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わかる
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(とりあえず)名無し
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2020/04/28
洒脱な結晶
鴨沢祐仁は、漫画史にポツンと光る宵の明星である。 イラストレーターとしての活動のほうが知られているだろうが、本書のような漫画では、カッチリとした、『タンタンの冒険』のエルジェをさらにモダナイズしたような熟練の洒脱なタッチで、稲垣足穂『一千一秒物語』に強い影響を受けたクリスタルなエピソードを描く。 足穂インスパイアな作品は多くあるが、これほどまでに美事な仕事はちょっと思い浮かばない。 読んで満足、棚に飾って嬉しく、オシャレなプレゼントとしても最適! いや、ホント、こんな漫画家は他にいない。 劇画やヘタウマというムーブメントが激しい意識の変容をもたらした時代に、その潮流に与せず我が道を進んだ「西洋アンティーク版“林静一”」とも呼び得る存在として、真にユニークな才能である。 だが、林静一のイラストレーションが手に負えないほどの危険なエロスを秘蔵しているのと同様、鴨沢祐仁も、実はかなりエロスな人なのだ。 稲垣足穂は『少年愛の美学』『A感覚とV感覚』の「大変な変態」(雑な回文)な人でもあるので、その影響下にある鴨沢も、初期には、かなりネットリと耽美的なタッチだったりもしていることが、本書では分かる(…と思う。自分は青林堂版で持っていて、このPARCO出版の復刻版を電子化したと思しいeBookJapan Plus版を読んでいないのだが)。 後の作風ではそれを漂白してしまっているが、どちらも自分はとても好きなのです。
(とりあえず)名無し
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2020/04/27
ヒーローという宿痾
山口貴由は、常に戦い続ける。 その戦いは、常に不毛である。 ヒーローはなんのために戦うのか、という問いの無意味さを、山口貴由は作家生命を賭けて描き続けているように思われる。 畢生の傑作『シグルイ』も、徹頭徹尾「不毛なるもの」としての戦いであるが(すべての戦いを命じた徳川忠長は、物語の開巻でそれにより罰せられ切腹する)、そこにはまだ武士道や階級社会のようなシステムによる動機付けが存在していた。 だが、本作にはそうしたエクスキューズすら存在しない。 『エクゾスカル零』は、出世作にして時代を圧倒する快作『覚悟のススメ』の続篇であり、明らかな「仮面ライダー」オマージュなのだが、主人公がなんのために、誰を救うために戦うのか、という本質的クエスチョンを、すべての解の可能性を叩き潰した徹底的にエクストリームな設定の上で、敢えて問い直そうとしている。 闘争は人の宿痾だ。 望むと望まざるとに関わらず、人は戦う。 だからこそ、人はその理由を探し求める。 だが、そんな理由など、どこにもない。 それでも、ヒーローは正義のために戦わねばならないのだ。 「正義」とはなんなのか分からないとしても。 この作品を失敗作という人はいるだろう。 ヒーロー漫画という意味での喜びは、ここにはほとんど感じられないのだから。 だが、絵の硬度は作者史上最強、物語はほぼ理解不能なまでに研ぎ澄まされている。 まるでカフカかバルトークの弦楽四重奏曲のようだ。 現代日本漫画の極北のひとつであると思う。 以下は余談。 上記に「徳川忠長は切腹する」と書いたが、『シグルイ』では扇腹として描かれている。 打ち首は罪人に対する処罰だが、切腹は違う。介錯人は断頭をしてはならず、首の皮一枚を残して斬らねばならない。その困難さ故、介錯人には真に腕の立つ者が選ばれた。 『シグルイ』でも、正確に首の皮がわずかに残った形で描かれてる。(マンバの試し読みで確認できます) そこに、公儀介錯人や斬首役を主人公に名作を描いた師・小池一夫への、著者リスペクトを感じるのだが、どうなのだろう。
(とりあえず)名無し
