2024年3月18日
 ヒーロー番組のコミカライズなのに、主人公の暴力に治安維持や革命と言った肯定的な因子を持たせず只管陰惨で凄絶な暴力と陰謀の坩堝であるのが異色過ぎる。
 正直その方が、リアルな紛争の隠喩なんだろうが、これがリアルだと達観するのも、そこから突破口を見出すのも困難極まりない。喉に刺さった小骨のような漫画。

読みたい
佐武と市捕物控 【石ノ森章太郎デジタル大全】

天よ、私を自由にしてください。嘲笑われない為に、脅かさない為に。誰かの支配からではなく己の底から行えるように。

佐武と市捕物控 【石ノ森章太郎デジタル大全】
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)

 江戸時代は遥かに自由な時代だった。下手人は指紋やDNA、目に見えない血痕や油脂、デジタルデータのような生理的、物理的な物証からすら自由だった、取りも直さず、犯行の証拠の所在は現代に比べると(拷問などは有れど)ずっと内心の自由に委ねられていた。  そして、その自由は放置と表裏一体だった。『佐武と市捕物控』に於いては多くの身障者、精神的な苦悩を抱えた下手人が出てくるが、彼らが福祉や行政に救われる事は殆ど無く、それ故に犯罪に追い込まれる様が一種同情するように描かれている。殺人者らの境遇は人間の業に纏わる必然として江戸の花鳥風月と混然一体と物として映る。  然し、主人公の一人、(松の)市はそのような状況における盲人でありながら剣技、頭脳、人柄、どれをとっても申し分無い傑物として終始活躍し続けている、ある意味迫害や無理解により憎悪と貧窮を募らせ零落するという「自然」に逆らうような人物だ。では、何故他の犯罪者と違って市は差別する社会に対する憎しみなどを乗り越え、あれほどの人物と成れたのか。  この答えは市の心理を追った一遍「刻の祭り」にあるように思える。詰り、粗筋の紹介はここでは省くが、残虐な盗賊として集う身体障碍者に対する叱咤「盗みや人殺しが悪いことじゃない……?笑わせるな!!(中略)あたしだって…、目が見えないことを、笑われたことは何度もある。そりゃあその時はくやしい そいつも盲人にしてやりたいとも思った。し、しかし、…いちいちそんなことをしていたら……、世のなかに五体満足はいなくなっちまう……。苦しむのはあたしたちだけでたくさんだ」に隠されてる。  ここで市は率直に世の中への憎悪を語る。しかるに、その憎悪の炎を自然生成され、自然に他人を傷つけるべき物と彼は捉えていない。即ち、それが自然である以上に「盗みや人殺しはどんな場合でも正義にはなり得ない」と言う社会の掟こそを優先すべきと見做している節があり、それで己を律する事で憎悪の炎と向き合わせる。  そしてその格率が彼の憎悪のはけ口に単なる暴力や略奪ではないより高度な技法や思想に彼を追いやっている、それが市の人格の秘密である(余談であるが、このような精神のプロセスをフロイトは防衛機制の内の昇華と定義した)。これはある意味では精神の枷であるが、昇華により市の身心は飛躍し、憎悪と貧窮と言う自然の漆喰から自由になる事が許されたと言う側面もある、パラドキシカルな物言いだが、人を憎まないと言う倫理的な枷が寧ろ彼を自然のままの運命から解き放ったのだろう。  私はそこに「自由主義者」石ノ森章太郎の姿を見た。彼は、どの作品でも身体の桎梏を抱えながらも自由を希求する主人公を何度も描いてきた。そして彼にとって自由は単に与えられる物ではない、寧ろ人間を縛っているのは環境が影響することは有れその人間の憎悪や強迫観念であり、自由はそれとの内なる煩悶の繰り返しでしかないと言う事を、石ノ森は描いてきたのだ。  然し、それは何処までも己で闘い勝ち取ると言う世界観の称揚な以上、ややもすると現代的な福祉への批判に結び付きかねない。実際『仮面ライダー』では国家と言う概念≒ショッカーと言う公式がこそがライダーより弱者を生存させ得たかもしれないと言うアイロニーで幕を閉じている。そのような描写は常に存在し、『仮面ライダーBlack』でそれは極北に達した。その作品はゴルゴムと言う無形で無限大の、グロテスクなオカルトとナーバスな陰謀論の沼にヒーローを引きずり込んでいった。そこにある種の苛烈さを見出さない事は許されない。  上記を踏まえて幾らか不謹慎な発想をするならば、石ノ森の自由主義は戦後日本のリベラルを超えて、どこか今のシリコンバレーの大物に通底するより徹底した自由主義と一脈通じているのではないか?石ノ森章太郎が政府の調整効果を強く敵視していた訳はないだろうが、作品に於いてはそれに近い不信感や抵抗が見られない事の方がむしろ少ないように感じられる。それは市のような確固とした自己を形作るが、同時に『仮面ライダーBlack』の魔王のような存在に人を変えかねない。そのような可能性の光と影が石ノ森の作品には渦巻いており、その二元論的な世界観が彼の作品の基調となっている部分もあるように思える。尤も、単なる自由主義的なヒーロー像だけでは彼の作品が今でも注目を浴びることは無かっただろう、そのような自由の希求と危惧の狭間でそれでも善を求めて戦い、己を擲つ事さえ時には厭わずが欲を否定せず認める、そのストイックさがあって初めてヒーローが暴力的なイデオロギーの奴隷の身分から解放されること事を石ノ森は知っていた筈だ。  そぞろな文章を長々と書いたが、江戸に仮託した人間の自然状態からの脱却による自由を希求した『佐武と市捕物控』は正しくその自由の希求により確かに石ノ森章太郎的なのだと繰り返してこのレビューを閉じさせていただく。 余談: ・実際読んだのは90年代に出た小学館文庫版と笠倉から出た『縄と石捕物控』の文庫版だ。文庫をかなり探し回り、最終的に通販を使った都合上こっちの方が入手自体は簡単だと鑑み、このバージョンでレビューさせてもらった ・『佐武と市捕物控』に関しては、夏目房之介の文章(「『佐武と市捕物控』―青年マンガの革命児」-『別冊NHK 100分de名著 果てしなき石ノ森章太郎』収録)が大変すばらしかったので一読をお勧めします。正直、「刻の祭り」に着目したのは夏目に倣ったからです。私は同じ主題の描かれた珠玉の掌編として「北風のみち」もおすすめします。 ・このレビューのタイトルは吉田拓郎の『今日までそして明日から』の一節のパロディですが、今気に入ってると言うだけで、大した意味は無いです

