『僕の心のヤバイやつ』の最新3巻が6月8日に発売されています。今、世界で一番面白いラブコメ漫画(※同率1位)としてもおなじみですね! 最近は隔週火曜10時に最新話が更新されるたびにTwitterでトレンド入りしており、更新から軽く数時間はその内容に狂喜乱舞や一喜一憂して仕事が手につかなくなってしまい、社会の生産性を著しく低下させているといずれ社会問題化するのではないかと言われています。
まだ読んだことが無い人のために一言で説明してしまうと、「陰キャ中二病男子主人公と陽キャ女子ヒロインの関係性を描いた漫画」となります。陰キャラ・陽キャラというのは、概念自体はずっと昔からあったものでしょう。「陰キャラ・陽キャラ」という言葉もいちおう以前から存在はしていたようですが、ここ最近まで流行・定着していませんでした。そのため、例えばバラエティ番組「アメトーーク!」でも、今なら陰キャの一言で済むくくりを「中学の時イケてないグループ芸人」という、今思えばまどろっこしい表現をしています。
そんな陰キャ主人公・市川京太郎と陽キャヒロイン・山田杏奈の2人を中心にした物語なのですが、1巻時点ではまだハッキリと「ラブコメ」と言い切ってしまうのは少し気が引けます。第1話冒頭の時点では山田はまだ市川をクラスメイトの1人としか認識しておらず、主人公の市川も、ラブコメどころかこんな事を言っていました。
『僕の心のヤバイやつ』1巻4ページより
うーん、なんという中二病……。
モデルとかやってるクラス内の美女を殺そうという目論見は、たしかに『僕の心のヤバイやつ』です。この関係性が冒頭で提示された構図でしたが、物語はすぐにおかしな方向へと転がりだします。山田が学校でこっそりお菓子を食べている所を目撃してから、山田の奔放さに振り回されるようになっていくのです。
『僕の心のヤバイやつ』1巻14ページより
第1話の頃はまだ「殺戮のカウントダウン」とか強がっていますが、そのうち「山田観察日記」のようになっていきます。そうして山田を観察しているうちに、徐々に山田との関係性も変わってきて、主人公の心も変わっていきます。「心のヤバイやつ」の質が変わっていってしまうのです。第14話ではとうとう「僕は山田が好きなんだ」と自分の心のヤバイやつは恋心だったことに気付いて、山田との関係性が変化していきます。
ここで、桜井のりお先生による、1巻あとがきでの言葉を紹介しておきましょう。
この作品は「距離」「変化」「気付き」を丁寧に描いていきたいと思っています。
(『僕の心のヤバイやつ』1巻あとがきより)
描いている本人の表現だから当然といえば当然なのですが、これは至言ですね……。市川と山田がただのクラスメイトから図書室で見知った仲へと「変化」し、2人の「距離」が縮まり、そして市川は自分が山田が好きだと「気付く」。この「好き」になる以前の変化や気付きの部分は、ラブコメ以前の話となるため、一般的なラブコメ作品ではあまり描写されていないことも多いでしょう。『僕ヤバ』は、ラブコメ未満からラブコメへと至る変化が本当に丁寧に丁寧に描かれており、1巻から3巻では大きく読み味が変わってきているのもまた魅力です。
また、1巻の時点では山田の方はまだ市川を好きという段階にまでは行っていないのですが、市川の面白さや優しさに「気付いて」います。
『僕の心のヤバイやつ』1巻150ページより
1巻ラストのこのポケットティッシュを見つめる山田の表情! 市川の優しさには気付いているけれど、それが好きという感情だとはまだ気付いていない、複雑な表情ですね。よくもこんな「感情の狭間」のような表情を描くことができるものです。この山田の表情だけで1時間は語れますよ。
そして、2巻ではそんな山田からの市川への好意が少しずつ見えてきます。あくまで主人公は市川であるため、モノローグなどで山田の感情がハッキリと語られてはいません。自分に自信が無くて山田からの好意を素直に受け取れない市川は「もしかして?」と思うくらいですが、山田が小さな嘘をついてまで市川に話しかける状況を作ったりしてる様子は、1巻の頃とは違って読者の目からしたらもう疑いようの無いほどです。読者からは市川が見えていない山田の表情も見えますしね! 第27話での赤面と、第30話での演出によって、山田の気付きはいよいよ決定的なものになります。
『僕の心のヤバイやつ』2巻149ページより
このモノローグ自体は市川のものとして描かれているのですが、このコマへと至る流れや山田の表情、そしてお互いの「好きだ」という気持ちが窓枠に重なり合っているかのような演出などを見ると、ここでお互いが完全に自分の想いに「気付いた」のではないでしょうか。市川は2巻の時点でもともと100%自覚していましたが、山田は90%くらいは感じていた想いにここでとうとう100%気付いた、みたいなイメージです。山田が、市川を好きなことに自分で気付いた! ここからラブコメが始まる! はず!
