読者と解釈と作者の意図が全然違うよね。

例えば早乙女の安斎に対する態度をみてみよう。
自分が殺されかけた時には「そいつは間違っちゃいねぇよ」と言って、サッチーを心配して怒る宮田に反論したくせに、
長谷川が疑いをかけられた途端に問答無用で安斎に殴りかかって安斎を猿にしてしまった。

読者はこのやり取りを見て、早乙女ってコロコロ考えを変える馬鹿だなって思う。

でも作者は「冷静な早乙女かっけー!」「義に厚い早乙女かっけー!」としてか思ってなさそう。
話の流れを考えられず場面場面で適当な言動をさせるから、カッコいいはずの早乙女にヘイトが溜まっていく。

でもそれは早乙女が悪いんじゃない。
作者がバカなだけなんだ。

早乙女が安斎の話を聞こうともせずに殴ったのはここでも散々馬鹿だって言われてたよ。

早乙女の心情は理解はできるけど、馬鹿すぎ。
自分の感情だけ動いて全体の利益が考えられない。
早乙女は自己犠牲精神の強さで他の人を危険に晒すことが度々あって、
社長が毒を飲むことになったのもそのせいだった。

確かに場面場面を切り取れば「早乙女かっけー」と受け取る人もいるだろうし作者もそのつもりで描いてそうなんだけど、流れが読める人からするとその場の感情で動いている早乙女にもヘイトが溜まる。

多分それなんだよな、おそらく作者の考えてる長谷川&林像と
読者の見てる長谷川&林にかなりのズレがあるんだよな。

作者的にはこの2人を金田一コナンの犯人みたく読者から
「薬害で身内を喪った可哀想な被害者」と同情されるような
立場にしたいんだろうが、読者から見れば長谷川と林の
やってることはただの屑行為で関係ない人を巻き込みまくって
不幸にしているだけの到底同情や共感できるものじゃない、
むしろ身勝手な犯行計画から読者の怒りを買ってる、
その辺が特に作者の意図と読者の解釈にズレが生じて
読み手から不満と反発が起きてるのかなと思う。

そしてここで宮田を殺したのはホンマ意味不明だ。

孤独な早乙女を庇ったり優しくしてあげて死んだ人
ユージ、父親、社長、岡島、宮田
ここまで続くと早乙女に原因があるとしか思えない
何も学習してない

彼らよりも自分に上っ面の優しい言葉をかけてくれた長谷川のが大事なのが早乙女って男なんすよ
じゃなければ岡島や社長宮田が長谷川に殺されてるのに長谷川を助けようとなんかしない

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モリのアサガオ

死刑を執行する刑務官

モリのアサガオ
かしこ
かしこ

死刑という重いテーマと真正面から向き合った作品です。父親のコネで刑務官になり死刑囚と接することになった実直な性格の主人公・及川。凶悪殺人犯のことが怖いと感じるのは彼らのことを理解しようとしないからだ…という考えに至ってからは、積極的に彼らと関わり更生の道を一緒に模索するようになります。しかし心を入れ替えて自らの罪と向き合ってもすでに決まっている死刑からは逃れることは出来ません。いくら凶悪殺人犯とはいえ国が人を殺してしまう、命を持って罪を償うという死刑制度は本当に正しいのか、主人公は疑問に思うようになります。 登場する死刑囚たちの中でも渡瀬という男と主人公の物語を主軸に描かれていますが、個人的には食堂を経営していた家族を惨殺してしまった星山がメインの回が一番心に残りました。主人公が人形を手作りして家族というものを思い起こさせて自分の罪を認識させることに成功する訳ですが、改心してすぐに死刑が執行される展開にはなんとも言えなくなりました。そういう流れを組みながら親友と言えるまで深い仲になった渡瀬からの「死にたくない」という望みを主人公が却下したのには驚きです。最終的には疑問を持っていた死刑制度についても、死と向き合うことが自らの罪を反省するきっかけに繋がるんじゃないかという考えになっていました。 しかしモリのアサガオ2で、渡瀬の死に携わってから主人公が精神を病んだことが描かれていて、やはりこの問題は深い森の中にあるのだなと思いました。

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