寄生獣

不徹底と言う名の慈悲

寄生獣
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)

「人間が何故泣くのか分かった。俺には涙は流せないが」-『ターミネーター2』  再読して思ったがつくづく不思議な漫画だ。今現在の漫画は『童夢』を一つの里程標として映画的な立体を備えた場面や編集(コマ割)で事件を描きその「アクション」で以てテーマを射影するのであるが、『寄生獣』はそれに比べると余白が多い。ならば、手塚治虫のような捲し立てる戯曲風かと言えば、やはりあの余白やコマの多さを考えるとそうでもない。  モノローグの豊かさや情報の緩急のコントロールは正しく他の作家の系譜と言い切れない、アラン・ムーアやフランク・ミラーとかとは意味が異なるが正しく「グラフィック・ノベル(絵のついた小説)」とでも言うべきものだった。  この作品の「結論」が出るのは恐らく「田村玲子」の死亡からだと思う。田村は一種の心尽くしとして拳銃弾の雨に背を穿たれている最中に、回避、防御され二の次にしながら新一の亡くなった母の顔を模し彼に「不格好でもパラサイトも他人を慮れる」事を示しその心を解し、ミギーを驚愕させる。即ち、パラサイトが「人間味を持てる」事を示したのだが、その反対に市長の広川(パラサイトと共存していない純粋な人間)はディープ・エコロシー(敢えてこう言えば地球と言う自然全体の保護のために人間の淘汰さえ辞さない発想)に基づく、或いはナチス・ドイツさえ彷彿とさせる虐殺と管理を提唱し、人間でありながらパラサイトと誤認される。  要するに、「相手に対する慮り」こそが「人間」の得難い性癖であるが、それは人間の条件や特権ではないと言う事、それを元に環境を考えなければならない事がこの作品のテーマだと思う。  恐らく、最初は広川的なディープ・エコロジーこそが結論だったのかも知れないが、彼の示す如き全体主義を現出させる事に気づき、涙ながらに後藤を殺める新一が新たに象徴として浮き上がったのだろう。  私はこの変遷を見て『ターミネーター2』を思い出した。この映画も「歪な生き物」が現代社会に登場し、人間の過ちや罪深さを浮き彫りしていくのだが、ターミネーターが「命の大切さ」を学んだ事―又はこれを通してサラが未来の為と言って他人を殺める事は出来なかった―で黙示録を回避できるのではないかと言った希望が紡がれる所で終わる。  広川やスカイネット的な計画と管理ではなくこの「感情」を軸にした他者へのシンパシー、自己の尊重こそが世界的な終末を避けると言う結論はあるいは失敗するかもしれないが、岩明やキャメロンのようにそれに賭けるべきなのかもしれない。その面でもいい漫画だと思う。 P.s 投稿より約9時間後、「「相手に対する慮り」こそが「人間」の得難い性癖であるが、それは人間の条件や特権ではないと言う事」、「広川やスカイネット的な~」との文言を追加、編集

