テーマはスポ根っぽいけどBE・LOVE連載なだけに文脈は少女マンガ寄り。義足の専門的な話などもありつつ全体的に爽やかな画作り。言ったら幾らでも重い展開に出来るようなテーマなんだけど、例えば骨肉腫で右下腿を失ったっていう設定を説明だけに留めて、画面作りを明るく、かつ純粋に走ることに対する物語を中心に展開。パラリンピックを見据えた企画だろうし、極力ポジティブな物語にしようという描き方には好感が持てる。物語が進む中で主人公の鈴がカッコよく走るようになってくれることを期待。 1巻まで読了。
異形の怪物の出現により第二次大戦が休戦となった世界という設定も然ることながら、戦闘狂に見えてかなり人間味に溢れる主人公の希平のキャラも面白い。司令官の比命や希平の上官の鏡介など、主人公以外の登場人物もキャラが立ってるし、1945年の世界観にアンマッチな怪物のデザインや敵キャラの存在感もエッジが効いてる。 敵キャラの登場で大きく風呂敷を広げた形だが、ここからどう展開するか楽しみ。まだまだ表に出てない設定もありそうだし、じっくり巻数掛けて描ききってもらいたいところ。 1巻まで読了。
SNS発マンガの普及で増えてきた1話8ページ前後のマンガ。取っ掛かりのアイデア1本あれば話数を重ねて面白い作品に仕上げられる、というのを体現してる作品。内容はほぼタイトル通りなんだけど、3話くらいで女騎士はもう屈してる。気がする。 面白いなあと思うのは女騎士レオに告白した魔法使いフーリーのキャラ。魔法使いとしての有能さでレオが都合よく好感を持つ理由を出しつつ、少し油断すると下心が見えてレオが反発するきっかけを与える。結果、レオが実質ほぼ落ちてるのに、ツン:デレ=2:8くらいの絶妙なバランスにギリギリ留めている。 1巻まで読了。
この作品は春夏冬さんの特徴的な目5%、萩好さんの中二病要素5%、雰囲気ホラー5%、唯一の常識人枠崇桐くん5%、そして誤解と勘違い80%でできています。 表紙がなんだかんだホラーっぽさがあるのとシリウスレーベルなので若干重めな感じに見えるけど、中身は思いっきり頭空っぽにして読めるいいコメディ作品。 1巻で春夏冬さんと萩好さんが幸か不幸かお近づきになってしまったので、2巻以降はコメディの手数や種類が増えてもっと加速していきそう。 1巻まで読了。
※ネタバレを含むクチコミです。
序盤になんかちょっと悪役っぽい人が出てきてた気がするけど、ずっと性格の悪いキャラが出てこなくて、本当に安心して2人の恋路をずっと眺めていられる。 例えばこれを実写でやるとすごい冗長になりそうで、そういう意味ではマンガだからこそ成立しそうな優しい世界。個人的には起伏のある物語が好みではあるけど、そういう作品ばかり読んでて気を休めたいとき、もしくは単純に現実世界に疲れたとき、この作品があるだけで癒やしになる、そういう作品。 6巻まで読了。
中世感のあるファンタジー世界で働く配達人が主人公という独特性もあるが、今巻辺りからより主人公以外へのフォーカス度合が強くなり、群像劇の様相を見せてきた。この作品世界的には割とハードモードっぽい事件がちょこちょこ起こってるんだけど、全体にお気楽な雰囲気で話が進んでいくので、いい意味で軽い気持ちで読んでいける。ファンタジーでも仕事ものでもあるけど日常系のような緩さもあるので、誰にでも薦められるタイプの作品。 4巻まで読了。
毎話ボードゲームを1つ紹介して、実際にキャラがプレイすることで「遊んでみたい欲」を駆り立てるというのも作品の特徴としてあるんだけど、長期の連載を通してたくさんのキャラクター達が登場し、それが気付いたら学年や性別を問わず、1人の例外もなくボードゲームで一緒に遊ぶ仲になっているという、その人間関係の広がりを垣間見ることができるというのが最大の魅力だと思っている。 「アニメ化したら絶対人気出るんだけど難しそうだなぁ」とずっと思ってた作品。なのでアニメ化決定は本当に嬉しいし、アニメを通してこの作品に触れる方が増えることが楽しみで仕方がない。 13巻まで読了。
体が徐々に変化していき最終的に完全に動物になってしまうという「変身病」というものがある世界。絵柄も含めた軽妙さは作品全体に共通してるけど、そこからは想像できない深い設定とドラマ性。各話ごとは間違いなく面白いんだけど、読み進めることに確実に心のざわつきが増していく。改めて考えるとかなり救いのない設定ではあるのだけど、この絵柄と雰囲気、あと動物園の園長のような軽めのキャラ、この辺りが上手くバランスを取って入り込みやすい作品に仕上がってるのが凄い。 というか冷静になって見ると園長の設定も直視できないよ正直。 1巻まで読了。
アメリカ合衆国が定義した、陸・海・空・宇宙空間に次ぐ「第五の戦場」ともよばれる"インターネット空間"を舞台とし繰り広げられるサイバーバトルの漫画。エンジェル投資家・坂井に才能を見出された天才ハッカー少年・是枝は、全く新しい形のサイバーセキュリティを立ち上げ様々な犯罪者たちと対峙していく。 我々の祖先が「集合的想像」による虚構の世界(宗教・国家・貨幣経済など)を獲得したことで核家族や小さな村落の枠を超え数千人、数万人を超える協力のネットワークを生み出すことに成功したことで、彼らはネアンデルタールをはじめとするほかの霊長を滅ぼし地球上の覇者となった。そして2千年紀の終わり、人は新たな世界「情報通信網」を作り上げた。何万年もの昔に生まれた「集合的想像」の虚構は、「情報通信網」によって急速に拡散し共有され、文化という文化を均した。インターネットの出現は、宗教や貨幣が世界を変えたことと等価かもしれない。 急速な変化に苦しむ旧い社会・体制はやがて淘汰され、「第五の戦場」を征服した者が新たな世界の王となる。ロマン主義の思想は人々に自由と幸福の追求を促し、そのために人々は富を蓄え、それを消費した。新しい虚構世界の誕生はそうした旧来の幻想を壊し誰も想像してこなかった価値観をも生み出しうる。 そうした新しい空間の冒険者である是枝そしてライバルの笑い猫やValkyriaと、彼らの手綱を引き、貨幣と法の支配する現実社会に繋ぎとめる役割をする坂井、サイバー空間を征服することで世界の王になろうとしている魔王のようなラスボス──。日本にはハッカーが足りないとは耳にするけど、案外いま一番必要なのは坂井さんみたいな人なんじゃないかなぁ あと一番重要なポイントですが、ヴァルちゃん可愛すぎません?めっちゃ好み。。
