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わかる
桜金造登場
この小さな手
愚者の詩郷田マモラは、稀有な才能である。 彼は、あのしなやかで硬質な、独自としか言いようのない描線で、極めて重いテーマを果敢にフィクションへと昇華する。 遺体の監察医が主人公の『きらきらひかる』、新人刑務官と死刑囚の友情を描く『モリのアサガオ』、さらに、裁判員制度を通して死刑を見つめた『サマヨイザクラ』など、彼の作品は不器用だけれど真率な力に溢れている。 関西の巷のエネルギーに満ちたはるき悦巳と、猥雑さにまみれた青木雄二を、足して二で割り、さらに端正にしたかのような、真にユニークな存在だったのだ。 だが、郷田マモラは、愚か者でもある。 彼が犯した罪について、ここで触れるつもりはない。 しかし明らかに、彼は愚か者だ。 本作『この小さな手』は、郷田が原作を担当し、吉田浩が作画を担当している。 マンバの「あらすじ」の、郷田が寄せたと思しきテキストにある通り、あまりキャリアがあるとは思えない吉田は、郷田が描いたネームを忠実に漫画に起こしたであろうことが、その画面からうかがえる。 本来は、郷田自らがあの筆致で描くべきだっただろう。 この、それほど優れているとは言えないかもしれない漫画には、しかし、確実に漫画家・郷田マモラがいる。 その愚かさが、傲慢さが、不器用さが、真率さが、弱さが、痛いほど脈打っている。 「漫画」という宿痾のひとつの内実が、ここにはある。
愚者の詩郷田マモラは、稀有な才能である。 彼は、あのしなやかで硬質な、独自としか言いようのない描線で、極めて重いテーマを果敢にフィクションへと昇華する。 遺体の監察医が主人公の『きらきらひかる』、新人刑務官と死刑囚の友情を描く『モリのアサガオ』、さらに、裁判員制度を通して死刑を見つめた『サマヨイザクラ』など、彼の作品は不器用だけれど真率な力に溢れている。 関西の巷のエネルギーに満ちたはるき悦巳と、猥雑さにまみれた青木雄二を、足して二で割り、さらに端正にしたかのような、真にユニークな存在だったのだ。 だが、郷田マモラは、愚か者でもある。 彼が犯した罪について、ここで触れるつもりはない。 しかし明らかに、彼は愚か者だ。 本作『この小さな手』は、郷田が原作を担当し、吉田浩が作画を担当している。 マンバの「あらすじ」の、郷田が寄せたと思しきテキストにある通り、あまりキャリアがあるとは思えない吉田は、郷田が描いたネームを忠実に漫画に起こしたであろうことが、その画面からうかがえる。 本来は、郷田自らがあの筆致で描くべきだっただろう。 この、それほど優れているとは言えないかもしれない漫画には、しかし、確実に漫画家・郷田マモラがいる。 その愚かさが、傲慢さが、不器用さが、真率さが、弱さが、痛いほど脈打っている。 「漫画」という宿痾のひとつの内実が、ここにはある。
道中師
「面白さ」とはなにか小池一夫の凄さを、どう伝えれば良いのか、かなり悩む。 吉田豪や映画秘宝的な「豪快で変な巨匠」アプローチも、それはそれでアリなんだろうが、「なぜ一時期の小池一夫は、あんなにもヒットを連発したのか」という部分についての答えにはなりえないだろう。 小池一夫の漫画は(少なくとも70年代の作品は)、とんでもなく「面白い」のです。 漫画が大衆の娯楽であることを、これほどまざまざと感じさせてくれる作家はなかなかいない。 今の読者が読んでも、それは充分に理解できると思う。 これだけ「サービス満点」の原作、そうはないですよ。 この『道中師』には、小池一夫の作劇の卓越性が凝縮されている。 言うまでもなく、小島剛夕との名コンビには『子連れ狼』や『首切り朝』のような有名作がズラリで、それらももちろん文句なく素晴らしいのですが、個人的に思い入れがあるのは、『道中師』だなあ。 基本の物語は、チャールズ・ブロンソン『狼よさらば』のような復讐譚。 もともとは任侠映画の世界観の変奏なのだろうが、小池作品はマカロニ的な荒涼とした「水っぽさ」、エロ&バイオレンスに溢れていて、土着っぽいのにバタ臭い。ロジャー・コーマンやタランティーノが心酔したのも宜なるかな、ですね。 とにかく、虚実入り交じる「水っぽい」設定や蘊蓄、小ネタの圧倒的量と配置が素晴らしい。 オープニング・エピソードから順番に、いろいろと例を挙げつつ細かく説明しようと思ったけど、やっぱやめよう。読めば分かりますから。とりあえず読んでみてください。 その「通俗」的な面白さの凄みは、今の漫画が忘れてしまっているもの、と少し大上段に振りかぶりたくなるくらい、良質ですので。 以下、雑談。 なんとなく、現在の壮年世代の時代小説ブームって、池波正太郎や藤沢周平よりも、この小池版時代劇画と地続きなんじゃないだろうか、と愚考しているのです。一時期のノベルス・ブームの元が、小松左京や星新一じゃなくて永井豪だった、みたいな。 70年代の小池一夫には、まだまだ忘れられた鉱脈がある気がするんだよなあ。
「面白さ」とはなにか小池一夫の凄さを、どう伝えれば良いのか、かなり悩む。 吉田豪や映画秘宝的な「豪快で変な巨匠」アプローチも、それはそれでアリなんだろうが、「なぜ一時期の小池一夫は、あんなにもヒットを連発したのか」という部分についての答えにはなりえないだろう。 小池一夫の漫画は(少なくとも70年代の作品は)、とんでもなく「面白い」のです。 漫画が大衆の娯楽であることを、これほどまざまざと感じさせてくれる作家はなかなかいない。 今の読者が読んでも、それは充分に理解できると思う。 これだけ「サービス満点」の原作、そうはないですよ。 この『道中師』には、小池一夫の作劇の卓越性が凝縮されている。 言うまでもなく、小島剛夕との名コンビには『子連れ狼』や『首切り朝』のような有名作がズラリで、それらももちろん文句なく素晴らしいのですが、個人的に思い入れがあるのは、『道中師』だなあ。 基本の物語は、チャールズ・ブロンソン『狼よさらば』のような復讐譚。 もともとは任侠映画の世界観の変奏なのだろうが、小池作品はマカロニ的な荒涼とした「水っぽさ」、エロ&バイオレンスに溢れていて、土着っぽいのにバタ臭い。ロジャー・コーマンやタランティーノが心酔したのも宜なるかな、ですね。 とにかく、虚実入り交じる「水っぽい」設定や蘊蓄、小ネタの圧倒的量と配置が素晴らしい。 オープニング・エピソードから順番に、いろいろと例を挙げつつ細かく説明しようと思ったけど、やっぱやめよう。読めば分かりますから。とりあえず読んでみてください。 その「通俗」的な面白さの凄みは、今の漫画が忘れてしまっているもの、と少し大上段に振りかぶりたくなるくらい、良質ですので。 以下、雑談。 なんとなく、現在の壮年世代の時代小説ブームって、池波正太郎や藤沢周平よりも、この小池版時代劇画と地続きなんじゃないだろうか、と愚考しているのです。一時期のノベルス・ブームの元が、小松左京や星新一じゃなくて永井豪だった、みたいな。 70年代の小池一夫には、まだまだ忘れられた鉱脈がある気がするんだよなあ。
わんぱくTRIPPER
サガノヘルマーは、今、どこにいるのだろう。…って、別にググればいくらでも現在のサガノヘルマー情報は出てくるのですがね。 しかし、どんなにググって「知識」を得ても、この奇才の掲載当時の衝撃度は、知らない人にはたぶん推測することもできないのです。 かつてヤンマガ本誌で、つまり、日本中のコンビニで誰でもごくごく手軽に買える媒体で、常軌を逸したエロとグロをまき散らしまくっていた異形の奇才が、今はほぼ忘れられてしまっているのに茫然とする。 このマンバでも、作品一覧に『BLACK BRAIN』がないのだから。ヤンマガで連載して単行本10巻とか出していたのに…。 まあ、それもしょうがないのか。 ヒドい(=凄い)漫画家だもんなあ。 今じゃあ絶対、一般誌に載せられないよなあ。ホントにヒドい(=凄い)もんなあ。 『わんぱくTRIPPER』は、サガノヘルマーのデビュー作です。 さすがにデビュー作だけあって、その資質が全開です。作者も編集部も、ほぼコントロールできてないです。ヒドい(=凄い)です。個人的には、ブラブレや後年の成年誌発表作より、イっちゃってると思います。 素晴らしいです。 駕籠真太郎とかがお好きなかたは、ぜひ。 これが、日本中で若者が読んでいた雑誌に載っていた時代があったんだなあ。 「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない」 ポール・ニザン まあ、少なくとも毎週サガノヘルマーを読んでたのが二十歳頃だったら、そりゃあ美しくはないよなあ。ヒドい(=凄い)よなあ。
