ラッキースケベと相反しながら共存する男の理想にコメントする
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人気のコメント

名無し
1年以上前
読者が見たいものを見せるのが漫画だとしたら、 さえない男が何故かモテたりスケベな展開に恵まれる、 そういう漫画が生まれるのは必然。 それこそ多くの男性の願望だから。 ありえなければありえない展開なほど、 夢の世界を体験させてくれる価値がある。 けれど、ありえない世界はリアリティに欠ける。 最初からありえなさを楽しむ気持ちで 頭を空っぽにして読むのなら問題はないが 中途半端に常識感や倫理観、論理的展開を 入れたり入れられたら 普通はその手の漫画は楽しめない。 「てのひらにアイを!」 は冒頭から 階段曲がり角で女子高生とぶつかってしまい 転がり落ちかけた女子高生を救う、 というベタベタな展開で始まる。 これはそういう漫画ですよ、という わかりやすい始まり方をする。 しかも女子高生のパンティが手すりに ひっかかってゆるんでしまうとか(笑)。 他にも露出狂でしかない格好で 学校内を歩きまくる美人恵体女教師がいたり。 登場人物は勘違い野郎か馬鹿野郎ばかり。 もう最初ッからこの漫画は 頭を空っぽにして楽しんでね、 と読者に宣言している。 ところがこの漫画は卑怯なんである。 「おっぱいは好きな人にしか    揉ませちゃいけないんだ!」 と主人公が叫ぶのだ。 (まあ3回揉んだあとに言うのもなんだが) 「スケベ」心とは真逆で相反するが 確実に存在する男の願望「純愛」。 その相反する男の理想が しっかりテーマになっている。 そして村田先生の高い画力で、 ラッキースケベ・シーンや それ以外のシーンで、魅せてくれる絵が チョイチョイ出てきたりする。 頭を空っぽにしてラッキースケベな世界を 楽しもうと読んでいくと、 ときどきそういうスケベではなかったり スケベだけれどちょっといいシーンを出してくる。 こっちはわざわざ頭を空っぽにして読んでいるのに そういう無防備状態のところにスケベ以外の いいシーンをぶっこんできたりする。 凄く卑怯な漫画だと思った。
読者が見たいものを見せるのが漫画だとしたら、
さえない男が何故かモテたりスケベな展開に恵まれ...
名無し
1年以上前
エロのない愛か、愛のないエロか。 そして愛のあるエロか。 もちろん愛のあるエロが一番(理想論として)。 けれども愛だけでエロが無い「純愛」を 神聖視する風潮は強い。 一方で愛のないエロにも逆説的に価値観はある (性欲的に)。 これが文学とか芸術なら「純愛こそ至高」な 方向でいいし、性欲は人間の本質だとするなら 「エロこそ最高」でもいいかも。 けれど連載漫画として人気を博すためなら エロが第一なほうが受け入れられやすい。 とくに、たまたまその漫画を見た人には。 なので エロを前面に出す漫画が生まれるのは当然だし、 エロエロを競いあうようになるのは漫画界の 競争として必然だし、 エロエロエロを読者もより求めるようになるし、 エロエロエロエロだけな漫画も当然に出てくる。 エロエロエロエロエロな展開だけで話を進めて 最期はエロこそ全て、で締めても文句をいう読者も いないだろうし、逆に一転して エロよりはやはり純愛だ、で締めても それなりに納まりはつくだろう。 ただ、一応の納まりはついても、 エロ抜きで漫画作品として面白い形で完成して 終わる漫画は少ないと思う。 てのひらにアイを!は、 エロ抜きでも面白く、エロ漫画としても面白い。 そしてエロ漫画であるからこその面白さが弾けまくっている。 最終巻の第5巻で、それまでのエロがエスカレートして 伏線として怒涛のように展開される。 そこに単行本書下ろしの特別漫画がダメ押しする。 結果、エロと純愛が成就している。 第5巻の最期でムラタ先生自身がこの作品を 「暴走青春列車」と評しているけれど、 暴走列車が定刻に終着駅に着いて、 でも止まれないぜ(笑)という、 突き抜けちゃっている良いオ馬鹿エロ漫画だと思う。
エロのない愛か、愛のないエロか。
そして愛のあるエロか。
もちろん愛のあるエロが一番(理想...
この世界の片隅に

漫画と映画を久しぶりに見返した!

この世界の片隅に
かしこ
かしこ

2025年のお正月にNHK広島放送で映画「この世界の片隅に」が放送されたのは、今年で原爆投下から80年が経つからだそうです。この機会に私も久しぶりに漫画と映画をどちらも見返してみました。 やはり漫画と映画の一番の違いはリンさんの描き方ですよね。漫画では夫である周作さんとリンさんの関係について触れられていますが、映画ではありません。とくに時限爆弾によって晴美さんと右手を失ったすずさんが初めて周作さんと再会した時に、漫画ではリンさんの安否を気にしますが、映画ではそれがないので、いきなり「広島に帰りたい」という言葉を言い出したような印象になっていました。映画は子供のまま縁もゆかりもない土地にお嫁に来たすずさんが大人になる話に重点を置いているような気がします。それに比べると戦時下無月経症なので子供が出来ないとはっきり描いてある漫画はもっとリアルな女性の話ですよね。だから漫画の方が幼なじみの海兵さんと2人きりにさせた周作さんに対して、あんなに腹を立てたすずさんの気持ちがすんなり理解することが出来ました。個人的には男性達に対してだけではなく、当時の価値観で大事とされていた後継ぎを残せない自分に対しての悔しさもあるのかもしれないと思いました。けれどもこの選択をしたのは原作である漫画を十分に理解してるからこそなのは映画を見れば明らかです。 久しぶりに漫画と映画を見返してどちらも戦争が普通の人の生活も脅かすことを伝えているのはもちろん、すべてを一瞬で無いものにしてしまう核兵器の恐ろしさは動きのある映画だから強く感じた喪失がありました。そして漫画には「間違っていたら教えて下さい 今のうちに」と巻末に記載されていることに初めて気づきました。戦争を知らない私達が80年前の出来事を想像するのは難しいですが、だからこそ「この世界の片隅に」という物語があります。どんなに素晴らしい漫画でもより多くの人に長く読み続けてもらうのは大変なので映像化ほどの後押しはないです。これからも漫画と映画どちらも折に触れて見返したいと思います。

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