圧倒的、真理追求にコメントする
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阿・吽

『火の鳥』の鳳凰編を継ぐもの也

阿・吽 おかざき真里 阿吽社
影絵が趣味
影絵が趣味

おかざき真里さんの『阿・吽』を読んで驚いた。冒頭からいきなり『火の鳥』の鳳凰編で観音像のモデルになったあのブチが、さながら火の鳥のように時空を超えて、いままさに読みはじめた漫画のコマに現れたからだ。 鳳凰編の狂言回しとして物語を運んでいたブチは、最後に茜丸の骨を持って我王のもとを訪れている。そして、意味深げな未来を示唆するモノローグとともに鳳凰編は幕を閉じる。そう、確かに鳳凰編は幕を閉じた。しかし、私たちは幸か不幸か、火の鳥が"永遠のいのち"として万物を流転しているのを知ってしまっている。 茜丸の生き写しのような最澄が『阿・吽』に現れたとき、ブチもまたそこに現れずにはいられなかった。すぐに野盗に殺されてしまうブチの生き写しは、しかし、姿を変えながら幾たびも最澄のもとを訪れている。あるいは、もしかすると『阿・吽』とは、茜丸を追うブチの愛の物語なのかもしれない。 とすれば、ブチは最後には、我王の生き写しのような空海のもとへ落ち着くのだろうか。史実ではやはり、最澄が志半ばで先に息絶え、空海は持ち前の野生の力で教理をさらに深めてゆく。そして、ブチはまた現世を我王のもとでやり過ごし、来世で茜丸を追ってゆく、そんな途方もない未来を想像せずにはいられない。

創作文芸サークル「キャロット通信」の崩壊

なぜ人は物語を綴るんだろう?

創作文芸サークル「キャロット通信」の崩壊
toyoneko
toyoneko

「今年読んでよかったマンガリスト」を作ったときに、今年読んだ読み切りで何が良かったかな…と思いだす中で、真っ先に思い出したのが本作だったんですよね というか、「ゼロ災でいこうっ」のシーンが思い浮かんだ(添付) 衝撃的なシーンでした 大人になっていく中で、飛行機事故を契機に、自分の「核」が創作ではなくなっていたということ(又は、自分の「核」は最初からそんなところにはなかったということ)、そして、現実を前に情熱は失われてしまっていたこと、そのことを自覚する物語 それが、本作に対する私の印象でした …が、読み返してみると、実はそうではなかった だって、主人公は、そのことを自覚しながら、それでも、創作をやめられないから 「他の選択肢がない」という理由で、やはり創作を辞めることができない 別の人生を歩めるなら歩みたいと泣くのに、それでも辞めることができない それどころか、キャロット通信は解散し、仲間もいなくなり、 誰も読んでくれない、読者すらいないのに、辞めることができない 「にもかかわらず…私は…懲りもせず」 「また繰り返す…どうして?」 「なぜ??」 たぶん、このセリフこそが、この作品の核心なのでしょう 主人公にとって、創作は、苦痛なのでしょう でも、主人公の救いは、もはや創作しかない だから、主人公は、創作に向き合い続ける 「赤羽」に登場するペイティさんが、 「やはり創らないと気が狂いそうだから創るってコトですね…」 と言ってました(増補改訂版4巻、ボーナストラック9話)、 「創作」というのは、もともと、そういうものなのかもしれないです あ、ところで、そんなふうに「創作」をやめることのできない綿本おふとん先生ですが、トーチwebで新連載とのこと!みんなで応援しようね! https://x.com/offton_w/status/1873197901478019149

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