(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/06/11
唯一無二、だなあ。
望月三起也で一番好きな漫画、というと、どうしてもこれが思い浮かんでしまう。 キャリアの長いかたで、ぶっ飛んだ名作・傑作・異色作がたくさんありますし、なんと言っても自動拳銃の排莢を描かせたら、まったくもって誰もマネが出来ないほどカッコイイ漫画家さんですから、そりゃあ『ワイルド7』も最高に決まっているのですが(「排莢の瞬間」がカッコイイんですよ。これは映画とか他媒体では描写不能。漫画だけに、望月三起也だけに可能だった絶品のアクション描写です。鳥山明も排莢描くの上手いけど、別にカッコよくはない)、なんか、この、銃も戦車もバイクも出てこない「チャンバラ時代劇」が、すごく好きなのです。 ぞろっとした新選組の段だら模様に、ギラっと冷たく光る本身…いやあ、良いなあ、チャンバラだなあ! 巻数も5巻で長くないですし(いや、打ち切りなんですけどね)、癌で余命宣告された時、「『新撰組』のつづきを描く!」と宣言なさっていたくらいですから、ご本人としても思いの強い作品だったのだと思います。(その望みが果たされることは、残念ながらありませんでしたが) 唯一無二の望月ワールドを堪能するのに、実に好適な名作ですよ。 もしそれで気に入ったら、そこから先は、『ワイルド』でも『JA』でも『JJ』でもヨーロッパ戦線物でも『ジャパッシュ』でも、なんでもドンドンいっちゃいましょう!
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/06/11
ギャグ漫画の可能性
大ヒットシリーズの『バカドリル』は漫画なのか?という疑問は当然あると思うので、タイトルに「コミックス」が入っている本書を挙げよう。 (個人的には、シリーズ全部「漫画」で構わないと思ってはいます) 疑問の余地なく、ここには「新しい笑い」の可能性がある。 それは、すごくシンプルに言えば、宝島やビックリハウスという80年代のメディアが放っていた無類の輝きを、90年代にコスり直し、鮮やかで鋭角に復興させた、ということになるのだろう。 『バカドリル』で提示された方向性を自覚的に継承した才能として、おおひなたごうがいる。(おおひなたは、タナカカツキ門下であることを明言している) また、『おしゃれ手帖』の長尾謙一郎やうすた京介なども、かなり明確にこのテイストを持った漫画家だ。 そう考えれば、現在の「笑い」への影響は計り知れない。 漫画の周縁部に発生しメジャー・シーンに深甚な影響を与えた、という点で、ヘタウマを先導した糸井重里×湯村輝彦『情熱のペンギンごはん』にも比肩すべき、素晴らしい達成であると思います。 まだまだここには「鉱脈」があるような気がしますので、なに気に最近忘れられ気味ですし、今ギャグに興味のある人はこれに刺激受けちゃったりすると、お得なのではないでしょうか。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/06/11
人はなぜ漫画家になるのか
ロバート・クラムの漫画のことを初めて知ったのは、寺山修司の文章だった。 いや、正確に言うと、寺山の文章を読んだ時には、それがクラムだとは分かっていない。 寺山は、「オランダから出ている地下新聞「SUCK」にのった「JOE BLOW」という漫画」として、作者名も記さずそのストーリーを書いていて(「サザエさんの性生活」)、それが記憶に残っており、後に原書のクラム単行本を読んでいて、「あれ? これ知ってる…寺山が書いてたヤツじゃん」となったのだ。 当然、クラムは、アメリカはサンフランシスコで活動してた漫画家なのだから、オランダのわけがない。「Joe Blow」の初出は寡聞にして知らないが、たぶん自らが発行に参画していた「ZAP」あたりだと思う。それが、回り回ってオランダのアンダーグラウンド・メディアに転載され、それをたまたま寺山が見た、ということだろう。 (「Joe Blow」に興味があるかたは、河出書房新社刊『ロバート・クラムBEST』柳下毅一郎編訳に収録されているので、古本で探してみてください) 要するに、ロバート・クラムの作品は、ミッドセンチュリーのアンダーグラウンド・シーンで一際目立つアイコン的存在だった、ということだろう。 (寺山は、「Joe Blow」の作者がフリッツ・ザ・キャットの生みの親だったり、ジャニス・ジョプリン『チープ・スリル』のジャケットを担当しているとか、全然知らなかったみたいだが) 本書『旧約聖書 創世記編』は、クラムがフランスに移住して後、今世紀になってから描かれた作品で、日本版はなんでか知らないがハリポタの静山社から出ている。 クラムの執拗で変態的かつとても味のある描線で、聖書を「一字一句、できる限り忠実に再現」したもので、この稀代の表現者のテイストを味わうには格好の一冊だし、なに気に、「創世記」読んでみようかなあ…と思う人にとって最適のコミカライズだったりします。 それはともかく。 ロバート・クラム本人を追ったドキュメンタリー映画『クラム』(テリー・ツワイゴフ監督)というのがありまして、これを観ると、「ああ、漫画家というのは、本っ当っにっ因果な商売なんだなあ」と思います。 もちろん、アンダーグラウンド・コミック・シーンの巨匠であるクラムですから、実にエクストリームに悲惨かつユニークで、それを普通の漫画家と一緒にしちゃあかんとは思うのですが、その生まれ育った家庭環境(いや、本当にすごいですよ、母とか兄ふたりとか)を思うとき、そこに「なぜ人は漫画を描くのかということの真実」を、どうしても感じてしまうのです。 『クラム』はすごい(ヤバい)映画なので観ていただければと思うのですが、要するに、 “狂った家族(世界)の中で、唯一ほんの少しだけまともだったロバート・クラムだけが、漫画を描くことでその狂気を外在化し、世界と戦い得た” ということで、そしてそれは、多かれ少なかれすべての漫画家にある「描く理由」だ、と私は思わざるをえないのですね。 いやあ、漫画家ってすごい。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/06/10
猥雑という使命
矢萩貴子のクチコミを投稿しようと思い、マンバの作品一覧を見たら、そのあまりの猥雑さに、ほとんど感動した。 ご興味のあるかたは、この「矢萩貴子」の名前をクリックしてみてください。 そして、そこにズラズラと並ぶタイトル(?)やあらすじの、ド直球で明け透けで奥行きのない下品さに、言葉を失っていただきたい。 その後でぜひ、この『Dark Moon』の試し読みを開いてみて欲しいのだ。 オープニングのカラーから巻頭数ページだけで、この漫画家が持つ画力の精緻で凄絶なクオリティーの高さが、まざまざと分かると思うから。 かつて、レディースコミック誌というジャンルがあった。 当初は少女マンガを卒業した読者のための、男性向けでいう「ヤング誌・青年誌」のようなくくりを意味していたと思うが、やがて多様な進展を示して、主に短篇読み切りの成人女性向けエロをメインとする一群が隆盛し、そして、BLやTLの発展と入れ替わるように、急速に衰退していった。 多くのレディコミ漫画家は少女誌デビュー後にその発表の場を移してきており、作風自体は(少し古い)少女マンガのものだった。 一方で、牧美也子や川崎三枝子、あるいは森園みるくのように、(かなり古い)劇画テイストを手に入れた作家もいて、彼女たちはレディコミ界のケン月影とも言うべき無視できない漫画家たちである。 そして、それらとはまったく異なる光芒を放つ硬質の個性として、矢萩貴子は存在したのだ。 「東京芸術大学で油絵を専攻。卒業後、絵画教室の講師や高校の美術の非常勤講師をしながらSMを題材にした同人誌を作り、1987年(略)デビュー」(Wikipediaより)だそうだ。 まるで団鬼六ではないか。 つまり、矢萩貴子は、伊藤晴雨や喜多玲子と一直線に繋がる「闇の絵師」なのである。 エロを描くという志にその身を捧げた凄腕の絵師は、歴史上枚挙に暇がないが、レディコミというあだ花なジャンルにおいては、矢萩貴子こそが無比の存在だとつくづく感じる。 ただ、現在の読者にとって「面白い」作品かと問われれば、少し言葉を濁すことになるのだけれど。 彼女を心から賞賛するまでには、私たちの時代はまだ成熟していない。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/09
ネタバレ
漫画の最高峰