聖真澄という一人の少女が成長し、一流のバレエダンサーになるまでを描いた話。というと、とてもありきたりだが、スポ根としてのバレエ、芸術としてのバレエ両方の側面から書かれている。また、少女漫画の醍醐味の一つである誰と誰がくっつくのか、という点も意外な落としどころがあるのが、見逃せない。堅苦しくなく、チャチじゃない本格バレエ漫画。 全12巻の分量できちんと主人公が挫折して成功して、また挫折して、それでも成長していく様を見るのは、とても心地よい疲労感がある。言うまでもなく、聖真澄というキャラクターは架空の存在なのだけれども、実際に彼女の成長と大切な内面を共有できたような、かけがえのない気持ちを抱くことができる情報量が多くてくびれるが、このような疲労感なら大歓迎である。
少女漫画とか思わせて、スポ根漫画もびっくりの特訓を行う主人公とそのライバル達。特にマヤの演劇が好きという狂気には圧倒させられる。
ドラゴンボール超の八巻は悟飯が活躍してくれたのでよかった。やっぱり悟飯は強かったんや。
ヒカルの碁は、よく言われることかもしれないけど、ヒカル無双に見えて、格上には基本的に勝てないのが、リアルだし、その匙加減が作品を面白くしているのだなぁと思った。 あと、倉田さんが(倉田さんだけは?)サイをとおしたヒカルではなく、ヒカルそのものを見ていると気がつくと、とても重要なキャラだったのだなと気がついた。
壮麗なものには隠然として、邪悪なもの、怪異なもの、頽廃したものが秘められ、夜光のような輝きを放っている。いまもし、壮麗なものを世上の謂うところに従って、崇高なもの、美麗なもの、厳然としたものであるとしてみよう。たんなる空しい語彙の置き換えに終わって、壮麗なものを壮麗なものたらしめる、夜光のような輝きを放つことはできないであろう。それでは、壮麗なものとは崇高なもの、美麗なもの、厳然としたものではないというのか。邪悪なもの、怪異なもの、頽廃したものであるというのか。 森敦『意味の変容』より ショージ秋山の『アシュラ』が人肉食などの過激な描写により世間からの非難が殺到して有害図書指定を受けてから、もうずいぶんとながい月日が経った。有害図書とはじつにセンセーショナルな言葉である。事実、ジョージ秋山は有害図書指定を受けて一躍時の人となったようである。けっして『アシュラ』という作品そのものが話題にされたのではなく、導入の人肉食の挿話と有害図書ということばかりが人目に浮上して晒されてざわついたようである。まさにセンセーショナルな言葉が問題を生じさせ、そうして生じさせられた問題がまたセンセーショナルを呼ぶ、むなしい言葉の空転である。そもそも問題など初めからどこにもなかったのである、誰も『アシュラ』など読んではいなかったのだから。読んだという人が仮にいれば、その人は、そおっと、その本を慈しむように閉じるだけである。 ほんとうの優しさとは、いったい何であろうか。たとえば、困っている人がいたら助けてあげることだろうか。それとも、子供の心の成長に害を与えそうな本を予め取り除くことだろうか。私はそのどちらともをひとしくほんとうの優しさだとは思わない、それらがまったくもって善行のひとつに数え挙げられ得ないとは言わないが、私はそれらをひとしく一時的な対処であると思う。あるいは、困っている人が目の前にいて、助けてあげたい気持ちはあるのだが、自分にはそんな余裕のない場合はどうなるのか、それはけっして優しさではないと言うのか。もしくは、けっきょくは共倒れになるのを承知で人助けにでる場合はどうなるのか、それはほんとうに優しさであると言えるのか。そもそも、私たちにとって困っている人とはいったい何なのか、子供にとって害になるものとはいったい何なのか、なにか仮にも定められた平均値のようなものがあり、そこから陥没しているものを平均値にならしてあげることはほんとうの優しさなのだろうか。 こうまでして、まわりくどく優しさというものについて言及してみるのは、私は他でもない、この有害図書に指定された『アシュラ』からたいへんな優しさを感じたからです。この有害と言われた『アシュラ』から滲みでる優しさとはいったい何なのだろうと思うのです。もしかすると私の頭が狂っているのかもしれません。 アシュラはまさに世上の謂うところの崇高なもの美麗なものからはかけはなれた怪異なもの頽廃したものとしてまず私たちの前に姿を現します。それは仮に平均値というものを設定すれば陥没した存在としてあることになるでしょう。それからアシュラは人をも殺める壮絶な人生を経て、さいごには法師に導かれて仏門に入り、「命」という名前をはじめて授かることになる予定だったのですが、その結末は連載の中止により叶わないものとなりました。しかし、アシュラが導かれることになる仏門とは、宗教とは、私たち人間にとってひとつ崇高なものであるでしょう。つまり、アシュラは怪異なもの頽廃したものを経て、奇遇ながら、その反対概念であるところの崇高なものに辿り着く。しかし、それでは、壮麗なものとはいったい何なのか。怪異なものも、頽廃したものも、崇高なものも、美麗なものも、どれもひとしく壮麗なものとは似ても似つかないのです。私には壮麗とは「命」そのものであると思います。あるいは怪異であったり、あるいは頽廃していたり、あるいは崇高であったり、あるいは美麗であったり、あるいは怪異から崇高に転じたりする人生の奇遇さそのもの、もっといえば、地球の奇遇さそのもの、この宇宙の奇遇さそのものであると思うのです。怪異なもの、頽廃したもの、崇高なもの、美麗なもの、こういった言葉は壮麗な「命」そのものを測るために仮に定められた単位でしかないと思うのです。