サガノヘルマーは、今、どこにいるのだろう。…って、別にググればいくらでも現在のサガノヘルマー情報は出てくるのですがね。 しかし、どんなにググって「知識」を得ても、この奇才の掲載当時の衝撃度は、知らない人にはたぶん推測することもできないのです。 かつてヤンマガ本誌で、つまり、日本中のコンビニで誰でもごくごく手軽に買える媒体で、常軌を逸したエロとグロをまき散らしまくっていた異形の奇才が、今はほぼ忘れられてしまっているのに茫然とする。 このマンバでも、作品一覧に『BLACK BRAIN』がないのだから。ヤンマガで連載して単行本10巻とか出していたのに…。 まあ、それもしょうがないのか。 ヒドい(=凄い)漫画家だもんなあ。 今じゃあ絶対、一般誌に載せられないよなあ。ホントにヒドい(=凄い)もんなあ。 『わんぱくTRIPPER』は、サガノヘルマーのデビュー作です。 さすがにデビュー作だけあって、その資質が全開です。作者も編集部も、ほぼコントロールできてないです。ヒドい(=凄い)です。個人的には、ブラブレや後年の成年誌発表作より、イっちゃってると思います。 素晴らしいです。 駕籠真太郎とかがお好きなかたは、ぜひ。 これが、日本中で若者が読んでいた雑誌に載っていた時代があったんだなあ。 「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない」 ポール・ニザン まあ、少なくとも毎週サガノヘルマーを読んでたのが二十歳頃だったら、そりゃあ美しくはないよなあ。ヒドい(=凄い)よなあ。
A-A'
過剰な豊穣『A-A'』が好きだ。 名作・傑作・問題作だらけの萩尾望都作品群でも、なぜか特に好きだ。 クチコミに投稿しよう…と思って、一応読み返してみて、驚いた。 これ、40数ページしかないのか…。 SF的設定や物語展開の「濃度」が濃すぎて、あきれた。 そこは、今の読者にとって、ちょっとハードル高いかも。 しかし、思い返せば『ポーの一族』も『トーマの心臓』も『11人いる!』も『銀の三角』も『百億の昼と千億の夜』も、70年代の萩尾望都は、ムッチャクチャ濃かったよなあ。 『メッシュ』から始まる80年代は、『半神』や『マージナル』など傑作が目白押しで、男性である自分は、この時期の一連の作品で萩尾望都ワールドに完膚なきまでにノックアウトされるのですが、それでもまだ全然濃かったんだなあ。 (『イグアナの娘』や『残酷な神が支配する』の90年代は、インパクトがわかりやすく強烈です。個人的には、少し情緒が勝っているように感じるけれど) とにかく『A-A'』。 惑星開発、クローン、一角獣種…豊穣で重層的な予見に満ちた表象を、ごく短いページ数にこれでもかとぶち込んでいて(当時でも、最低この倍の尺が必要だと思いますよ)、この「濃さ」に付いていった当時の少女漫画読者のリテラシーの高さに感動してしまいます。 未読の漫画読者は、大変かもしれないけど、絶対読んだほうが良い。 この「濃さ」は、物語の「贅沢さ」なのですから。
過剰な豊穣『A-A'』が好きだ。 名作・傑作・問題作だらけの萩尾望都作品群でも、なぜか特に好きだ。 クチコミに投稿しよう…と思って、一応読み返してみて、驚いた。 これ、40数ページしかないのか…。 SF的設定や物語展開の「濃度」が濃すぎて、あきれた。 そこは、今の読者にとって、ちょっとハードル高いかも。 しかし、思い返せば『ポーの一族』も『トーマの心臓』も『11人いる!』も『銀の三角』も『百億の昼と千億の夜』も、70年代の萩尾望都は、ムッチャクチャ濃かったよなあ。 『メッシュ』から始まる80年代は、『半神』や『マージナル』など傑作が目白押しで、男性である自分は、この時期の一連の作品で萩尾望都ワールドに完膚なきまでにノックアウトされるのですが、それでもまだ全然濃かったんだなあ。 (『イグアナの娘』や『残酷な神が支配する』の90年代は、インパクトがわかりやすく強烈です。個人的には、少し情緒が勝っているように感じるけれど) とにかく『A-A'』。 惑星開発、クローン、一角獣種…豊穣で重層的な予見に満ちた表象を、ごく短いページ数にこれでもかとぶち込んでいて(当時でも、最低この倍の尺が必要だと思いますよ)、この「濃さ」に付いていった当時の少女漫画読者のリテラシーの高さに感動してしまいます。 未読の漫画読者は、大変かもしれないけど、絶対読んだほうが良い。 この「濃さ」は、物語の「贅沢さ」なのですから。
天のテラス
柄の大きな偉才かつて文庫で刊行され、数年前に復刊ドットコムで再刊された『わたしたちができるまで』という本がある。 岩館真理子、大島弓子、小椋冬美という3人の女性漫画家へのインタビューをメインに構成された好著だ。ちなみに、それぞれのインタビュアーが実に豪華なのですが、それは実際に買ったかたのお楽しみとしておきましょう。 要するに、小椋冬美は、かつてそういう存在だった。 大島や岩館と並ぶ、極めて大きな漫画家だったのだ。 今、この人の作品が語られることが少ないのは、あまりに惜しいと思うのです。 優れた女性漫画家は、詩的な言葉の操り手であることが多い。だが小椋冬美は、無言や間を描くことに長けていた。世界観が神経質ではなく、ゆったりと大きい。 これも少女マンガには珍しい独特のふくよかな描線と合わせ、今に至るまでなかなか比べる者のない、とても稀有な才能であると思う。 本書『天のテラス』は、女性誌メインで活躍してきた著者が男性誌のモーニングで発表した連作集である。そのため、男性が主人公の作品が多く、小椋冬美の「間」の豊かさを少女マンガの読者以外も味わいやすい逸品だと、自信を持ってお薦めいたします。 こういう優れた作家の漫画を読むと、本当に、80年代というのは「漫画の黄金時代」だったのだなあ…と嘆息してしまいます。 (『天テラ』自体は90年代初頭の作品です。念為)
柄の大きな偉才かつて文庫で刊行され、数年前に復刊ドットコムで再刊された『わたしたちができるまで』という本がある。 岩館真理子、大島弓子、小椋冬美という3人の女性漫画家へのインタビューをメインに構成された好著だ。ちなみに、それぞれのインタビュアーが実に豪華なのですが、それは実際に買ったかたのお楽しみとしておきましょう。 要するに、小椋冬美は、かつてそういう存在だった。 大島や岩館と並ぶ、極めて大きな漫画家だったのだ。 今、この人の作品が語られることが少ないのは、あまりに惜しいと思うのです。 優れた女性漫画家は、詩的な言葉の操り手であることが多い。だが小椋冬美は、無言や間を描くことに長けていた。世界観が神経質ではなく、ゆったりと大きい。 これも少女マンガには珍しい独特のふくよかな描線と合わせ、今に至るまでなかなか比べる者のない、とても稀有な才能であると思う。 本書『天のテラス』は、女性誌メインで活躍してきた著者が男性誌のモーニングで発表した連作集である。そのため、男性が主人公の作品が多く、小椋冬美の「間」の豊かさを少女マンガの読者以外も味わいやすい逸品だと、自信を持ってお薦めいたします。 こういう優れた作家の漫画を読むと、本当に、80年代というのは「漫画の黄金時代」だったのだなあ…と嘆息してしまいます。 (『天テラ』自体は90年代初頭の作品です。念為)
俺の新選組
唯一無二、だなあ。望月三起也で一番好きな漫画、というと、どうしてもこれが思い浮かんでしまう。 キャリアの長いかたで、ぶっ飛んだ名作・傑作・異色作がたくさんありますし、なんと言っても自動拳銃の排莢を描かせたら、まったくもって誰もマネが出来ないほどカッコイイ漫画家さんですから、そりゃあ『ワイルド7』も最高に決まっているのですが(「排莢の瞬間」がカッコイイんですよ。これは映画とか他媒体では描写不能。漫画だけに、望月三起也だけに可能だった絶品のアクション描写です。鳥山明も排莢描くの上手いけど、別にカッコよくはない)、なんか、この、銃も戦車もバイクも出てこない「チャンバラ時代劇」が、すごく好きなのです。 ぞろっとした新選組の段だら模様に、ギラっと冷たく光る本身…いやあ、良いなあ、チャンバラだなあ! 巻数も5巻で長くないですし(いや、打ち切りなんですけどね)、癌で余命宣告された時、「『新撰組』のつづきを描く!」と宣言なさっていたくらいですから、ご本人としても思いの強い作品だったのだと思います。(その望みが果たされることは、残念ながらありませんでしたが) 唯一無二の望月ワールドを堪能するのに、実に好適な名作ですよ。 もしそれで気に入ったら、そこから先は、『ワイルド』でも『JA』でも『JJ』でもヨーロッパ戦線物でも『ジャパッシュ』でも、なんでもドンドンいっちゃいましょう!
唯一無二、だなあ。望月三起也で一番好きな漫画、というと、どうしてもこれが思い浮かんでしまう。 キャリアの長いかたで、ぶっ飛んだ名作・傑作・異色作がたくさんありますし、なんと言っても自動拳銃の排莢を描かせたら、まったくもって誰もマネが出来ないほどカッコイイ漫画家さんですから、そりゃあ『ワイルド7』も最高に決まっているのですが(「排莢の瞬間」がカッコイイんですよ。これは映画とか他媒体では描写不能。漫画だけに、望月三起也だけに可能だった絶品のアクション描写です。鳥山明も排莢描くの上手いけど、別にカッコよくはない)、なんか、この、銃も戦車もバイクも出てこない「チャンバラ時代劇」が、すごく好きなのです。 ぞろっとした新選組の段だら模様に、ギラっと冷たく光る本身…いやあ、良いなあ、チャンバラだなあ! 巻数も5巻で長くないですし(いや、打ち切りなんですけどね)、癌で余命宣告された時、「『新撰組』のつづきを描く!」と宣言なさっていたくらいですから、ご本人としても思いの強い作品だったのだと思います。(その望みが果たされることは、残念ながらありませんでしたが) 唯一無二の望月ワールドを堪能するのに、実に好適な名作ですよ。 もしそれで気に入ったら、そこから先は、『ワイルド』でも『JA』でも『JJ』でもヨーロッパ戦線物でも『ジャパッシュ』でも、なんでもドンドンいっちゃいましょう!