…は、なにかと考える時、一番頭に浮かぶ機会が多いのが、この『カムイ外伝』である。 (当然、その日の気分によって、この選択はコロコロ変わるのですが) もちろん、白土三平であれば、正篇の『カムイ伝』『忍者武芸帳』『サスケ』『赤目』…なんでも最高!であることに議論の余地はないのだが、でも、初めて通読した時に「漫画って、本当にすごいものだなあ」と感じ入り、今も一番心に残っているのは、『カムイ外伝』。ちなみに、岡本鉄二がからんでると思われる第二部まで含めてこその、最高!である。なんつったって「スガルの島」と「黒塚の風」、最高! この外伝はもともと、雑誌ガロに大作『カムイ伝』を執筆するにあたり、原稿料が少ない(あるいは「出ない」)ため、生活費を稼ぐべく大手の週刊少年サンデーで連載を始めた…と読んだ記憶がある。 そのため、エンターテインメント性がかなりビシっと意識されていて、主人公である抜け忍カムイとその追手たちとの戦いメイン、超カッコイイ技もバンバンある、読んで嬉しい見て痺れる「漫画」なのだ。 (だから、アニメ化されたり松山ケンイチ主演で映画化されたりしたわけです。正篇の『カムイ伝』は絶対無理ですもんね) 白土三平を知らない今の読者にとっても、きっと、『カムイ外伝』は最高!、な素晴らしい漫画であると心からお薦めいたします。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/09
ネタバレ
流行歌がラストシーンに流れる漫画
石井隆は、既に定評ある映画監督として長いキャリアを築いている。 今はもう、その漫画作品を読もうという人はいないかもしれない。彼の漫画単行本が最後に出版されてから、たぶんもう20年近くが経過しようとしているだろう。 石井隆のエロ劇画は、まさに革命だった。 (「三流エロ劇画ムーブメント」という呼称を、石井が心の底から憎んでいるらしいことを知っているので、あえてエロ劇画と書く) ガロ系作家がエロを仕事で描いたり、中島史雄や森山塔(山本直樹)あたりから始まるエロ漫画家がメジャーシーンに活動の場を移したりしていくのも、すべて石井隆以降の話だ。 劇画で「大友以前・以後」という線引ができるなら、現在のエロと一般を普通に漫画家が行き来するような状況について、「石井以前・以後」という画期の基準になるほどの、大きな存在である。…というのは、あの時代を知る者にとっては、ごく常識ではあるのですが。 本書は、「名美」物を編んで、いろいろな読み物を加えた、映画『死んでもいい』公開記念刊行っぽい単行本だが、さっき密林で検索したら、ワイズ出版の本とも思えないほど中古が安く売られていた。 …そうか、やっぱりあんまり今は求められていないのか。 でも、この本は、つげ義春との対談とかかなり充実したもので、石井隆に興味がある人なら持っていて損はないと思います。つげの『義男の青春』のエロ写真や『懐かしい人』についての「エロ話」がたっぷり読めるのも楽しい。 個人的には、双葉社のアクション・コミックスで出た『少女名美』という単行本が好きなのですが、まあ、それを上げるのも、ちょっとどうかと思うので。(エロ感弱めのセレクションです。「ヒットガール」という短篇が本当に大好き) とにかく、石井隆の劇画は、哀しみと優しさと切なさが世間の闇に溶け込んでいるようで、強烈に格好いいんです。 日活・東映からATG経由して、ロマンポルノの名作(これは当たり前ですね)あたりの映画が好きな人には、タマラナイものがある。 と、前フリが長くなりましたが、ここで書きたかったのは、この『名美Returns』にも収録されている短篇「少女名美」の、あるディテールについてなんですね。 この作品はラストシーンに、サウンドトラックかエンディングテーマのように、サザンオールスターズの『いとしのエリー』が“流れる”。 自分は、この「流行歌がラストシーンに流れる」タイプの漫画が、やけに好きなんですよ。 登場人物が作中で歌っていたりレコードで聴いたりしているんじゃなくて、映画みたいに漫画のバックで“流れる”感じが、特に好き。 他にパッと思い浮かぶのは、高野文子「デイビスの計画」(『おともだち』所収)のラストに流れる『夜霧よ今夜もありがとう』だな。やっぱりすごく好きだ。 「ダンシング・オールナイト」が流れる漫画も記憶にあるんだけど…あれはなんだったっけ。 土田世紀『俺節』は、これを盛大にやっていたので、それだけでも大好きでした。 最近ないですよね、流行歌(はやりうた)が流れる漫画。 また誰かやってくれないかなあ。 邦画でも、エンドロールでかけることはあっても、作中で流すのはあんまり観ないからな。もう無理かなあ。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/09
ネタバレ
迷走せよ!