そして、アシュラは「命」と名付けれらたとき、怪異なもの、頽廃したもの、崇高なもの、美麗なもの、こういった言葉から解き放たれて自由になり、言葉や概念や単位のベールを介してではない壮麗な「命」そのものとしてはじめて見られるようになったのではないかと思うのです。 『アシュラ』から滲みでる優しさとは、この壮麗な「命」そのものを言葉や概念や単位のベールを介してではなく、じかに直接直視しようとする試みにあるのではないかというような気がしています。それは平均値も陥没点もありえない、底の最底から、すべて有象無象の「命」そのものがいっせいに自然に盛り上がり膨張して炸裂していくかのような凄まじいまでの肯定の姿勢であると思います。そこにはあるいは自然があらゆる「命」に強いる死すらも含まれる凄まじいまでの肯定の姿勢。私はこの肯定の姿勢をほんとうの優しさと言いたい。あるいはその肯定の姿勢とは、ありとあらゆるものは、何かの枠組み(言葉や概念や単位といったもの)に括られることなどあり得ず、すべてがそれぞれにちがっているということだけにおいてはひとしく肯定されうるということでもあるかもしれません。 ところで、とうとうアシュラには与えられなかった「命」という名前をジョージ秋山は自身の息子に与えることになります。そのことについては、『アシュラ』とは違った観点でまた素晴らしいマンガといいたい漫画家二世をインタビューする田中圭一の『ペンと箸』 http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/1742 によく描かれています。寡黙で厳しい印象であった父親ジョージ秋山に、大人になった息子さんはある日いうのです。 「オレの名前の由来、命を大切に、じゃないよね」 「じゃないよ」 「命がけで生きろ、だよね」 「ああ、そうだ」 私はここを読んだとき、もう、涙が止まらなくなって大変なことになりました。その後、息子の命さんは『アシュラ』をアニメ映画化することになります。そのキャッチコピーが「眼を、そむけるな」であったことにも涙したことを付け添えておきます。ほんとうの優しさとは、まさに、何事からも眼をそむけないよう試みることであると思うのです。
「ヒロインズゲーム」と同じく、童話の主人公たちが登場するファンタジーです。 「魔女の呪い」をめぐる血塗られた戦いが巻き起こりますが、「ヒロインズゲーム」と違って少年漫画だけあってコミカルで親しみやすい感じです。 史実あるいは神話をモチーフにした話は多いですが、メルヘン童話を元ネタにした漫画ってあまり多くない印象を受けます。日本人にしてみれば聖書や北欧神話と比べたら赤ずきんやヘンゼルとグレーテルのほうがよほど親しみがあると思うのですが、、昔話の桃太郎や史実の信長みたいな英傑が出てくる話のほうがバトル漫画に仕立てやすいからなのか… 「ヒロインズゲーム」も「呪菓のグレーテル」も好きですが、グリム童話の雰囲気を活かしやすい頭脳戦やホラーといったジャンルに仕立てたものも今後読んでみたいです。
どこか海外の香りがするなーと思っていたらロンドンで美術学んでらしたんですね、衿沢世衣子さん。 いろんな雑誌に載っていた短編をギュッと集めた短編集。 表紙の素敵さがヤバい。 ポスターにして飾りたい。 タイトルは掲載された短編のタイトル3つを合わせたもの。 衿沢世衣子さんを初めて知って読んだのが、『うちのクラスの女子がヤバい』だった。 思春期の性だったり関係性など彼女らにそっと寄り添ったような悩みを淡々としているようですごくいいバランス感覚で描くなーと思っていたんだけど、それももしかしたら海外にいたことで培えたものもあるのかもしれない。 すごく勝手な話だけど、こういう価値観をもって描けるような大人が親戚の叔母あたりのポジションで自分と仲良かったらいいのになと思ってしまう。 いや、違うか、こういう人と結婚したい。 短編はどれも素敵で健やかで愛しい。 8本ある短編だけど、ちょうどタイトルの ・ラ・フランス ・難攻不落商店街 ・ベランダ が好きだった。 その中でも特に「ベランダ」。 たわいない会話にグッとくる。 そして見た目から推測できることはあくまで推測でしかなく、心配することは大人の自分勝手な善意の押しつけのようなもののしんどさや重さと表裏一体だ。 何かから逃げてきた子供の「別の国じゃなくなっちゃった」のセリフを描けるのは本当にすごい。 自在に特定の年代の人間と同じ目線になれるんだろうか。 よっぽど深く潜れないとその言葉は引き出せないと思う。 しかし、ここで見せたいのは少女の方ではなく、あくまでそれを聞いた大人の女性の表情だ。 僕たち読者は一緒にハッとさせられる。 それまで呼んでいた「テキサス」というおちゃらけたあだ名が耳の奥で響き宙に浮く。 このあと、結局最後までストーリーには一切関わってこなかった主人公の杖が気になるようになった。 彼女も過去に何かあったのかも、とは深読みのし過ぎか。 誰にだって何かの事情はあるものだ、ということかもしれない。 梅雨が明けた頃、この短編をもう一度読もうと思った。 画像は僕が一番好きな、なにげない会話のシーン。
二話目から電車の中で読めなくなるくらい急展開します。 美人なお姉さんに優しくされたり怒られたりするのも見どころですが、芸術を志す若者が青くさく悩む様も丁寧に描かれてます。ノスタルジーな雰囲気ですが現代が舞台のようです。 この作品の前に他誌で連載してた水の色 銀の月がこれの続編にあたる内容なので、作者の経歴どおりに読むと二人の恋の行方を知りながら読むことになります。どっちから読んでも面白いので両方読むのがオススメです。
