殺人犯の息子が事件の真相を辿るクライムサスペンス にコメントする

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なおなお
1年以上前
みきおサイドの話をまさかこんなにしてくれるとは思わなかった。89年の情報はもうほぼ聞く手段が出尽くした感があるので、あとはみきお本人だけど、最後の最後に心に話してくれるのかと思っていた。 まず「お母さんの夢」。内容は不明だけどうなされるような、きっとトラウマになっているような「怖い夢」の部類になる。現実の世界でも、変わった性格だなと思う人は大抵、背負ってきた過去もまた相当変わっている、というかそうなるだけの人生を送っていると思う。 しかし「一番楽しかったこと」が千夏殺害の時っていうのは、やはり物凄く歪んでいるし、二人とも楽しそうに話すな!と言いたくなってしまう。 今回のタイトルが「僕の武器」。普通は誰かを保護し守るために、何か無形の要素を思い浮かべるものだけど、彼らはそれだけでは説明できないようにも思う。心に尋ねるなら全く対称的なものを挙げるだろうと思う。 鈴が自由研究のメンバーに入ってなかったのは変に思ったが、父親同士のトラブルだったのは意外。恐らく一回目も二回目もみきおと明音の間で鈴を巡る会話はあったのだと思う。結果的にはそれが、その日に実行するきっかけになったけど、動機は他にもあるように思う。これもまた断片的だけど千夏が「可愛らしく思え」、その両親の顔が頭に浮かんでいるが、だから殺すって、やはり加藤家と三島家の間のトラブルの可能性を感じる。田中老人もかつては議会の議員だったし、なにか物凄く根の深いものを感じる。 長谷川翼は小児愛者ということになるのだろうか。同情の余地を感じないが、彼もまたかなり複雑な人生だったんだとは思う。そしてみきおは彼を巧みに利用する。明音に対しては、二回目の世界では実験データ不足で死なず、そのため初めて自らの手を掛けたという意味で、本当の殺人者になってしまった。これは子供のみきおにとっては影を落とすものだったようだ。 ところで彼らの泊まったのは、あの山小屋だったんだろうか。池というか湖がそばにあるので余計にそう見える。ならば小学校にも近いはずだ。それにしても事件当日の朝を非常にまったりと過ごしている。 佐野文吾はガセネタのおかげで合流が遅れそうだ。 和子は行方不明のまま。「どこでもない場所」というのは、そういうイチジョウホウでは表現できない所。例えば車のトランクの中とかだろうか。鈴たちもいないが、単に車の座席で睡眠薬で眠らされているんだろうか。 今回、さつきは心に疑いを掛けられても、父を助けてもらったエピソードゆえに心のことをとても信頼している。もしかしたらキーパーソンになるだろうか。心もまたお泊まり会初登場だし。そして確信はないがみきお同士で、例えば子供のほうのみきおが自分の意志で予定外の行動をする、なんて内部崩壊なことが起きる可能性も捨てがたく思う。 二回目の音臼事件ではさの文吾が当日夜中の12時まで校内をパトロールしていたおかげで事件が1日ずれたのだと思う。今回はその程度ではないし、向こうも知恵をこらして来そうだ。 ますます目が離せなくなった!

