腸よ鼻よ

内臓までエンターテイメントにできる天才

腸よ鼻よ 島袋全優
野愛
野愛

世界一面白い闘病漫画ここにあり。 漫画家を目指すうら若き女の子に突然訪れた悲劇、なんだけど読んだら絶対笑う死ぬほど面白い漫画です。 漫画を描いては入院し手術し、退院して漫画を描いては入院し…という楽しくないはずの日常をひたすら楽しく見せてくれます。 クソな医者にあたったことも、駅のトイレ使っただけで感染症になったことも、成人式行けなかったことも全部全部笑いにするんだから全くん(お姉さんの呼び方で呼びたい)すげえな!かっけえな!ってなります。 全くんがストーマの袋たっぷんたっぷんにしながらプロレス観戦して一緒に写真撮ったスーパーマンタロウの中の人より元気に生きてるもんな。マンタロウの中の人は最近病んでてちょっと心配。嫁かわいいのにな。 いちばん笑ったエピソードは美容師にリーゼントにされて海に行った話なので病気あんまり関係ないですね。 腸があろうとなかろうとこの人は世に出ていただろうという面白さ。自分の内臓までエンターテイメントにできる人間なんてなかなかいないよ、天才としか言いようがない。 ガンマと言えば腸よ鼻よとはずネジが二大巨頭よね。異論は認めません!

ペコロスの母に会いに行く

ペコロスの母に会いに行った

ペコロスの母に会いに行く 岡野雄一
影絵が趣味
影絵が趣味

森崎東の追悼特集に通っている日々であります。森崎東というのは『ペコロスの母に会いに行く』を遺作にして亡くなった映画監督で、彼の撮る映画、これがまたとんでもない! 館内は幕開けから幕下りまで老若男女の笑い声に包まれるんですけど、これがしだいに笑い声と咽び泣きとが入り混じるようになる。みんなあんなに大笑いしていたのに、幕が下りて明るくなると、みんなくしゃくしゃに泣き崩れた顔を覆いながらそそくさと館をあとにするんですね。人前で泣くのは恥ずかしいですから、ピンと気合いを入れて嗚咽しそうになるのを抑えているんですけど、溢れた涙がどんどん顔をつたっていく。こんなご時世ですからマスクが涙でびしょ濡れになって、呼吸をするごとにぴたぴたと顔にひっついてきて堪ったもんじゃありません。 今回の特集は22タイトルもあり、その中には当然遺作のペコロスも入っているんですけど、まあ、22タイトルもありますから、ペコロスは公開時にも観に行っているし、ソフト化もされているから今回は観なくていいだろうと思っていたんです。 ところが、ある夜、感慨に耽りながら家に帰ってきて、名残り惜しさにユーチューブで予告編なんかを観ようとするわけですけど、森崎東の映画はほとんどがソフト化されていませんからユーチューブにも動画がほとんどないわけです。それで致し方なくペコロスの予告編をうっかり観てしまったのが時の運、館内で涙を堪えていた分、色んなものが一気に溢れでてしまって、もう嗚咽が止まらくて止まらなくてどうしましょう! そのときペコロスさんは黒い帽子を被っているんですけど、呆けたお母さんは息子を悪い人だと勘違いする。それでペコロスさんが帽子をとってハゲた頭をお母さんに見せつける。そのハゲ頭でお母さんは息子のことを認識してベタベタとハゲ頭を撫でまわす。笑えるんですけど、なんか同時に涙が止まらなくなるんです。この予告編にやられてしまって本編も観に行くことに決めたというわけです。 平日の最終回でしたから、観客はそんなに多くなくて、たぶん30人くらい。でも、主にハゲネタを中心に30人がずっと笑いっぱなしで、しかも、じぶんの座席から見えるほかのお客さんの半分くらいの後頭部が同じようにハゲあがっていて、それがとても愛おしいんです。 映画の時間が進むにつれて、お母さんの呆けも進行する。ついにはハゲ頭を見せてもペコロスさんは自分のことを息子と認識してもらえなくなる。また知らない人が来たといって暴れるんです。そのとき鎮静剤で眠ったお母さんの姿を、ペコロスさんはあの丸みのある愛らしいペンタッチで描いていく。このあたりから涙事情は相当にやばいわけです。お母さんの部屋の壁にペコロスさんのお母さんの絵がだんだん増えていく。よく撮られていたのは「母ちゃんいつもありがとう! 忘れてもよかけん、ずっと元気で!」という言葉の添えられたお母さんがピースしている絵。もうマスクが顔にぴたぴたひっついてきて堪ったもんじゃありません。 この時点ではお母さんを演じている赤木春恵とペコロスさんの絵がじつはそんなに似ていないことは特に気にもしなかったんですが、泣き腫らしながら迎えたエンドロールで、なんと、もうひと仕掛けある。撮影を見学に来られた実際のペコロスさんとお母さんのオフショットがエンドロールの脇の小さな画面に流れているんです。そのお母さんの顔がペコロスさんの描くお母さんにそっくりなんです! ただでさえもうお釣りがくるほど涙が流れているのに、そのことに気づいたときには着ていた服の衿口に顔を隠しましたよね。

