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天国大魔境

今月の『もう、しませんから』の石黒正数インタビューもあわせて読むとより楽しめる

・フルアナログ環境(1話執筆時点)
・アイデア自体はそれ町の時からあった
・もともと散歩が趣味で、世界が崩壊した後の風景を想像して歩くのが好きだった
・顔のパーツでは頬のラインが好き
・名言「俺はこの『天国大魔境』で最高の姉を描きたいんですよ!」

ようやく気づいた
キル光線って物騒な名前だなあと思ったけどキルコ+光線➡️キル光線なのか
これはマルが酷評してもしょうがないネーミングセンスですわ

2巻読んだ感想です。
キルコの正体がショッキングすぎました。
お医者さんが早く見つかるといな。
子供達の方は名前を覚えるのが大変、だけど、3巻以降で大きく話が動きそうな気配…

石黒先生体調崩されたらしい。心配…(デビュー以来初めてっていうのもすごいけど…)

6月号感想

やっとあの施設の名前が判明。。。
ほんの少しだけ2つの世界が繋がり出した。
まぁあのビルが高原学園ってことはないだろうけど。

情報屋の胡散臭い話は、もう少し聞いてみたかった笑

連載はあんまりちゃんと追えてないんだけど、今月号でロビンが生きてたことが判明、しかもキルコの近くにというのにはさすがに興奮した

石黒正数がキレてる


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天国大魔境
正統派のマンガ家とはパロディ作家だ!!
天国大魔境 石黒正数
影絵が趣味
影絵が趣味
手塚治虫にしても、藤子不二雄にしても、元をただせばパロディ作家なのである。そもそもスターシステム(同一の作家が同じ絵柄のキャラクターをあたかも俳優のように扱い、異なる作品中に様々な役柄で登場させるような表現スタイル)からして自作間におけるパロディであるし、一般に手塚が体系を整えたといわれる漫画的記号の数々にしても発明者本人に特許権のようなものは何ら存在しておらず、作家間を隔てる異空間を超えてあたりまえのことのように浸透している。あまりに広く、あまりに希薄に、浸透しているので、それがパロディだとも気づかぬほどだが、1970年代には吾妻ひでおが『不条理日記』等の作品で漫画的記号の使用を脱臼させてみせ、それがパロディ的要素を備えていることを如実に示してみせた。吾妻はその後、アルコール依存症に苦しみ、一時はマンガ界から姿を消すが、大ヒット復帰作となった『失踪日記』が『不条理日記』の頃からは考えられない"正統派"のマンガであったことは記憶に懐かしい。ちなみに手塚は自作内に吾妻のマンガキャラクターをパロディとして登場させるなどしていたが、手塚キャラをパロディギャグにして世に出てきた田中圭一が最近では『ペンと箸』や『うつヌケ』等の"正統派"のマンガで第二次ブームをむかえている。 そしてほかでもない石黒正数も、手塚治虫や藤子不二雄、それから吾妻ひでおや田中圭一らに連なる正統派のマンガ家であると思うのだ。正統派のマンガ家とは、マンガというものに広く希薄にも共有されて、そして受け継がれているものの使用に自覚的な作家にほかならない。それは当たり前にそこにあるものではなくあまりに貴重な共有財産である。パロディとは、それを使わせていただきます、という一種の照れのようなものである。だからこそ異端であるかのようなパロディ作家こそが正統足りえるのだ。 いっぽうで共有財産の使用を拒んだ真の異端としてのマンガ家が数人いる。彼らはマンガの革命者であり、マンガの可能性の限界を押し広めた者たちであった。大友克洋、高野文子らがそれにあたるだろうか。そして石黒正数のパロディは多岐に渡るが、作品間を超えて貫かれており、今作『天国大魔境』にも見られるのは大友や高野のパロディである。背景の白い建物の壁にひび割れや汚れが描かれるのは大友そのものであるし、ジーンズの描き方は高野から来ているものにちがいないだろう。さらに一巻目をさいごまで読んで驚いたのは、おねえちゃん、ストップひばりくんではないか! 江口寿史とは正統→異端に転じたひとであろう。異端である革命者はやはり偉大だが、わたしは正統派も同様に偉大であると思う。パロディとは一種の愛のようなものではないか。なぜって石黒正数のマンガのそこここから偉大なマンガの数々への愛が感じられるのだ。
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