ワタリ

僕は第三部、好きだけどね

ワタリ
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)

 『ワタリ』が教育=洗脳論である事、終盤の流れが寺子屋から近代的な学校に移っていく時代の流れなどは善悪を超えた社会論、教育論として興味深く、特に0の忍者の持つMKウルトラ作戦的なSF性や神話に纏わる寓話性がある。  この作品には一つの曰くがあって、最終部となる第三部が著書・白土三平による選集に収録されていなかった。これは第二部を執筆後の白土が急病に倒れ、全体的な完成に関与できなかった故に自作ではないとの判断により除かれたのである。  実際第三部は変装のトリックがクドいほど多いなどの欠点が無いとはいえないが、それでも0の忍者が単なる暗示による超人忍者計画ではなくて、寧ろ無限に代替を生成する究極の身代わりの術―あたかも、アラビア数字の位が0で増える様な簡単さで己の複製が出来ていく、全ての基礎のような術―であると示される様は圧巻であり、それに白土が何処までタッチしていたかは不明だがそのエッセンスをある程度以上の水準で連載させて完結させた姿を見ると、当時の赤目プロが単なる職業集団では無くてワタリたちが理想としていた思想を共有し独立した生活単位を営む渡一族に見えてくる。

仮面ライダーBlack

かめんらいだーぶらっくしょうねんさんでーばん
最新刊:
2007/03/30
かめんらいだーぶらっくしょうねんさんでーばん
仮面ライダーBlack(1)
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サイボーグ009 天使編・神々との闘い編 特別編集版

サイボーグ009 天使編・神々との闘い編 特別編集版

『サイボーグ009』誕生60周年記念企画。サイボーグ戦士たちが最後に闘うのは“神”!? 未完に終わった幻の完結編「天使編」と「神々との闘い編」を1冊にまとめた「特別編集版」。カラーページ再現。石ノ森章太郎がファンクラブ機関誌に書いた小説「神々との闘い」も収録。コラム(早瀬マサト)/解題(島田一志)

忍法十番勝負

忍法十番勝負

時は戦国…。天下の運命を決すると言われる大坂城の抜け穴の絵図面をめぐって、日本中の忍者が血なまぐさい闘争を繰り広げていた!! ………というテーマで、人気漫画家10人が競作!! 「冒険王」1964年新年特大号(1月号)から10月号にわたって掲載された伝説の連作を一冊に!!

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アニメ「風都探偵」公式ガイドブック

アニメ「風都探偵」公式ガイドブック

アニメ「風都探偵」を徹底解説! 「仮面ライダーW(ダブル)」の正統続編である漫画「風都探偵」。2022年に配信&放送されたそのテレビアニメのすべてをここに圧巻分析! 全話徹底解説、詳細な設定資料、ドーパント設定画まで、その制作舞台裏を スタッフの数々の証言と共に紐解いていきます。「風都探偵」「W」のファンはもちろん、すべてのライダーファン、アニメ&特撮ファンに贈る永久保存版の一冊!

秘密戦隊ゴレンジャー 1975 [完全版]

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これこそ、元祖“戦隊ヒーロー”! 1975年、石ノ森章太郎が描いた集団ヒーローコミックの快作が、3倍楽しめる「トリプルオープニング仕様」&オリジナル版で刊行! 海城剛=アカレンジャーをリーダーに、赤・青・黄・桃・緑にカラーリングされた仮面をかぶる5人が、力を合わせて悪の組織「黒十字軍」と対戦。ハードタッチで描かれた、SFアクションコミックの快作。個性あふれる5戦士のあざやかなチームプレイと、巨大機バリブルーンや強化マスク&スーツなどメカニックの魅力、石ノ森章太郎ならではのスピーディーなテンポと筆致が、全編に炸裂。また、コミックと並行制作された同題の実写番組(1975~77年・NET系全国放送)も大ヒットし、わが国の特撮界に“スーパー戦隊”という新ジャンルを切り拓いた、記念すべき作品です。 1975年「週刊少年サンデー」「小学五年生」での連載初出スタイルに忠実に、全扉絵・表紙絵・予告や詳細な図説を収録のほか、石ノ森章太郎によるキャラクター設定画やラフスケッチなどの貴重資料も収録。さらに---!! 「少年サンデー」版・第1話、「小学五年生」版・第1話に加えて、1970年代に著者自らが再構成し、現在では読むことができなくなっていた“幻”のリミックス版・第1話(64P)の計3バージョンを、初めて完全収録。この「トリプルオープニング仕様」によって、1冊で3倍楽しめること必至! (※「少年サンデー」での姉妹編『ひみつ戦隊新ゴレンジャーごっこ』、および「小学五年生」連載後半のギャグ編は収録しておりません)