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2020/04/24
「奇妙な味」の果実
笠辺哲をなんと評価すれば良いだろう。 なに気にキャリアのある人で、もう期待の俊才などと言うのも失礼だろう。 「ゼロ年代コミティア系の良心」? いや、別にコミティアに「悪心」が他にあるとも思っていないのだが。 SF的なテイストだと宮崎夏次系のほうがハードコアだが、笠辺哲には独自のつかみどころのない気持ちよさがあって、とにかくいつ読んでも絶妙に「宙ぶらりん」な読後感を味わわせてくれる。 絵柄も話も、少しユルいヌケたところがあって、それなのに描いている世界はちゃんと棘があり、読み重りがする。 かつての小説界であれば、「奇妙な味」というのが相応しいような、貴重な才能だ。 それはともかく。 なんでこの人は、このペンネームなんだろう。 どう考えても映画監督・俳優のジョン・カサヴェテスから取って付けていると思うのだが、その作品に、カサヴェテスっぽさは特にない。 この作品集が刊行された時のインタビューがネットで見つかったが、そこでは、自分から「(アイデアの)ベースになりやすいのが映画」と話題を振って、好きなのはタランティーノ『パルプ・フィクション』、黒澤作品、デビッド・リーン作品、キューブリック作品、『天井桟敷の人々』とズラズラ列挙するのに、カサヴェテスのことはまったく触れていない。 音の響きが面白いから借りた…くらいのことなのだろうか? 不思議。 (もちろんそれで全然構わないのだが。自分のように、カサヴェテスの名前に惹かれてコミックス買っちゃったヤツもいて、その辺もまたつかみどころがない感じがして、なかなか良いと思います)
(とりあえず)名無し
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2020/04/23
ネタバレ
「熱狂」とはなにか
梶原一騎の凄さを、今の読者にどう伝えたら良いのか…って、前にも同じような文章をクチコミで書いたような気がするが、こっちはそんなに悩まない。 梶原一騎は、もう要するに「フィクション=嘘」のとんでもないパワーが、その真髄であるに決まっている。 言い換えれば、ホラ話の面白さだ。 日本漫画史で、これほど胸躍るキワキワのホラを騙り続けた作家はいない。 昔、『巨人の星』の消える魔球の秘密で、「魔送球の縦の変化」という説明を読んで、少年だった私は「え、そんな、重力あるじゃん! じゃあドロップを横に変化させたらカクっと真横に「落ちる」って言うの!? 変化球を縦やら横に投げ分けられないでしょ!」と、とても釈然としなかったことがあった。 しかし、そんなガキのクソ生意気でクソ正論なションベン臭い小理屈と、漫画の「面白さ」はまったく関係がないのである。 『巨人の星』は、本当に素晴らしく陶酔的な魅力に溢れた大傑作で、私も大好きなのだから。 そういう点では、なんと言っても『ジャイアント台風』である。 このマンバの「あらすじ」からしてメチャクチャで、「(馬場選手の言葉、作中より一部抜粋)」って、こんなことを馬場が絶対言うはずがない。 トレーニングで足に鉄アレイをくくり付けられて、力道山から蜂の巣を投げつけられ、「このままでは死あるのみ」と苦悶した……そんな「汗と涙の苦しい経験」、馬場がしてるわけないでしょう! だが、既に馬場も梶原も物故し、それから長い時が過ぎた今も、この「騙り」はインターネットという新しいメディアの中で、ギラギラと我々を挑発してくる。 だって、「馬場選手の言葉」って書いてあるんですよ。 「ノンフィクションコミック」って堂々と言い切っちゃってるんですよ。 そんで漫画読んだら、そりゃあ今も信じちゃう人、いるでしょ! (……いや、いないかな。 つまんない時代だな。 ホント、リテラシーなんていう薄気味悪い言葉使うヤツ、梶原兄弟の霊にボコられちゃえばいいのに) 同系列の『プロレススーパースター列伝』に出てくるもろもろも、ほぼほぼ嘘ですよね。 とんでもなく面白いですけど! エリックのアイアン・クローとか、ブッチャーの地獄突き体得のエピソードとか、最高。 