バカドリル・ コミックス
ギャグ漫画の可能性大ヒットシリーズの『バカドリル』は漫画なのか?という疑問は当然あると思うので、タイトルに「コミックス」が入っている本書を挙げよう。 (個人的には、シリーズ全部「漫画」で構わないと思ってはいます) 疑問の余地なく、ここには「新しい笑い」の可能性がある。 それは、すごくシンプルに言えば、宝島やビックリハウスという80年代のメディアが放っていた無類の輝きを、90年代にコスり直し、鮮やかで鋭角に復興させた、ということになるのだろう。 『バカドリル』で提示された方向性を自覚的に継承した才能として、おおひなたごうがいる。(おおひなたは、タナカカツキ門下であることを明言している) また、『おしゃれ手帖』の長尾謙一郎やうすた京介なども、かなり明確にこのテイストを持った漫画家だ。 そう考えれば、現在の「笑い」への影響は計り知れない。 漫画の周縁部に発生しメジャー・シーンに深甚な影響を与えた、という点で、ヘタウマを先導した糸井重里×湯村輝彦『情熱のペンギンごはん』にも比肩すべき、素晴らしい達成であると思います。 まだまだここには「鉱脈」があるような気がしますので、なに気に最近忘れられ気味ですし、今ギャグに興味のある人はこれに刺激受けちゃったりすると、お得なのではないでしょうか。
ギャグ漫画の可能性大ヒットシリーズの『バカドリル』は漫画なのか?という疑問は当然あると思うので、タイトルに「コミックス」が入っている本書を挙げよう。 (個人的には、シリーズ全部「漫画」で構わないと思ってはいます) 疑問の余地なく、ここには「新しい笑い」の可能性がある。 それは、すごくシンプルに言えば、宝島やビックリハウスという80年代のメディアが放っていた無類の輝きを、90年代にコスり直し、鮮やかで鋭角に復興させた、ということになるのだろう。 『バカドリル』で提示された方向性を自覚的に継承した才能として、おおひなたごうがいる。(おおひなたは、タナカカツキ門下であることを明言している) また、『おしゃれ手帖』の長尾謙一郎やうすた京介なども、かなり明確にこのテイストを持った漫画家だ。 そう考えれば、現在の「笑い」への影響は計り知れない。 漫画の周縁部に発生しメジャー・シーンに深甚な影響を与えた、という点で、ヘタウマを先導した糸井重里×湯村輝彦『情熱のペンギンごはん』にも比肩すべき、素晴らしい達成であると思います。 まだまだここには「鉱脈」があるような気がしますので、なに気に最近忘れられ気味ですし、今ギャグに興味のある人はこれに刺激受けちゃったりすると、お得なのではないでしょうか。
旧約聖書 創世記編
人はなぜ漫画家になるのかロバート・クラムの漫画のことを初めて知ったのは、寺山修司の文章だった。 いや、正確に言うと、寺山の文章を読んだ時には、それがクラムだとは分かっていない。 寺山は、「オランダから出ている地下新聞「SUCK」にのった「JOE BLOW」という漫画」として、作者名も記さずそのストーリーを書いていて(「サザエさんの性生活」)、それが記憶に残っており、後に原書のクラム単行本を読んでいて、「あれ? これ知ってる…寺山が書いてたヤツじゃん」となったのだ。 当然、クラムは、アメリカはサンフランシスコで活動してた漫画家なのだから、オランダのわけがない。「Joe Blow」の初出は寡聞にして知らないが、たぶん自らが発行に参画していた「ZAP」あたりだと思う。それが、回り回ってオランダのアンダーグラウンド・メディアに転載され、それをたまたま寺山が見た、ということだろう。 (「Joe Blow」に興味があるかたは、河出書房新社刊『ロバート・クラムBEST』柳下毅一郎編訳に収録されているので、古本で探してみてください) 要するに、ロバート・クラムの作品は、ミッドセンチュリーのアンダーグラウンド・シーンで一際目立つアイコン的存在だった、ということだろう。 (寺山は、「Joe Blow」の作者がフリッツ・ザ・キャットの生みの親だったり、ジャニス・ジョプリン『チープ・スリル』のジャケットを担当しているとか、全然知らなかったみたいだが) 本書『旧約聖書 創世記編』は、クラムがフランスに移住して後、今世紀になってから描かれた作品で、日本版はなんでか知らないがハリポタの静山社から出ている。 クラムの執拗で変態的かつとても味のある描線で、聖書を「一字一句、できる限り忠実に再現」したもので、この稀代の表現者のテイストを味わうには格好の一冊だし、なに気に、「創世記」読んでみようかなあ…と思う人にとって最適のコミカライズだったりします。 それはともかく。 ロバート・クラム本人を追ったドキュメンタリー映画『クラム』(テリー・ツワイゴフ監督)というのがありまして、これを観ると、「ああ、漫画家というのは、本っ当っにっ因果な商売なんだなあ」と思います。 もちろん、アンダーグラウンド・コミック・シーンの巨匠であるクラムですから、実にエクストリームに悲惨かつユニークで、それを普通の漫画家と一緒にしちゃあかんとは思うのですが、その生まれ育った家庭環境(いや、本当にすごいですよ、母とか兄ふたりとか)を思うとき、そこに「なぜ人は漫画を描くのかということの真実」を、どうしても感じてしまうのです。 『クラム』はすごい(ヤバい)映画なので観ていただければと思うのですが、要するに、 “狂った家族(世界)の中で、唯一ほんの少しだけまともだったロバート・クラムだけが、漫画を描くことでその狂気を外在化し、世界と戦い得た” ということで、そしてそれは、多かれ少なかれすべての漫画家にある「描く理由」だ、と私は思わざるをえないのですね。 いやあ、漫画家ってすごい。
人はなぜ漫画家になるのかロバート・クラムの漫画のことを初めて知ったのは、寺山修司の文章だった。 いや、正確に言うと、寺山の文章を読んだ時には、それがクラムだとは分かっていない。 寺山は、「オランダから出ている地下新聞「SUCK」にのった「JOE BLOW」という漫画」として、作者名も記さずそのストーリーを書いていて(「サザエさんの性生活」)、それが記憶に残っており、後に原書のクラム単行本を読んでいて、「あれ? これ知ってる…寺山が書いてたヤツじゃん」となったのだ。 当然、クラムは、アメリカはサンフランシスコで活動してた漫画家なのだから、オランダのわけがない。「Joe Blow」の初出は寡聞にして知らないが、たぶん自らが発行に参画していた「ZAP」あたりだと思う。それが、回り回ってオランダのアンダーグラウンド・メディアに転載され、それをたまたま寺山が見た、ということだろう。 (「Joe Blow」に興味があるかたは、河出書房新社刊『ロバート・クラムBEST』柳下毅一郎編訳に収録されているので、古本で探してみてください) 要するに、ロバート・クラムの作品は、ミッドセンチュリーのアンダーグラウンド・シーンで一際目立つアイコン的存在だった、ということだろう。 (寺山は、「Joe Blow」の作者がフリッツ・ザ・キャットの生みの親だったり、ジャニス・ジョプリン『チープ・スリル』のジャケットを担当しているとか、全然知らなかったみたいだが) 本書『旧約聖書 創世記編』は、クラムがフランスに移住して後、今世紀になってから描かれた作品で、日本版はなんでか知らないがハリポタの静山社から出ている。 クラムの執拗で変態的かつとても味のある描線で、聖書を「一字一句、できる限り忠実に再現」したもので、この稀代の表現者のテイストを味わうには格好の一冊だし、なに気に、「創世記」読んでみようかなあ…と思う人にとって最適のコミカライズだったりします。 それはともかく。 ロバート・クラム本人を追ったドキュメンタリー映画『クラム』(テリー・ツワイゴフ監督)というのがありまして、これを観ると、「ああ、漫画家というのは、本っ当っにっ因果な商売なんだなあ」と思います。 もちろん、アンダーグラウンド・コミック・シーンの巨匠であるクラムですから、実にエクストリームに悲惨かつユニークで、それを普通の漫画家と一緒にしちゃあかんとは思うのですが、その生まれ育った家庭環境(いや、本当にすごいですよ、母とか兄ふたりとか)を思うとき、そこに「なぜ人は漫画を描くのかということの真実」を、どうしても感じてしまうのです。 『クラム』はすごい(ヤバい)映画なので観ていただければと思うのですが、要するに、 “狂った家族(世界)の中で、唯一ほんの少しだけまともだったロバート・クラムだけが、漫画を描くことでその狂気を外在化し、世界と戦い得た” ということで、そしてそれは、多かれ少なかれすべての漫画家にある「描く理由」だ、と私は思わざるをえないのですね。 いやあ、漫画家ってすごい。
Dark Moon
