宮西計三は黙殺された才能なのだろうか。
きっと、そうなのだろう。
ちびまる子ちゃん』のキャラ名に使われていないのだから。

…というのは、まあ、軽口の冗談として。

しかし、彼のそれほど多くない漫画作品を、こうして電子で簡単に読むことができるのだから良い時代ではある。

本書は
「79年ブロンズ社刊「ピッピュ」と81年久保書店刊「薔薇の小部屋に百合の寝台」から自選した物」
ということで、80年代初頭に花輪和一丸尾末広に続く才能として一部から注目された早熟の異才を知るには、格好のものであると思う。
個人的には、けいせい出版から出た『金色の花嫁』が最も印象に残っているのだが。

とりあえず本書の「1巻を試し読み」をクリックしてもらいたい。
表紙画面から1ページ進むと、モノクロの総扉が顕れる。
寝台に身を横たえた全裸の少年の絵。
この絵にこそ、漫画家・宮西計三の異能が凝縮されていると信じる。
これに感応(=官能)するなら、ぜひ漫画へと進んでいただきたい。

ちなみにこのイラストは、上記『金色の花嫁』所収の「リアリティ」という作品の一部だと記憶する。自分は、この掌編が宮西作品のフェイバリットなのです。

すごい絵だ。
今見ても、心が震える。

名前の印象が近いせいか、宮西計三のことを考えると、いつも宮谷一彦を思い出してしまう。
一応「一時代を築いた」宮谷のマチズモとは、アンダーグラウンドに身を潜め続けた宮西のハイリー・センシティブな資質は随分と異なるのだが、それでも、漫画史の表舞台からこぼれ落ちた「幻の漫画家」として、このふたつの異能は似通ったところがあると感じているのだ。

読みたい
完全版 ピーナッツ全集

海外漫画の最良の入り口

完全版 ピーナッツ全集
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

ビル・ワターソン『カルヴィン&ホッブス』のクチコミに書いたことだが、日本では本当に海外の漫画が読まれない。 この『ピーナッツ』ですら、「スヌーピー」というキャラクターを知る人の数に比べたら(いや、日本国民全員でしょう、それは)、実際に漫画を読んだ人は驚くほど少ないだろう。 とは言え、谷川俊太郎の美事な仕事によって、『ピーナッツ』は版元を変えながら、延々と刊行され続けている。誠に喜ばしいことである。(アメリカへ会いに行った谷川に、シュルツが「翻訳できるなんて、あなたは私よりもジョークが上手いんでしょうねえ」と感謝していた記憶がある) ごく最近刊行が始まった『完全版 ピーナッツ全集』は、本書「15」が第1回配本分となる。 個人的には、70年代のピーナッツが、今の日本人読者にとっては一番違和感なく楽しめると思うので、できれば、近いうちに刊行されるであろう「12~14」を、まずはお薦めしたい。 ちなみに、50年代や60年代は、結構絵柄が違うので、少し戸惑うと思います。 いや、もっと正直に言うと、ツル・コミック『PEANUTS BOOKS』か角川書店『SNOOPY BOOKS』、例の縦長の、横に英語が載ってるヤツを古本で探して読むのが一番良いですよ。 なんと言っても、我らが西の巨人いしいひさいちの『ドーナツブックス』が思いっ切り形をパクった、4コマ漫画の聖典なのですから。 とにかく、海外の漫画(コミック・ストリップ、カーツゥーン)を読み味わうということにおいて、これほど日本人にとってイージーな作品はない。 チャーリー・ブラウンもサリーもルーシーもライナスもシュレーダーもピッグペンもペパーミントパティも、皆、我ら極東の民と同じように人生に悩む「隣人」である。スヌーピーはいつだって、尊大で小心でええカッコしいで、魅力的だ。 『ピーナッツ』なら、誰でも海外の漫画を心から楽しむことができるのだ。 そして、この極めた優れた「入り口」を通ることが、世界中の漫画へのパスポートになる、と自分の経験を考えて断言できるのです。