まあ、プロレス自体が、そうした虚実の皮膜を豪快に利用するジャンルではあるので、そのケミストリーが最大限に発揮された、というのはあるかもしれない。 それにしても、あまりと言えばあまりではある。 今の人は呆れるだろうが、当時の子供は皆、梶原原作の「実録」物を、ホントに信じて熱狂していたのであった。 思えば、とても幸福だった。 あの頃は、漫画を読む純粋な喜びに満ち溢れていた。 とにかく、『ジャイアント台風』は、あの中島らもが、笑い過ぎて痙攣を起こし「このままでは死あるのみ」となった生涯最高の漫画である、と賞賛を惜しまなかった本当に面白い傑作なのですよ。
(とりあえず)名無し
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2020/04/22
ネタバレ
幻の光として
正直、2000年代に入って以降、こんなに面白いと思った漫画は他にない…と断言したくなるような、とんでもない傑作である。 物語を味わうということ、SFを味わうということ、漫画を味わうということ、そして山田芳裕という無類の才能を味わうということの、他に比べるものが思い浮かばない陶酔を、連載を追いながら毎回噛みしめるように感じていた。 テセラックという存在の息をのむような異質感は、地球外生命体の表現として、世界のSF映画史を見渡しても白眉と呼びうるほどの、惚れ惚れする素晴らしさだ。 この真のモンスターであるテセラックに、人類代表の我らが度胸が挑む…なんと心躍る展開か! …もちろん、既に読んでいるかたはご存知の通り、その「戦い」が描かれることはなかった。 今作は未完なのだ。 この連載をしていた週刊ヤングサンデーは、当時、本当に充実していた。 新井英樹『ザ・ワールド・イズ・マイン』、山本英夫『殺し屋1』、松永豊和『バクネヤング』のような、超問題作がズラリと並び読む者を煽っていた。 (もちろん、遊人や『海猿』のようなヒット、喜国雅彦・西原理恵子・古屋兎丸などの切れのあるギャグもラインナップされた、恐るべき誌面だったのだ) だが、編集部はある時から、それらパワー溢れる意欲作群に、軒並み「打ち切り」という判断を下していった。 新井英樹が、山本英夫が、そして山田芳裕が、その異能を存分に発揮していたはずの「代表作」の終焉によって、雑誌を去って行った。 『度胸星』の最終回を読んだ時の感情は、今も鮮烈に記憶している。 それは、人生の喜びを奪われてしまった絶望感、としか表現のしようがない。 噂では、新しい編集長が「スポーツ物と恋愛物以外はいらない」と言ったと聞いたが、本当のところは分からない。 やがて、気の抜けたグラビア誌もどきのようになったヤンサンは、アッと言う間に凋落し廃刊となった。 ここでは、講談社から出た「新装版」にクチコミを寄せる。この新装版でも、特に物語の続きが描かれているわけではないのだが。 かつて連載に熱狂していた者としての感謝と、その最終回に感じた絶望の思い出として。 しかし、たとえ未完であるとしても、『度胸星』は今もその面白さを一切減じてはいない。 まるでトマス・コールの名画「青年期」のように、日本SF史に「永遠にたどり着けない幻の城」として屹立しているのだ。 ぜひ、一人でも多くのかたに読んで興奮していただき、自分と同じような重い「悔しさ」を感じていただきたい。 ちなみに、SF作家としての鬼才・山田芳裕は、連載中の『望郷太郎』で鮮やかにシーンに復帰している。 これだけ先が楽しみな漫画は今、他にそうはない。 慶賀に堪えない。
(とりあえず)名無し
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2020/04/18
その意気や良し