猥雑という使命矢萩貴子のクチコミを投稿しようと思い、マンバの作品一覧を見たら、そのあまりの猥雑さに、ほとんど感動した。 ご興味のあるかたは、この「矢萩貴子」の名前をクリックしてみてください。 そして、そこにズラズラと並ぶタイトル(?)やあらすじの、ド直球で明け透けで奥行きのない下品さに、言葉を失っていただきたい。 その後でぜひ、この『Dark Moon』の試し読みを開いてみて欲しいのだ。 オープニングのカラーから巻頭数ページだけで、この漫画家が持つ画力の精緻で凄絶なクオリティーの高さが、まざまざと分かると思うから。 かつて、レディースコミック誌というジャンルがあった。 当初は少女マンガを卒業した読者のための、男性向けでいう「ヤング誌・青年誌」のようなくくりを意味していたと思うが、やがて多様な進展を示して、主に短篇読み切りの成人女性向けエロをメインとする一群が隆盛し、そして、BLやTLの発展と入れ替わるように、急速に衰退していった。 多くのレディコミ漫画家は少女誌デビュー後にその発表の場を移してきており、作風自体は(少し古い)少女マンガのものだった。 一方で、牧美也子や川崎三枝子、あるいは森園みるくのように、(かなり古い)劇画テイストを手に入れた作家もいて、彼女たちはレディコミ界のケン月影とも言うべき無視できない漫画家たちである。 そして、それらとはまったく異なる光芒を放つ硬質の個性として、矢萩貴子は存在したのだ。 「東京芸術大学で油絵を専攻。卒業後、絵画教室の講師や高校の美術の非常勤講師をしながらSMを題材にした同人誌を作り、1987年(略)デビュー」(Wikipediaより)だそうだ。 まるで団鬼六ではないか。 つまり、矢萩貴子は、伊藤晴雨や喜多玲子と一直線に繋がる「闇の絵師」なのである。 エロを描くという志にその身を捧げた凄腕の絵師は、歴史上枚挙に暇がないが、レディコミというあだ花なジャンルにおいては、矢萩貴子こそが無比の存在だとつくづく感じる。 ただ、現在の読者にとって「面白い」作品かと問われれば、少し言葉を濁すことになるのだけれど。 彼女を心から賞賛するまでには、私たちの時代はまだ成熟していない。
猥雑という使命矢萩貴子のクチコミを投稿しようと思い、マンバの作品一覧を見たら、そのあまりの猥雑さに、ほとんど感動した。 ご興味のあるかたは、この「矢萩貴子」の名前をクリックしてみてください。 そして、そこにズラズラと並ぶタイトル(?)やあらすじの、ド直球で明け透けで奥行きのない下品さに、言葉を失っていただきたい。 その後でぜひ、この『Dark Moon』の試し読みを開いてみて欲しいのだ。 オープニングのカラーから巻頭数ページだけで、この漫画家が持つ画力の精緻で凄絶なクオリティーの高さが、まざまざと分かると思うから。 かつて、レディースコミック誌というジャンルがあった。 当初は少女マンガを卒業した読者のための、男性向けでいう「ヤング誌・青年誌」のようなくくりを意味していたと思うが、やがて多様な進展を示して、主に短篇読み切りの成人女性向けエロをメインとする一群が隆盛し、そして、BLやTLの発展と入れ替わるように、急速に衰退していった。 多くのレディコミ漫画家は少女誌デビュー後にその発表の場を移してきており、作風自体は(少し古い)少女マンガのものだった。 一方で、牧美也子や川崎三枝子、あるいは森園みるくのように、(かなり古い)劇画テイストを手に入れた作家もいて、彼女たちはレディコミ界のケン月影とも言うべき無視できない漫画家たちである。 そして、それらとはまったく異なる光芒を放つ硬質の個性として、矢萩貴子は存在したのだ。 「東京芸術大学で油絵を専攻。卒業後、絵画教室の講師や高校の美術の非常勤講師をしながらSMを題材にした同人誌を作り、1987年(略)デビュー」(Wikipediaより)だそうだ。 まるで団鬼六ではないか。 つまり、矢萩貴子は、伊藤晴雨や喜多玲子と一直線に繋がる「闇の絵師」なのである。 エロを描くという志にその身を捧げた凄腕の絵師は、歴史上枚挙に暇がないが、レディコミというあだ花なジャンルにおいては、矢萩貴子こそが無比の存在だとつくづく感じる。 ただ、現在の読者にとって「面白い」作品かと問われれば、少し言葉を濁すことになるのだけれど。 彼女を心から賞賛するまでには、私たちの時代はまだ成熟していない。
カムイ伝全集 カムイ外伝
漫画の最高峰…は、なにかと考える時、一番頭に浮かぶ機会が多いのが、この『カムイ外伝』である。 (当然、その日の気分によって、この選択はコロコロ変わるのですが) もちろん、白土三平であれば、正篇の『カムイ伝』『忍者武芸帳』『サスケ』『赤目』…なんでも最高!であることに議論の余地はないのだが、でも、初めて通読した時に「漫画って、本当にすごいものだなあ」と感じ入り、今も一番心に残っているのは、『カムイ外伝』。ちなみに、岡本鉄二がからんでると思われる第二部まで含めてこその、最高!である。なんつったって「スガルの島」と「黒塚の風」、最高! この外伝はもともと、雑誌ガロに大作『カムイ伝』を執筆するにあたり、原稿料が少ない(あるいは「出ない」)ため、生活費を稼ぐべく大手の週刊少年サンデーで連載を始めた…と読んだ記憶がある。 そのため、エンターテインメント性がかなりビシっと意識されていて、主人公である抜け忍カムイとその追手たちとの戦いメイン、超カッコイイ技もバンバンある、読んで嬉しい見て痺れる「漫画」なのだ。 (だから、アニメ化されたり松山ケンイチ主演で映画化されたりしたわけです。正篇の『カムイ伝』は絶対無理ですもんね) 白土三平を知らない今の読者にとっても、きっと、『カムイ外伝』は最高!、な素晴らしい漫画であると心からお薦めいたします。
漫画の最高峰…は、なにかと考える時、一番頭に浮かぶ機会が多いのが、この『カムイ外伝』である。 (当然、その日の気分によって、この選択はコロコロ変わるのですが) もちろん、白土三平であれば、正篇の『カムイ伝』『忍者武芸帳』『サスケ』『赤目』…なんでも最高!であることに議論の余地はないのだが、でも、初めて通読した時に「漫画って、本当にすごいものだなあ」と感じ入り、今も一番心に残っているのは、『カムイ外伝』。ちなみに、岡本鉄二がからんでると思われる第二部まで含めてこその、最高!である。なんつったって「スガルの島」と「黒塚の風」、最高! この外伝はもともと、雑誌ガロに大作『カムイ伝』を執筆するにあたり、原稿料が少ない(あるいは「出ない」)ため、生活費を稼ぐべく大手の週刊少年サンデーで連載を始めた…と読んだ記憶がある。 そのため、エンターテインメント性がかなりビシっと意識されていて、主人公である抜け忍カムイとその追手たちとの戦いメイン、超カッコイイ技もバンバンある、読んで嬉しい見て痺れる「漫画」なのだ。 (だから、アニメ化されたり松山ケンイチ主演で映画化されたりしたわけです。正篇の『カムイ伝』は絶対無理ですもんね) 白土三平を知らない今の読者にとっても、きっと、『カムイ外伝』は最高!、な素晴らしい漫画であると心からお薦めいたします。
名美Returns―石井隆傑作集
流行歌がラストシーンに流れる漫画石井隆は、既に定評ある映画監督として長いキャリアを築いている。 今はもう、その漫画作品を読もうという人はいないかもしれない。彼の漫画単行本が最後に出版されてから、たぶんもう20年近くが経過しようとしているだろう。 石井隆のエロ劇画は、まさに革命だった。 (「三流エロ劇画ムーブメント」という呼称を、石井が心の底から憎んでいるらしいことを知っているので、あえてエロ劇画と書く) ガロ系作家がエロを仕事で描いたり、中島史雄や森山塔(山本直樹)あたりから始まるエロ漫画家がメジャーシーンに活動の場を移したりしていくのも、すべて石井隆以降の話だ。 劇画で「大友以前・以後」という線引ができるなら、現在のエロと一般を普通に漫画家が行き来するような状況について、「石井以前・以後」という画期の基準になるほどの、大きな存在である。…というのは、あの時代を知る者にとっては、ごく常識ではあるのですが。 本書は、「名美」物を編んで、いろいろな読み物を加えた、映画『死んでもいい』公開記念刊行っぽい単行本だが、さっき密林で検索したら、ワイズ出版の本とも思えないほど中古が安く売られていた。 …そうか、やっぱりあんまり今は求められていないのか。 でも、この本は、つげ義春との対談とかかなり充実したもので、石井隆に興味がある人なら持っていて損はないと思います。つげの『義男の青春』のエロ写真や『懐かしい人』についての「エロ話」がたっぷり読めるのも楽しい。 個人的には、双葉社のアクション・コミックスで出た『少女名美』という単行本が好きなのですが、まあ、それを上げるのも、ちょっとどうかと思うので。(エロ感弱めのセレクションです。「ヒットガール」という短篇が本当に大好き) とにかく、石井隆の劇画は、哀しみと優しさと切なさが世間の闇に溶け込んでいるようで、強烈に格好いいんです。 日活からATG経過して、ロマンポルノの名作(これは当たり前ですね)あたりの映画が好きな人には、タマラナイものがある。 と、前フリが長くなりましたが、ここで書きたかったのは、この『名美Returns』にも収録されている短篇「少女名美」の、あるディテールについてなんですね。 この作品はラストシーンに、サウンドトラックかエンディングテーマのように、サザンオールスターズの『いとしのエリー』が“流れる”。 自分は、この「流行歌がラストシーンに流れる」タイプの漫画が、やけに好きなんですよ。 登場人物が作中で歌っていたりレコードで聴いたりしているんじゃなくて、映画みたいに漫画のバックで“流れる”感じが、特に好き。 他にパッと思い浮かぶのは、高野文子「デイビスの計画」(『おともだち』所収)のラストに流れる『夜霧よ今夜もありがとう』だな。やっぱりすごく好きだ。 「ダンシング・オールナイト」が流れる漫画も記憶にあるんだけど…あれはなんだったっけ。 土田世紀『俺節』は、これを盛大にやっていたので、それだけでも大好きでした。 最近ないですよね、流行歌(はやりうた)が流れる漫画。 また誰かやってくれないかなあ。 邦画でも、エンドロールでかけることはあっても、作中で流すのはあんまり観ないからな。もう無理かなあ。