バクマン。はとても好きな漫画で、何度読み返したかわかりません。夢を叶えるというテーマを二重に達成するサクセスストーリーはドラマチックでロマンチック。きっとこれからもなんども読み返すでしょう。 そんなバクマン。だけど、何度読み返しても七峰透編だけは楽しめない。いつも服部さんが亜城木のところへ七峰透のトレジャー投稿作を持ち込むあたりで「ついにきたか」と暗澹とした気持ちになる。しかもこの七峰編は二度もある。倒れるなら前のめりな不死鳥フェニックス七峰は、新井先生の「チーズおかき」連載終了・東先生の「パンチラファイト」掲載ともに蘇る。「パンチラファイト」と東先生の話自体は面白いので飛ばすわけにもいかず、途中の平子一也回を憩いになんとか読み進めていく。 ほんとに好きじゃないんですよ、七峰透編が。 しかし、バクマン。という漫画において、この七峰透というキャラクターは異色な立ち位置でもあるわけです。 銀魂の担当編集大西さんがメインの回で天知(ゴリラ)の描くクソつまらない漫画「ギンタマン」を銀さんがテコ入れしていく話しがあります。その時に銀さんが解説していたジャンプシステムはドラゴンボールを題材に「かつての敵は、次の戦いでは心強い味方になる。ただし、ヤムチャを除く」というギャグがあります。 ※ヤムチャは仲間です。そういうギャグです。 七峰透はまさにこのヤムチャなんです。亜城木の前に次々と現れる強敵。剣をペンに変えて誌面で熱い火花を交わすライバルたち。その中でお互いに成長し認め合い強敵(とも)となっていく。そんなジャンプシステムの輪から七峰だけが取り残されている。あの岩瀬ですらライバルの輪に加わり、あの白鳥ママでさら息子の努力だけは認めてくれるようになったというのに! 七峰透がジャンプシステムの輪から外れた悲しい男だとして、なぜそんなことになってしまったのか。考えずにはいられませんでした。だってなんの意味もないのなら、ただわたしにとって面白くないだけの男ですもの。 バクマン。はダブル主人公ではなく明らかにサイコーが主人公です。そうでないなら、主人公度がより高いのはサイコーです。そして、この物語はサイコーの心的世界における部外者か否かとなるかが、キャラクターの描かれ方の良し悪しがだいぶ別れるように思います。 というのも、最初漫画家になるつもりなんてさらさらなかったサイコーの元に現れたシュージンは、読み返してみればなんだかスレた可愛げのないガキです。亜豆のことを「ミーハーな」とさえ言っている。これが読者な立場に立ちすぎだとしても、なんだこいつ?的なことはサイコーのモノローグとして存在しているわけで、ある程度嫌なヤツ的な見方をすることはできるはずです。 また、服部さんは最終的には亜城木の最高の理解者となる編集者ですが、初登場時はリュークみたいな表情で「よくわかんね」と言ってたりするし、最終的に親友の嫁になる三好カヤについてもシュージンとの和解前後では描かれ方にだいぶ差があります。そのほか多くの漫画家たちも最初の印象は悪く、好転していくパターンがほとんどです。(例外は平丸くらいでしょうか) 一方、七峰透は逆のプラセスを辿ります。次回作の方向性を探る亜城木に「シンジツの教室」というヒントを与え、擬探偵トラップ連載時に熱心にファンレターを送ってくれていた七峰はサイコーの心証もよく顔が見えるまでは好感度の高い男だった。しかし、亜城木の仕事場に足を踏み入れ初対面を済ますと御破綻。「有意義な学園生活に必要なソレ」を連載し出せば好感度は、読者アンケートの3話目と同じように急転直下。ひどいものです。 ですが、他面ここまでサイコーの外部に留まり続けたキャラクターもまた居はしないのです。主義主張の違い、あるいは美学の違い、そうでなければ先を行き過ぎていた男とある種の旧態依然を是とするサイコーは最後の最後まで混じり合うことなく決別という選択以外には残されていなかった。本作のラスボスは終生ライバルになるであろう新妻エイジというのが一般的な見方ではありますが、彼もまたサイコーの良き理解者として彼を鼓舞する存在として敵味方を分かつことのできない存在でもあります。であるならば、最後の最後まで外部でありつづけた七峰透という男はジャンプシステムに取り込まれることを拒み、ジャンプをはじめとした漫画家たちとも袂を分かち、絶対的な他者として孤高の敵役としての役割を担っていたのかもしれない。そんな風に考えると、彼のことがちょっとだけ好きにはやっぱりならないけれど、頑張ったなと肩を叩きたくなる。 と、ここまで書いておいて、ここまで書いたことのほとんどをひっくり返してしまうことになるのですが、七峰透もまたジャンプシステムの内部に取り込まれていることに、はたと気づきました。七峰透は、ジャンプ出禁というペナルティによって、福田組をはじめとするジャンプで切磋琢磨する強敵の輪に加わることは最後までありませんでしたし、ピンチに現れるかつての敵的な美味しい復活もありませんでした。しかしながら、七峰透は「シンジツの教室」をサイコーに残していました。七峰透は二度ならず三度もサイコーの前に姿を表していたのです。彼がほぼ自力で描きあげた最初で最後の作品「シンジツの教室」は、亜城木夢叶がそのペンネームを実現するために欠かせない最後のピースを与えてくれました。それが邪道漫画の限界であり、邪道な王道という新境地でした。つまり、七峰透は最後の最後まで救済されない外部であったのではなく、彼の漫画家としての魂だけはそうとは知られずにサイコーの世界に取り込まれて、夢の一端を担っていたんでしょうね。 ながながしく書いた割には、ちゃぶ台返し的な顛末で一番驚いているのはわたしなんですが、書いたおかげで、七峰透への印象が変わりました。よかったよかった。ということで、バクマン。には隙がなくなったので、読んでいない人は読むといいと思います。 おわり
「アイアムアヒーロー」の花沢健吾が、亡き父のことを描いたエッセイコミックの読切。 強烈な感情表現をせずに淡々と語っているのが印象的。しみじみと回顧しているけど、陰気にならないように工夫が凝らされており、人物を猫のようにデフォルメしている。やはりいい漫画を描く
「ぼくらの」や「なるたる」で有名な鬼頭先生の初期短編集。グロやエゲツない展開でよく知られているが、この短編集では「いい話」が多い。 読後感に残る余韻のようなものはしっかりあるけど、どこかに爽やかさがある。デビュー作の「残暑」もよかったが、個人的には「華精荘に花を持って」が寂しくて美しくて好きだった。 鬼頭先生の作品を鬱で重たい作品ばかりだと思っている人にはぜひ読んでほしい。