夢枕獏の小説は、漫画化してもあまり売れない…と、昔、知り合いの漫画関係者から聞いたことがある。 いやいやいやいや、岡野玲子との『陰陽師』があるし、谷口ジローとの『神々の山嶺』は名作だし、板垣恵介との『餓狼伝』だって売れたでしょ!…と反論したのだが、先方は「そうなんだけどねえ…」と言葉を濁した。 (ちなみに、この会話は「それに比べると菊地秀行の漫画化は数字的にかなり手堅い」と続いた。その比較について考えるのはとても興味深いのだが、このクチコミと主旨がズレまくるので触れない) 実は彼とは、かつてボクシングについても同じようなやり取りをしたことがある。 ボクシング漫画って売れないんだよねえ…と言われ、いやいやいやいや、『あしたのジョー』や『がんばれ元気』や『はじめの一歩』とか、ド名作があるじゃない!…と反論したのだ。だが彼は「いや、それはそうなんだけどね。でも、漫画家は描きたがるんだけど、かなり実力がある人でも、あまり上手くいかないんだよ」と答えた。 「夢枕獏」や「ボクシング」は、多くの漫画家がそれに魅了され、漫画にしたいと願い、そして実際に挑戦するのだが、作品的にもセールス的にもなかなか送り手が期待するような結果にならない、と言うのだ。 そう考えると、確かに、夢枕の小説が持つ破天荒な面白さを、漫画というフィールドに結実し得た作品というのは、あまり思い浮かばない。 上記三作はそれぞれの漫画家の類い稀な個性によって「面白く」なったのだが、あくまで「例外」ということなのか。 そういう意味では、スティーブン・キングの映画化と近いかもしれない。 (ちなみに、ボクシングについても、「村上もとか『ヘヴィ』や細野不二彦『太郎』といった意欲作が彼らの豊かなキャリアの中でどんな位置か」とか、「明らかにボクシング漫画を指向していたにも関わらず森田まさのり『ろくでなしBLUES』はなぜそのジャンルとして失敗したのか」とか、「車田正美『リングにかけろ』が正統的ボクシング漫画であることを止めてから売れたのはなぜか」とかを考えるのはとても興味深いのだが、これもやはりこのクチコミと主旨がズレまくるので触れない) 前置きが長くなりすぎた。 とにかく、夢枕獏の漫画化は「難しい」のだ。 しかし多くの漫画家や編集者は、この魅力的で危険な「賭け」に、今も挑み続ける。 やまあき道屯『大江戸恐龍伝』は端倪すべからざる作品である。 原作の、江戸期のスター・キャラをズラリ並べて荒唐無稽・縦横無尽に突っ走る面白さに、漫画家は必死に喰らいついている。 構成は少しダイジェスト感があり、いかんせん詰め込みすぎではあるのだが、熱気と主張ある絵柄で美事なコミカライズとなっていると思う。 近年の収穫と呼ぶに相応しい力作だと信じる。
(とりあえず)名無し
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2020/04/18
号泣保証
自分は、漫画や映画のようなフィクションに触れてウルウルすること、実際に「涙を流す」ことの多いセンチメタルな人間なのだが、その多くは、あくまで個人的な心情にフィットして、だ。つまり、自分自身の経験や環境と類似するシチュエーションにいるキャラクターに、感情移入をして泣くのである。 だが『遙かなる甲子園』は、あくまで物語内のキャラクター、自分とはまったく異なった存在に作品を読むと同一化させられ、オンオンと号泣させられる。 自分でもおかしいんじゃないかと思うくらい、涙でページが見えなくなってしまう。 感動作という表現がこれほど相応しい漫画はない。 山本おさむはキャリアの長い人で、初期の青春物から近年の『そばもん』『赤狩り』まで、篤実な作風とはこのことか、という誠に得がたい才能だが、なんと言っても本作『遙かなる甲子園』『わが指のオーケストラ』『どんぐりの家』という、聴覚障害や重複障害の人々を描いた「人権三部作」とも呼び得る圧倒的作品群が素晴らしい。 漫画読んで泣きたい人は、ぜひ。 不思議と読後に心がすっきりします。 余談だが、山本には、漫画作品ではないが『マンガの創り方』という隠れた名著があり、これを読むと、その真率に創作に向かう姿勢の一端を知ることができる。簡単に言えば、彼の作品には常に読者への強い心配りがあるのだ。だからこそ、自分と関係のない存在にも、あれほど感情移入させることができるのだろう。(この本、古書でも高額で、あまり薦めにくいのだが)
(とりあえず)名無し
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2019/11/27
ネタバレ
性欲! 性欲!