長尾謙一郎の『ギャラクシー銀座』は、紛れもない名作である。 『伝染るんです。』『いまどきのこども』『サルまん』等など、綺羅星のごときスピリッツ連載の革新的ギャグ群の血脈を受け継ぐ、最新のまことに見事な達成だ。 …って、「最新」なんて言っちゃったけど、そうか、ギャラ銀も、もう10年以上前なのか。 しかし、この10年間で、それを超えるだけの破壊力を持ったギャグは現れていない、と個人的には断言したい。 二十一世紀、メジャー漫画誌に掲載されたギャグ・フィールドの成果として、うすた京介『ピューと吹く!ジャガー』のクオリティーに比肩できるパワーを持つのは、この作品くらいではないか。 (漫画太郎の衝撃は、二十世紀末ですからねえ。『地獄甲子園』とか本当に凄かったけど) 前作『おしゃれ手帖』のスマッシュ・ヒットに続き、満を持して開始されたであろう『ギャラ銀』は、その革新性ゆえ、連載中から迷走を始めたように感じられる。 だが、その迷走と引き換えに、ギャグ漫画は時に不滅の破壊力を得るのだ。『バカボン』が、『マカほう』が、『パイレーツ』が、『珍遊記』が、迷走していないと誰に言えるだろうか。 『ギャラクシー銀座』には、新しいギャグを描くのだ、という崇高な志が漲っている。 それは、この「ギャグ漫画不毛の時代」にとって、果敢で無謀な「光」だったと、今も強く思う。 その迷走の先は無明だったとしても、だ。 漫画雑誌というメディアの生命が終わろうとしている今、どこに新しいギャグの「火」は灯されるのだろう。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/08
ネタバレ
世界的名作(だけど日本では無名)
BILL WATTERSONの『CALVIN AND HOBBES』は、シュルツの『ピーナッツ』(要するにスヌーピーですね)に並ぶ……いや、ある意味、熱量においてそれを圧倒的に凌駕するファンを持つ、ウルトラ・メジャー漫画である。 「"CALVIN AND HOBBES"が自分の生涯最高のマンガだ」と語るアメリカ人は、本当にたくさんいるのです。 読めば、その意味は分かる…のだが、大変残念ながら、日本でこれまで翻訳されたもの(集英社刊『カルビンとホッブス』柳沢由実子訳と、この大和出版刊『カルヴィン&ホッブス』かなもりしょうじ訳がある)は、あまり適切な編集や翻訳がなされていると言えず、その真髄を味わうのに少し問題がある上、それでさえも絶版状態だ。 現状は、原著である英語版を読むことが最良の選択ということになる。 『ピーナッツ』が、翻訳者に谷川俊太郎を得ることのできた幸運を思わずにはいられない。 …とはいえ、スヌーピー知らない日本人はいなくても、『ピーナッツ』読んでいない人はたくさんいるだろうから、カルヴィンとホッブスの漫画が日本で知名度がないのは、それはそれでしかたないことかもしれない。 日本では、本当に海外の漫画が読まれませんからねえ。 (著者のビル・ワターソンは、変わり者だらけの世界の漫画家の中でも一頭地を抜く天邪鬼な天才でして、大ヒット作でありながら、ありとあらゆる映像化やグッズ化をほぼ完全に拒否しているのです。なので、スヌーピーみたいなキャラクター展開が一切できない) しかし、優しさと詩情に溢れながら、汚い言葉と暴力衝動もムンムンのパンキッシュな少年物語であり、傑出したイマジナリー・フレンド物でもある、このCALVIN AND HOBBESは、紛れもなく「本当に面白い漫画」として、今も世界中で読まれているのです。 「寂しがり屋のガキ」な心を持った人には(つまり「漫画好き」には)、絶対「刺さる」と思いますよ。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/08
ネタバレ
巻措く能わざる
巨匠中の巨匠ちばてつやの、その名を誰もが知る代表作を、今さら薦めるのもどうかと思いますが、でも、この『あしたのジョー』に続いて描かれた大作は、やはり、少年漫画史上に残る名作として、一度ちゃんと挙げておかないといけないでしょう。 (『鉄兵』にも『のたり松太郎』にもクチコミがないなんて、許せん!) なんつっても『おれは鉄兵』は、物語構成がかなり分裂症的というか、メチャクチャでものすごいんですよ。 オープニングは、鉄兵という自然児=アウトローのキャラ物なのですが(『ハリスの旋風』の国松から覇気や侠気を抜いた感じ…って、そのキャラ設定も凄いな)、途中から「学園剣道漫画」になります(この部分が一般的な「鉄兵」感でしょう)。