ネタバレ

長尾謙一郎の『ギャラクシー銀座』は、紛れもない名作である。

伝染るんです。』『いまどきのこども』『サルまん』等など、綺羅星のごときスピリッツ連載の革新的ギャグ群の血脈を受け継ぐ、最新のまことに見事な達成だ。

…って、「最新」なんて言っちゃったけど、そうか、ギャラ銀も、もう10年以上前なのか。

しかし、この10年間で、それを超えるだけの破壊力を持ったギャグは現れていない、と個人的には断言したい。
二十一世紀、メジャー漫画誌に掲載されたギャグ・フィールドの成果として、うすた京介ピューと吹く!ジャガー』のクオリティーに比肩できるパワーを持つのは、この作品くらいではないか。
漫画太郎の衝撃は、二十世紀末ですからねえ。『地獄甲子園』とか本当に凄かったけど)

前作『おしゃれ手帖』のスマッシュ・ヒットに続き、満を持して開始されたであろう『ギャラ銀』は、その革新性ゆえ、連載中から迷走を始めたように感じられる。
だが、その迷走と引き換えに、ギャグ漫画は時に不滅の破壊力を得るのだ。『バカボン』が、『マカほう』が、『パイレーツ』が、『珍遊記』が、迷走していないと誰に言えるだろうか。

『ギャラクシー銀座』には、新しいギャグを描くのだ、という崇高な志が漲っている。
それは、この「ギャグ漫画不毛の時代」にとって、果敢で無謀な「光」だったと、今も強く思う。
その迷走の先は無明だったとしても、だ。

漫画雑誌というメディアの生命が終わろうとしている今、どこに新しいギャグの「火」は灯されるのだろう。

読みたい
完全版 ピーナッツ全集

海外漫画の最良の入り口

完全版 ピーナッツ全集
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

ビル・ワターソン『カルヴィン&ホッブス』のクチコミに書いたことだが、日本では本当に海外の漫画が読まれない。 この『ピーナッツ』ですら、「スヌーピー」というキャラクターを知る人の数に比べたら(いや、日本国民全員でしょう、それは)、実際に漫画を読んだ人は驚くほど少ないだろう。 とは言え、谷川俊太郎の美事な仕事によって、『ピーナッツ』は版元を変えながら、延々と刊行され続けている。誠に喜ばしいことである。(アメリカへ会いに行った谷川に、シュルツが「翻訳できるなんて、あなたは私よりもジョークが上手いんでしょうねえ」と感謝していた記憶がある) ごく最近刊行が始まった『完全版 ピーナッツ全集』は、本書「15」が第1回配本分となる。 個人的には、70年代のピーナッツが、今の日本人読者にとっては一番違和感なく楽しめると思うので、できれば、近いうちに刊行されるであろう「12~14」を、まずはお薦めしたい。 ちなみに、50年代や60年代は、結構絵柄が違うので、少し戸惑うと思います。 いや、もっと正直に言うと、ツル・コミック『PEANUTS BOOKS』か角川書店『SNOOPY BOOKS』、例の縦長の、横に英語が載ってるヤツを古本で探して読むのが一番良いですよ。 なんと言っても、我らが西の巨人いしいひさいちの『ドーナツブックス』が思いっ切り形をパクった、4コマ漫画の聖典なのですから。 とにかく、海外の漫画(コミック・ストリップ、カーツゥーン)を読み味わうということにおいて、これほど日本人にとってイージーな作品はない。 チャーリー・ブラウンもサリーもルーシーもライナスもシュレーダーもピッグペンもペパーミントパティも、皆、我ら極東の民と同じように人生に悩む「隣人」である。スヌーピーはいつだって、尊大で小心でええカッコしいで、魅力的だ。 『ピーナッツ』なら、誰でも海外の漫画を心から楽しむことができるのだ。 そして、この極めた優れた「入り口」を通ることが、世界中の漫画へのパスポートになる、と自分の経験を考えて断言できるのです。

