売れない歌手・今井てる子は、引退して芸能プロダクションの社長・久ツ輪と結婚することに。しかし、結婚式の日に社長が急死。彼女は久ツ輪の遺言により、クツワプロを引き継ぎ社長になる。だが、クツワプロのタレントはすべて辞めてしまい、てる子は途方にくれる。そんな時、今をときめく超売れっ子歌手・彩家鏡一が会社に転がりこんできて、てる子の最初のタレントになるが…!?
「好きだ」の先にある、リアル恋物語! 「好きだ」という思いが成就したところで、恋愛が終わるわけじゃない! では、恋愛の先にあるもの… それは何だろう? 彼女にフラれ、荒れた生活を送る茶縞を訪ねてきたのは、元同級生の織田純子。互いに惹かれあう二人は、同棲生活を始めることになったが…? 青春の恋の喜びと切なさ、男と女の心の葛藤を、青春の巨匠が描く! 80年代後半、ヤングサンデー誌上で話題沸騰した、リアル同棲物語!!
サムとケイトはテレビ番組の取材中、ニューヨークの地下水道でワニ人間に襲われた!謎の日本人・南光太郎が昆虫人間に変身してその危機を救う。だが、光太郎は記憶喪失中。光太郎の失われた過去を解明していくうち、一行は変身人間を操って世界制覇を企む秘密結社「ゴルゴム」の存在を知る!深き闇の力が世界の平和を侵すとき、雄々しき戦士が還ってくる!!いま、立ちて戦え、仮面ライダーBlack!!
風の翼
伊豆諸島のある島の高校サッカー部員である“島崎恭一”が、恋人を超高校級ストライカー“三戸”に奪われてから、サッカーで三戸を倒すことに燃える……。サッカーを通しての青春群像劇!
アニース・ジャニース姫が持つ魔法のランプはこするとちょっとヘンなランプの精が出てきて姫のお願いを聞いてくれる!ランプの精と一緒にしょっちゅうお城を抜け出しては遊んでいたアニース姫だったが、ある日、魔法のランプを狙うサマルカンド王国の大臣と名乗る者が現れて…!?
我王獣太(がおうじゅうた)は、一流会社に就職するため日々勉強に精を出す中学生。しかし元レスラーの父は息子をプロレスラーにしようと無理やり特訓を受けさせる。そんな父にほとほと嫌気が差していた獣太だったが、幼なじみの風子がボクシング部の鮫島に痛めつけられたと聞いて、ひとり復讐に立ち上がる!眠れる獅子、我王獣太は果たしてその力を目覚めさせることができるのか…!?
1960年──春。“世界のナオミ・ウエムラ”が、冒険への第一歩を踏み込んだ。そして、山の世界に導いてくれた友人・小林との出会いの時でもあった。同期で明大山岳部に入部した植村と小林。小林の存在に導かれるように、植村は山へのめり込んでゆく。「極限の世界に俺は“自分の王国”を見つけるのだ」。この物語は植村直己の明大山岳部入部からゴジュンバ・カン初登頂までの記録であるとともに、ふたりの友情の物語でもある。
グズでノロマなスローモーGAL栗ちゃんの天敵は、たった1人の妹でありながらアクティブでエネルギッシュなスピーディーGAL麦ちゃん!!!今はカメでも、いつの日かこの相対関係を打ち破り“絶対姉妹”と言わせてみせようホトトギス!!待望の大人気シリーズ第一弾!
女子高生・華子(はなこ)がひと目ボレしたのは、祖父のボロアパートに越してきた天動竜太郎(てんどうりゅうたろう)。便利屋『パラダイス』を営む彼は、野鳥と美女を愛するノー天気青年だ。ある日、失踪したアイドルの身代わり依頼を断った竜太郎だけど、そのせいで華子がヤクザに監禁されてしまい…。お酒を飲めば天下無敵、秘密だらけの竜太郎の本当の姿とは?そして、彼を狙う暗殺者・エメラルドの正体は?美しき男たちが華麗に舞う小林博美初期の異色アクション、完全版で登場!
金曜日のピアス
久美子は渋谷は松濤の生まれ育ち。と言っても、松濤のはずれにある、タバコ屋のフツーの娘だけど。だけど、持って生まれた美貌と、松濤育ちというブランドで世間の男はお嬢様扱いしてくれるのが、何よりの幸せ。ただ、プライドの高さと耳年増な小細工のせいで、幸か不幸か処女のまま。見る目のなさも災いして、うまく事が進まないが、今宵金曜の夜も、自分を口説きそうな男を狩りに出る。
まだ少年と呼ばれる頃に、何も知らずにこの作品を買って読みました。マセガギと言われても仕方ないし、母親にこっぴどく叱られたこともあります(それでも捨てられたりはしなかったんで良い親だと思います) 恋愛が甘い物である、ということは流石に否定出来ません。ただ、二人が一つ屋根に暮らすということは、終わらない「日常」に暮らすということでもあります。そこは決して天国ではないし、息が詰まるようなこともある。 それが「愛」という感情によって始まることだと、この作品はかつての少年に見せてくれました。恋人は決して美しいだけの存在ではない。自分と同じように肉体を持った存在であり、そのことで苦しめられることもあるんだと、異性のことを何も知らなかった頃に学んだものでした。 バブルの頃、恐らくこの作品のような生き方は現実感を失っていたのではないかと思います。今の時代にはどうでしょう。若者が貧しくなっている現実もありますが、こんな関係からは恐らく逃避するんじゃないかとも思います。ただ、作中に登場する人達は、自分自身を取り巻く日常に対して必死で生きています。誰に笑われても構わない。唯一人のために生きているという現実は、自分のためだけに生きている人間には、まっすぐで美しいものに映ります。 この時期スローニンやDADAを描いていた吉田聡先生にとって、明らかに異なる作品であり、ある年代にとっては忘れられない作品だと思っています。