そして、最後はなぜか「埋蔵金発掘遭難漫画」になって大団円。 こう書くと、かなり支離滅裂な感じですが、ちばてつやのなにが凄いって、このガクガクした筋立てにも関わらず、ずーっと、やたらめったら「面白い」ことです! 鉄兵が受験するところとか、学生寮の点景描写とか、洞窟内のあれこれとか、今も心に残る名シーンだらけ(ここで例にあげたのは全部、ストーリーのいわゆる本筋と関係ないところです。本筋部分も当然名シーンがギュウ詰め)。 要するに「漫画が上手い」と、一言で言えばそうなんでしょうが、それにしても、上手いにもほどがあるでしょう。 読み始めたら止まらない。 読んでいる間、ずっと幸せです。 昔の少年誌で長く続いた連載作は、途中から物語がズレていってしまうものが結構ありますが(有名な例だと初めは柔道物だった『ドカベン』とか、笑いの要素が霧散した『熱笑!! 花沢高校』とか、赤塚賞取ったギャグだった『キン肉マン』とか、学園格闘物が突如ロックバンド漫画になる『コータローまかりとおる!』とか)、『鉄兵』は、そういう「行き当たりばったり」だけど無類に面白い漫画、の代表だと思うのです。 作品のテーマとか、よく練られたストーリー展開なんて二の次だ、とにかく面白い漫画を描くんだ!…っていうのもまた、「少年漫画の素晴らしさ」だと痛感させられる、問答無用の名作です。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/08
幻の逸材
時に、途方もない才能が世に生まれ落ち、そして、それほど大きな支持を得ることなく、シーンからフェイドアウトしていってしまう。 そんなことは、どんなジャンルにも、よくあることだろう。漫画界にも、それこそ数え切れないほど「幻の逸材」は存在してきたと思う。 しかし、明らかな才能のきらめきに満ちているにも関わらず、なぜ彼らの作品は多くの読者を得ることができなかったのか。 もちろん理由はそれぞれだろうし、それは読者サイドからは掴みきれないことだ。 私たちは、ただ、その単行本を初めて読んだ時の、新しい「なにか」に触れたという心の震えだけを、それ以降、モヤモヤとただ胸中で反芻することしかできない。 私にとって、下村富美はそういう才能だった。 『仏師』のプチフラワー版コミックスを読んだ時、「ああ、この漫画家さんはすごい。絶対来る」と確信したのだが、それ以降、下村はそれほど活躍することなく消えていってしまった。 後にイラストレーターとして多くのヒット小説の装画などを担当しているので、「消えた」と言ってしまったら失礼かもしれない。 しかし、その漫画作品が持つ、素晴らしい絵のクオリティーと奥行きのある物語は、「花の24年組」や「ポスト24年組」に匹敵するような才能であったと、今も思う。 もっと下村富美の漫画を読みたいと、ずっと願っているのです。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/08
「おっ いっちょまえに男色家だな」
猫十字社という奇才がかつていたことを、もっと思い出さないといけない。 佳品『小さなお茶会』のほうが少し有名だとは思うのですが、やっぱり『黒もん』ですよ、『黒もん』! 例えば、今や大きな潮流となっている「BL」的なるものの前段としてのJUNEについてとか、その源流『風と木の詩』まで遡るタイプの言説は、それなりにあると思うのですが、少女漫画的「少年愛」を、「男色!」として破壊的なギャグで表現したのは、この猫十字社『黒のもんもん組』をもって嚆矢とする…とかいうテキストは、ほとんど見ないですよねえ。 でも、そういう意味で、山上たつひこ『喜劇新思想体系』や新田たつお『怪人アッカーマン』に並ぶインパクトですし、少女漫画ギャグ史的には、少年漫画史の巨大なる高峰『マカロニほうれん荘』に匹敵する重要性を持つ作品だと思うんです。 (連載時期的にも作風的にも、『マカほう』の影響は強いだろうなあ) とにかく、これだけ好き勝手やってる少女誌のギャグなんて、今はほとんど存在しない。 本当に、当時の『LaLa』は、ものすごいラインナップでした。 とはいえ、もう40年以上前の漫画になっちゃうのか…。 『黒もん』完全版というのが出ているのをマンバで知りましたが、やっぱり今の読者には『県立御陀仏高校』や『華本さんちのご兄弟』から入ったほうが、読みやすかったりはするのかもしれませんね。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/08
ネタバレ
身の毛もよだつ先進性
