めちゃくちゃ名文…!
ぜひ読んでスケベと名場面の間で揺られてみたくなりました
読者が見たいものを見せるのが漫画だとしたら、
さえない男が何故かモテたりスケベな展開に恵まれる、
そういう漫画が生まれるのは必然。
それこそ多くの男性の願望だから。
ありえなければありえない展開なほど、
夢の世界を体験させてくれる価値がある。
けれど、ありえない世界はリアリティに欠ける。
最初からありえなさを楽しむ気持ちで
頭を空っぽにして読むのなら問題はないが
中途半端に常識感や倫理観、論理的展開を
入れたり入れられたら
普通はその手の漫画は楽しめない。
「てのひらにアイを!」
は冒頭から
階段曲がり角で女子高生とぶつかってしまい
転がり落ちかけた女子高生を救う、
というベタベタな展開で始まる。
これはそういう漫画ですよ、という
わかりやすい始まり方をする。
しかも女子高生のパンティが手すりに
ひっかかってゆるんでしまうとか(笑)。
他にも露出狂でしかない格好で
学校内を歩きまくる美人恵体女教師がいたり。
登場人物は勘違い野郎か馬鹿野郎ばかり。
もう最初ッからこの漫画は
頭を空っぽにして楽しんでね、
と読者に宣言している。
ところがこの漫画は卑怯なんである。
「おっぱいは好きな人にしか
揉ませちゃいけないんだ!」
と主人公が叫ぶのだ。
(まあ3回揉んだあとに言うのもなんだが)
「スケベ」心とは真逆で相反するが
確実に存在する男の願望「純愛」。
その相反する男の理想が
しっかりテーマになっている。
そして村田先生の高い画力で、
ラッキースケベ・シーンや
それ以外のシーンで、魅せてくれる絵が
チョイチョイ出てきたりする。
頭を空っぽにしてラッキースケベな世界を
楽しもうと読んでいくと、
ときどきそういうスケベではなかったり
スケベだけれどちょっといいシーンを出してくる。
こっちはわざわざ頭を空っぽにして読んでいるのに
そういう無防備状態のところにスケベ以外の
いいシーンをぶっこんできたりする。
凄く卑怯な漫画だと思った。
めちゃくちゃ名文…!
ぜひ読んでスケベと名場面の間で揺られてみたくなりました
漫画家の先生の中には、エロ漫画を描きたくて
描いている人もいると思う。
描きたくないけれど描いている人もいると思う。
色んな事情から。
勝手な推測だけれどもムラタコウジ先生は
とにかく描きたい絵を描く先生なのではないだろうか?
あんな構図、こんなシチュエーション、こういう展開、
エロ漫画であってもなくても、思いついたシーンを
「俺はこういうふうに漫画にしたい!」
と描かずにはいられなくなってしまう方なのでは
ないだろうか?
エロ漫画なんて、とかく
「エロけりゃいいんだろエロけりゃ」
となりがちで、
良い意味?でエロエロなシーンばかりになったり、
悪い意味ではエロ以外が絵もストーリーも手抜きになったり、
そういう作品が多いと思う。
ムラタコウジ先生の「てのひらにアイを!」は
エロいシーンもエロくないシーンも
高校バレーボールなのに何故かそうなってしまう
AKIRAかドラゴンボールかと思うような
バトル・シーンも、それらほとんどから
「こういう展開になったら
こういう絵を描かなきゃ気がすまない」
というムラタコウジ先生のノリノリ感を感じてしまう。
そして
「たかがギャグ漫画たかがエロ漫画で、ここまで描くか!」
という面白さを生んでいる。
それはそこまで描きこむ努力と描きこんで完成させる
作画の実力がないと出来ないことだし、
多分、漫画家としての労力のかけ方は
効率としては悪いんじゃないかとか、
努力や画力に対して正当な評価を
得られているのだろうかとか、
そう考えると、凄く大変なんじゃないかとか
思ったりもする。
いかにもオ馬鹿エロ漫画なストーリー展開だし、
童貞にもバレー日本代表にも
失礼極まりない話なんだが、
色々と話の持って行きかたとか上手いから
ワリと乗せられてしまう(笑)。
しかも話が進んでいったら、これがちゃんとした
伏線になっていて繋がってたりするし。
バレーのテクとして全くメチャクチャな話って
わけでもないんだよね。
あくまで漫画として許される話であって
リアルに真面目にバレーをやっている人からみたら
ふざけんな、と思う内容かも知れないが。
「ちなみに今のバレー日本代表男子・・」
と、どこでそんなデータを入手したんだよ、
ということをのたまうこの女性、
実は元・女子バレー日本代表とのこと。
ようするにこの女性、
男子代表の童貞全員を自らが・・ってことか(笑)。
エロのない愛か、愛のないエロか。
そして愛のあるエロか。
もちろん愛のあるエロが一番(理想論として)。
けれども愛だけでエロが無い「純愛」を
神聖視する風潮は強い。
一方で愛のないエロにも逆説的に価値観はある
(性欲的に)。
これが文学とか芸術なら「純愛こそ至高」な
方向でいいし、性欲は人間の本質だとするなら
「エロこそ最高」でもいいかも。
けれど連載漫画として人気を博すためなら
エロが第一なほうが受け入れられやすい。
とくに、たまたまその漫画を見た人には。
なので
エロを前面に出す漫画が生まれるのは当然だし、
エロエロを競いあうようになるのは漫画界の
競争として必然だし、
エロエロエロを読者もより求めるようになるし、
エロエロエロエロだけな漫画も当然に出てくる。
エロエロエロエロエロな展開だけで話を進めて
最期はエロこそ全て、で締めても文句をいう読者も
いないだろうし、逆に一転して
エロよりはやはり純愛だ、で締めても
それなりに納まりはつくだろう。
ただ、一応の納まりはついても、
エロ抜きで漫画作品として面白い形で完成して
終わる漫画は少ないと思う。
てのひらにアイを!は、
エロ抜きでも面白く、エロ漫画としても面白い。
そしてエロ漫画であるからこその面白さが弾けまくっている。
最終巻の第5巻で、それまでのエロがエスカレートして
伏線として怒涛のように展開される。
そこに単行本書下ろしの特別漫画がダメ押しする。
結果、エロと純愛が成就している。
第5巻の最期でムラタ先生自身がこの作品を
「暴走青春列車」と評しているけれど、
暴走列車が定刻に終着駅に着いて、
でも止まれないぜ(笑)という、
突き抜けちゃっている良いオ馬鹿エロ漫画だと思う。
「じゃあ私、先生のこと好きになる!」“海ちゃん先生“はへっぽこ男子バレー部の顧問。しかしひょんなことから女子バレー部の教え子・“森野アイ”の胸を揉んでしまう事件が!! 周囲の女子よりも性体験が遅いことに焦りを感じる森野は、謝る海ちゃんに「もう一度ちゃんと揉んでほしい」とお願いする――!? この青春、コンプライアンス超NG!! 先生×生徒、二人の禁断の恋… 開幕!!
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