あさな君はノンケじゃない!

ゲイの“日常”を知る

あさな君はノンケじゃない! あさなさくま
nyae
nyae

性的マイノリティに対して差別したくないと思うと、どうにか理解しようと頑張って、言ってはいけない言葉を覚えようとしたり、腫れ物に触るような対応をしてしまったりと、お互いに居心地の悪い思いをしてしまうのでは…(という心配をしてしまう無限ループ) 身近に該当する人がいないと、ひとりでそんなことを考えてぐるぐるしてしまう。 そんなときに読んだこの漫画は、少し心が楽になったのと同時に、良い教科書にもなりました。 性的指向などに関わらず、もちろんノンケでも、どんな人にも日常があって、その日常を侵害する権利は誰にもない。そしてこの世に「当たり前」のことなんてない。その人が好きなもの・嫌いなものが自分と違ってもいいし、同じだったら気が合うね!って言って仲良くなればいい。個人として付き合えばそれで良いんだなと(あ、でも書いてることは「当たり前」のことだな…)。 この漫画を描いてるあさなくんはゲイだけど、タイトルは「ノンケじゃない」。つまり、「君は〇〇だ」とカテゴライズすることがもう遅れてる。ノンケじゃない(自分とは性的指向が何かしら違う)、了解。で終わりなんだ!てことかな?と自分は解釈しました。

高校生を、もう一度

定時制高校に通う人々の胸打つドラマ

高校生を、もう一度 浦部はいむ
兎来栄寿
兎来栄寿

『あ、夜が明けるよ。』や『僕だけに優しい君に』で去年話題となった浦部はいむさんの新作です。端的にとても素晴らしかったです。 定時制高校へ実際に通っていたという作者によって、定時制高校の日常の悲喜交交が解像度高く描かれます。 主人公は、昼間は工場で働きながら夜は定時制高校に通う21歳の女性。周りより少し歳が上であることに引目を感じ、体育の時間にペアになる相手も見つからないというところから始まります。 それ以外にも、沢山の大なり小なり訳ありのキャラクターが登場し、群像劇が織り成されます。 真っ直ぐ一番人が多い通りを歩むだけではなく、脇道に逸れたところに咲いた花やそこでしか見られない景色に出会いながら、自分のペースで進んでいっても良いし、むしろその方が他の人が経験できなかった素晴らしい体験を得ることができるかもしれないのが人の生きる道です。 色々な人に出逢って、良いことも悪いこともあって、気づいたら前より人に優しくできるようになっていて、それが切っ掛けで人生が少しずつ良い方向へと回っていく。その様に、静かでありながら大きく胸を打つ感動を貰いました。 一冊を読んだ時の満足度は今年読んだ中でも上位で、ぜひお薦めしたい作品です。