流行歌がラストシーンに流れる漫画石井隆は、既に定評ある映画監督として長いキャリアを築いている。 今はもう、その漫画作品を読もうという人はいないかもしれない。彼の漫画単行本が最後に出版されてから、たぶんもう20年近くが経過しようとしているだろう。 石井隆のエロ劇画は、まさに革命だった。 (「三流エロ劇画ムーブメント」という呼称を、石井が心の底から憎んでいるらしいことを知っているので、あえてエロ劇画と書く) ガロ系作家がエロを仕事で描いたり、中島史雄や森山塔(山本直樹)あたりから始まるエロ漫画家がメジャーシーンに活動の場を移したりしていくのも、すべて石井隆以降の話だ。 劇画で「大友以前・以後」という線引ができるなら、現在のエロと一般を普通に漫画家が行き来するような状況について、「石井以前・以後」という画期の基準になるほどの、大きな存在である。…というのは、あの時代を知る者にとっては、ごく常識ではあるのですが。 本書は、「名美」物を編んで、いろいろな読み物を加えた、映画『死んでもいい』公開記念刊行っぽい単行本だが、さっき密林で検索したら、ワイズ出版の本とも思えないほど中古が安く売られていた。 …そうか、やっぱりあんまり今は求められていないのか。 でも、この本は、つげ義春との対談とかかなり充実したもので、石井隆に興味がある人なら持っていて損はないと思います。つげの『義男の青春』のエロ写真や『懐かしい人』についての「エロ話」がたっぷり読めるのも楽しい。 個人的には、双葉社のアクション・コミックスで出た『少女名美』という単行本が好きなのですが、まあ、それを上げるのも、ちょっとどうかと思うので。(エロ感弱めのセレクションです。「ヒットガール」という短篇が本当に大好き) とにかく、石井隆の劇画は、哀しみと優しさと切なさが世間の闇に溶け込んでいるようで、強烈に格好いいんです。 日活からATG経過して、ロマンポルノの名作(これは当たり前ですね)あたりの映画が好きな人には、タマラナイものがある。 と、前フリが長くなりましたが、ここで書きたかったのは、この『名美Returns』にも収録されている短篇「少女名美」の、あるディテールについてなんですね。 この作品はラストシーンに、サウンドトラックかエンディングテーマのように、サザンオールスターズの『いとしのエリー』が“流れる”。 自分は、この「流行歌がラストシーンに流れる」タイプの漫画が、やけに好きなんですよ。 登場人物が作中で歌っていたりレコードで聴いたりしているんじゃなくて、映画みたいに漫画のバックで“流れる”感じが、特に好き。 他にパッと思い浮かぶのは、高野文子「デイビスの計画」(『おともだち』所収)のラストに流れる『夜霧よ今夜もありがとう』だな。やっぱりすごく好きだ。 「ダンシング・オールナイト」が流れる漫画も記憶にあるんだけど…あれはなんだったっけ。 土田世紀『俺節』は、これを盛大にやっていたので、それだけでも大好きでした。 最近ないですよね、流行歌(はやりうた)が流れる漫画。 また誰かやってくれないかなあ。 邦画でも、エンドロールでかけることはあっても、作中で流すのはあんまり観ないからな。もう無理かなあ。
ギャラクシー銀座
迷走せよ!長尾謙一郎の『ギャラクシー銀座』は、紛れもない名作である。 『伝染るんです。』『いまどきのこども』『サルまん』等など、綺羅星のごときスピリッツ連載の革新的ギャグ群の血脈を受け継ぐ、最新のまことに見事な達成だ。 …って、「最新」なんて言っちゃったけど、そうか、ギャラ銀も、もう10年以上前なのか。 しかし、この10年間で、それを超えるだけの破壊力を持ったギャグは現れていない、と個人的には断言したい。 二十一世紀、メジャー漫画誌に掲載されたギャグ・フィールドの成果として、うすた京介『ピューと吹く!ジャガー』のクオリティーに比肩できるパワーを持つのは、この作品くらいではないか。 (漫画太郎の衝撃は、二十世紀末ですからねえ。『地獄甲子園』とか本当に凄かったけど) 前作『おしゃれ手帖』のスマッシュ・ヒットに続き、満を持して開始されたであろう『ギャラ銀』は、その革新性ゆえ、連載中から迷走を始めたように感じられる。 だが、その迷走と引き換えに、ギャグ漫画は時に不滅の破壊力を得るのだ。『バカボン』が、『マカほう』が、『パイレーツ』が、『珍遊記』が、迷走していないと誰に言えるだろうか。 『ギャラクシー銀座』には、新しいギャグを描くのだ、という崇高な志が漲っている。 それは、この「ギャグ漫画不毛の時代」にとって、果敢で無謀な「光」だったと、今も強く思う。 その迷走の先は無明だったとしても、だ。 漫画雑誌というメディアの生命が終わろうとしている今、どこに新しいギャグの「火」は灯されるのだろう。
迷走せよ!長尾謙一郎の『ギャラクシー銀座』は、紛れもない名作である。 『伝染るんです。』『いまどきのこども』『サルまん』等など、綺羅星のごときスピリッツ連載の革新的ギャグ群の血脈を受け継ぐ、最新のまことに見事な達成だ。 …って、「最新」なんて言っちゃったけど、そうか、ギャラ銀も、もう10年以上前なのか。 しかし、この10年間で、それを超えるだけの破壊力を持ったギャグは現れていない、と個人的には断言したい。 二十一世紀、メジャー漫画誌に掲載されたギャグ・フィールドの成果として、うすた京介『ピューと吹く!ジャガー』のクオリティーに比肩できるパワーを持つのは、この作品くらいではないか。 (漫画太郎の衝撃は、二十世紀末ですからねえ。『地獄甲子園』とか本当に凄かったけど) 前作『おしゃれ手帖』のスマッシュ・ヒットに続き、満を持して開始されたであろう『ギャラ銀』は、その革新性ゆえ、連載中から迷走を始めたように感じられる。 だが、その迷走と引き換えに、ギャグ漫画は時に不滅の破壊力を得るのだ。『バカボン』が、『マカほう』が、『パイレーツ』が、『珍遊記』が、迷走していないと誰に言えるだろうか。 『ギャラクシー銀座』には、新しいギャグを描くのだ、という崇高な志が漲っている。 それは、この「ギャグ漫画不毛の時代」にとって、果敢で無謀な「光」だったと、今も強く思う。 その迷走の先は無明だったとしても、だ。 漫画雑誌というメディアの生命が終わろうとしている今、どこに新しいギャグの「火」は灯されるのだろう。
カルヴィン&ホッブス
世界的名作(だけど日本では無名)BILL WATTERSONの『CALVIN AND HOBBES』は、シュルツの『ピーナッツ』(要するにスヌーピーですね)に並ぶ……いや、ある意味、熱量においてそれを圧倒的に凌駕するファンを持つ、ウルトラ・メジャー漫画である。 「"CALVIN AND HOBBES"が自分の生涯最高のマンガだ」と語るアメリカ人は、本当にたくさんいるのです。 読めば、その意味は分かる…のだが、大変残念ながら、日本でこれまで翻訳されたもの(集英社刊『カルビンとホッブス』柳沢由実子訳と、この大和出版刊『カルヴィン&ホッブス』かなもりしょうじ訳がある)は、あまり適切な編集や翻訳がなされていると言えず、その真髄を味わうのに少し問題がある上、それでさえも絶版状態だ。 現状は、原著である英語版を読むことが最良の選択ということになる。 『ピーナッツ』が、翻訳者に谷川俊太郎を得ることのできた幸運を思わずにはいられない。 …とはいえ、スヌーピー知らない日本人はいなくても、『ピーナッツ』読んでいない人はたくさんいるだろうから、カルヴィンとホッブスの漫画が日本で知名度がないのは、それはそれでしかたないことかもしれない。 日本では、本当に海外の漫画が読まれませんからねえ。 (著者のビル・ワターソンは、変わり者だらけの世界の漫画家の中でも一頭地を抜く天邪鬼な天才でして、大ヒット作でありながら、ありとあらゆる映像化やグッズ化をほぼ完全に拒否しているのです。なので、スヌーピーみたいなキャラクター展開が一切できない) しかし、優しさと詩情に溢れながら、汚い言葉と暴力衝動もムンムンのパンキッシュな少年物語であり、傑出したイマジナリー・フレンド物でもある、このCALVIN AND HOBBESは、紛れもなく「本当に面白い漫画」として、今も世界中で読まれているのです。 「寂しがり屋のガキ」な心を持った人には(つまり「漫画好き」には)、絶対「刺さる」と思いますよ。