イナズマン 1973 [完全版]

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伝説的SFコミックが、42年の時をこえて、究極仕様でついに復活! 普通の高校生・風田サブロウが、超能力者として覚醒。サナギマンからイナズマンへと“二段変身”する強力なエスパーとして、仲間たちとともに巨大な敵“バンバ”と戦う本作は、超能力少年たちの戦いを壮大なスケールで描いたハードSFの傑作です。 雑誌初出時のスタイルをきわめて忠実に再現した編集で全扉絵やカラーページ、連載版と単行本版の違いを紹介する図説やギャラリーなども収録した『少年同盟』『幻魔大戦』『ミュータント・サブ』などで石ノ森先生が一貫して描いてきた超能力ものの集大成です。

ロボット刑事 1973 [完全版]

ロボット刑事 1973 [完全版]

43年の時を超えて-- ファン必携の究極愛蔵版でよみがえる! 警視庁に新設された「特捜班」に所属する、ロボット刑事「K(ケイ)」。科学の粋を集めて造られた彼は、無表情なマスク、青黒い鋼鉄のボディーに強力な武器を装備した戦闘マシンでありながら、人間以上のやさしい心の持ち主。メカを憎み、「K」を蔑むガンコな老刑事・芝とコンビを組み、謎の組織「R・R・K・K(バドー)」が起こす数々の怪事件に敢然と挑戦する! 今回のエディションは「週刊少年マガジン」連載時にきわめて忠実な編集、カラーページ完全再現など、初の“究極コレクターズ仕様”での刊行です。石森プロ所蔵の貴重なオリジナル原稿から新たにダイレクトスキャンした、ハイクオリティ画質、全扉絵を収録。レア・イラストや、雑誌連載時形態の扉絵ギャラリー、連載版と単行本版の違いを詳しく紹介した図説なども各巻末に収録した初版のみの完全限定版です。

仮面ライダーアマゾン 1974 [完全版]

仮面ライダーアマゾン 1974 [完全版]

仮面ライダーシリーズ中最大の異色コミックが復活! 1971年に誕生した国民的ヒーロー=「仮面ライダー」。その長大なシリーズ中、TV版に“原作”とクレジットされる石ノ森章太郎先生が、“本人名義”で描いたコミック版は、「仮面ライダー」(初代、71年)、「仮面ライダーアマゾン」(74年)、「仮面ライダーBlack」(87年)の、3作品のみ。いずれも、作者自らが意欲を湧かせた野心的な設定と、怪奇テイストに溢れている点が大きな魅力です。その貴重作「仮面ライダーアマゾン」をカラーページ完全再現、全扉絵入り、図説やギャラリーなどを収録した究極版です。

真の安らぎはこの世になく -シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE-

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大したことじゃない。学校でのけ者にされても、家でひとりぼっちでも、僕が耐えれば済むことだから。でも、なぜ、お母さんが死ななきゃならなかったのか、それだけは何度考えても、分からなかった。少年・緑川イチローを襲った悲劇は、彼をとある研究機関と結び付けた。その機関の名は…「SHOCKER(ショッカー)」。日本一有名な「悪の組織」を、新たな筆致で描き出す、ダークヒーロー・ライジング・ストーリー!!

アニマル・ファーム 【石ノ森章太郎デジタル大全】

アニマル・ファーム 【石ノ森章太郎デジタル大全】

有名なSF小説『1984』で知られる英作家ジョージ・オーウェルの社会風刺の効いた短編小説を漫画化。――家畜として人間に搾取されている動物達が、ある日、自由に目覚め反乱を起こす。「同志諸君、団結せよ。闘争じゃ、革命じゃ!」と論ずる豚をリーダーとして、人間を追い出し、理想の共和国家を築こうとするのだが、指導者の豚の裏切りに遭い、事態は次第に恐怖政治の様相を呈してゆく。動物共和国の行方は……!?

暴力の子は暴力―現代のカインとアベル―にコメントする
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