確かに計画性を感じませんし、やることが変に直球。別の言い方をすれば知性を感じません。本能で動いているような。

でもあえてそれを笑いさえ感じるようなコミカルな描き方をされてきました。もちろんそのまま描くと重くて暗いホラーになり、読む意欲が失せるかもしれませんが、結果的になぜこうも変わってしまったかという観点の疑問から読者の注意をそらせてしまったように思えます。ある意味作者さんの作戦に見事にはめられてしまっているのかもしれません。

主人公の心はここまで、現代で見てきた変わり果てた姿のインパクトがあるので、それがさつきの正体だと考え、音臼事件の首謀者のひとりとの態度を示して来ました。
もしかしたら今回火事場にいる悲しそうにも感じる表情のさつきを見たことで、89年のさつきの人物像、背景、他の人物との関連性、不審に見える行動の意味、28年の間に何があったのか、なども明らかにされていくことを期待したいです。

たしかに28年後のさつきは実はこんなヤバい奴だったんだ!って勢いで、なぜ変わったかという至極、当然の疑問を見逃してしまっていた気がします。作者上手いですねぇ…

今の状態は、みきおが潜伏している以上、現実的に主人公がアプローチしていける相手はさつきですから、そこを追求していく流れになるのかもしれないですね。楽しみだ

「このさつき先生は…現代とはまるで別人だ」という心のモノローグ。さらっと描かれているけど、まさに「さつきになにがあったか」という謎の足掛かりとなる疑問を心が覚えたシーンだと思いました。いやぁ面白い!

殺人犯の息子が事件の真相を辿るクライムサスペンス にコメントする

人気のコメント

なおなお
1年以上前
作者の東元さんも、ここで意見を交わしたすべての方々もお疲れ様、そしてありがとうございました! 今回はエピローグ回として、佐野家のみんながそろって仲良くしているのがやはりなによりもうれしいです。今回登場の心は我々の知っている心ではないので、「良かったね」は父の佐野文吾に言いたい。この微妙な違和感が心に関する「テセウスの船」なんだろうなと思うし、であれば心が89年で亡くなることは予定通りなのかもしれないです。もちろん「僕だけがいない街」のように、ドラマ版は違うエンディングというのもアリだと思います。 映画で言えば今回は主題歌がエンディングのテロップと一緒に流れる中でのストーリーのようなイメージを感じました。そして最後の最後、ご指摘のとおり、まるでホラー映画のエンディングのような終わり方になりました。 毎回現代で登場する週刊誌によればみきおは「都内某所」にいるようです。そして最後のページでは「さっぽろテレビ塔」のそばにいます。しかも佐野家の直前に描かれたテレビ塔は微妙に景色が違うように思うので、塔からみた方角は違うものの結構近くにいるし、一体何をする気だ?という気分になりますね。週刊誌の質問にもちゃんと答えてませんし。 単行本の6巻だったでしょうか、ほとんど9話で収まっているなか、10話押し込んだのがありました。もしかしたらこの頃に残りの話数でどう締めくくるか決められていたのかもしれないです。 「もう少し掘り下げて欲しかった登場人物」、同感ですし、はっきり言って心と文吾とみきお以外は、特定の活躍回以外はモブキャラに見えてしまいますし、ドラマ化の際にこれは課題だと思います。できればあまりいじくって欲しくはないです。 木村さつきは生きていたら、結局出所したみきおの面倒を見ようとするかもしれないので、可哀想ですがいなくて良かったのかもしれないです。 鈴は整形してないこっちのほうがやっぱりいいです。ただ眉毛を剃ったのはちょっとだけ残念です。 最後に、佐野文吾「クソ父」が書いたタイムカプセルのメッセージ、事実上これが作者からの作品を通じたメッセージだと思うので、重く受け止めたいと思います。この回の心は「は?」でしたが。。 本当に皆さんありがとうございました!
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