少なくとも週刊少年マガジンに掲載された部分の『凄ノ王』は、永井豪が持つ世界に比類なき「パワー」の最高到達地点を示す、問答無用の素晴らしさだ。ある意味で、『あばしり一家』も『デビルマン』も『バイオレンスジャック』も凌駕しているのではないか。いや、全部大好きなんですけどね。 それにしても、例の「馬のシーン」のもの凄さよ。 何度も繰り返したいけど、例の「馬のシーン」を、まさに「中二」な当然童貞の十代半ばに読んでしまった自分の衝撃を、どう表現すれば今の読者に伝えられるのか、まったく分からない。 大ショックな「ススムちゃん」や「逆さ吊り美樹ママ」も既に読んではいましたが、やっぱりね、リアルタイムの連載でアレを見せられるとね、とんでもないですよ。 あと、首吊りシーンとか今考えてもどうかしてる。 そして、主人公が異形化していくプロセスと平行して描かれる「宇宙空間を地球へと襲来せんとする八岐大蛇」!(『ベルセルク』の「蝕」は、絶対これへのオマージュだと思うんだけど) このシーンが週刊少年マガジンに連載されていた時、ちょうど週刊少年ジャンプでは寺沢武一『コブラ』の「黒竜王」編が連載されていたのです(このエピソードのクライマックスのイメージは、素晴らしく圧倒的)。 こんなものを毎週毎週出る雑誌で読めていたなんて、当時のガキはなんと贅沢な漫画体験をしていたのかと、陶然としてしまう。 しかし、つくづく永井豪の「パワー」はリビドーのパワーだと思う。 こんなクチコミで心理学用語を生半可に使うのもどうかと思うけど、フロイトが性的衝動として定義し、ユングが根源的な生命エネルギーとして再解釈した、あのリビドー。 その本質的な暴力性が剥き出しになって読むものに襲いかかってくるのが、永井豪のパワーなのだ。 そこから逃れられるものはいない。 小説や映画や漫画、物語に淫するというのは、そうした無慈悲なパワーに翻弄され引きずり回されて、心がグチャグチャになる…ということでもあるのだ。 いろいろ「未完」だとかは、この際どうでもいい。 こんな巨大なパワーの奔流に、納得できる「結末」なんてつくわけないじゃないか。 (敢えて挙げると、『手天童子』はラストシーンまでの結構が整った名作です。もちろん大好きなんですが、ちゃんと収まってる分だけ少し弱いかもなあ) とにかく、「最高潮の永井豪」から逃れられる人間なんて、どこにもいないんですよ!
(とりあえず)名無し
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2019/11/27
途方もない歩行者
本書はカバーに「潮出版社」とあるが、イラストやデザインは奇想天外社版『魚の少年』と同一である。この潮版を読んでいないのだが、推測するに、奇天の二冊『魚の少年』と『たつまきを売る老人』を「幻想短編集」として合わせているのだろう。なので、このクチコミは『魚の少年』を念頭に書く。 坂口尚は、そのそれほど長くなかった人生において、漫画家として著名であったとは決して言えない。 瞠目すべき長篇三部作『石の花』『VERSION』『あっかんべェ一休』(遺作)はもちろん、『12色物語』に代表されるすべての短編が、とにかくあらゆる点で、目も眩むほどのクオリティーと誇り高き魂を備えた、途轍もない存在であるのだが。 1995年歿、享年48。 この圧倒的才能が歩んだ孤高の道程は、キャリアの最高潮で突然途絶えてしまった。 アニメーターとしても、安彦良和が“「坂口尚? えっ あの天才が? もったいない あなたのような人が!」とサンライズの面接に来た坂口に驚いた”(Wikipediaより)というほどの達人であった。 早逝が本当に惜しまれてならない。 それにしても、この初期短篇集が放つ「輝き」の美事さはどうだ。 漫画やイラストレーションから絵画の技倆までを融通無碍に繰り出しながら、卓越したアニメーターによって初めて可能な「動く」表現も活き活きと操る、まさに「見る快楽」に満ちた画面。そして、そこで語られる言葉は、優しさに溢れながら甘いところが微塵もない、優れた詩人のものだ。 坂口尚の著作は、これまで何度も何度も版元を変えて出版されている。 もちろん編集者に熱心なファンが多いからだろうが、一方で、常にそれほどの部数が出ず絶版を繰り返していることも意味しているのだろう。 だから今こそ、未読の人に心から坂口尚を薦める。 漫画史に存在した最良の才能のひとり、と言っても、まったく過言にはならないのだから。