大江戸恐龍伝

その意気や良し

大江戸恐龍伝
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

夢枕獏の小説は、漫画化してもあまり売れない…と、昔、知り合いの漫画関係者から聞いたことがある。 いやいやいやいや、岡野玲子との『陰陽師』があるし、谷口ジローとの『神々の山嶺』は名作だし、板垣恵介との『餓狼伝』だって売れたでしょ!…と反論したのだが、先方は「そうなんだけどねえ…」と言葉を濁した。 (ちなみに、この会話は「それに比べると菊地秀行の漫画化は数字的にかなり手堅い」と続いた。その比較について考えるのはとても興味深いのだが、このクチコミと主旨がズレまくるので触れない) 実は彼とは、かつてボクシングについても同じようなやり取りをしたことがある。 ボクシング漫画って売れないんだよねえ…と言われ、いやいやいやいや、『あしたのジョー』や『がんばれ元気』や『はじめの一歩』とか、ド名作があるじゃない!…と反論したのだ。だが彼は「いや、それはそうなんだけどね。でも、漫画家は描きたがるんだけど、かなり実力がある人でも、あまり上手くいかないんだよ」と答えた。 「夢枕獏」や「ボクシング」は、多くの漫画家がそれに魅了され、漫画にしたいと願い、そして実際に挑戦するのだが、作品的にもセールス的にもなかなか送り手が期待するような結果にならない、と言うのだ。 そう考えると、確かに、夢枕の小説が持つ破天荒な面白さを、漫画というフィールドに結実し得た作品というのは、あまり思い浮かばない。 上記三作はそれぞれの漫画家の類い稀な個性によって「面白く」なったのだが、あくまで「例外」ということなのか。 そういう意味では、スティーブン・キングの映画化と近いかもしれない。 (ちなみに、ボクシングについても、「村上もとか『ヘヴィ』や細野不二彦『太郎』といった意欲作が彼らの豊かなキャリアの中でどんな位置か」とか、「明らかにボクシング漫画を指向していたにも関わらず森田まさのり『ろくでなしBLUES』はなぜそのジャンルとして失敗したのか」とか、「車田正美『リングにかけろ』が正統的ボクシング漫画であることを止めてから売れたのはなぜか」とかを考えるのはとても興味深いのだが、これもやはりこのクチコミと主旨がズレまくるので触れない) 前置きが長くなりすぎた。 とにかく、夢枕獏の漫画化は「難しい」のだ。 しかし多くの漫画家や編集者は、この魅力的で危険な「賭け」に、今も挑み続ける。 やまあき道屯『大江戸恐龍伝』は端倪すべからざる作品である。 原作の、江戸期のスター・キャラをズラリ並べて荒唐無稽・縦横無尽に突っ走る面白さに、漫画家は必死に喰らいついている。 構成は少しダイジェスト感があり、いかんせん詰め込みすぎではあるのだが、熱気と主張ある絵柄で美事なコミカライズとなっていると思う。 近年の収穫と呼ぶに相応しい力作だと信じる。

クシー君の発明

洒脱な結晶

クシー君の発明
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

鴨沢祐仁は、漫画史にポツンと光る宵の明星である。 イラストレーターとしての活動のほうが知られているだろうが、本書のような漫画では、カッチリとした、『タンタンの冒険』のエルジェをさらにモダナイズしたような熟練の洒脱なタッチで、稲垣足穂『一千一秒物語』に強い影響を受けたクリスタルなエピソードを描く。 足穂インスパイアな作品は多くあるが、これほどまでに美事な仕事はちょっと思い浮かばない。 読んで満足、棚に飾って嬉しく、オシャレなプレゼントとしても最適! いや、ホント、こんな漫画家は他にいない。 劇画やヘタウマというムーブメントが激しい意識の変容をもたらした時代に、その潮流に与せず我が道を進んだ「西洋アンティーク版“林静一”」とも呼び得る存在として、真にユニークな才能である。 だが、林静一のイラストレーションが手に負えないほどの危険なエロスを秘蔵しているのと同様、鴨沢祐仁も、実はかなりエロスな人なのだ。 稲垣足穂は『少年愛の美学』『A感覚とV感覚』の「大変な変態」(雑な回文)な人でもあるので、その影響下にある鴨沢も、初期には、かなりネットリと耽美的なタッチだったりもしていることが、本書では分かる(…と思う。自分は青林堂版で持っていて、このPARCO出版の復刻版を電子化したと思しいeBookJapan Plus版を読んでいないのだが)。 後の作風ではそれを漂白してしまっているが、どちらも自分はとても好きなのです。