この、今からちょうど半世紀前に描かれた作品の、背景描写やコマ割り・画面構成を見ると、そのあまりの強烈さに茫然とする。 石森(石ノ森)章太郎の凄さというのは、現代の読者にはあまりよく分からないと思うけれど(いや、自分もそうです。特に晩年の「HOTEL」とかを読んでも、別になーんにも感じません)、彼が、手塚治虫が驚愕し嫉妬するほどの途轍もない才能であったことを、まざまざと見せつけてくる。 (いや、『仮面ライダー』や『ロボット刑事』の漫画版導入部とかも、酔っ払っちゃうくらいカッコイイですが) とにかく、同時期に描かれた他の漫画作品と比べてみると良い。まったくクオリティーが違う。 『リュウの道』は、劇画の興亡や『AKIRA』の衝撃を経てデジタル作画全盛になった今の目で見ても、少なくとも「画」的には、まったく「古く」なっていない。充分に刺激的だ。 50年前ですよ、50年前。 凄いとしか言えない。 以下、余談を。 この『リュウの道』の大ゴマ使いは、当時の同業者から「手抜きだ!」と言われていたと聞いたことがある。 その意見もまた、時代の中で正しいものかもしれない。あくまで今の目で見て刺激的ってことかもしれないですから。 でも、先進性ってのは、そういうことでもあるんですよね。 石森章太郎の絵的な天才性を知りたい人は、『オバケのQ太郎』の初めのほうを読むのが、一番簡単です。 オバQは「藤子FがQ太郎、藤子Ⓐが正太、北見けんいちが背景、石ノ森章太郎とつのだじろうがその他の人物を描いていた」(Wikipediaより)というのは、なに気に有名なのですが、石森の描くモブっぽいキャラだけ、本当にケタ違いに柔らかで活き活きとしているのが、はっきり分かります。メインキャラを描いている藤子ふたりとベーシックな作画能力が違いすぎるのが、なんとも言えない気分になります。 (藤子おふたりも、後にもちろんそれぞれ異なった形で素晴らしい進化を遂げるのですが)
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/06
磨き上げたセンス
マンバで江口寿史の作品一覧見たら、『パイレーツ』と『ひばりくん』と『キャラ者』と、この『お蔵出し』しか登録されていなくて驚いた。 ほとんどクチコミも書かれていない。 つい最近も、雑誌のillustration (イラストレーション)2019年3月号【特集:江口寿史】がよく売れて増刷されたとか聞いていたので、人気は衰えないなあ…と感心していたのだが、やはり漫画家としては、忘れられた存在になっているのだろうか…。 江口寿史って、むちゃくちゃ「センスの良い」漫画家です。 「センス」という曖昧な言葉が、なにを意味しているのかは、実は結構難しい問題なんですが、やっぱり江口寿史は、「センスが良い」としか言いようがない。 私見ですが、「センス」には二種類あると思ってます。 例えば、ジャンプで同時期に活躍した鳥山明みたいな、もう「生まれつき」としか言いようがないような才能を持った天才タイプのセンスの良さ。 もう一方は、自らの趣味性や嗜好を大切に捉まえて、その大きくはないかもしれないけれど堅固な才能を、多様な方法で一所懸命に磨いて磨いて、「センス」として花開かせた努力型のタイプ。江口寿史は後者だと思うのです。 漫画家としてもイラストレーターとしても、江口寿史は本当に磨き上げたセンスを持つ、優れた表現者です。 絵については、多くのかたが今も魅了されていて知られていると思うのですが、ホント、ギャグ漫画のセンスが良いんですよ。 テーマも演出もすごく考えられていて、読んでいてとても快適で、ちゃんと笑えて、読後こちらもセンスが良くなったように思える、風通しの良さがある。 もちろん、いろいろ「悪名高い」人ですから、未完の作品も多いですし漫画を描かなくなって長いので、作品世界の風物に少しアウト・オブ・デイトなところもありますが(ジャンプ系は特に)、彼のイラストは好きだけど漫画を読んだことがないというかたがもしいたら、とりあえず、この『お蔵出し』とかショー3部作(『寿五郎ショウ』『爆発ディナーショー』『なんとかなるでショ!』)あたりの短篇集で、そのセンスの良さに触れていただきたいです。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/05
4コマギャグの、早すぎた金字塔
