なんだかよく分からないがすごかった
これを読めば長尾謙一郎先生が日本漫画界のデヴィット・リンチと呼ばれている理由がよく分かります。なんで口から宇宙人が出てくるのか?ヘソから入れるシャブってなんだとか?意味を考え出すと迷子になりますがそんなことをしようとするのが野暮だと開き直るとすごく面白いです。竹之進の「おのれのパンツは宇宙一穢い!!!」と美美さんの「女だったら竹やぶに入らなあかん時があると思うねーん」はなぜだかハートに刺さりました。もしこれからの人生で悟りを開きたいと思ったらまず頭の中に竹やぶを思い浮かべようと思います。
長尾謙一郎の『ギャラクシー銀座』は、紛れもない名作である。
『伝染るんです。』『いまどきのこども』『サルまん』等など、綺羅星のごときスピリッツ連載の革新的ギャグ群の血脈を受け継ぐ、最新のまことに見事な達成だ。
…って、「最新」なんて言っちゃったけど、そうか、ギャラ銀も、もう10年以上前なのか。
しかし、この10年間で、それを超えるだけの破壊力を持ったギャグは現れていない、と個人的には断言したい。
二十一世紀、メジャー漫画誌に掲載されたギャグ・フィールドの成果として、うすた京介『ピューと吹く!ジャガー』のクオリティーに比肩できるパワーを持つのは、この作品くらいではないか。
(漫画太郎の衝撃は、二十世紀末ですからねえ。『地獄甲子園』とか本当に凄かったけど)
前作『おしゃれ手帖』のスマッシュ・ヒットに続き、満を持して開始されたであろう『ギャラ銀』は、その革新性ゆえ、連載中から迷走を始めたように感じられる。
だが、その迷走と引き換えに、ギャグ漫画は時に不滅の破壊力を得るのだ。『バカボン』が、『マカほう』が、『パイレーツ』が、『珍遊記』が、迷走していないと誰に言えるだろうか。
『ギャラクシー銀座』には、新しいギャグを描くのだ、という崇高な志が漲っている。
それは、この「ギャグ漫画不毛の時代」にとって、果敢で無謀な「光」だったと、今も強く思う。
その迷走の先は無明だったとしても、だ。
漫画雑誌というメディアの生命が終わろうとしている今、どこに新しいギャグの「火」は灯されるのだろう。