片渕須直×細馬宏通トークセッション 「この世界の片隅に」の、そのまた片隅に(後編)

片渕須直と細馬宏通の「この世界の片隅に」をめぐるトークセッション、後編。今回は呉や広島の地名がたくさん出てくるので、グーグルマップに地名をまとめております。参照しながら読むと、トークだけでなく原作やアニメの理解度もグッと深まると思うので、突き合わせながら読むことをおすすめします。

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鎧戸を閉めたのはどこから?

細馬 うちの母親は戦後に中学校の教師になって、阿賀とか蒲刈のほうに教えに行ってて、そのへんウロウロしてたみたいですね。

片渕 阿賀とか広とか、本当に狭いエリアですけどね。(広域合併される前の)呉って本当に狭いんですよ。どこへでも歩いていけるくらい。あの碁盤目になってるところ、1キロ四方くらいじゃないですかね。それくらい狭いところに40万人いた。

トークセッションに出てきたところ

細馬 すごい密度ですよね。僕この前、久しぶりに宮原に行きましたけど、けっこう坂きついなと思いました。

片渕 きついですね。宮原はもともと、もっと低いところにあった集落だったんですけど、海軍工廠と鎮守府を作るということで土地を取られちゃって、「もっと上のほうに住みなさい」って言われたらしい。で、そのあたりに防空壕があって、すずさんと晴美ちゃんが入ることになる。それが宮原4丁目のあたりなんですね。

細馬 アニメでは防空壕の奥にバケツがあって、バケツに「宮原四」って書いてある。「あっ、これ!」と思って。

片渕 そうそう、宮原4丁目の隣保班のやつですよね。

細馬 だからバケツの文字さえも見逃せない、このアニメーションは……という(笑)。本当に油断がならない。

片渕 ただ、あそこへ登っていく道が当時はないんですよね。下の青山の海軍病院とか軍法会議所から宮原へ登る道。今はあるんですけど当時はなくて。だからそこだけはしかたなくウソついてるんですよ。ただ、あの塀が昔の明治時代のベトン(コンクリート)の塀と、トタンの塀で二重になってるのはリアルなんですけどね。もともとあの塀は、海軍が明治20年代くらいにそこにやって来た時に、彼らの敷地を区切るために作ったものなんですね。

細馬 じゃあ別に目隠しのためではなかった?

片渕 最初は。それと昭和12年に戦艦大和を作るために、さらにトタンの塀を足してるんですよね。トタンの塀は「建造中の大和が見えなければいい」くらいの話だったんですけど、トタンは鉄なので、終戦間際くらいにはどんどん引っぺがされていって。

細馬 でも実は宮原と言いますか、休山(やすみやま)の山腹ってけっこう急斜面なので、いくら目隠し塀をしてもちょっと上がれば見えちゃう。

片渕 そう。でも海軍工廠の方を向いてる窓は、開けないように釘で止められちゃうんですよ。ただ、窓塞がれても見えることには見えますからね。庭に出ちゃえば。

細馬 うちの母親は「畑からよう見えとった」って言ってました。

片渕 見えますよね。

細馬 当時には今から考えるとちょっと奇妙な秘密主義があったんでしょうね。アニメーションの冒頭にも「海側の鎧戸をお閉め下さい」っていうセリフが出てきますけども。

片渕 はいはい。

細馬 どこから閉めてたのかな。坂(駅名)ではまだ開けてたのか。

片渕 それが実はわからなかったんですよ。地元の方であの頃を知ってるおじいさんたちに聞いても、意見が真っ二つに分かれて。とうとうおじいさんたちが知り合いのおじいさんにさらに電話を始めて(笑)。でも最後の最後まで意見が半々でしたね。閉めた派と閉めない派と。

細馬 うちの父親は坂を過ぎてからそろそろ閉めてたかなって言ってました。小屋浦のあたり。

片渕 すずさんが映画の中で閉めてるのはちょうど小屋浦のあたりですね。ちなみに横須賀では閉めなかったらしい。でも東京湾を挟んで反対側には鋸山要塞があって、内房線は閉めてたらしいんですよ。これはどういうことかなと思ったんですけど、鋸山要塞は陸軍なんですよね。だからどうも陸軍が閉めさせてるんじゃないのかなと思って。そう考えると、呉のあたりで閉めるのは陸軍の憲兵がやらせてる可能性もあるんですけど。呉からもうちょっと先に行くと、毒ガス工場のある大久野島があって、あそこは陸軍なんですね。毒ガス工場の手前では確実に閉めたらしいので。……いいんですかね、こんな話して。今、みなさんがだいたい知っているという前提でしゃべってますけども(笑)。

すずさんが嫁入りした日のこと

細馬 今すっごいマニアックなことしゃべってますからね(笑)。すずさんが広島から呉にお嫁に行く時、呉駅に着いたら大きな音がしてますけど、あれは大砲の音ですか?