(とりあえず)名無し
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2019/11/22
海外漫画の最良の入り口
ビル・ワターソン『カルヴィン&ホッブス』のクチコミに書いたことだが、日本では本当に海外の漫画が読まれない。 この『ピーナッツ』ですら、「スヌーピー」というキャラクターを知る人の数に比べたら(いや、日本国民全員でしょう、それは)、実際に漫画を読んだ人は驚くほど少ないだろう。 とは言え、谷川俊太郎の美事な仕事によって、『ピーナッツ』は版元を変えながら、延々と刊行され続けている。誠に喜ばしいことである。(アメリカへ会いに行った谷川に、シュルツが「翻訳できるなんて、あなたは私よりもジョークが上手いんでしょうねえ」と感謝していた記憶がある) ごく最近刊行が始まった『完全版 ピーナッツ全集』は、本書「15」が第1回配本分となる。 個人的には、70年代のピーナッツが、今の日本人読者にとっては一番違和感なく楽しめると思うので、できれば、近いうちに刊行されるであろう「12~14」を、まずはお薦めしたい。 ちなみに、50年代や60年代は、結構絵柄が違うので、少し戸惑うと思います。 いや、もっと正直に言うと、ツル・コミック『PEANUTS BOOKS』か角川書店『SNOOPY BOOKS』、例の縦長の、横に英語が載ってるヤツを古本で探して読むのが一番良いですよ。 なんと言っても、我らが西の巨人いしいひさいちの『ドーナツブックス』が思いっ切り形をパクった、4コマ漫画の聖典なのですから。 とにかく、海外の漫画(コミック・ストリップ、カーツゥーン)を読み味わうということにおいて、これほど日本人にとってイージーな作品はない。 チャーリー・ブラウンもサリーもルーシーもライナスもシュレーダーもピッグペンもペパーミントパティも、皆、我ら極東の民と同じように人生に悩む「隣人」である。スヌーピーはいつだって、尊大で小心でええカッコしいで、魅力的だ。 『ピーナッツ』なら、誰でも海外の漫画を心から楽しむことができるのだ。 そして、この極めた優れた「入り口」を通ることが、世界中の漫画へのパスポートになる、と自分の経験を考えて断言できるのです。
(とりあえず)名無し
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2019/11/22
宝もの。
『ガケップチ・カッフェー』は2巻まで出ていた…とずっと記憶していたのだが、どうも違うようだ。 1巻を愛読し、週刊モーニングでの連載再開以降も追っていたので、それで2巻を読んだ気になっていたのだろうか。 でもなあ、「2巻のカバーは、1巻よりずっと良いなあ」と思った記憶があるんだよなあ。2巻を買った夢でも見たのかなあ。 本作は、大前田りんという才能が生んだ、宝石ような佳品である。 難しいところがなにもないのに、とても微妙で壊れやすい男女の関係を繊細かつ絶妙に描き出して、いつまでも心の柔らかいところを刺激しつづける、絶品のラヴ・ストーリーだ。 日本でなぜかやたらと人気の高いドイツ映画『バグダッド・カフェ』の影響があるというのは、物語的にはあまり重要ではない。 だが、まさに映画の主題歌、ジェヴェッタ・スティールが歌う「コーリング・ユー」のような、メロウでウェルメイドなミディアム・ポップ・ソングを聴いている時に感じる「あのムズムズする気持ちよさ」を、読んでいる間ずっと感じられる、そんな漫画なのである。 (ちなみに、映画本編に比べて、この曲は本当に世界中で人気で、呆れるほど多くのミュージシャンがカバーしてます。興味がある人は、英語版のWikiの"Calling You"をチェックしてください) しかし、未完なのだ。 著者の精神的不調から連載が休止し、そのままに終わった…と、どこかで聞いた気がするが、本当のところは分からない。 未完に終わった漫画はそれこそ数え切れないくらい存在するし、この作品も既に四半世紀が経過してしまった。今さら、著者に続きを描いて欲しいとは、もう思わない。未完に終わったことは、誰よりも著者が無念だろうし。 とりあえず古本で良いので、1巻を読んでください。 すごく「ムズムズして気持ちいい」から。 「1巻だけでも充分だ、この作品を描いてくれてありがとう」と思うから。 でもね、やっぱり心の奥で、少し恨んでいるのです。 「こんなに俺を夢中にさせといて」…って。