吉田戦車『伝染るんです。』は、4コマというジャンルを超えて、ギャグ漫画の歴史における激震のサード・インパクトだった。 それは、劇画における大友克洋の存在に匹敵する衝撃だっただろう。 しかし、とりあえず4コマというジャンルに絞れば、吉田戦車に先行する才能として、今は忘れられがちなふたつのギャグ漫画家の名前を思わずにはいられない。 (「西の巨人」いしいひさいちは、ちょっと別格とさせてください) いがらしみきお(『ネ暗トピア』等)と、なんきんである。 彼らふたりがいなければ、吉田戦車に代表される「不条理4コマ・ムーブメント」は起こり得なかった、と個人的に思っているのです。 いがらしみきおは、『ぼのぼの』で大きな商業的成功を収め、『I (アイ)』のようなシリアス長編でも評価されていますが、もともとは「とんでもなく破壊的な4コマギャグ漫画家」だったのです。 そして、なんきん。 素晴らしく先鋭的、まさに「シュール」でキュートな4コマギャグを発表し、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『ポンキッキーズ』に絵柄を提供するなど、一部に熱狂的なファンを得た稀有な才能なのですが、なぜか漫画シーンからは早々に姿を消してしまいました。(WAHAHA本舗とか、ご本人はずっと活躍中ですが) 自分は『ネ暗トピア』と『変態性低気圧』が大好きだったので、吉田戦車が登場してきた時に、「ああ、ついに“この新たな流れ”の決定版が現れたぞ!」と、すごく嬉しかったし、納得感が強かったんですよね。 今は、ギャグ漫画不遇の時代だと言われます。 それについて細かく考察していくことは、このクチコミの趣旨と異なると思うので控えますが、「いがらしみきお」と「なんきん」が4コマギャグを描かなくなったということが、その手がかりになるのではないか、と思っていたりしています。 まあ、そんな面倒くさいことは置いておいたとしても、なんきんの漫画は、超ステキですから、現在の読者にもぜひ読んでいただきたい! 手に入れるのは大変だと思うけど!
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/04
ネタバレ
時代を駆け抜けた異才
宮谷一彦は、近年『ライク ア ローリング ストーン』が初単行本化され話題となったが、それをきっかけに再評価されたかと言えば、そうでもないような気がする。 この、「劇画の時代」が生んだ最後にして最強の漫画家を受け入れるには、まだ時代がちょっと追いつけていないのかもしれない。 はっぴいえんどの『風街ろまん』ジャケとか、「スクリーントーンを初めて削った人」とか、いろいろな伝説に彩られた漫画史の重要人物なんですがねえ。 とはいえ、『性蝕記』『とうきょう屠民エレジー』のような代表作が簡単に読めるわけでもないし、だいたい、このあたりを今の読者が読んでも面白いと感じられるかどうかは、なかなかハードルが高いし。 なーんて悩まれているかたは、これですよ、『人魚伝説』! 映画化されたこともあり(池田敏春という異能の監督の代表作でしょう)、何度か単行本化されているので、中古でもそれなりに手に入れやすいのではないでしょうか?(電書は出てないのかな) ストーリーもシンプルでリーダブルだし、なにより提示されるイメージがとても凄い。 例えば、「下顎から上が断ち切られた死者によって操縦されるモーターボートに引きずられ、荒海を地獄へ堕ちていく主人公」とか、極めつけに悪夢的な見開きを、ぜひ見ていただきたい! 現在の読者にも、宮谷一彦という時代を駆け抜けたスペシャルな才能のとんでもなさが、ビンビンに感じられると思いますよ。 (『ライク ア~』は入手が容易です。これは本当に「時代を代表する」ものなので、よろしければ)
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/03
ネタバレ
少年漫画家の底力
『ネイチャージモン』は、驚くべき快作である。 「肉」と「虫」についてのエピソードを、ここまで感動的に語ることが、他の誰にできるだろうか! 寺門ジモンの類まれな個性(奇癖?)も素晴らしいのだが、なによりも賞賛すべきは、刃森尊の漫画家として凄さだろう。 徹頭徹尾、「肉を食う」と「虫を採る」ということだけなのに、それをここまで熱く描き出すことができるのは、長い歴史を持つ少年漫画というフィールドで鍛え上げてきた、豊かで多彩な漫画力を使うことで、初めて可能だったのだと思う。 焼肉屋が開くのを店前で待つジモンの背中から「覇気」が漂っているシーンとか、少年漫画的世界以外では、絶対表現できないですよ。 騙されたと思って、1巻だけでも読んでいただきたい。 素晴らしく心躍る漫画時間を過ごせることを、約束します。 ただ、自分は、「まあ、これ以降も要するに『肉』と『虫』なんだろうなあ」と思って、3巻までしか読んでません。 すいません。 (全9巻であったことを、このマンバのページで初めて知った。「肉」と「虫」だけで、よく9巻も描けたなあ。もしかしたら、後半で別のテーマが……いや、絶対それはないと思うなあ)