エクゾスカル零

ヒーローという宿痾

エクゾスカル零
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

山口貴由は、常に戦い続ける。 その戦いは、常に不毛である。 ヒーローはなんのために戦うのか、という問いの無意味さを、山口貴由は作家生命を賭けて描き続けているように思われる。 畢生の傑作『シグルイ』も、徹頭徹尾「不毛なるもの」としての戦いであるが(すべての戦いを命じた徳川忠長は、物語の開巻でそれにより罰せられ切腹する)、そこにはまだ武士道や階級社会のようなシステムによる動機付けが存在していた。 だが、本作にはそうしたエクスキューズすら存在しない。 『エクゾスカル零』は、出世作にして時代を圧倒する快作『覚悟のススメ』の続篇であり、明らかな「仮面ライダー」オマージュなのだが、主人公がなんのために、誰を救うために戦うのか、という本質的クエスチョンを、すべての解の可能性を叩き潰した徹底的にエクストリームな設定の上で、敢えて問い直そうとしている。 闘争は人の宿痾だ。 望むと望まざるとに関わらず、人は戦う。 だからこそ、人はその理由を探し求める。 だが、そんな理由など、どこにもない。 それでも、ヒーローは正義のために戦わねばならないのだ。 「正義」とはなんなのか分からないとしても。 この作品を失敗作という人はいるだろう。 ヒーロー漫画という意味での喜びは、ここにはほとんど感じられないのだから。 だが、絵の硬度は作者史上最強、物語はほぼ理解不能なまでに研ぎ澄まされている。 まるでカフカかバルトークの弦楽四重奏曲のようだ。 現代日本漫画の極北のひとつであると思う。 以下は余談。 上記に「徳川忠長は切腹する」と書いたが、『シグルイ』では扇腹として描かれている。 打ち首は罪人に対する処罰だが、切腹は違う。介錯人は断頭をしてはならず、首の皮一枚を残して斬らねばならない。その困難さ故、介錯人には真に腕の立つ者が選ばれた。 『シグルイ』でも、正確に首の皮がわずかに残った形で描かれてる。(マンバの試し読みで確認できます) そこに、公儀介錯人や斬首役を主人公に名作を描いた師・小池一夫への、著者リスペクトを感じるのだが、どうなのだろう。

ラタキアの魔女 笠辺哲短編集

「奇妙な味」の果実

ラタキアの魔女 笠辺哲短編集
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

笠辺哲をなんと評価すれば良いだろう。 なに気にキャリアのある人で、もう期待の俊才などと言うのも失礼だろう。 「ゼロ年代コミティア系の良心」? いや、別にコミティアに「悪心」が他にあるとも思っていないのだが。 SF的なテイストだと宮崎夏次系のほうがハードコアだが、笠辺哲には独自のつかみどころのない気持ちよさがあって、とにかくいつ読んでも絶妙に「宙ぶらりん」な読後感を味わわせてくれる。 絵柄も話も、少しユルいヌケたところがあって、それなのに描いている世界はちゃんと棘があり、読み重りがする。 かつての小説界であれば、「奇妙な味」というのが相応しいような、貴重な才能だ。 それはともかく。 なんでこの人は、このペンネームなんだろう。 どう考えても映画監督・俳優のジョン・カサヴェテスから取って付けていると思うのだが、その作品に、カサヴェテスっぽさは特にない。 この作品集が刊行された時のインタビューがネットで見つかったが、そこでは、自分から「(アイデアの)ベースになりやすいのが映画」と話題を振って、好きなのはタランティーノ『パルプ・フィクション』、黒澤作品、デビッド・リーン作品、キューブリック作品、『天井桟敷の人々』とズラズラ列挙するのに、カサヴェテスのことはまったく触れていない。 音の響きが面白いから借りた…くらいのことなのだろうか? 不思議。 (もちろんそれで全然構わないのだが。自分のように、カサヴェテスの名前に惹かれてコミックス買っちゃったヤツもいて、その辺もまたつかみどころがない感じがして、なかなか良いと思います)

