少女マンガが美人とブスの入れ替わりものを描くときって、どうしても「明るい美人」と「暗いブス」の入れ替わりになりがちだ。「無垢な美人」と「卑屈なブス」と言い換えてもよいが、とにかく、美醜と性格がわかりやすくリンクしている場合が多い。しかし、坂井恵理『鏡の前で会いましょう』は、ひと味違う。
ハイヒールよりフラットシューズかスニーカー
薄手で淡い色のレーヨンは厳禁/厚手のコットンで首まわりのあいた柄物か濃い色を
「with」より「週刊モーニング」
甘いものは好きだけど〝スイーツ〟って言わない
カフェより居酒屋
ワインよりホッピー
自覚あります
あたしはブスです
だからこそ/身の程をわきまえて分相応を心掛け
着たい服より/似合う服
選択を間違えさえしなければ
こんな あたしでも人生は楽しい
ブスの自覚があると語る「明子」(通称:みょーこ)は、インテリアショップで働く29歳。大柄、太眉、団子鼻。どっしり系のブサイク女子だ。ショップ店員なだけあって、とてもセンスがよく、店長からの信頼も厚い。彼氏に浮気されて別れたばかりだけれど、元気よくやけ酒を飲み、明日への力に変えられるパワフルな女子だ。なんたって「みょーこ」というニックネームは不動明王に似ているという理由でつけられたくらいなのだから、元気があってなんぼである。
そんな明子とずっと仲良しの「愛美」は、小柄のかわいい系美人なのにファッションに興味がなく、仕事も母親の期待に応えて公務員になっただけという欲の無さが特徴。ちなみに彼女は、彼氏いない歴=年齢、でもあって、
「みょーこちゃんのさ──…/「恋してるほうが幸せ」みたいな価値観/押し付けられるのホンットに迷惑だからやめてくれる?」
と言っちゃうくらい、美女としての自分に興味がない。
このふたりがある夜さんざん飲み散らかし、起きたらなぜか入れ替わっていた、というところから物語ははじまる。明子は、美しくなった自分を楽しみたくて仕方ない。着られなかった服、行けなかった場所、告れなかった男……彼女には「人生は楽しい」と豪語しつつも、手が届かないと諦めていたものがあった。それが愛美の身体ならば、ぜんぜん我慢しなくていいのだ。
一方の愛美も、明子の身体ならではの長所を享受する。この身体だと、たくさん飲み食いができるし、重たいものも軽々持ち上げられる。
「男の人に頭なでられるのキライだったし/できないことは助けてほしかったけど/できることは自分でやりたかったよ」
……お姫様扱いされることを「お得」だと感じないタイプの愛美にとって、明子の身体は、とても強く、なにより自由なものだった。
こうしてはじめこそお互いの身体的長所を楽しむ余裕があったふたりだが、やがて、世間が自分たちをどう見ているのか知ることになる。
ある飲み会の席で、男性からのセクハラに耐えられず、思わず顔を覆った愛美。入れ替わりを知らない人からすれば、あの豪快な明子がなんでこのリアクションになるのかがわからず、「なに純情ぶってんの」とバカにされてしまう。
その瞬間、愛美が感じていたのは、ブサイク女子としていじめられるいまの自分ではなく、「かわいい女の子」である自分にかけられ続けてきた呪いの数々だった。愛想よくしなさい、セクハラは「冗談」で済ませなさい、華美な服装は男を誘ってるみたいだからやめなさい……いくつもの呪いをかけられ、愛美は大人になった(愛美の場合、母親からの呪いがかなり強烈。その意味で本作は「毒親」ものとしての側面も有している)。
ブスとしての経験が、美人としての過去を想起させるのはなぜか。それは、どちらも世間体の押し付けがつねにある身だからだ。いつだってふつうの女の子であることを求められ、自分を押し殺すしかなかった愛美。それは、大食いで、がさつで、女っぽくないキャラを敢えて演じてきた明子と、実はよく似ている。
「…みょーこちゃん/おひめさまになれない女の子だけじゃなく/おひめさまに憧れない女も/同じように笑われるんだよ」
というセリフは、あまりにも重い。
ブスの苦しみと美人の苦しみを比べたとき、どうしたってブスの方がキツいと思われ、美人のキツさは贅沢な悩みとして封殺されがちだ。しかし、実のところ、見た目と中身のバランスが世間のイメージからズレている女子は、みなどこか苦しいのである。
作中、明子と愛美の同級生でエステティシャンの「純」が、
「あたし…/ああいう自分のことほったらかしにしてる女って/見ててイライラすんのよね──」
と愛美を批判するが、美女である自分を無駄遣いしたことで、一体だれに迷惑をかけたのだろう。本当に、世間というのは残酷である。
『鏡の前で会いましょう』は、美人/ブスのわかりやすい二元論で女子を語ろうとしない。双方が抱えた闇を等価に語ろうとするフェアネスがある。美人は王子様に選んでもらって幸せになれるわけじゃないし、ブスは空気を読んで道化を演じていれば幸せになれるわけじゃない。そういう処世術をいったんナシにしたところから、本当の幸せがはじまる。
ラストシーン、それぞれの幸せに向かって歩き出すふたりが、最高にまぶしく見える。