くらしき ぎゃらりーかふぇ物語

理想の生活の後ろにあるもの

くらしき ぎゃらりーかふぇ物語 ねこまき(ミューズワーク) 志賀内泰弘 八朔
兎来栄寿
兎来栄寿

岡山県倉敷市を舞台に描かれる、心温まる作品です。 元々は問屋だった古民家を使い、1Fはカフェで2Fがギャラリーになっているギャラリーカフェを営むおばあちゃんの友恵を中心とした物語です。 『ねことじいちゃん』のねこまきさんによる作品なので、やはりかわいい猫が本作にも登場します。 看板猫の茶々や、娘や孫と共にいつもの日常の中での少し特別な穏やかな時間を過ごしている姿には、読んでいて心が解きほぐされていくのを感じるほどの癒し効果があります。とにかく絵柄から優しさが溢れ出ていて、特にフルカラーのページは読んでいて幸せな気持ちになります。 ただ、中盤からは「ひまわりの秘密」というサブタイトルに迫る回想パートが始まり、ギャラリーカフェでの日常から、戦時中のお話へと移っていきます。 2020年になると、第二次世界大戦の描き方もこうなるのだなぁと感じ入りました。 そんな時代を経て現代に戻った時、ギャラリーカフェで屈託なく笑い合える日々がどれほどかけがえのないものであるかを再認識させられます。 それまで何気なく素通りしてきたもの、それを振り返ると大きな意味があり、そこには人の強い想いや願いが込められている。それに気付けるようになることが成長であり、正に人生だなぁと。

マッドメン

諸星大二郎試論 ~きわめて視覚的な、きわめて即物的な~

マッドメン 諸星大二郎
影絵が趣味
影絵が趣味

諸星大二郎といえば、民俗学的であったり、神話的であったり、異界的であったり、幻想的であったりと語られ、じっさいに柳田国男の研究書やクトゥルー神話を愛読している一面があったり、扉絵や表紙の絵などからはたしかにシュルレアリスム作家ダリの影響を彷彿とさせずにはいられない。しかし、これら数多の要素は諸星大二郎について何か説明するひとつひとつの所以にはなりえようが、漫画家・諸星大二郎を語るさいの言葉としてはどれをとっても全てを合わせてみても片手落ちになっているような気がしてならない。 さきほどシュルレアリスムという言葉を出したが、これを日本語に訳すと超現実主義となるらしい。超現実とはすなわち、現実を超えるということであり、これを画家という立場に合わせて言うなれば、目に見えない何かを描くということになるだろうか。まさしくそのようにして幻想画家としてのダリが生まれている。ところで、ある種の民俗学にしても、神話にしても、異界にしても、幻想にしても、それらはひとしく目には見えないもののはずだが、じっさいのところ諸星大二郎の漫画ほどよく目に見えるものもないのではないか。衝撃の連載デビュー作となった『妖怪ハンター』では民俗学的な切口から、いきなり異界がひらけて、ヒルコなる怪物との遭遇が為されるが、本来ならば目には見えない異界なるものが、これでもかというぐらい目に見えるように描かれている。さらなる衝撃の長編デビュー作となった『暗黒神話』では、よくよく読んでみればふざけているのではないかと思うぐらい唐突に、これまた異界がひらけて、神話の怪物がしっかりと目に見えるように描かれている。諸星大二郎という作家は、目には見えないはずの、手では触れられないはずの幻想的な何者かとの遭遇をあまりに唐突に意図も簡単に描いてのけ、しかも、それらの怪物たちはふつうの現実の人間であるところの登場人物に、まるで自身の存在が幻想の産物ではないこと示すかのように、抜け目なく傷まで負わせてゆくのである。 まさに『暗黒神話』は主人公の少年が異界の怪物と遭遇するたびに四肢のひとつひとつに傷を受ける物語であったし、『壁男』では壁男が壁ごと人型にくり抜かれて倒れてきてアパートの住人に傷を負わせるし、『鎮守の森』では男がいきなり異界に迷いこみ目に怪我を負いながら十数年も放浪したのちに汚れたそのままの姿でいきなり現実に戻ってくる。 さらには異界やその怪物ばかりではなく、諸星大二郎の真骨頂とも言うべきは、本来は目に見えるはずもない人間の内面の感情のようなものをあっけらかんと視覚的に描いてしまうことにある。まさしく『不安の立像』では不安という名の目に見えない感情が外套の影のような姿で描かれ、『夢の木の下で』ではひとの内面での変化が植物が枯れることで如実に描かれ、『遠い国から』のとある惑星ではひとがもの凄く感動したときにすぐその場で自殺をするように描かれ、『感情のある風景』にいたっては感情がそのまま目に見える文様として描かれている。 諸星大二郎の漫画はこのように幻想的であったり超現実的というより、むしろ、視覚的過剰によるきわめて体験的なものとして私たちの目に飛び込んでくる。そこで私たちは何かの幻想や超現実に想いを馳せる必要などまるでなく、向こうの方からすでにいきなり唐突に、視覚的現実としてそれが目に突き付けられている。 あるいはマッドメンや縄文人をはじめ、身体に傷を負う(入れ墨を負う)という行為は、神や異界の存在を現実のものとして視覚的に示すものだったのかもしれない。