世界的名作(だけど日本では無名)BILL WATTERSONの『CALVIN AND HOBBES』は、シュルツの『ピーナッツ』(要するにスヌーピーですね)に並ぶ……いや、ある意味、熱量においてそれを圧倒的に凌駕するファンを持つ、ウルトラ・メジャー漫画である。 「"CALVIN AND HOBBES"が自分の生涯最高のマンガだ」と語るアメリカ人は、本当にたくさんいるのです。 読めば、その意味は分かる…のだが、大変残念ながら、日本でこれまで翻訳されたもの(集英社刊『カルビンとホッブス』柳沢由実子訳と、この大和出版刊『カルヴィン&ホッブス』かなもりしょうじ訳がある)は、あまり適切な編集や翻訳がなされていると言えず、その真髄を味わうのに少し問題がある上、それでさえも絶版状態だ。 現状は、原著である英語版を読むことが最良の選択ということになる。 『ピーナッツ』が、翻訳者に谷川俊太郎を得ることのできた幸運を思わずにはいられない。 …とはいえ、スヌーピー知らない日本人はいなくても、『ピーナッツ』読んでいない人はたくさんいるだろうから、カルヴィンとホッブスの漫画が日本で知名度がないのは、それはそれでしかたないことかもしれない。 日本では、本当に海外の漫画が読まれませんからねえ。 (著者のビル・ワターソンは、変わり者だらけの世界の漫画家の中でも一頭地を抜く天邪鬼な天才でして、大ヒット作でありながら、ありとあらゆる映像化やグッズ化をほぼ完全に拒否しているのです。なので、スヌーピーみたいなキャラクター展開が一切できない) しかし、優しさと詩情に溢れながら、汚い言葉と暴力衝動もムンムンのパンキッシュな少年物語であり、傑出したイマジナリー・フレンド物でもある、このCALVIN AND HOBBESは、紛れもなく「本当に面白い漫画」として、今も世界中で読まれているのです。 「寂しがり屋のガキ」な心を持った人には(つまり「漫画好き」には)、絶対「刺さる」と思いますよ。
おれは鉄兵
巻措く能わざる巨匠中の巨匠ちばてつやの、その名を誰もが知る代表作を、今さら薦めるのもどうかと思いますが、でも、この『あしたのジョー』に続いて描かれた大作は、やはり、少年漫画史上に残る名作として、一度ちゃんと挙げておかないといけないでしょう。 (『鉄兵』にも『のたり松太郎』にもクチコミがないなんて、許せん!) なんつっても『おれは鉄兵』は、物語構成がかなり分裂症的というか、メチャクチャでものすごいんですよ。 オープニングは、鉄兵という自然児=アウトローのキャラ物なのですが(『ハリスの旋風』の国松から覇気や侠気を抜いた感じ…って、そのキャラ設定も凄いな)、途中から「学園剣道漫画」になります(この部分が一般的な「鉄兵」感でしょう)。そして、最後はなぜか「埋蔵金発掘遭難漫画」になって大団円。 こう書くと、かなり支離滅裂な感じですが、ちばてつやのなにが凄いって、このガクガクした筋立てにも関わらず、ずーっと、やたらめったら「面白い」ことです! 鉄兵が受験するところとか、学生寮の点景描写とか、洞窟内のあれこれとか、今も心に残る名シーンだらけ(ここで例にあげたのは全部、ストーリーのいわゆる本筋と関係ないところです。本筋部分も当然名シーンがギュウ詰め)。 要するに「漫画が上手い」と、一言で言えばそうなんでしょうが、それにしても、上手いにもほどがあるでしょう。 読み始めたら止まらない。 読んでいる間、ずっと幸せです。 昔の少年誌で長く続いた連載作は、途中から物語がズレていってしまうものが結構ありますが(有名な例だと初めは柔道物だった『ドカベン』とか、笑いの要素が霧散した『熱笑!!花沢高校』とか、赤塚賞取ったギャグだった『キン肉マン』とか、学園格闘物が突如ロックバンド漫画になる『コータロー』とか)、『鉄兵』は、そういう「行き当たりばったり」だけど無類に面白い漫画、の代表だと思うのです。 作品のテーマとか、よく練られたストーリー展開なんてどうでも良い、面白い漫画を描くんだ!…っていうのもまた、「少年漫画の素晴らしさ」だと痛感させられる、問答無用の名作です。
巻措く能わざる巨匠中の巨匠ちばてつやの、その名を誰もが知る代表作を、今さら薦めるのもどうかと思いますが、でも、この『あしたのジョー』に続いて描かれた大作は、やはり、少年漫画史上に残る名作として、一度ちゃんと挙げておかないといけないでしょう。 (『鉄兵』にも『のたり松太郎』にもクチコミがないなんて、許せん!) なんつっても『おれは鉄兵』は、物語構成がかなり分裂症的というか、メチャクチャでものすごいんですよ。 オープニングは、鉄兵という自然児=アウトローのキャラ物なのですが(『ハリスの旋風』の国松から覇気や侠気を抜いた感じ…って、そのキャラ設定も凄いな)、途中から「学園剣道漫画」になります(この部分が一般的な「鉄兵」感でしょう)。そして、最後はなぜか「埋蔵金発掘遭難漫画」になって大団円。 こう書くと、かなり支離滅裂な感じですが、ちばてつやのなにが凄いって、このガクガクした筋立てにも関わらず、ずーっと、やたらめったら「面白い」ことです! 鉄兵が受験するところとか、学生寮の点景描写とか、洞窟内のあれこれとか、今も心に残る名シーンだらけ(ここで例にあげたのは全部、ストーリーのいわゆる本筋と関係ないところです。本筋部分も当然名シーンがギュウ詰め)。 要するに「漫画が上手い」と、一言で言えばそうなんでしょうが、それにしても、上手いにもほどがあるでしょう。 読み始めたら止まらない。 読んでいる間、ずっと幸せです。 昔の少年誌で長く続いた連載作は、途中から物語がズレていってしまうものが結構ありますが(有名な例だと初めは柔道物だった『ドカベン』とか、笑いの要素が霧散した『熱笑!!花沢高校』とか、赤塚賞取ったギャグだった『キン肉マン』とか、学園格闘物が突如ロックバンド漫画になる『コータロー』とか)、『鉄兵』は、そういう「行き当たりばったり」だけど無類に面白い漫画、の代表だと思うのです。 作品のテーマとか、よく練られたストーリー展開なんてどうでも良い、面白い漫画を描くんだ!…っていうのもまた、「少年漫画の素晴らしさ」だと痛感させられる、問答無用の名作です。
仏師
幻の逸材時に、途方もない才能が世に生まれ落ち、そして、それほど大きな支持を得ることなく、シーンからフェイドアウトしていってしまう。 そんなことは、どんなジャンルにも、よくあることだろう。漫画界にも、それこそ数え切れないほど「幻の逸材」は存在してきたと思う。 しかし、明らかな才能のきらめきに満ちているにも関わらず、なぜ彼らの作品は多くの読者を得ることができなかったのか。 もちろん理由はそれぞれだろうし、それは読者サイドからは掴みきれないことだ。 私たちは、ただ、その単行本を初めて読んだ時の、新しい「なにか」に触れたという心の震えだけを、それ以降、モヤモヤとただ胸中で反芻することしかできない。 私にとって、下村富美はそういう才能だった。 『仏師』のプチフラワー版コミックスを読んだ時、「ああ、この漫画家さんはすごい。絶対来る」と確信したのだが、それ以降、下村はそれほど活躍することなく消えていってしまった。 後にイラストレーターとして多くのヒット小説の装画などを担当しているので、「消えた」と言ってしまったら失礼かもしれない。 しかし、その漫画作品が持つ、素晴らしい絵のクオリティーと奥行きのある物語は、「花の24年組」や「ポスト24年組」に匹敵するような才能であったと、今も思う。 もっと下村富美の漫画を読みたいと、ずっと願っているのです。
幻の逸材時に、途方もない才能が世に生まれ落ち、そして、それほど大きな支持を得ることなく、シーンからフェイドアウトしていってしまう。 そんなことは、どんなジャンルにも、よくあることだろう。漫画界にも、それこそ数え切れないほど「幻の逸材」は存在してきたと思う。 しかし、明らかな才能のきらめきに満ちているにも関わらず、なぜ彼らの作品は多くの読者を得ることができなかったのか。 もちろん理由はそれぞれだろうし、それは読者サイドからは掴みきれないことだ。 私たちは、ただ、その単行本を初めて読んだ時の、新しい「なにか」に触れたという心の震えだけを、それ以降、モヤモヤとただ胸中で反芻することしかできない。 私にとって、下村富美はそういう才能だった。 『仏師』のプチフラワー版コミックスを読んだ時、「ああ、この漫画家さんはすごい。絶対来る」と確信したのだが、それ以降、下村はそれほど活躍することなく消えていってしまった。 後にイラストレーターとして多くのヒット小説の装画などを担当しているので、「消えた」と言ってしまったら失礼かもしれない。 しかし、その漫画作品が持つ、素晴らしい絵のクオリティーと奥行きのある物語は、「花の24年組」や「ポスト24年組」に匹敵するような才能であったと、今も思う。 もっと下村富美の漫画を読みたいと、ずっと願っているのです。
黒のもんもん組
