ブサイク女子がヒロインのマンガって、「そもそもそこまでブサイクじゃない!」とか「結局キレイになって終わるよね?」とか、そういう批判がなされがちだ。
確かにそういう作品もあるっちゃある。たとえば『はいからさんが通る』のヒロイン「紅緒」は不美人だという設定になっているけど、登場した瞬間からめちゃくちゃかわいい。
しかし、それを理由に「ちゃんとブサイクに描け!」と怒る気にはなれない。紅緒のチャーミングな性格が彼女を実物以上に美しく見せているのであって、これは心の目で見た紅緒なんだと考えれば腑に落ちるから。にじみ出る人柄、オーラってやつが、ブサイクなヒロインにちょっとしたエフェクトをかけているのだ。
一方、ブサイクだった女の子が美しくなるパターンにおいては、メガネを外すとか、メイクをするとか、ダイエットをはじめるとか、とにかく何らかの「ビフォーアフター」を仕掛ける必要がある。で、それがあまりにもご都合主義的だと、読者の怒りを買う。そんな簡単に美人になられてたまるかよ。そう思われてしまったら、作品の魅力は減ってしまう。
今回紹介する吉村明美『薔薇のために』は、ビフォーアフターの演出が絶妙で、わたしなどは読み終わった瞬間、思わず「……最高じゃん」と声に出して言ってしまった(電車の中で)。なんというか、本当にグッとくるビフォーアフターなのである。
ヒロインの「ゆり」は自ら「チビで太目でソバカスで剛毛で…」と言っていることからもわかる通り、ブサイクの自覚があるタイプ。ちなみに、少女マンガのブサイク表現ではお馴染みのソバカス+困り眉もばっちり描かれている。そんなゆりには一応恋人がいるのだが、高校を卒業するタイミングで「ほんとは面食いなんだよ」と言われ、いともあっさりフラれてしまう。かわいそうなゆり。しかし不幸は更に重なる。たった一人の身内だった祖母が亡くなってしまい、家を引き払わねばならなくなるのだ。
こうして家なき子になったゆりだったが、祖母はゆりに一通の手紙を遺していた。そこには有名女優の「花井しょう子」がゆりの母親であると書かれている。
取るものもとりあえずしょう子の家を訪れたゆりは、そこでものすごい光景を目の当たりにする。恋多き女であるしょう子は、父親の違う子ども「芙蓉」「菫」「葵」と同居していたのだ。そして、他に行くあてのないゆりは、なし崩し的にこの家で暮らすこととなる。
美形一家にぶち込まれると、ゆりのブサイクっぷりはいよいよ目立つ。そして、花井家の人びとは「オブラートに包む」ことをまるで知らないので「俺 こんな顔の裏表もわかんねえようなブス/妹だなんて思う気ねえよ」(by菫)とか平気で言う。しかし、どんなに酷いことを言われても、ゆりは家事手伝いとして、この家に留まり続ける。高卒で進学も就職もしなかったゆりには、今のところ、他に選択肢がないからだ。
このようにわかりやすくブサイク&不幸続きのゆりとは違って、他のきょうだいは、華やかさの裏に、複雑な思いを隠して生きている。母の愛を得られないこと、自分の中に外国人の血が流れていること、ゆらぐセクシュアリティ……ゆりへの当たりはキツいが、一枚皮をめくればみんな孤独で繊細で傷つきやすい人間。そんな彼らにとって、ゆりの強さや素直さは一種の救いとなっていく。怒鳴られてもバカにされてもへこたれない雑草育ちのゆりが、結果として他のきょうだいを癒していくのだ。
ということは、ここら辺でゆりの人柄を考慮し、ちょっとした美人エフェクトをかけてもいいようなものだが、本作はそれをしない。ゆりは、食べれば食べた分だけ太り、メイクやファッションでちょっときれいになってもそれをキープできない。ド安定のブサイクっぷりである。読者が「もうそろそろきれいに描いてあげてもいいのでは?」と焦れてくるぐらい、ゆりのブサイク時代は長い。
そんなゆりが変化を見せるのは、物語の最後の最後だ。戸籍上はきょうだいだが実は血のつながりがない菫とゆりが恋愛関係に突入するシーンが出てくる。その時の菫と葵のやりとりをまずは見て欲しい。
「おまえブスは嫌いじゃなかったのかよ」
「嫌いだよ」
「じゃ なんでゆりを」
「ゆりはブスじゃねーよ」
「ウソつけ!昔はさんざん…」
「俺に見る目がなかったんだろ/あいつこれからすんげえいい女になるぜ」
「なんでわかんだよ」
「俺が惚れたからさ/まあ見てな」
……これぞ少女マンガの真骨頂!みたいなセリフである。シビれる。激甘だ。しかし、まだゆりは美人にならない(吉村先生、恐ろしいほどの焦らし上手)。
じゃあ、一体いつゆりが美人になるかというと、最終話。菫との結婚式でだ。この結婚、しょう子が昔作ったウェディングドレスを着ることが条件になっていて、それを着るためには、2ヶ月で70㎝のウエストを58㎝にする必要がある。しょう子、いくらなんでも鬼すぎる。
しかし、鬼軍曹のようなしょう子の命令を、ゆりは受けて立つ。ネタバレを避けるため詳細はぼやかしておくが、そのドレスに込められた意味や、このさき菫とずっと一緒にいる意味を考えたとき、ドレスを着ることから逃げてはいけないと思ったからだ。「太っているので着られません」では済まされない。これは単に痩せてきれいになるためのダイエットじゃない。人生を賭けたダイエットだ。
そして物語は、ものすごい追い込みをかけ見事ダイエットに成功したゆりを描く。ちなみにこの時点で、物語終了まで残り24ページしかない。本当にギリギリセーフな感じで美しき花嫁となったゆり。もう、本当に、焦れったいったらありゃしない。
コミックスにして16巻、ほとんどの時間をブサイク女子として過ごしたゆりが、すべり込みセーフで美人になった……のだが、ここでまさかの展開が。なんと最終ページのすぐ後ろにゆりのイラストが添えられており、そこには「応援してくれてありがとう。でもまた太っちゃったの」というフキダシがあるのだ。ゆり、またリバウンドかよ。でも、なんだろう、なぜか嬉しいのだ。ゆりがゆりでいてくれることが。「きれいになってよかったね」ではなく「ああ元に戻ってくれて安心した」と思ってしまうのだ。
読者としてずーっとゆりの人生に寄り添っていると、本当に、ゆりがブサイク&ぽっちゃりのままでいいと思える。逆に言うと、これが短編作品だったら、ゆりが美しくなることを願ってしまいそう。その意味で本作は、長編だからこそ描くことができた「ブサイク肯定物語」だと言えるかもしれない。花井家でひとりだけ異彩を放っていたみにくいあひるの子が、一瞬白鳥になって、でもまたあひるの子に戻って、水辺でぱちゃぱちゃやっている。平和だ。
きれいな人たちを見て人並みに落ち込んだりもするけれど、結局はそのままの自分を受け入れ、周囲にも受け入れさせてしまうゆり。少女マンガのブサイク女子の中でも、ここまで美に価値をおかず、しかし美形男女から愛でられまくっている人物は、そうそういるもんじゃない。本当に大した女だ。
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