ここで、再び桜井のりお先生による、2巻あとがきでの言葉を紹介しましょう。
人を好きになった時とその気持ちに気づいた時、初恋にはタイムラグがあるんだよ ってうちの猫が言ってました。
(『僕の心のヤバイやつ』2巻あとがきより)
うーん、なんて聡明な猫さんなんだ……。
1巻で市川が気付き、2巻で山田が気付いたことで、「市川が山田を好きだ」という片想いと「山田が市川を好きだ」という片想いが交錯しあって、「両片想いのラブコメ漫画」という形へと変わったのでした。3巻は、初っ端から山田が市川を好きだという気持ちが丸見えです。そして、お互いがお互いを想っているのにそれを素直に伝えることはできないもどかしさもあり、さながら恋愛頭脳戦の様相を呈してきます。
また、桜井のりお先生が「みなまで言わない」ような巧みな描写をすることも多いので、3巻以降は特に読者の深読み・考察が捗ること捗ること。第31話の「LINEやってる?」という言葉の意味のように作中で市川が気付くこともありますが、第33話の「山田の左頬に付いていたご飯粒がジャージの右襟に付いていた意味」や、第39話の「市川が気を失う前後でパジャマの上下の柄が変わっていること」などは、神の視点を持つ読者でもひと目では気付きづらいほどの細かな部分に深い意味を見出だせる繊細な作りとなっており、もはや上質なミステリーの領域です。
単行本3巻は、その構成からして巧みです。
『僕の心のヤバイやつ』3巻2ページより
第31話の「僕はLINEをやっている」から始まり、第44話の「僕らはLINEをやっている」で締めるという構成の美しさ! 「僕」から「僕ら」へ、この「ら」の1文字が加わるまでに読者はどれだけ悶絶し続けたことか! ええい、桜井のりおはどこまでしっかりと物語構成を作り込んだ上で描いてるんだ!
そんなことをかねてから思っており、僕ヤバ作中の時系列を個人的にExcelで表にまとめていたのですが、3巻分を整理していた時にいくつか気付いたことがありました。まずはその表をご覧ください。
四角でくくっているのは、同日や翌日など日にちの繋がりが明確になっている箇所です。日付けは、黄色が確定(もしくはほぼ確定)している日で、12/17から前は順次逆算して暫定ですが当てはめていきました。2巻目次に11/26(火)と書いてあり、これは2巻冒頭ではなく2巻収録分の後だと考えられる(※制服が夏服から冬服に変わるのが1巻後半の文化祭終了後の第13話からなのですが、11月後半まで全員が夏服を着ているとは思えない)のですが、そうなると第34話で毎週火曜19時放送のコロ学を視聴できるのは12/3(火)か12/10(火)のどちらかだけです。しかし、第34話から第40話までに5日以上経過しているので、第34話が12/3(火)だというのも半ば確定しています。
注目してほしいのは、クリスマスイブ特別編の、水色にしたマンガクロスでの更新日です。クリスマスイブ特別編は、本来は第38話と第39話の更新の間の、現実世界での12/24に更新されていました。しかし、作中時間で見ると、第38話は雨の日の放課後で、第39話はその翌日の市川が学校を休んだ日の出来事なので、クリスマスイブ特別編が入る隙間がありません。そのため、作中時間に合わせて収録順が変更されているという丁寧な気配りがされています。
また、特筆すべきは第40話「僕は練習台になった」の時系列です。第40話冒頭では市川は廊下から4番目のいつもの席に座っていたのですが、オチの翌日のシーンでは市川は廊下から2番目の席に移っているのです。
『僕の心のヤバイやつ』3巻105ページより
『僕の心のヤバイやつ』3巻112ページより
つまり、作中の時系列だと、第40話の冒頭からオチの間に第41話の席替え回が入ってくることになっており、ちゃんとそれを意識して描いているということですね。ええい、桜井のりおはどこまでしっかりと物語構成を作り込んだ上で描いてるんだ!(二度目) 桜井のりお先生はたぶん、現在公開された情報で私が作った表なんかよりも、もっと細かく正確な表とかで作中の出来事や時系列を整理した上で描いているのでしょうね……。いつか特装版とかでそういう資料類を公開してくれませんかね……。
3巻では市川と山田のそれぞれの片想いが何度も何度も交錯しあい、とうとうLINEの交換にまで辿り着きました。そして、3巻巻末にある通り、現在のマンガクロス連載分では渋谷クリスマスイブデート編が進行中です。デートだと明言はされていませんし市川はデートだという認識できていませんが、山田は完全にデート気分ですし、読者からしたらこれはもう完全にデートです。単行本は読んだけど連載分は読んでいないという人は、この機会に一気に連載分にも追いつきましょう! 一緒に隔週火曜の生産性を低下させましょう! 日本はもうおしまいです!(笑顔)