2014年、本屋で立ち読みしたスピリッツに載っていたのが、トクサツガガガ9話(1巻最終話)。 当時大学生だったわたしは、仲村さんの母親への複雑な感情と、対立を避けて合鍵を渡してしまうシーンを読んで「うっそ…わたしのこと書いてあんじゃん🤭」と震え、共感120%で一瞬でファンに。母親に合鍵渡しちゃう系女子ってわたしだけじゃなかったのかよ…! まるで吉田さんとイクトゥスした仲村さんのような感動でした。 仲村さんが、周りにいる何かを愛する友人たち(特撮・女児アニメ・フィギュア・男性アイドル)とあるあるの悩みを共有して、「それってこういうことじゃない?」と、愉快に語り合うところが何より面白い!! そしてときには(っていうか大体)根本的に問題を解決せず先送りにするけれど、毎回ちゃんと悩みに向き合い「もやもやした気持ちに蹴りをつける」ところが素晴らしい!何よりその問題を整理するときの、仲村さんやみんなの思考回路と会話が最高にコメディしてて笑ってしまう。 永遠に仲村さんとみんなが楽しく趣味に没頭しているところを見ていたい。 最終回が来ないでほしいマンガNo.1。 読むたびに新たな視点や考え方を得ることができる。 悩める全ての愛する者(オタク)たちへのアンサーがある作品。 それが、トクサツガガガ。 (画像は1巻4話 仲村さんと吉田さんを結びつけたイクトゥス)
話としては結構心をえぐられる。ワニを飼っているという設定のおかげで寓話性が出て「そこまで深刻に捉えることもないな」と思えるのが救い。大島智子『セッちゃん』と通じるものを感じた。
良くも悪くもヤンジャンっぽい漫画ですね。良く言えばハッタリが効いてるし、悪く言えば浅薄な印象を受けます。キャラ先行でヒロインの言動行動が嘘くさく感じるきらいも。ただ、原作付きなだけあって同じYJでサスペンス要素のあるドロ刑やリビドーズなどと比べるとセリフの強さは抜けていますね。難しく考えなければ読んでて楽しい連載です。 理論強度が高くてセリフが深くて読み応えのある漫画はモーニングなどに任せて、ヤンジャンにはこういうハチャメチャさを大事にしてほしいです
昔は個人的にあんまり面白さがわからなかったが、最近読み直して昔から狩撫麻礼ファンがオススメする理由がやっとわかった。昔はバンド漫画としてオデッセイがメジャーになり社会現象までというストーリーに注目していたが、サイドストーリーのオデッセイの生活も込みで楽しむもんだと。 初期の狩撫麻礼に登場する主人公を見出す中年の男はどいつもかっこよすぎる 谷口ジローと組んだ「青の戦士」「ナックル・ウォーズ」「LIVE!オデッセイ」のどれがいいと聞かれたら、「時と場合」によるとしかいえない。
単行本で読むのを楽しみに待っていた作品。 少女マンガらしくSっぽいヒーローとは偶然出会い、出会い頭にタメ口を利かれる1話の展開は安心感があっていい。 走れば体が風を感じるのは健常者にとっては何でもないことだけど、そのことを「風が吹いたんじゃない あんたが風を起こしたんだ」と言う風見のセリフがとても印象的だった。 1巻の最後の引きはズルい!!笑 続きが超気になる
こういうゆったりした夜の群像劇みたいなものを心地よくかけるのはすごい。 そう、心地よいです。雰囲気が! ザ、恋愛!みたいなものよりも遊びがたくさんある方が好きだったりします。 主人公がバーをやることになった経緯が素敵だし、ショートカット女子が可愛い。いくえみ男子もいいけどいくえみ女子も好きです。 こういう陽気なバーテンダーがいるカウンターで飲んでみたいものです、、、
昌原光一ってすごい。 昌原先生の作品は「江戸の告白」がモーニングで掲載されていたのを見かけたことがあるだけで全く読んだことがなかった。 自由広場(https://manba.co.jp/free_spaces/15703) のカキコミでこの作品のタイトルは知っていたが、本屋で平積みにされた表紙を見て、「あー! あの顔が四角い人(の作品)だ」と気づき購入。 ポトガラヒーのタイトルに偽りなく、読んでいるとキャラクターがデフォルメされていることも忘れるほど写真のような生々しさを感じた。 陰と光の描き方が独特で、読み終わるころにはすっかりこの絵柄に惚れてしまった。 最初は流し読みしていたのに、大家・弥一郎の義理がたさに感化され気付けばがっつり集中して読んでいた。 各話の間にフランス人写真家らしき人物の手紙らしきものが挿入されており、それがいい味を出していたのだが、巻末の参考文献の1つにイザベラ・バードの日本紀行が入っていたのを見て納得。 歴史好きな人はぜひ手にとってください
表紙のスポーティな色使いに惹かれて表紙買い。 左からジムインストラクターのユイ先生 中央がラーメン大好き即断即決主人公・テンポ 右が小柄でクールなサナちゃん 同じジムに通う3人だけど、運動する理由はみなそれぞれ。 ラーメンを食べるためにジムに通うテンポ(しかもそのラーメンは味のために食べてるわけじゃない)と、小さいがゆえにモデルや女優のように大きく見せたいと自分を磨き続けるサナちゃんという、運動初心者2人のキャラ対比がすごくよかった。 ユイ先生の「『不安だ』って口に出してよかったんだ」というモノローグには、こちらも読んでいて確かにそうだなと腑に落ちた。 短編も2本収録されていて、寿司の方の話は本当にありそうで可愛かった。
特にいうべきことがない漫画ってたまにあるんですが、星屑ニーナがそれでした。つべこべいう必要もなくただ単純に面白かった。面白い以外の感想がない。きっとあるんだろうけど、言葉にすると「こんな程度では表しきれていない」と自分から取り下げてしまう。だから言葉にならない、みたいな。あえて何かしらの評価を下すなら、花丸。 あらすじも作品をよく掴んでいます。だから、気になったら読めばいいし、気にならなくても読むといいと思います。 追記 もしものときのために、単三電池は買いだめしておくように!