こいぐるみ

彼女は「べき思考」を手放すか #1巻応援

こいぐるみ たなかのか
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

すべき思考orべき思考とは、認知の歪みと言われる偏った思考の一つ。道徳・一般通念や理想像に過度に固執する状態であり、精神疾患を長引かせる要因にもなる厄介な思考。 主人公の女性はこの「べき(すべき)思考」の持ち主。常に「べき」を振り撒く彼女は、何をするにも「べき」と音を出していて痛々しい。 そんな彼女の心を救うプランナーの男性は、キャラクターデザイナーの彼女が創るキャラを愛し、彼女をいつも見てくれる。しかし実は彼は……なんじゃそりゃ!?(試し読みを読もう!) 軽いタッチのラブコメには、ちょっとモヤッとする人ばかり登場する。主人公の家族の人でなし感は物凄いし、主人公に求愛する男性も何を考えているのやら……そして主人公のべき思考も頑なで、自他に押し付ける姿には抵抗感がある。 だが主人公の「べき」が己の心を守っている事、彼女が『アリとキリギリス』の呪いの被害者である事には、心底同調してしまう。誰も望んで苦しい思考を身に付けない。それは防御反応なので、ある程度は周囲のせいなのだ。 男性の可笑しな求愛に振り回され、怒り傷つきながら気付かされる考え方に、ハッとする。頑なな自分と向き合って、べき思考の奥にある「望み」を知る様子に、彼女の心に平和が訪れる事を、我が事の様に祈ってしまう。