大江戸恐龍伝

その意気や良し

大江戸恐龍伝
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

夢枕獏の小説は、漫画化してもあまり売れない…と、昔、知り合いの漫画関係者から聞いたことがある。 いやいやいやいや、岡野玲子との『陰陽師』があるし、谷口ジローとの『神々の山嶺』は名作だし、板垣恵介との『餓狼伝』だって売れたでしょ!…と反論したのだが、先方は「そうなんだけどねえ…」と言葉を濁した。 (ちなみに、この会話は「それに比べると菊地秀行の漫画化は数字的にかなり手堅い」と続いた。その比較について考えるのはとても興味深いのだが、このクチコミと主旨がズレまくるので触れない) 実は彼とは、かつてボクシングについても同じようなやり取りをしたことがある。 ボクシング漫画って売れないんだよねえ…と言われ、いやいやいやいや、『あしたのジョー』や『がんばれ元気』や『はじめの一歩』とか、ド名作があるじゃない!…と反論したのだ。だが彼は「いや、それはそうなんだけどね。でも、漫画家は描きたがるんだけど、かなり実力がある人でも、あまり上手くいかないんだよ」と答えた。 「夢枕獏」や「ボクシング」は、多くの漫画家がそれに魅了され、漫画にしたいと願い、そして実際に挑戦するのだが、作品的にもセールス的にもなかなか送り手が期待するような結果にならない、と言うのだ。 そう考えると、確かに、夢枕の小説が持つ破天荒な面白さを、漫画というフィールドに結実し得た作品というのは、あまり思い浮かばない。 上記三作はそれぞれの漫画家の類い稀な個性によって「面白く」なったのだが、あくまで「例外」ということなのか。 そういう意味では、スティーブン・キングの映画化と近いかもしれない。 (ちなみに、ボクシングについても、「村上もとか『ヘヴィ』や細野不二彦『太郎』といった意欲作が彼らの豊かなキャリアの中でどんな位置か」とか、「明らかにボクシング漫画を指向していたにも関わらず森田まさのり『ろくでなしBLUES』はなぜそのジャンルとして失敗したのか」とか、「車田正美『リングにかけろ』が正統的ボクシング漫画であることを止めてから売れたのはなぜか」とかを考えるのはとても興味深いのだが、これもやはりこのクチコミと主旨がズレまくるので触れない) 前置きが長くなりすぎた。 とにかく、夢枕獏の漫画化は「難しい」のだ。 しかし多くの漫画家や編集者は、この魅力的で危険な「賭け」に、今も挑み続ける。 やまあき道屯『大江戸恐龍伝』は端倪すべからざる作品である。 原作の、江戸期のスター・キャラをズラリ並べて荒唐無稽・縦横無尽に突っ走る面白さに、漫画家は必死に喰らいついている。 構成は少しダイジェスト感があり、いかんせん詰め込みすぎではあるのだが、熱気と主張ある絵柄で美事なコミカライズとなっていると思う。 近年の収穫と呼ぶに相応しい力作だと信じる。

クシー君の発明

洒脱な結晶

クシー君の発明
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

鴨沢祐仁は、漫画史にポツンと光る宵の明星である。 イラストレーターとしての活動のほうが知られているだろうが、本書のような漫画では、カッチリとした、『タンタンの冒険』のエルジェをさらにモダナイズしたような熟練の洒脱なタッチで、稲垣足穂『一千一秒物語』に強い影響を受けたクリスタルなエピソードを描く。 足穂インスパイアな作品は多くあるが、これほどまでに美事な仕事はちょっと思い浮かばない。 読んで満足、棚に飾って嬉しく、オシャレなプレゼントとしても最適! いや、ホント、こんな漫画家は他にいない。 劇画やヘタウマというムーブメントが激しい意識の変容をもたらした時代に、その潮流に与せず我が道を進んだ「西洋アンティーク版“林静一”」とも呼び得る存在として、真にユニークな才能である。 だが、林静一のイラストレーションが手に負えないほどの危険なエロスを秘蔵しているのと同様、鴨沢祐仁も、実はかなりエロスな人なのだ。 稲垣足穂は『少年愛の美学』『A感覚とV感覚』の「大変な変態」(雑な回文)な人でもあるので、その影響下にある鴨沢も、初期には、かなりネットリと耽美的なタッチだったりもしていることが、本書では分かる(…と思う。自分は青林堂版で持っていて、このPARCO出版の復刻版を電子化したと思しいeBookJapan Plus版を読んでいないのだが)。 後の作風ではそれを漂白してしまっているが、どちらも自分はとても好きなのです。