メイコとアスマたちがやった遊びをまとめました。(更新:2020/02/21) 【登場した遊び】 **1話目「遊びのはじめ」** ・じゃんけん(虫けん・足じゃん・顔じゃん・舌じゃん) **2話目「釘」** ・釘遊び(かこみ・改造釘) **3話目「灰」** ・だるまさんがころんだ **4話目「縄」** ・投げ縄・縄跳び **5話目「松葉」** ・松葉遊び(形を作る・松葉相撲) **6話目「タンポポ」** ・タンポポ(花相撲・種痘・風車・かんざし・笛・花占い) **7話目「影」** ・鬼ごっこ(高鬼・色鬼・形鬼・影ふみ鬼) **8話目「暴動」** ・自転車 **9話目「男の子女の子」** ・おはじき ・お手玉 ・まりつき **10話目「蝸牛」** ・クチベニマイマイ **11話目「ハンカチ」** ・ハンカチ遊び(てるてる坊主・赤ずきんちゃん・バラ・バナナ・イカ・カメ・リボン・ブラジャー・ネズミ) **12話目「槌の子」** ・自転車 ・スルメを網で焼く **13話目「8月の事件」(1973年8月)** ・ジャンケン ・あんたがたどこさ ・毛笛 ・ロープ回し ・釘遊び **14話目「赤青」** ・昆虫採集セット(赤…殺虫液 青…防腐液) **15話目「変身」** ・ライダーごっこ **16話目「糸」** ・あやとり(はしご・東京タワー) ・糸電話 **17話目「何処」** ・どこいき **18話目「字」** ・字隠し **19話目「月」** ・あやとり ・けん玉 **22話目「名前」** ・魚鳥木 **23話目「恐怖」** ・地面にお絵かき(恐怖の大王) **24話目「石けり」** ・石けり **25話目「馬」** ・馬とび ・胴馬 ・蹴り馬 **25話目「最後の一人」** ・かくれんぼ
ガラスの仮面って月影先生の「恐ろしい子」って台詞があまりにも有名で、ガラスの仮面を読んでなくても、パロディでよく使われてるから有名ですよね。 でも、私が1番すごいと思ったセリフは北島マヤの「こんにちは、わたし」というセリフです。役者としての技術も未熟で、バレエなどの下地もない彼女は、それらを持つ姫川亜弓に憧れていますが、その姫川亜弓が嫉妬するレベルで忘我し役になりきる北島マヤの天才性を端的に表しているセリフ・シーンだからです。役の仮面を脱ぎ捨て「こんにちは、わたし」と鏡に映る自分に対して言い放つ姿はまさに狂気ですし、「恐ろしい子」です。 この漫画の魅力のひとつに北島マヤと姫川亜弓の立場の逆転があると思います。物語の序盤は天才として扱われた姫川亜弓も今は努力の人として定着し、役者としての未熟さを笑われていた北島マヤは無二の才能で他者を圧倒する恐ろしい子になっていきます。最近では、主人公の北島マヤよりも姫川亜弓を応援したくなることもしばしば。姫川亜弓の「ガラスの仮面をつけているのは、わたし」というセリフなんか泣いてしまいます。 紅天女を演じるのは誰になるんでしょうか。気になりますね。この物語の終わりをわたしは読みたくてしょうがないです。
す
話題なので読んでみました。 SFもダークファンタジーもわたしは好きです。ただなんかちょっとしたがっかり感を覚えることが多いです。不思議な世界で世界の真理に触れそうな期待感を煽ってくれる割には、読後に残るものがあまりない、みたいな。本作もそういう感じを覚えました。 面白くないわけじゃないですよ。ただ作中で「なぜ生きるのか?」という問いかけをするのなら、もう少しえぐって欲しかった。カタルシス(もはや陳腐な言い回しですね)に欠けたって感じですかね。結局、人間が描かれていることでしか(少なくともわたしは)感動できないのかな、と。自分の矮小さにやや嫌気がさすと同時に、その人間の姿を感じることができなかったが故に、わたしのお気に入りにはならなかったというのが、本作への感想の要約になります。 絵の表現力は素晴らしかったです。清濁の描き分けが特に。 せっかく感想書くならネガティブなことはあまり良くないなぁとは思いつつ、吐き出したかったので、お目汚しさせていただきました。 次回作があるのなら、きっと読むと思います。
ボクシング世界王者とめくるめく夜を過ごすのかと思いきや、殺るか殺られるかの勝負を挑むキャバ嬢。いやぁ〜笑いました。もう今となってはタイトルの雌ライオンの牙で笑えます。独特の狂気的なノリのある作家さんですね!
はなちゃんが通う本屋には卓球台が置いてあって、いつも店番をしているお姉さんは髪の毛で顔をおおって隠している。夏にお姉さんの顔を見てしまい泣かせたショックで、店に行くことができず冬になってしまった。 お姉さんは顔にキズがあるわけでもないんだけど、誰にも顔を見せられなくなってしまったみたいだった。ここが切ないけど作品のポイントだと思う。はなちゃんと友人うたちゃんの熱い卓球の試合は読んでいてとっても楽しかった。 なんとなく西岸良平みたいだなぁ…と思いながら読んでた。
「楽観的な切実さを抱える人たちの群像劇」らしい。 第一話は、近所に住む自分と同じジャッキーという名前のおばあさんのポストから荷物を盗んでは、配達員が間違えたと言って届けに行く「小さないたずら」を繰り返している青年のお話。毎日届くおばあさんの荷物のひとつを開けてみると、それはラジオでよく聞くCMの安っぽいネックレスだった。 盗んだものを善人のように持ち主に返してうさ晴らしする青年の鬱々とした気持ち分かるな。こういう形では発散しないけど…。 これからどういう人物と物語に繋がって行くのか楽しみ。第二話のタイトルが「ラジオ」だから、今回の青年の話との関わりもあるのかな?