遥かなる甲子園

号泣保証

遥かなる甲子園
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

自分は、漫画や映画のようなフィクションに触れてウルウルすること、実際に「涙を流す」ことの多いセンチメタルな人間なのだが、その多くは、あくまで個人的な心情にフィットして、だ。つまり、自分自身の経験や環境と類似するシチュエーションにいるキャラクターに、感情移入をして泣くのである。 だが『遙かなる甲子園』は、あくまで物語内のキャラクター、自分とはまったく異なった存在に作品を読むと同一化させられ、オンオンと号泣させられる。 自分でもおかしいんじゃないかと思うくらい、涙でページが見えなくなってしまう。 感動作という表現がこれほど相応しい漫画はない。 山本おさむはキャリアの長い人で、初期の青春物から近年の『そばもん』『赤狩り』まで、篤実な作風とはこのことか、という誠に得がたい才能だが、なんと言っても本作『遙かなる甲子園』『わが指のオーケストラ』『どんぐりの家』という、聴覚障害や重複障害の人々を描いた「人権三部作」とも呼び得る圧倒的作品群が素晴らしい。 漫画読んで泣きたい人は、ぜひ。 不思議と読後に心がすっきりします。 余談だが、山本には、漫画作品ではないが『マンガの創り方』という隠れた名著があり、これを読むと、その真率に創作に向かう姿勢の一端を知ることができる。簡単に言えば、彼の作品には常に読者への強い心配りがあるのだ。だからこそ、自分と関係のない存在にも、あれほど感情移入させることができるのだろう。(この本、古書でも高額で、あまり薦めにくいのだが)

ぎゃらくしーぎんざ
ギャラクシー銀座 1巻
ギャラクシー銀座(2)
ギャラクシー銀座(3)
ギャラクシー銀座(4)
本棚に追加
本棚から外す
読みたい
積読
読んでる
読んだ
フォローする
メモを登録
メモ(非公開)
保存する
お気に入り度を登録
また読みたい
バックホームブルース

バックホームブルース

笑えて泣ける、野球と家族の物語、新機軸! 第1巻にてなんと、あだち充先生より推薦コメントをいただきました! 「あだち充にコメントを頼むくらいですから当然、本格王道野球漫画ではありません! 素敵な素敵な家族のお話、もちろん!野球好きの皆様にも喜んで頂けるようになっておりますので是非!」 【あらすじ】 男の名は青空柑二郎(あおぞらかんじろう)。選手生活25年目のプロ野球選手。ニックネームは「ロンリーブルース」。彼のこだわりはただ一つ、ホームランを遠くへ飛ばすこと―― 「年俸250万+出来高払い」という、崖っぷちの条件で、万年最下位の湘南シーガルズに移籍。海辺の町で心機一転、子供達3人との新生活が始まる。だが引っ越し早々、町内会長とケンカして村八分に…!? やること全てがハチャメチャで、家族もチームメイトも大迷惑! …でも、案外いいところもあったりして!? 時代遅れのポンコツ昭和男が、窮屈な現代に風穴を開ける!? 笑いと人情の、ベースボール移住家族コメディー開幕!!

三日月のドラゴン

三日月のドラゴン

僕は強くなりたい…!胸うつ青春成長格闘譚 月島龍之介、高校1年生。幼い頃に両親を亡くし、祖母と二人暮らし。家計を助けるため、コンビニでアルバイトをしている。ある日、映画研究会の友人が不良達に脅されているところに遭遇、自身も恐喝されてしまう。そしてその夜、バイト先で強盗を圧倒的な強さで撃退する、謎の老人と出会い…!? 鬼才・長尾謙一郎、衝撃の完全新境地!! 江ノ島を臨む潮騒の街で繰り広げられる、胸うつ青春ストーリー!!