エクゾスカル零

ヒーローという宿痾

エクゾスカル零
(とりあえず)名無し
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山口貴由は、常に戦い続ける。 その戦いは、常に不毛である。 ヒーローはなんのために戦うのか、という問いの無意味さを、山口貴由は作家生命を賭けて描き続けているように思われる。 畢生の傑作『シグルイ』も、徹頭徹尾「不毛なるもの」としての戦いであるが(すべての戦いを命じた徳川忠長は、物語の開巻でそれにより罰せられ切腹する)、そこにはまだ武士道や階級社会のようなシステムによる動機付けが存在していた。 だが、本作にはそうしたエクスキューズすら存在しない。 『エクゾスカル零』は、出世作にして時代を圧倒する快作『覚悟のススメ』の続篇であり、明らかな「仮面ライダー」オマージュなのだが、主人公がなんのために、誰を救うために戦うのか、という本質的クエスチョンを、すべての解の可能性を叩き潰した徹底的にエクストリームな設定の上で、敢えて問い直そうとしている。 闘争は人の宿痾だ。 望むと望まざるとに関わらず、人は戦う。 だからこそ、人はその理由を探し求める。 だが、そんな理由など、どこにもない。 それでも、ヒーローは正義のために戦わねばならないのだ。 「正義」とはなんなのか分からないとしても。 この作品を失敗作という人はいるだろう。 ヒーロー漫画という意味での喜びは、ここにはほとんど感じられないのだから。 だが、絵の硬度は作者史上最強、物語はほぼ理解不能なまでに研ぎ澄まされている。 まるでカフカかバルトークの弦楽四重奏曲のようだ。 現代日本漫画の極北のひとつであると思う。 以下は余談。 上記に「徳川忠長は切腹する」と書いたが、『シグルイ』では扇腹として描かれている。 打ち首は罪人に対する処罰だが、切腹は違う。介錯人は断頭をしてはならず、首の皮一枚を残して斬らねばならない。その困難さ故、介錯人には真に腕の立つ者が選ばれた。 『シグルイ』でも、正確に首の皮がわずかに残った形で描かれてる。(マンバの試し読みで確認できます) そこに、公儀介錯人や斬首役を主人公に名作を描いた師・小池一夫への、著者リスペクトを感じるのだが、どうなのだろう。

ラタキアの魔女 笠辺哲短編集

「奇妙な味」の果実

ラタキアの魔女 笠辺哲短編集
(とりあえず)名無し
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笠辺哲をなんと評価すれば良いだろう。 なに気にキャリアのある人で、もう期待の俊才などと言うのも失礼だろう。 「ゼロ年代コミティア系の良心」? いや、別にコミティアに「悪心」が他にあるとも思っていないのだが。 SF的なテイストだと宮崎夏次系のほうがハードコアだが、笠辺哲には独自のつかみどころのない気持ちよさがあって、とにかくいつ読んでも絶妙に「宙ぶらりん」な読後感を味わわせてくれる。 絵柄も話も、少しユルいヌケたところがあって、それなのに描いている世界はちゃんと棘があり、読み重りがする。 かつての小説界であれば、「奇妙な味」というのが相応しいような、貴重な才能だ。 それはともかく。 なんでこの人は、このペンネームなんだろう。 どう考えても映画監督・俳優のジョン・カサヴェテスから取って付けていると思うのだが、その作品に、カサヴェテスっぽさは特にない。 この作品集が刊行された時のインタビューがネットで見つかったが、そこでは、自分から「(アイデアの)ベースになりやすいのが映画」と話題を振って、好きなのはタランティーノ『パルプ・フィクション』、黒澤作品、デビッド・リーン作品、キューブリック作品、『天井桟敷の人々』とズラズラ列挙するのに、カサヴェテスのことはまったく触れていない。 音の響きが面白いから借りた…くらいのことなのだろうか? 不思議。 (もちろんそれで全然構わないのだが。自分のように、カサヴェテスの名前に惹かれてコミックス買っちゃったヤツもいて、その辺もまたつかみどころがない感じがして、なかなか良いと思います)

遥かなる甲子園

号泣保証

遥かなる甲子園
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

自分は、漫画や映画のようなフィクションに触れてウルウルすること、実際に「涙を流す」ことの多いセンチメタルな人間なのだが、その多くは、あくまで個人的な心情にフィットして、だ。つまり、自分自身の経験や環境と類似するシチュエーションにいるキャラクターに、感情移入をして泣くのである。 だが『遙かなる甲子園』は、あくまで物語内のキャラクター、自分とはまったく異なった存在に作品を読むと同一化させられ、オンオンと号泣させられる。 自分でもおかしいんじゃないかと思うくらい、涙でページが見えなくなってしまう。 感動作という表現がこれほど相応しい漫画はない。 山本おさむはキャリアの長い人で、初期の青春物から近年の『そばもん』『赤狩り』まで、篤実な作風とはこのことか、という誠に得がたい才能だが、なんと言っても本作『遙かなる甲子園』『わが指のオーケストラ』『どんぐりの家』という、聴覚障害や重複障害の人々を描いた「人権三部作」とも呼び得る圧倒的作品群が素晴らしい。 漫画読んで泣きたい人は、ぜひ。 不思議と読後に心がすっきりします。 余談だが、山本には、漫画作品ではないが『マンガの創り方』という隠れた名著があり、これを読むと、その真率に創作に向かう姿勢の一端を知ることができる。簡単に言えば、彼の作品には常に読者への強い心配りがあるのだ。だからこそ、自分と関係のない存在にも、あれほど感情移入させることができるのだろう。(この本、古書でも高額で、あまり薦めにくいのだが)

