まみこ1年以上前編集破天荒な行動を突飛にとる佐治将太と、堅実かつ温厚な性格の関口将太朗、「日本の寿司を殲滅するためにやって来た」と、大胆不敵に宣告するフランスの寿司職人、ダヴィッド・デュカス、マルチ・レイシャルで大胆なアイデアと繊細な味覚を同時に備えた女性寿司職人、サヘル。この面々が作り出す料理から、世界の「SUSHI」を投影とし、日本の「寿司」とはそもそも何か、その良さとは何か?を問う物語。 …で、始まって、それで終われれば良かったのですが、悲しいかな、そうはなりませんでした。話はまとまらず、迷走して、未消化のまま終わってしまったのです。 食漫画の構造的な問題として、「話中の料理の美味しさを想像できないと、物語に没入できない」と言うのがあります。 別の漫画の名言ですが「客はな…、情報を喰っているんだ!」は、食漫画にも通じる話で、美味しさの隠し味だったり、その蘊蓄だったり、それらが納得できるのは、読む人々はある程度「分かっている」前提だからこそ、情報を食べることが出来、成立するのですね。 …で、この物語の中で、ダヴィッド・デュカスやサヘルが作るのは、「SUSHI」ですらなく、(所謂)「ヌーベルキュイジーニュ」なんです。これだと、なかなか味の想像も難しい。 一つ一つの料理の画は美味しそうなはずなんですけど、この構造を打ち崩すのは難し過ぎでした。 …とは言え、「岩寿司の親父さんと息子」「海の底にある幻の都」等々、良いエピソードもありますので、サクッと4巻読むのも良いのではないでしょうか?4わかるfavoriteわかるreply返信report通報
名無し1年以上前新しい価値観への挑戦というか、問への挑戦というか、面白くなりそうな感じではあったのですが中途半端に終わってしまい残念でした…。将太の寿司2 World Stage「SUSHI」を通して「寿司」を見る2わかる
名無し1年以上前憎々しさを出しすぎても話が停滞すると思ったのか読む時のストレスになると思ったのか… 思い出したけど前作の主人公の名前と被るような名前にしたのもちょっと漫画読む時にひっかかったかな 現実でも名前をもらうことはあることはあるけどまるっきり同じだと呼ぶのも検索するのもいちいち書くのもちょっと手間っていうか将太の寿司2 World Stage「SUSHI」を通して「寿司」を見る4わかる
まみこ1年以上前まぁ、グルメ漫画、存在そのものが対決を避けては通れない、と言いますか…。 「美味しんぼ」「ラーメン発見伝」は、最たるものでしょう。 バトル特化の寿司漫画だと「江戸前の旬~旬と大吾~」「江戸前鮨職人 きららの仕事 ワールドバトル」辺りは、やりすぎでしたね~…。将太の寿司2 World Stage「SUSHI」を通して「寿司」を見る3わかる
名無し1年以上前もう少し長く続いていれば寿司社会に対する大作になるのかなぁとも思ったけど序盤からの迷走が痛いとも思うから難しかったかもしれない そういえば寿司漫画って長編になればなるほどなんか対決させないと読者離れするのかってぐらい寿司対決させがちな気がする将太の寿司2 World Stage「SUSHI」を通して「寿司」を見る2わかる
まみこ1年以上前想像ですが、前作の「笹寿司」の役割は、パリの「ハイ寿司」と銀座の「GENESIS」で分け合うつもりだったのかもしれません。すぐに分かり合って、憎々しさは皆無でしたねぇー。将太の寿司2 World Stage「SUSHI」を通して「寿司」を見る2わかる
あらすじ「日本の寿司を殲滅しにきた」と豪語するフランス人寿司職人、ダビッド・デュカスが鳳寿司に現れた。旧態依然でガラパゴスと化した日本の寿司に比べ、世界ではSUSHIが急速に進化、発展、拡大しているという。佐治の息子、佐治将太は、ダビッドの作る寿司を見て、世界へ出ることを決意。金もコネも何もなくパリへと飛んだ将太は、美食の都で未来を握ることができるのか!?続きを読む
破天荒な行動を突飛にとる佐治将太と、堅実かつ温厚な性格の関口将太朗、「日本の寿司を殲滅するためにやって来た」と、大胆不敵に宣告するフランスの寿司職人、ダヴィッド・デュカス、マルチ・レイシャルで大胆なアイデアと繊細な味覚を同時に備えた女性寿司職人、サヘル。この面々が作り出す料理から、世界の「SUSHI」を投影とし、日本の「寿司」とはそもそも何か、その良さとは何か?を問う物語。
…で、始まって、それで終われれば良かったのですが、悲しいかな、そうはなりませんでした。話はまとまらず、迷走して、未消化のまま終わってしまったのです。
食漫画の構造的な問題として、「話中の料理の美味しさを想像できないと、物語に没入できない」と言うのがあります。
別の漫画の名言ですが「客はな…、情報を喰っているんだ!」は、食漫画にも通じる話で、美味しさの隠し味だったり、その蘊蓄だったり、それらが納得できるのは、読む人々はある程度「分かっている」前提だからこそ、情報を食べることが出来、成立するのですね。
…で、この物語の中で、ダヴィッド・デュカスやサヘルが作るのは、「SUSHI」ですらなく、(所謂)「ヌーベルキュイジーニュ」なんです。これだと、なかなか味の想像も難しい。
一つ一つの料理の画は美味しそうなはずなんですけど、この構造を打ち崩すのは難し過ぎでした。
…とは言え、「岩寿司の親父さんと息子」「海の底にある幻の都」等々、良いエピソードもありますので、サクッと4巻読むのも良いのではないでしょうか?