おしゃれ手帖

おしゃれ手帖

▼第1話/ぷっくり▼第2話/さよなら明菜▼第3話/山の手残酷物語▼第4話/愛撫と転落死▼第5話/ある日突然、渋谷がケニア!?▼第6話/好きボクロ▼第7話/アイ・ラブ・中尊寺先生▼第8話/しあわせ家族計画▼第9話/ガキ帝国▼第10話/チェッ、グラスホッパーかよ…▼第11話/OKコンピュータ▼第12話/山の手サノバビッチ▼第13話/日本全国馬鹿ばっかり▼第14話/やんちゃ村、はぁと・うぉ~みんぐ・すと~り~▼第15話/頭文字・T▼第16話/巨人に入ってアイドルと結婚してカレー喰いてー!!▼第17話/ナイトスポット▼第18話/平成おんなの事件簿▼第19話/田園調布皆殺しブルース▼第20話/春です!恋の季節です!▼第21話/お母様と合衆国▼第22話/シティー派鎮魂歌▼第23話/マイディンガリンガリン▼第24話/シリーズお母様の手記・1母として…▼第25話/ダビデの悲劇▼第26話/野獣死すべし▼第27話/ご存じ!聖子のサロゲートマザー2▼第28話/ザ・メスイヌ▼第29話/悪魔のようなこいつ…▼第30話/うっそー!?ナブラチロワはだてメガネ?▼第31話/お父様の三つめのイボ痔…▼特別収録/ハウ・トゥー清純派▼あとがき●主な登場人物/小石川セツコ(埼玉県北部にあるらしい聖ヤンサン学園に通う高校生。。学園一の清純派)、小石川丈一(セツコの父。埼玉おもしろ航空社に勤務するパイロット)、小石川美知子(セツコの母。元・全女のレスラー。ヒップホップが大嫌い)、チャック全開くん(セツコの弟。小5。ルックスも行動も八方破れだが、根はいい子。もちろんいつでもズボンのチャックは全開だ)●あらすじ/聖ヤンサン学園一の清純派といわれる小石川セツコ。お嬢様である彼女は、クラスの男子が口にした「ボッキ」という言葉が理解できず、クラスメイトたちにその意味を聞いてしまった。クラスで一番エッチなヤツが下品な笑みを浮かべながら指さす方を見てみると、男子の例の場所にぷっくりと山がそびえているではないか!大ショックを受けたセツコは、それ以来ボッキノイローゼ。戸棚のコケシも母の髪形も、なんでもかんでもボッキしたポコチンに見えてしまう(第1話)。●本巻の特徴/あまりにもお嬢様すぎて、一般的な常識にちょいと欠けるセツコ。頭のネジが外れまくった両親。ワイセツなことに興味津々の弟・チャック全開くん。この小石川家の4人が繰り広げる騒動を描いた下ネタ中心のギャグコミック

バンさんと彦一

バンさんと彦一

Iloveyou...そのひとことが言えなかった。名作『おしゃれ手帖』『ギャラクシー銀座』の果てに迷い込んだ、純愛ラビリンス。バンさんの心が…ぜんぜんわかんないよ……!!『おしゃれ手帖』に登場したあの名コンビが帰ってきた……!!海を愛する太陽族の大男〈バンさん〉と、彼を慕うナイーヴな小男〈彦一〉が織りなす、切なくも甘い日々――。雑誌『QuickJapan』にて好評を博した連載「バンさんと彦一」オリジナル全11話+未収録1話を収録した、あるクソ暑い夏のメモリー。

クリームソーダシティ

クリームソーダシティ

その物語は、あまりにも強い衝撃とともに始まりを告げる――!!雨のそぼ降る渋谷駅前。傘の群れが行き交うスクランブル交差点。醜悪さを絵に描いたような政治家の演説を遮ったのは一発の銃弾だった。「ただ、正しいことがしたい」純粋にそれだけを追い求める青年、皇(コウ)先輩とTAKO介(タコスケ)。理想を追い求める二人組の起こしたテロ行為が今、見たこともない世界=““楽園””の扉をコジ開けるのだ…!

試し読み
クリームソーダシティ 完全版

クリームソーダシティ 完全版

鬼才・長尾謙一郎がおくる渾身の最高傑作、ここに堂々完結! “そこはある。きっとある。そこでは全てが完璧なんだ。”雨の渋谷で政治家を襲撃したDr.皇とTAKO介は、気がつけば一瞬にして楽園「クリームソーダシティ」に立っていた。謎の美少女に導かれ、楽園と日常とを行き来するTAKO介。世界の真理に肉薄するDr.皇。はたしてこれは現実なのか──? 2014年5月に「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)での連載が未完のまま突如終了し、長らくのあいだ漫画読みに語り継がれてきた幻惑の楽園譚『クリームソーダシティ』。本当に描きたかった“結末”がここにある。

迷走せよ!にコメントする
※ご自身のコメントに返信しようとしていますが、よろしいですか?最近、自作自演行為に関する報告が増えておりますため、訂正や補足コメントを除き、そのような行為はお控えいただくようお願いしております。
※コミュニティ運営およびシステム負荷の制限のため、1日の投稿数を制限しております。ご理解とご協力をお願いいたします。また、複数の環境からの制限以上の投稿も禁止しており、確認次第ブロック対応を行いますので、ご了承ください。