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なおなお
1年以上前
作者の東元さんも、ここで意見を交わしたすべての方々もお疲れ様、そしてありがとうございました! 今回はエピローグ回として、佐野家のみんながそろって仲良くしているのがやはりなによりもうれしいです。今回登場の心は我々の知っている心ではないので、「良かったね」は父の佐野文吾に言いたい。この微妙な違和感が心に関する「テセウスの船」なんだろうなと思うし、であれば心が89年で亡くなることは予定通りなのかもしれないです。もちろん「僕だけがいない街」のように、ドラマ版は違うエンディングというのもアリだと思います。 映画で言えば今回は主題歌がエンディングのテロップと一緒に流れる中でのストーリーのようなイメージを感じました。そして最後の最後、ご指摘のとおり、まるでホラー映画のエンディングのような終わり方になりました。 毎回現代で登場する週刊誌によればみきおは「都内某所」にいるようです。そして最後のページでは「さっぽろテレビ塔」のそばにいます。しかも佐野家の直前に描かれたテレビ塔は微妙に景色が違うように思うので、塔からみた方角は違うものの結構近くにいるし、一体何をする気だ?という気分になりますね。週刊誌の質問にもちゃんと答えてませんし。 単行本の6巻だったでしょうか、ほとんど9話で収まっているなか、10話押し込んだのがありました。もしかしたらこの頃に残りの話数でどう締めくくるか決められていたのかもしれないです。 「もう少し掘り下げて欲しかった登場人物」、同感ですし、はっきり言って心と文吾とみきお以外は、特定の活躍回以外はモブキャラに見えてしまいますし、ドラマ化の際にこれは課題だと思います。できればあまりいじくって欲しくはないです。 木村さつきは生きていたら、結局出所したみきおの面倒を見ようとするかもしれないので、可哀想ですがいなくて良かったのかもしれないです。 鈴は整形してないこっちのほうがやっぱりいいです。ただ眉毛を剃ったのはちょっとだけ残念です。 最後に、佐野文吾「クソ父」が書いたタイムカプセルのメッセージ、事実上これが作者からの作品を通じたメッセージだと思うので、重く受け止めたいと思います。この回の心は「は?」でしたが。。 本当に皆さんありがとうございました!
テセウスの船

どちらかというと『テセウスの船』というより『動的平衡』じゃない?

テセウスの船 東元俊也 東元俊哉
mampuku
mampuku

時間遡行をして人生をやり直したとしたら、それは本当に同一の自分といえるのか?という問いを有名なパラドックス「テセウスの船」になぞらえたタイトルだ。 ストーリーに関しては論理的整合性や感情的整合性においてやや粗い部分も感じられたもののサスペンスとして緊張感もあり、ラストは新海誠監督『君の名は。』のような美しい締め方だったし概ね面白かった。 ただ、タイトル『テセウスの船』がイマイチストーリーにハマっていない感じがした。 どちらかといえば「動的平衡」のほうが比喩としてしっくりくるのではないだろうか。 「動的平衡」とはシェーンハイマーの提唱した概念であり、日本では福岡伸一氏による著書『生物と無生物のあいだ』『動的平衡』で有名になった言葉である。“生命”とは、取り込まれ代謝されていく物質、生まれ変わり続ける細胞どうしの相互作用によって現れる“現象”である、という考え方だ。 主人公の田村心は生まれる前の過去に遡り、そこで巻き起こる惨劇を阻止することで、その惨劇により自身に降りかかった不幸な運命を変えようと奮闘する。作品では、過去を改変して自らの人生を曲げようとする一連の試みをテセウスの船にたとえているが、やはりピンとこない。作中、田村心は殺人事件を未然に防ぐため凶器となった薬物を隠したり被害者に避難を呼びかけたりするが、その影響で心の知る未来とは異なる人物が命を落としたり、結果的に大量殺人を防げなかったばかりか予想だにしなかった事態を招くことになる。 この予測不可能性こそがまさに動的平衡そのものって感じなのだ。生命体は、船の部品のように壊れた部分を取り替えれば前と変わらず機能する、ということにはならない。ある重要なホルモンの分泌に作用する細胞を、遺伝子操作によってあらかじめ削除してしまったとしても、ほかの細胞がそのポジションを埋めることがある。これは心が殺人事件の阻止に何度も失敗したことに似ている。思わぬ不運や予想しない死者が出てしまったのも、脚のツボを押すと胃腸の働きが改善するなどの神経細胞の複雑さに似ている。 船は組み立てて積み上げれば完成するが、生命は時間という大きな流れの中で分子同士が複雑に相互作用しあうことで初めて現象する。『テセウスの船』での田村心の試みは人生あるいは歴史という動的平衡に翻弄されながらも抗う物語だったのかもしれない。

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