覚的表現をいくつか紹介していきたい。

私が本書を初めて読んだときに一番驚いたのが、図5にある表現手法だ。このページでは、この世にひとりとして同じ経験、肉体、性格を持つ人がいないこと、またその個人ひとりひとりに異なる視野や世界があることを表現するために、多様な人を、その特性ごとに視覚的に表現したイラストとして描き分けている。このような表現手法は、言葉で物語を伝える小説にも、また映像で物語を伝える映画にもできないものではないだろうか。

 

図5 この世の中にいる人の特性を視覚的に示してみせる作品の冒頭部分

 

また、アステリオスと元妻のハナを描くときに用いられる視覚的表現もとても興味深い。

図6はアステリオスとハナの出会いの場面を描いたものであるが、暖色の赤色の影に包まれているように描かれるハナに対し、寒色の水色を用いて平面的で無機質な図形の集合として描かれるのはアステリオスである。暖色と寒色、赤色と水色、柔らかい影と無機質な図形というそれぞれの人物の性質を示す真逆の要素の対比があり、そして2人の距離が近づく様子をその2人を構成する要素がだんだんと混じり合っていくさまで表現している。このような表現方法を用いて、アステリオスとハナを描くことで2人の関係性が表現されるのは、出会いの場面だけではない。このように、登場人物の特性をあえてブレイクダウンした要素で表現する手法を重要な場面で用いているのも『アステリオス・ポリプ』の視覚的表現の面白さである。

 

図6 アステリオスとハナの出会いの場面。2人の人物がその色も含め視覚的に描き分けられる。

 

前述したようにフルカラーでの印刷が求められている本作『アステリオス・ポリプ』では、作中で使われている「色」も大きな役割を担っている。どの場面でどの色が使われるかも緻密に計算されており、物語において重要な意味をもっているのである。具体的にどのような場面でどの色が使われているかは、ぜひクラウドファンディングの成立後にお手元に届く日本語版の『アステリオス・ポリプ』を開いて、ご自身の目で確認していただき、その色の使われ方の意味を発見していく面白さを味わっていただきたいと思う。

 

図7 アポジーのメジャー夫妻の家、アポジーの街で多用されるのは黄色である。

 

また、ここまで並んだ図を見てお気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、実は本書の300ページを超えるすべてのページには、ページ数が記されていない。『アステリオス・ポリプ』の物語の構造上、あえてページ数をつけていないものである。これも書籍を用いた物語の表現のひとつの手法であるといえるだろう。

色やページ数だけに限った話ではなく『アステリオス・ポリプ』を読むことの面白さは、そのストーリーだけでなく本書のあちこちに緻密かつ巧妙に設計され、配置されたセリフ、しかけ、視覚的表現を見つけ出し、そしてそれらの要素を読み解いていくことであるように思う。お手元に本書をお届けし、この本の美しさを眺め、ぜひご自身の目で様々な表現や要素を発見し、読み解いていただく楽しみと興奮を味わっていただくために、下記の『アステリオス・ポリプ』クラウドファンディングのページより、この翻訳企画へのご参加をお願いしたい。

 

『アステリオス・ポリプ』日本語版出版クラウドファンディングページ

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