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ピッピュ

ピッピュ

君は恐怖のように美しい! 宮西計三は夜に組する劇画家だ。髪には夜の針が隠されている。ドレスと下着を脱ぎすてた裸体は夜のまぶしさだ。ー ロックの拓いた地下世界に共振する結晶空間!(帯文より) 鬼才 宮西計三の70年代にエロマンガ誌に掲載された作品をまとめた短編集。緻密に描かれた、倒錯したエロティシズムをお楽しみ下さい。

頭上に花をいただく物語【デジタル新装版】

頭上に花をいただく物語【デジタル新装版】

この作品は87年~88年にかけて久保書店発行「漫画ドッキリ号」誌上に連載された作品である。後89年にモール社(東京デカド社)よる短編を加え単行本化されたものを、デジタル配信用に再編集。童話風に仕立てられた内容は「東野物語」や宮澤賢治童話を思わせる。宮西ファンのなかでは不朽といわれる名作である。※発売当時の単行本からデータ化を行った都合上、一部のページで描線のかすれがみられます

エステル あふれてくねるもの

エステル あふれてくねるもの

本書は宮西の代表作である。収録作品は全て80年代に描かれたもので、刊行時は宮西の最も新しい作品群として話題になった。宮西が20歳~30歳に掛けた十年間に描かれている。タイトル-Esther-の元になったと思われる『エステルの化粧』を中心にペン画、鉛筆画のイラストを配している。作品はどれもイラストの範疇を遥かに超えた芸術作品と言えるものばかりだ。二色カラーページが32枚というのも嬉しい! 特に興味深いのは、英訳作品『MIDSUMMER NIGHT’S DREAM』である。80年中期にはアメコミに対抗して日本のマンガをアメリカに輸出しようという流れが出て来た。そこで大友克洋、 平田弘士といった面々を集めて-オムニバス・アンソロジィ-を一冊アメリカ発売した訳である。そこに宮西も含まれていたというところに往時のマンガ界に於ける彼の立ち位置を窺い知る事ができる。蛇足ではあるが、今でこそマンガは日本のお家芸のように言われいるが、しかし80年代ではまだまだアメリカがコミックのうえでも名実共にNo.1だったというのがなんとも皮肉で面白い。 収録作品:うつくしきかしら/レボリューション/バラティユリ/.....IF I DIE, I DIE/因果/Platonics/エステルの化粧 1/エステルの化粧 2/エステルの化粧 3/MIDSUMMER NIGHT’S DREAM/台風小僧/菓子屋のたくらみ 1/菓子屋もたくらみ 2/LITTLE YELLOW サンボ/月光和音

マイラ  蒼い蝙蝠の顛末記

マイラ 蒼い蝙蝠の顛末記

最大の問題作! 商業誌仕事の傍らコツコツ描き続け完成まで十年を費やしと言う。たかだか32枚の作品であるがその描き込みは凄まじい! 技術も更にアップしている。点描はエロチックな夢の世界を脱却して在らぬ世界の生き物として“存在”している。副題《蒼い蝙蝠の顛末記》とあるように化け物は恐れられる。ダヴィンチ描くところのマドンナをモデルにした人物が素晴らしい。彼は男でもなければ女でもない存在として獣欲的、快楽的、神秘的異教徒とさえ見える。山の岩よりも年を経た存在で吸血鬼のように何度も墓に眠っては又、蒼い月の下に現れる蝙蝠なのである。無~有~無、人は変遷を繰り返す。故にどちらでも無いものは夢幻と成って彷徨う。形は無いが存在し、現象として消え失せる…ここに浮かび上がるのが音楽である。本書はCDブックとして出版され裏表紙は「Onna」(オンナ)となっている。Onnaとは宮西のバンド名である。Onnaは83年にEPをリリースし二年足らずで活動停止する。CDにはEPの二曲に未発表を加えた三曲が収録されている(電子書籍には音源未収録)。テクニックの頂点を極めたかにみえた作者が次に送り出したのがこの『マイラ』だ。恐るべき点と線は、命有るもののように増殖進化している。ここに“美し過ぎる化物”は誕生した!

エレベーション Sa・Yo・Na・Ra

エレベーション Sa・Yo・Na・Ra

本作は謎の作家、伝説のカルト・マンガ家と言われていた宮西計三のメジャー進出を企画して2000年に描かれた作品です。しかしその目論見は見事失敗に終わり、作品はお蔵入りとなりました。2005年にマイナー出版社より雑誌収録されるも、ファンの目にはほとんど届かなかった幻の逸品です。宮西の従来の特徴である耽美エロティシズムを排し、キャラクターも日本人、舞台も日本としたそれまでの作風にはみられないものです。内容はサイキック・ホラーとなっておりコマの構成、美しいまでの線の描写は70年代80年代マンガ、劇画のテクニックの最高峰と言えるでしょう。お話は説明を極力はぶき、ショッキングな断片を連ねることにより読者自身の中にストーリーを発見させようという正にサイケデリック・コミックと呼べる実験的なものです。

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