「おっ いっちょまえに男色家だな」猫十字社という奇才がかつていたことを、もっと思い出さないといけない。 佳品『小さなお茶会』のほうが少し有名だとは思うのですが、やっぱり『黒もん』ですよ、『黒もん』! 例えば、今や大きな潮流となっている「BL」的なるものの前段としてのJUNEについてとか、その源流『風と木の詩』まで遡るタイプの言説は、それなりにあると思うのですが、少女漫画的「少年愛」を、「男色!」として破壊的なギャグで表現したのは、この猫十字社『黒のもんもん組』をもって嚆矢とする…とかいうテキストは、ほとんど見ないですよねえ。 でも、そういう意味で、山上たつひこ『喜劇新思想体系』や新田たつお『怪人アッカーマン』に並ぶインパクトですし、少女漫画ギャグ史的には、少年漫画史の巨大なる高峰『マカロニほうれん荘』に匹敵する重要性を持つ作品だと思うんです。 (連載時期的にも作風的にも、『マカほう』の影響は強いだろうなあ) とにかく、これだけ好き勝手やってる少女誌のギャグなんて、今はほとんど存在しない。 本当に、当時の『LaLa』は、ものすごいラインナップでした。 とはいえ、もう40年以上前の漫画になっちゃうのか…。 『黒もん』完全版というのが出ているのをマンバで知りましたが、やっぱり今の読者には『県立御陀仏高校』や『華本さんちのご兄弟』から入ったほうが、読みやすかったりはするのかもしれませんね。
「おっ いっちょまえに男色家だな」猫十字社という奇才がかつていたことを、もっと思い出さないといけない。 佳品『小さなお茶会』のほうが少し有名だとは思うのですが、やっぱり『黒もん』ですよ、『黒もん』! 例えば、今や大きな潮流となっている「BL」的なるものの前段としてのJUNEについてとか、その源流『風と木の詩』まで遡るタイプの言説は、それなりにあると思うのですが、少女漫画的「少年愛」を、「男色!」として破壊的なギャグで表現したのは、この猫十字社『黒のもんもん組』をもって嚆矢とする…とかいうテキストは、ほとんど見ないですよねえ。 でも、そういう意味で、山上たつひこ『喜劇新思想体系』や新田たつお『怪人アッカーマン』に並ぶインパクトですし、少女漫画ギャグ史的には、少年漫画史の巨大なる高峰『マカロニほうれん荘』に匹敵する重要性を持つ作品だと思うんです。 (連載時期的にも作風的にも、『マカほう』の影響は強いだろうなあ) とにかく、これだけ好き勝手やってる少女誌のギャグなんて、今はほとんど存在しない。 本当に、当時の『LaLa』は、ものすごいラインナップでした。 とはいえ、もう40年以上前の漫画になっちゃうのか…。 『黒もん』完全版というのが出ているのをマンバで知りましたが、やっぱり今の読者には『県立御陀仏高校』や『華本さんちのご兄弟』から入ったほうが、読みやすかったりはするのかもしれませんね。
リュウの道
身の毛もよだつ先進性この、今からちょうど半世紀前に描かれた作品の、背景描写やコマ割り・画面構成を見ると、そのあまりの強烈さに茫然とする。 石森(石ノ森)章太郎の凄さというのは、現代の読者にはあまりよく分からないと思うけれど(いや、自分もそうです。特に晩年の「HOTEL」とかを読んでも、別になーんにも感じません)、彼が、手塚治虫が驚愕し嫉妬するほどの途轍もない才能であったことを、まざまざと見せつけてくる。 (いや、『仮面ライダー』や『ロボット刑事』の漫画版導入部とかも、酔っ払っちゃうくらいカッコイイですが) とにかく、同時期に描かれた他の漫画作品と比べてみると良い。まったくクオリティーが違う。 『リュウの道』は、劇画の興亡や『AKIRA』の衝撃を経てデジタル作画全盛になった今の目で見ても、少なくとも「画」的には、まったく「古く」なっていない。充分に刺激的だ。 50年前ですよ、50年前。 凄いとしか言えない。 以下、余談を。 この『リュウの道』の大ゴマ使いは、当時の同業者から「手抜きだ!」と言われていたと聞いたことがある。 その意見もまた、時代の中で正しいものかもしれない。あくまで今の目で見て刺激的ってことかもしれないですから。 でも、先進性ってのは、そういうことでもあるんですよね。 石森章太郎の絵的な天才性を知りたい人は、『オバケのQ太郎』の初めのほうを読むのが、一番簡単です。 オバQは「藤子FがQ太郎、藤子Ⓐが正太、北見けんいちが背景、石ノ森章太郎とつのだじろうがその他の人物を描いていた」(Wikipediaより)というのは、なに気に有名なのですが、石森の描くモブっぽいキャラだけ、本当にケタ違いに柔らかで活き活きとしているのが、はっきり分かります。メインキャラを描いている藤子ふたりとベーシックな作画能力が違いすぎるのが、なんとも言えない気分になります。 (藤子おふたりも、後にもちろんそれぞれ異なった形で素晴らしい進化を遂げるのですが)
身の毛もよだつ先進性この、今からちょうど半世紀前に描かれた作品の、背景描写やコマ割り・画面構成を見ると、そのあまりの強烈さに茫然とする。 石森(石ノ森)章太郎の凄さというのは、現代の読者にはあまりよく分からないと思うけれど(いや、自分もそうです。特に晩年の「HOTEL」とかを読んでも、別になーんにも感じません)、彼が、手塚治虫が驚愕し嫉妬するほどの途轍もない才能であったことを、まざまざと見せつけてくる。 (いや、『仮面ライダー』や『ロボット刑事』の漫画版導入部とかも、酔っ払っちゃうくらいカッコイイですが) とにかく、同時期に描かれた他の漫画作品と比べてみると良い。まったくクオリティーが違う。 『リュウの道』は、劇画の興亡や『AKIRA』の衝撃を経てデジタル作画全盛になった今の目で見ても、少なくとも「画」的には、まったく「古く」なっていない。充分に刺激的だ。 50年前ですよ、50年前。 凄いとしか言えない。 以下、余談を。 この『リュウの道』の大ゴマ使いは、当時の同業者から「手抜きだ!」と言われていたと聞いたことがある。 その意見もまた、時代の中で正しいものかもしれない。あくまで今の目で見て刺激的ってことかもしれないですから。 でも、先進性ってのは、そういうことでもあるんですよね。 石森章太郎の絵的な天才性を知りたい人は、『オバケのQ太郎』の初めのほうを読むのが、一番簡単です。 オバQは「藤子FがQ太郎、藤子Ⓐが正太、北見けんいちが背景、石ノ森章太郎とつのだじろうがその他の人物を描いていた」(Wikipediaより)というのは、なに気に有名なのですが、石森の描くモブっぽいキャラだけ、本当にケタ違いに柔らかで活き活きとしているのが、はっきり分かります。メインキャラを描いている藤子ふたりとベーシックな作画能力が違いすぎるのが、なんとも言えない気分になります。 (藤子おふたりも、後にもちろんそれぞれ異なった形で素晴らしい進化を遂げるのですが)
江口寿史のお蔵出し
磨き上げたセンスマンバで江口寿史の作品一覧見たら、『パイレーツ』と『ひばりくん』と『キャラ者』と、この『お蔵出し』しか登録されていなくて驚いた。 ほとんどクチコミも書かれていない。 つい最近も、雑誌のillustration (イラストレーション)2019年3月号【特集:江口寿史】がよく売れて増刷されたとか聞いていたので、人気は衰えないなあ…と感心していたのだが、やはり漫画家としては、忘れられた存在になっているのだろうか…。 江口寿史って、むちゃくちゃ「センスの良い」漫画家です。 「センス」という曖昧な言葉が、なにを意味しているのかは、実は結構難しい問題なんですが、やっぱり江口寿史は、「センスが良い」としか言いようがない。 私見ですが、「センス」には二種類あると思ってます。 例えば、ジャンプで同時期に活躍した鳥山明みたいな、もう「生まれつき」としか言いようがないような才能を持った天才タイプのセンスの良さ。 もう一方は、自らの趣味性や嗜好を大切に捉まえて、その大きくはないかもしれないけれど堅固な才能を、多様な方法で一所懸命に磨いて磨いて、「センス」として花開かせた努力型のタイプ。江口寿史は後者だと思うのです。 漫画家としてもイラストレーターとしても、江口寿史は本当に磨き上げたセンスを持つ、優れた表現者です。 絵については、多くのかたが今も魅了されていて知られていると思うのですが、ホント、ギャグ漫画のセンスが良いんですよ。 テーマも演出もすごく考えられていて、読んでいてとても快適で、ちゃんと笑えて、読後こちらもセンスが良くなったように思える、風通しの良さがある。 もちろん、いろいろ「悪名高い」人ですから、未完の作品も多いですし漫画を描かなくなって長いので、作品世界の風物に少しアウト・オブ・デイトなところもありますが(ジャンプ系は特に)、彼のイラストは好きだけど漫画を読んだことがないというかたがもしいたら、とりあえず、この『お蔵出し』とかショー3部作(『寿五郎ショウ』『爆発ディナーショー』『なんとかなるでショ!』)あたりの短篇集で、そのセンスの良さに触れていただきたいです。