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/03
ネタバレ
異能の傑作
ずいぶんたくさんの漫画を読んできたけれど、これほど狂った少女戦隊ものを読んだ記憶がない。(褒めてますよ) いろんな意味で、ツーマッチ。 その「過剰さ」をこそ味わうべきなのですが、この過剰ゆえ、当然の帰結として、ストーリーが進んでいくと、世界観の強度と濃度が、読む者を置き去りにしてしまうほど加速度的に増大していってしまう。 それは「哲学的迷宮」とでも形容できるような「なにか」だ。 そういう意味では、フィリップ・K・ディックの『ヴァリス』のような…ってのは言いすぎかな。 中里介山の『大菩薩峠』のような…ってのも、やっぱり別の意味で言いすぎだな。 そこまでにはなれなかったのも確かだけれど、でも、この正篇3巻には、そうした「途方もないもの」が始まるときの熱狂が詰まっていて、とても好きです。 すごい漫画だと思いますよ。 著者は、『バキ』の板垣恵介のアシスタント出身だったはずで、実はとてもアクションがキレる。 師匠もそうだが、「上手い」というより、独自のノリを持っていて「キレる」感じ。プヨンプヨンしていながら、キレキレという、そこがまた、過剰なんだよなあ。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/02
誠実な「原石」。
後に長篇の代表作を描く漫画家の、初期作品集が好きだ。 それも、ただその作家さんが(キャリア初期に)描いた短篇を集めた本というのではなく、「自分はなぜ漫画を描くのだろう…」と自問自答しながら足掻いている、そんな苦悶がページから匂ってくるような、不器用で地味な作品集が好きだ。 (「私はこういう世界が好きなんです」といろいろ表明している感じの初期短篇集が多いのですが、そうじゃない無骨なヤツ。もちろん「好きなんです」系の作品集にも優れた本はたくさんあります) 『骨の音』は、とても誠実で、地味で、絶対売れなそうだけど、でも、読んだ時に、こちらの心をギシギシ揺すってくるようなザラついた力に溢れていて、とても心に残ります。 これがあるからこその、『寄生獣』なんですよ!(『風子』もあるけど) 新井英樹『「8月の光」「ひな」その他の短編』とか、豊田徹也『ゴーグル』とか、伊図透『辺境で』とか、五十嵐大介『はなしっぱなし』もそうかな、同じ感じで、好きですねえ。 作者が「これは売れないだろうなあ…でも、今はこれしか考えられないんだよなあ、仕方ないよなあ。クソぉ」と思いながら描いていそうな感じ。(実際どうかは知りませんよ) ものを作ると決めて、見返りはないかもしれないけれど、誠実に漫画に向き合っている。 ダイヤの「原石」というのは、『骨の音』のような本のことを言うのだと思います。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/05/02
ネタバレ
天才とは「子供の遊び」である。
松本大洋が『ZERO』と『花男』をスピリッツに連載していた時、本当に幸福だった。 まったく新しい、スペシャルな才能が、今ここにいる…と、毎週感じさせてくれたのだから。 松本大洋のテーマは、かなり一貫している。 「天才の営為とは畢竟‘子供の遊び’であり、秀才はそれに決して追いつけず、ただ憧れるしかない」というようなもので、この初期長篇二作で、ある意味それは描き尽くされている。 最大ヒット作『ピンポン』は、そこをもっとも大ぶりに描いた集大成だろうし、最新傑作『SUNNY』は、その「先」(あるいは、その「前」)への美しいチャレンジだと思う。 しかし個人的には、『花男』を偏愛しているのです。 初長篇『ストレート』や『ZERO』『ピンポン』というスポーツ物の亜種のように見えながら、この優しい詩情に彩られた「野球漫画」ほど、スポーツの持つ「奇跡」を鮮やかに読む者の心へ染みこませてくる漫画を、他に知らない。 また『花男』は、大友克洋と谷口ジローによって日本漫画界に提示されたメビウスに代表されるヨーロッパ・コミックの豊穣さ、それをさらに一歩進めた可能性を見せてくれた作品でもあります。 Pradoが好きなんだろうなあ。そこがまた凄いよなあ。