無から水を生成する水女神"ウンディーネ"ととある少年のラブコメディ。キャラの感情表現が豊かで生き生きしてる。お互い初恋でピュアな駆け引きがかわいらしい。
アルキメデスのお風呂ってあれか、黄金の王冠の逸話かな。 東海村のJ-PARCが監修しているということで、興味を湧いて読んでみた。 弁当屋店員でぽっちゃり女子の原陽子は仕事でもプライベートでもボロボロになり、駅のホームで自殺を図るという、いきなりなんとも重い話からスタートする。 しかし、そのとき助けた人物が(ちょっとおかしな)王子様のような理系男子。二人には意外な接点があり……といった感じでラブコメ展開へとつながっていく。 作中の舞台となるA-PARCは実質、実在のJ-PARCなのだろう。たぶん。筑波のKEKへは一般公開日に何度か行ったことがあるので、そういうときに見聞きしていたので存在は知っていたけど、さすがにこちらは行ったことがない。その内情が見て取れるというのは面白い。 ラブコメ要素には正直あんまり興味がない(笑)が、素粒子の基礎研究という何に役に立つんだかわからない研究と、暗中模索な恋愛模様を交錯させて描く様はなかなか面白い。それに各キャラクターがなかなか個性的で面白いし、1巻時点では各キャラクターの背景に何やら色々抱えていることがありそうで、この先が気になることは確か。おそらく今後登場するであろうエミィも曲者であってほしいなー。
毎度現れる強敵に対しピンチに陥る女勇者をガチャで強化して敵を倒していく、メタ的ソシャゲ風バトル漫画。コスの着せ替え的な楽しさと、ピンチ時のサービスカットが売りなんだと思いますが、後者のピンチの種類というか内容が、そういう方向で攻めるんか…という上級者向けでびっくりしますw単に露出が多かったりなら「とらぶるダークネス」や「なんでここに先生が」などを読んだほうがよほど充実していますが、ソシャゲーをモチーフにしているだけあり、ゲームのステータス異常(毒や麻痺、石化など)を色っぽく描くというマニアックな内容です。 こういうジャンルって、薄い本などでもそう頻繁に見かけませんが、成人向け商業コミックの市場だとKのつく出版社のほぼ寡占状態なんですよね。かなりニッチ!w全年齢向けでよくやるなぁ、、と思ってるうちに8巻まで出てしまっていた。潜在的な需要はあった……??
ウィシャ族(インディアン)の末裔レッドが自分の部族を滅ぼした米軍「ブルー小隊」に復讐を仕掛ける物語。 西南戦争から逃げ延びた相棒の日本人イエロー、娼婦のアンジー、元ブルー小隊のゴールド、巡回牧師のグレイなど社会のはみ出し者たちがレッドとともに命を燃やす…。 全キャラシブすぎてマジで泣けてきます。 人種問題というモチーフは重厚ですが村枝賢一作品らしく読み味は爽快です。 レッドの必殺武器、巨大リボルバー「ヘイトソング」は必見!!
「パパ聞き」コミカライズ版の竹村洋平と、「アカメが斬る!」のタカヒロによるバトル漫画。女性にしか発現しない異能力により女だらけとなった軍隊に、成り行きで入ることとなった少年主人公という「インフィニット・ストラトス」みたいな話ですね。 ヒロインが能力で主人公を使役する代償としてご褒美の○○をしてしまう、というのは一見ありがちな能力バトルのお約束なようで、使役相手の内なる欲求を満足させてあげるというのは少し斬新です。「女社会に放り込まれる」「美少女の奴隷にされる」というストーリー上のドM要素だけでなく、性癖を見抜かれて満足させられてしまうというあらゆる意味でのドM仕様の美少女漫画となっています。 肝心の絵のほうも流石のクオリティですが、美少女的な可愛さに関してはむしろ前作よりも腕を上げているように見えます。しかしながら、矢吹健太朗や赤松健、「五等分」の春場ねぎに「天野めぐみ」のねこぐちなど少年漫画のお色気美少女業界めちゃくちゃハイレベル競争なので、竹村先生にはさらなるパワーアップとスケールアップを期待したいです。
カラオケの履歴に上司の好きな曲入れまくるっていう発想がシンプルにすごい笑 たしかに履歴に好きな曲入ってると謎の嬉しさがある 現代の木下藤吉郎かよ
世界を救った英雄「リュウマ」の名前にまつわる因縁を描いた群像モノ。 リュウマという名前だけで繋がって戦っていくキャラがみんなカッコいいんですよね…。 読んだら必ず自分の推しリュウマが見つかる。 読後の充実感が10巻分を遥かに超えている作品です。
途中までは主人公「リョウ」とバブル末期の世界観がメインになる「カヨ」が登場するあたりから狩撫っぽさが一気に出てくる。「カヨ」と「トキエ」の会うエピソードと狩撫っぽい台詞回しだし。 大山くんのボクサー編や浮浪者の調査など色々あってまとまりがない感じもする。 最後の方のトレンディドラマを見て救われるって話は妙に好き
ドラマ見てないのですが10巻まで読了! ちょくちょく花男メンバーが出てきて花男で出てきた場所もまた出てきます。 男の子も女の子も今風…ちゃんと今風!ちゃんと今の少年少女が主人公って感じがするし懐かしい感じもするしどの世代も楽しめるように作ってあるなあという感じ。 特に絵柄でしょうか、男子がイケメンな漫画はいいですね…
面白かった。 最近、なろう系というか、現実世界とファンタジー世界を扱ったような作品が流行っているので、いろいろ読み漁っているが、その中でも特に読み応えがあった。 突如として日本・銀座に異世界への門が開き、モンスターを引き連れた大軍勢が攻めてきて甚大な被害を被ったものの自衛隊が返り討ちにし、逆に門から異世界側に乗り込み調査を始める。 主人公は、現地の人と交流を深めて困ってたら助けたり支援したり自衛隊として為すべきことをしていくと少しずつ現地に味方が増えていき頼られるようになっていく。 いろいろと巻き起こる問題を政治や国交などの観点も踏まえて自衛隊的に解決していくのが面白い。 ファンタジー世界に対しても、あくまで日本が国としてどう対処するのかという部分も描かれている。 門の向こう側には未知の資源が溢れる大地が広がっているわけで、アメリカ、ロシア、中国など各国が喉から手が出るほどほしいゆえに起こる問題もさまざま。 ファンタジー世界で起きる内線への軍事介入、銀座で攫われていた捕虜の奪還、自衛隊と火を吹く竜との戦いなど見どころ満載だ。 いざ戦うとなったら中世の世界観であるファンタジー世界の武力に対して、現代兵器満載の自衛隊の大火力は絶大なダメージを与えるので、一網打尽すぎて笑いが止まらない。 火力もそうだが、なにより戦いは情報だというのも分かる。 どこまで考証がされているのか分からないし、リアルなのかも分からないけど、はー、なるほどなー、自衛隊がファンタジー世界へ行くとこうなるかーと感心するばかりだった。 もちろん政治家たちも動いているし、ラブコメもあり、魔法もあるしエルフも亜人たちもいる。 盛りだくさんすぎてたまらない。 すごくよく考えられているので、いつかどこかで起こるんじゃないかという気さえしてきてしまう。 現時点での最新刊14巻まで読んで、まだまだ問題は山積みのようなのでしばらくは楽しめそうだ。