片渕 そうです。あの日は高角砲の演習をやってる日で、その日をお嫁入りの日に設定したかったんですね。それをやると、その後に出てくる隣保班の回覧板の、原作にある日付と微妙に抵触するんでちょっとややこしかったんですけど。

細馬 はー、そんなことが。

片渕 さらに「お嫁入りって大安吉日にやるのかな?」とかいろいろ考えていたら、「安芸門徒(現在の広島県西部地域である安芸国の浄土真宗門徒のこと)は大安吉日をかつがない」という話を聞いて。なのでそれは考えずに土曜日か日曜日にお嫁入りしたことにすればいいのかなと。で、海軍の呉警備隊が演習してる日にお嫁入りの日を設定しちゃったんですね。

細馬 お嫁入りした日の夜、すずが外に出たらサーチライトが見えますね。あれは原作にない場面ですけど、あえて入れる意図があったんですか?

片渕 鎧戸を閉める前に、向こう側に小さい船が見えるんですけどね。

細馬 あ、それは僕、気づかなかった。

片渕 あれは大阪汽船のこがね丸とに志き丸という船があって……。

細馬 なんでそんな船がその時期に?

片渕 それを海軍が徴用してて、あの日は呉鎮守府の司令長官が乗って大竹に行ってるんですよ。で、あれは司令長官、中将座乗の船なんですね。

細馬 うわーーー、しかしいったいアニメーションを見た何人がそこに気づくのか(笑)。

片渕 そうですよね。でもそのためにこがね丸の本を買うわけですよ(笑)。要するにあれは軍艦にあんまり見えないような船がグレーに塗られて奥に走ってるんですね。

細馬 監督のディテールへのこだわりがすさまじいと思うのは、アニメーションの本っ当に片隅というか、もうほぼ人が気づかないようなところの資料を当たるところですよね。呉にどんな船がいつ寄港したかとか、そこに誰が乗っていて、その人たちから見た呉はどうだったかとか……。

片渕 で、こうのさんは、お嫁入りに来た晩にこのへんは灯火管制がうるさいから窓閉めろというのを原作で描いてるんですけど、灯火管制はうるさくなってないんですね。

細馬 あ、そうなんだ。

片渕 19年の8月上旬に呉に寄港した軍艦の乗組員の手記に、「呉はまだ明るかった」って書いてあるんですよ。で、別のものには「8月下旬になると真っ暗になっていた」って。

細馬 じゃあ嫁いだのが19年の2月だから……。

片渕 まだ明るいんだろうなーと思って。でも、「うちゃあどこへ来たんやろ」みたいな不思議な感情を味合わせたいんですね。そこで田中小実昌さんなんですよ。

細馬 おっ。

片渕 田中小実昌さんって、呉出身のエロっぽいことがすごく好きな……。

細馬 僕らの世代でいうと「『11PM』で変なことを言うおじさん」みたいな。

片渕 そうそう。その田中小実昌さんがいろいろ呉のことを書いてて、原作の最後に載っている参考文献にも田中小実昌さんの本が挙がっているんだけど、読むとけっこう面白くて、サーチライトで山々を舐めるように照らしてたって書いてあるんですよ。調べてみると、軍艦が実際に照射演習というのをやっていて。たとえば山にでかい看板みたいなのが建っていて、それをサーチライトで照らすらしいんですよ。田中小実昌さんは、その看板の後ろでは若い男女がチョメチョメしていたと書いてるんですけどね。

細馬 チョメチョメってのが彼らしい(笑)。しかしもう資料から資料への綱渡りですね。そこにつながってサーチライトなのか!

片渕 そういうのをけっこうやってたらしい。だから大和の110センチ探照灯で照射演習をやってたということですね。

細馬 なるほどね。だからあの一連のシークエンスですずさんは、軍都というのかな……のんびりした広島じゃなくて、機密とか秘密とかそういうのがたくさんある場所に嫁いで来たんだなという感じがしますね。

片渕 でもそこにまだ美しさを感じてしまったり。

細馬 「わー、おとぎ話みたい」っていう。

片渕 で、田中小実昌さんは、そういう性質の人ですから、朝日町の遊郭の女郎さんをものすごく観察してるんですよ。

細馬 行って体験したんですかね?