磨き上げたセンスマンバで江口寿史の作品一覧見たら、『パイレーツ』と『ひばりくん』と『キャラ者』と、この『お蔵出し』しか登録されていなくて驚いた。 ほとんどクチコミも書かれていない。 つい最近も、雑誌のillustration (イラストレーション)2019年3月号【特集:江口寿史】がよく売れて増刷されたとか聞いていたので、人気は衰えないなあ…と感心していたのだが、やはり漫画家としては、忘れられた存在になっているのだろうか…。 江口寿史って、むちゃくちゃ「センスの良い」漫画家です。 「センス」という曖昧な言葉が、なにを意味しているのかは、実は結構難しい問題なんですが、やっぱり江口寿史は、「センスが良い」としか言いようがない。 私見ですが、「センス」には二種類あると思ってます。 例えば、ジャンプで同時期に活躍した鳥山明みたいな、もう「生まれつき」としか言いようがないような才能を持った天才タイプのセンスの良さ。 もう一方は、自らの趣味性や嗜好を大切に捉まえて、その大きくはないかもしれないけれど堅固な才能を、多様な方法で一所懸命に磨いて磨いて、「センス」として花開かせた努力型のタイプ。江口寿史は後者だと思うのです。 漫画家としてもイラストレーターとしても、江口寿史は本当に磨き上げたセンスを持つ、優れた表現者です。 絵については、多くのかたが今も魅了されていて知られていると思うのですが、ホント、ギャグ漫画のセンスが良いんですよ。 テーマも演出もすごく考えられていて、読んでいてとても快適で、ちゃんと笑えて、読後こちらもセンスが良くなったように思える、風通しの良さがある。 もちろん、いろいろ「悪名高い」人ですから、未完の作品も多いですし漫画を描かなくなって長いので、作品世界の風物に少しアウト・オブ・デイトなところもありますが(ジャンプ系は特に)、彼のイラストは好きだけど漫画を読んだことがないというかたがもしいたら、とりあえず、この『お蔵出し』とかショー3部作(『寿五郎ショウ』『爆発ディナーショー』『なんとかなるでショ!』)あたりの短篇集で、そのセンスの良さに触れていただきたいです。
変態性低気圧
4コマギャグの、早すぎた金字塔吉田戦車『伝染るんです。』は、4コマというジャンルを超えて、ギャグ漫画の歴史における激震のサード・インパクトだった。 それは、劇画における大友克洋の存在に匹敵する衝撃だっただろう。 しかし、とりあえず4コマというジャンルに絞れば、吉田戦車に先行する才能として、今は忘れられがちなふたつのギャグ漫画家の名前を思わずにはいられない。 (「西の巨人」いしいひさいちは、ちょっと別格とさせてください) いがらしみきお(『ネ暗トピア』等)と、なんきんである。 彼らふたりがいなければ、吉田戦車に代表される「不条理4コマ・ムーブメント」は起こり得なかった、と個人的に思っているのです。 いがらしみきおは、『ぼのぼの』で大きな商業的成功を収め、『I (アイ)』のようなシリアス長編でも評価されていますが、もともとは「とんでもなく破壊的な4コマギャグ漫画家」だったのです。 そして、なんきん。 素晴らしく先鋭的、まさに「シュール」でキュートな4コマギャグを発表し、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『ポンキッキーズ』に絵柄を提供するなど、一部に熱狂的なファンを得た稀有な才能なのですが、なぜか漫画シーンからは早々に姿を消してしまいました。(WAHAHA本舗とか、ご本人はずっと活躍中ですが) 自分は『ネ暗トピア』と『変態性低気圧』が大好きだったので、吉田戦車が登場してきた時に、「ああ、ついに“この新たな流れ”の決定版が現れたぞ!」と、すごく嬉しかったし、納得感が強かったんですよね。 今は、ギャグ漫画不遇の時代だと言われます。 それについて細かく考察していくことは、このクチコミの趣旨と異なると思うので控えますが、「いがらしみきお」と「なんきん」が4コマギャグを描かなくなったということが、その手がかりになるのではないか、と思っていたりしています。 まあ、そんな面倒くさいことは置いておいたとしても、なんきんの漫画は、超ステキですから、現在の読者にもぜひ読んでいただきたい! 手に入れるのは大変だと思うけど!
4コマギャグの、早すぎた金字塔吉田戦車『伝染るんです。』は、4コマというジャンルを超えて、ギャグ漫画の歴史における激震のサード・インパクトだった。 それは、劇画における大友克洋の存在に匹敵する衝撃だっただろう。 しかし、とりあえず4コマというジャンルに絞れば、吉田戦車に先行する才能として、今は忘れられがちなふたつのギャグ漫画家の名前を思わずにはいられない。 (「西の巨人」いしいひさいちは、ちょっと別格とさせてください) いがらしみきお(『ネ暗トピア』等)と、なんきんである。 彼らふたりがいなければ、吉田戦車に代表される「不条理4コマ・ムーブメント」は起こり得なかった、と個人的に思っているのです。 いがらしみきおは、『ぼのぼの』で大きな商業的成功を収め、『I (アイ)』のようなシリアス長編でも評価されていますが、もともとは「とんでもなく破壊的な4コマギャグ漫画家」だったのです。 そして、なんきん。 素晴らしく先鋭的、まさに「シュール」でキュートな4コマギャグを発表し、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『ポンキッキーズ』に絵柄を提供するなど、一部に熱狂的なファンを得た稀有な才能なのですが、なぜか漫画シーンからは早々に姿を消してしまいました。(WAHAHA本舗とか、ご本人はずっと活躍中ですが) 自分は『ネ暗トピア』と『変態性低気圧』が大好きだったので、吉田戦車が登場してきた時に、「ああ、ついに“この新たな流れ”の決定版が現れたぞ!」と、すごく嬉しかったし、納得感が強かったんですよね。 今は、ギャグ漫画不遇の時代だと言われます。 それについて細かく考察していくことは、このクチコミの趣旨と異なると思うので控えますが、「いがらしみきお」と「なんきん」が4コマギャグを描かなくなったということが、その手がかりになるのではないか、と思っていたりしています。 まあ、そんな面倒くさいことは置いておいたとしても、なんきんの漫画は、超ステキですから、現在の読者にもぜひ読んでいただきたい! 手に入れるのは大変だと思うけど!
人魚伝説
時代を駆け抜けた異才宮谷一彦は、近年『ライク ア ローリングストーン』が初単行本化され話題となったが、それをきっかけに再評価されたかと言えば、そうでもないような気がする。 この、「劇画の時代」が生んだ最後にして最強の漫画家を受け入れるには、まだ時代がちょっと追いつけていないのかもしれない。 はっぴいえんどの『風街ろまん』ジャケとか、「スクリーントーンを初めて削った人」とか、いろいろな伝説に彩られた漫画史の重要人物なんですがねえ。 とはいえ、『性蝕記』『とうきょう屠民エレジー』のような代表作が簡単に読めるわけでもないし、だいたい、このあたりを今の読者が読んでも面白いと感じられるかどうかは、なかなかハードルが高いし。 なーんて悩まれているかたは、これですよ、『人魚伝説』! 映画化されたこともあり(池田敏春という異能の監督の代表作でしょう)、何度か単行本化されているので、中古でもそれなりに手に入れやすいのではないでしょうか?(電書は出てないのかな) ストーリーもシンプルでリーダブルだし、なにより提示されるイメージがとても凄い。 例えば、「下顎から上が断ち切られた死者によって操縦されるモーターボートに引きずられ、荒海を地獄へ堕ちていく主人公」とか、極めつけに悪夢的な見開きを、ぜひ見ていただきたい! 現在の読者にも、宮谷一彦という時代を駆け抜けたスペシャルな才能のとんでもなさが、ビンビンに感じられると思いますよ。 (『ライク ア~』は入手が容易です。これは本当に「時代を代表する」ものなので、よろしければ)
時代を駆け抜けた異才宮谷一彦は、近年『ライク ア ローリングストーン』が初単行本化され話題となったが、それをきっかけに再評価されたかと言えば、そうでもないような気がする。 この、「劇画の時代」が生んだ最後にして最強の漫画家を受け入れるには、まだ時代がちょっと追いつけていないのかもしれない。 はっぴいえんどの『風街ろまん』ジャケとか、「スクリーントーンを初めて削った人」とか、いろいろな伝説に彩られた漫画史の重要人物なんですがねえ。 とはいえ、『性蝕記』『とうきょう屠民エレジー』のような代表作が簡単に読めるわけでもないし、だいたい、このあたりを今の読者が読んでも面白いと感じられるかどうかは、なかなかハードルが高いし。 なーんて悩まれているかたは、これですよ、『人魚伝説』! 映画化されたこともあり(池田敏春という異能の監督の代表作でしょう)、何度か単行本化されているので、中古でもそれなりに手に入れやすいのではないでしょうか?(電書は出てないのかな) ストーリーもシンプルでリーダブルだし、なにより提示されるイメージがとても凄い。 例えば、「下顎から上が断ち切られた死者によって操縦されるモーターボートに引きずられ、荒海を地獄へ堕ちていく主人公」とか、極めつけに悪夢的な見開きを、ぜひ見ていただきたい! 現在の読者にも、宮谷一彦という時代を駆け抜けたスペシャルな才能のとんでもなさが、ビンビンに感じられると思いますよ。 (『ライク ア~』は入手が容易です。これは本当に「時代を代表する」ものなので、よろしければ)