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名無し
1年以上前
長谷川死亡はほぼ確定。 猿にやられるか、失血死かで。 けれど死ぬ前に色々なことを説明はしてほしい。 ここでも多くの読者が 「社員全員とか一般人まで殺す理由はなんだ?」 と疑問を呈している。 けれど作者は 「薬害被害者がソレほどまでに怒っていたから」 で終わらせるつもりなんだろうか? 少なくとも自分はそれでは納得できないんだが。 他にも、長谷川は早乙女入社に関して なにか思惑があったんじゃないか、とか、 中岳小屋での毒入りミカン缶詰とかは 具体的にはダレがどういう目的で仕込んだのか (狙った人だけを殺せるわけでもないし、  全員を殺せるわけでもないのに。) とか小さい謎は全部スルーされそうで恐い。 それらには全く触れずに終わるか、 林辺りが 「そのあたりは長谷川さんが死んだいまでは  私にもわからない」 とか言うだけで終わってしまいそうで、 そうなったら凄く嫌だ。 長谷川にはちゃんと言明してから死んで欲しい。 「早乙女は人殺しのクズだと思ったから  一緒に殺してもいいだろうと入社させた。」とか 「ダレがミカン缶を食べても良かった。  餓えと恐怖を味あわせるためだった」とか なんだそれ、みたいなしょうもない理由でもいいから。
この世界の片隅に

漫画と映画を久しぶりに見返した!

この世界の片隅に
かしこ
かしこ

2025年のお正月にNHK広島放送で映画「この世界の片隅に」が放送されたのは、今年で原爆投下から80年が経つからだそうです。この機会に私も久しぶりに漫画と映画をどちらも見返してみました。 やはり漫画と映画の一番の違いはリンさんの描き方ですよね。漫画では夫である周作さんとリンさんの関係について触れられていますが、映画ではありません。とくに時限爆弾によって晴美さんと右手を失ったすずさんが初めて周作さんと再会した時に、漫画ではリンさんの安否を気にしますが、映画ではそれがないので、いきなり「広島に帰りたい」という言葉を言い出したような印象になっていました。映画は子供のまま縁もゆかりもない土地にお嫁に来たすずさんが大人になる話に重点を置いているような気がします。それに比べると戦時下無月経症なので子供が出来ないとはっきり描いてある漫画はもっとリアルな女性の話ですよね。だから漫画の方が幼なじみの海兵さんと2人きりにさせた周作さんに対して、あんなに腹を立てたすずさんの気持ちがすんなり理解することが出来ました。個人的には男性達に対してだけではなく、当時の価値観で大事とされていた後継ぎを残せない自分に対しての悔しさもあるのかもしれないと思いました。けれどもこの選択をしたのは原作である漫画を十分に理解してるからこそなのは映画を見れば明らかです。 久しぶりに漫画と映画を見返してどちらも戦争が普通の人の生活も脅かすことを伝えているのはもちろん、すべてを一瞬で無いものにしてしまう核兵器の恐ろしさは動きのある映画だから強く感じた喪失がありました。そして漫画には「間違っていたら教えて下さい 今のうちに」と巻末に記載されていることに初めて気づきました。戦争を知らない私達が80年前の出来事を想像するのは難しいですが、だからこそ「この世界の片隅に」という物語があります。どんなに素晴らしい漫画でもより多くの人に長く読み続けてもらうのは大変なので映像化ほどの後押しはないです。これからも漫画と映画どちらも折に触れて見返したいと思います。

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