片渕 いや、世代的には小学生から中学生くらい。で、いろいろ観察してて、おしろい塗ってるんですけど、肩から首元まで塗って顔はすっぴんだと。そういう風にしていると、一発で女郎さんだとわかる。だから、朝日町から出ようと思うとけっこうバレてしまうみたい。で、すずさんが顔を真っ白にしてるんですけど、そのちょっと前に出てくるお女郎さんも首だけ色違えてるっていうのを、映画でやってるんですよ。

細馬 なるほど、わかる人にはわかると。わかる人って誰なんだろうって話ですけども(笑)。

片渕 いや、田中小実昌さんならわかる(笑)。

軍は優しかった?

細馬 でも、監督がこれだけ細かいところを詰めていってるのって、ただ細かいことの帳尻を合わせるというよりは、そこから何か立ち上がってくるものがあるからなんでしょうかね。

片渕 そうだと思います。調べていて意外だったのが、軍が国民の動きをすごく警戒していたということだったんですよ。空襲が始まってくると、国民が批判してくるんじゃないかと。それで急に優しくなったりするんですよ。

細馬 どういうところで?

片渕 たとえばラジオの番組も「大本営発表ーー!」という雄叫び調をやめて、なるべく演芸番組を増やしてくれって陸軍が指導してたりして。

細馬 ほうほう。

片渕 それから空襲警報、防空情報番組を男性アナウンサーの声でやると怖すぎるから女性の声にしてくれとか。

細馬 ほうほうほう。

片渕 国民にあまりストレスを与えすぎると、あの第一次世界大戦後のドイツみたいになっちゃうというのすごく警戒してたみたいなんですよ。当時の警察資料とか見ても、「日本刀を持ち出して市民に気合い入れてる一般人がいるが、あれはよろしくない」みたいなことを書いてあるんですよ。だから警察や憲兵がすごくまともな人たちに見えてきたりするくらいで。

細馬 僕らがステレオタイプに感じてる、上からひたすら抑圧されてたんだという戦時中のイメージとは違ったんだと。

片渕 軍隊が国民に火をつけて、戦争をやってるという意識を高めないとまずかったのは、戦費を調達するために国債を売る必要があったからですよね。それで意識を高めて、空襲が来ないのに防空頭巾を作らせたりしてたのが、本当に空襲が来て「このままだと国民が反乱を起こして自分たちが危うくなるんじゃないか」という段になると急に優しくなる。それが国民のためを思って優しくしてるのか、いわゆる国体護持のために優しくしてるのか、いろいろ問題は複雑なんですけど。

細馬 僕らが思っているよりはのんきなところもあったと。

片渕 でも軍のそういう意識は一般の人には届かず、ムードとしては「憲兵さん怖い」のまま行くわけですよね。

細馬 いや、でもやっぱり憲兵さん怖いですよ。だってすずがスケッチしてる時、前に回るんじゃなくて、いきなり背後から取り上げますよね。あの所作は怖い。そうだ、憲兵さんの一人は、今日何度も話に出てきた栩野さんですよね。

片渕 栩野さんくらいじゃないと、憲兵としてがなりまくる感じができないんじゃないかと思って。なにせあの人、兵隊の芝居できる役者さんですからね(笑)。あの人は工作が好きな人なので、ヤクザ映画で入れ墨を見せるための入れ墨アーティストもやってるし、最近だとすずさんの家の20分の1の模型を作ってくれて。

細馬 え、それは自主的に?

片渕 自主的に(笑)。それを呉市立美術館の「この世界の片隅に」展に持っていこうと思ったら、でかすぎてそれが入るガラスケースがなかった(笑)。

細馬 その無償の情熱たるや、すさまじいですね。いっそケースも栩野さんが作ってくれれば(笑)。…とかなんとか言ってる間にお時間になってしまいました。

片渕 今日はありがとうございました。先生のコラム、拝見してすごく楽しんでいますので。「こんなところまで見てくださる方がいらっしゃるんだ」と思って。

細馬 最初は2、3回のつもりで始めたものだったんですけど……。

片渕 今や14回!(*トークショー時)

細馬 まだあと何回か続きますので。

片渕 楽しみにしております。

打ち上げ編に続きます。


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