狩撫麻礼の名義でもっとも世に知られる土屋ガロンが原作をつとめているのが『オールド・ボーイ』。韓国の名監督パク・チャヌクにより映画化され、カンヌ国際映画祭では審査員特別グランプリ、さらには映画大国アメリカはハリウッドでもリメイクされ、その際、それら会社間での権利関係で色々と揉め事が発生したようである。 そんな作品のほうが勝手にひとり歩きしている状況は原作者冥利には違いないが、この原作者、狩撫麻礼という名義でもっとも知られている男はじつに変な男である。まず、狩撫麻礼という名はカリブ=マーレー、つまりレゲエ音楽家のボブ・マーリーと彼の生活の拠点であったカリブ海とを掛け合わせたものらしいが、土地や名前などの固定的なイメージをペンネームに使用していながら、当の本人、狩撫麻礼という名義でもっとも知られているこの男は、土地や名前などの固定化したイメージから浮遊して逃げさるかのように極めて無記名的な存在である。いくつものペンネームを使い分けるさまは言うまでもなく、そもそもマンガ原作者であるために絵柄は作画担当に委ねられ、ひとつのイメージに定まることはない。さらにはいっさいメディアに顔を現さないために誰も彼の姿形を知らず、狩撫麻礼は彼のマンガに出てくる登場人物たちのように部屋には冷蔵庫とサンドバッグだけがポツンと置いてある、冷蔵庫の中身はすべてビールで埋め尽くされている、なんていうような妙に信憑性のある伝説だけが勝手にひとり歩きしているのである。そう、作品だけではなく、彼の存在自体も"物語"となり勝手にひとり歩きしているのである。 そもそも物語とは何か。物語とは話し語ることであり、物語の起源とは伝承にほかならない。当然のことだが、物語の伝承には著作権などなければ固有性も何らそなわっておらず、しかし当の物語のほうは極めて匿名的に、希薄にも、希薄であるが故に霧や空気のように所かまわず浸透して、あらゆる隙間を縫って各方面へひろく拡大伝播していく性質をもっている。著作者という概念など人類のながい歴史において近代になってようやく発生したものにすぎない。では、物語の本質とは何か。著作者という概念が発生した近代以降は、それは著作者その本人に帰依するものと一般には言われているようだが、人類のながい歴史からみた物語の場合はそうはいかない。その物語の発話者を遡って探していこうにも、その先には深淵があるばかりである。あるいは都市伝説によくあるように、その物語伝承の起源を仔細に追っていった結果がじつに身も蓋もないことであることも往々にしてあるだろう。すなわち物語の本質とは、その発生の起源ではない。物語の本質とは、むしろ、著作者を置き去りにして、極めて匿名的に、希薄にも、希薄であるが故に霧や空気のように所かまわず浸透して、あらゆる隙間を縫って各方面へひろく拡大伝播していく性質のほうにあるのではないか。それはまさしく物語が勝手にひとり歩きするということである。 そして、まさしく『オールド・ボーイ』はそんな物語の本質を貫くかのように、狩撫麻礼の名を置き去りにして、マンガというジャンルを越えて日本から韓国へ漂流し、ヨーロッパへ渡り、とうとうアメリカ大陸にまで辿り着く。しかも、ひとつひとつ国を跨ぐごとに、その物語の中身は少しずつ改変されているのである。狩撫麻礼とは物語の本質を身に纏い、世界各地をさながら無記名の幽霊のように彷徨い歩く男の仮の名前ではないか。そして、そんな男が、わけもわからずに何十年も監禁されて、そのわけを探すために街を彷徨い歩く、さながら記憶喪失のような男の後ろ姿と妙にかぶさるのである。 ところで、幽霊で思い出したのがロシア文学の代表格ゴーゴリが書いた『外套』という小説である。極寒の地、ロシアで、アカーキイ・アカーキエウィッチというひとりの男が新調したての外套を追い剥ぎに奪われて死んでしまうという小説だが、アカーキイの死後、各地でアカーキイの幽霊が現れて外套を奪っていくという噂が流れはじめる。じっさいに幽霊をみたというひとが遠い街から現れたが、その幽霊の風貌はアカーキイの姿形とはまったく違っていたという。 カリブ=マーレ―から拝借したという狩撫麻礼の名をみるたびに、私にはそれがカリブ海の南国のイメージとはどうしても繋がってこない。むしろ、なぜだか、狩撫麻礼ときくと大陸を横断してはしる極寒のシベリア鉄道を思い浮かべるのである。
ショタおね漫画なので、おねショタ原理主義の方はお気を付けください。mampukuはおねショタではなくショタおね派なので表紙からたちのぼるショタおねオーラを感じ取りジャケ買いしましたが期待通りのショタおねでした。 蜂の社会をモチーフとした擬人化萌えエロ漫画ですね。カッコ良くてセクシーな武人系お姉さんが好きな人におすすめです。 あとこういうフェチ系描く人の、高い画力をこれでもかと誇示してくるスタイル好きです。絵だけでお金とれるので話は二の次w
テーマはスポ根っぽいけどBE・LOVE連載なだけに文脈は少女マンガ寄り。義足の専門的な話などもありつつ全体的に爽やかな画作り。言ったら幾らでも重い展開に出来るようなテーマなんだけど、例えば骨肉腫で右下腿を失ったっていう設定を説明だけに留めて、画面作りを明るく、かつ純粋に走ることに対する物語を中心に展開。パラリンピックを見据えた企画だろうし、極力ポジティブな物語にしようという描き方には好感が持てる。物語が進む中で主人公の鈴がカッコよく走るようになってくれることを期待。 1巻まで読了。