まんがでわかる自律神経の整え方

当たり前の規則正しい生活がなぜ大事なのかわかる1冊

まんがでわかる自律神経の整え方 小林弘幸 一色美穂
たか
たか

物心ついてから親元を離れるまで、平日は朝6時半に起きてご飯を食べ、雨の日も雪の日も徒歩20分かけて学校へ行き、12時に給食、午後6時に夕飯、砂糖の入った清涼飲料水は飲まないという生活を送っていました。 18年間それが当たり前だと思っていたので、毎年スポーツテストと一緒に行われる健康に関するアンケートで「食事は毎日同じ時間に食べているか」や「朝食を毎日食べているか」と聞かれる意味がわかりませんでした。 ですがこの模範的で健康的な生活の反動で、1人暮らしの大学生活は乱れに乱れたものとなりました。 好きな時間まで起きていていい! お風呂は朝入ればいい! 好きなものを好きなだけ食べていい!! 律儀に3回食べなくてもいい!!! すごいぞ1人暮らし…! と感動した自分は、(少なくとも最初の半年間)「朝昼は好きなだけチョコレート、夜はスイスロール」のように、思いついた不健康を片っ端から試して暮らしました。 真剣に単位を取らねばならない時期だけはいつの間にか規則正しいリズムで暮らしていましたが、就職してからは夜勤と日勤が入り乱れることになりました。 とまあこんな感じで、もう10年以上不規則な生活に染まりきっているのですが、最近になって自分が入眠困難であるのを自覚したのをきっかけに、健康的な生活がしたいと真剣に考えるようになりました。 というわけで、Amazonで「不眠症 エッセイ」で出会ったのがこの漫画です。 軽く著者の先生について調べたら信頼できそうな感じだったので購入してみたところ、自律神経を整えるのに必要な情報だけが小難しい用語を使わずわかりやすく説明されていてすごく良かったです。 (むしろ医学的な堅苦しい文章が一切ないために、信じていいのかと逆に不安に感じるほど簡単な内容となっています) 各話は、この漫画の著者である一色美穂先生がものすごく若々しい担当さんの若さの理由が自律神経にあることを知り、小林弘幸先生(順天堂医院 総合診療科)の元を訪れ話を聞くというスタイルで進んでいきます。 初っ端の、担当さんの若さに驚いた一色先生が「クイクイ(※ヤクでもやってんのかのポーズ)」とするところで、もうこの本が好きになってしまいました。 「そもそも自律神経とはなにか?」という説明で、発汗や血液循環などは24時間自動的にコントロールしているものと聞き「イッツオートマチック…!!」という感想が出てくるところが最高。一色先生のシンプルなのにものすごく漫画らしい、いつまでも見ていられる絵柄もまた素敵。 https://i.imgur.com/bGesFKA.png (△『まんがでわかる自律神経の整え方』小林弘幸/一色美穂 Lesson1より) 小林先生が自律神経を整えるために大切なこととして挙げているのが ・朝起きたら水を飲む ・上を向く ・日を浴びる ・作り笑顔で良いから笑う ・食事は6時間おきに取る ・寝る前に湯船に浸かる なのですが、これもう全部小学生のときには自然にやっていたことですよね。当たり前すぎる。 この中の「作り笑いでもいいから笑う」について。 私が高校生のとき、なんのストレスもないのにやたら気分が暗い日が連続したことがあって、ふと「あ、この1週間大笑いしてない」と気づいたことがありました。お笑い番組をみたところその暗さがスッキリ消え、その経験から定期的にお笑い動画を見るようにしているのですが、ちゃんと医学的な根拠があると知って納得しました。 とまあ、これらの当たり前のことが体に(自律神経に)良いとはぼんやりとは知っていても重要視はまっっったくしていませんでした。が、この本を読んでみて現在日常で困ってる体調不良が全部この「当たり前のこと」で解消されるとわかり、その重要性を痛感しました。 やろうと思えばできる本当に些細な日常習慣ばかりなので、とりあえず常に締め切ったカーテンを開けるところから始めようと思います。

なずなのねいろ

絵から音楽が聞こえる

なずなのねいろ ナヲコ
野愛
野愛

音楽を題材にした漫画は多数あるので忘れてしまいがちだけれど、漫画で音楽を表現するのって物凄いことじゃないですか? なずなのねいろ、物凄い漫画に出会ってしまった気がしています。 ギター少年の伊賀が三味線を弾く少女なずなに出会い、三味線を教わろうとするところから物語は始まります。 なずなの三味線に感動し、自らも三味線の魅力に引き込まれていく…のは間違いないのですが、一筋縄ではいかないのがこの作品。 なずなには三味線を弾かなければならない理由と、三味線を弾くことができない理由がありました。 何故なずなは三味線を弾くのか、何故なずなは三味線を弾けないのか、なずなが抱えているものは何なのか。 多くは語られないまま、揺れ動くなずなの心だけをたっぷり描写して物語は進んでいきます。 真実が明らかになり、動き出したなずなの音色は静寂を切り裂くように鳴り響きます。 漫画だから音が聞こえることはありません。それでも、自分自身の音を見つけたなずなの姿が心を震わせる音楽そのものに見えました。 なずなが子どものような容姿で描かれているのにもしっかり意味があって驚きました。何から何までよくできている…。 本当に本当に出会えてよかった作品です。ぜひ多くの人に読んでほしい!