俺の新選組

唯一無二、だなあ。

俺の新選組 望月三起也
(とりあえず)名無し
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望月三起也で一番好きな漫画、というと、どうしてもこれが思い浮かんでしまう。 キャリアの長いかたで、ぶっ飛んだ名作・傑作・異色作がたくさんありますし、なんと言っても自動拳銃の排莢を描かせたら、まったくもって誰もマネが出来ないほどカッコイイ漫画家さんですから、そりゃあ『ワイルド7』も最高に決まっているのですが(「排莢の瞬間」がカッコイイんですよ。これは映画とか他媒体では描写不能。漫画だけに、望月三起也だけに可能だった絶品のアクション描写です。鳥山明も排莢描くの上手いけど、別にカッコよくはない)、なんか、この、銃も戦車もバイクも出てこない「チャンバラ時代劇」が、すごく好きなのです。 ぞろっとした新選組の段だら模様に、ギラっと冷たく光る本身…いやあ、良いなあ、チャンバラだなあ! 巻数も5巻で長くないですし(いや、打ち切りなんですけどね)、癌で余命宣告された時、「『新撰組』のつづきを描く!」と宣言なさっていたくらいですから、ご本人としても思いの強い作品だったのだと思います。(その望みが果たされることは、残念ながらありませんでしたが) 唯一無二の望月ワールドを堪能するのに、実に好適な名作ですよ。 もしそれで気に入ったら、そこから先は、『ワイルド』でも『JA』でも『JJ』でもヨーロッパ戦線物でも『ジャパッシュ』でも、なんでもドンドンいっちゃいましょう!

旧約聖書 創世記編

人はなぜ漫画家になるのか

旧約聖書 創世記編 笹野洋子 ロバート・クラム
(とりあえず)名無し
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ロバート・クラムの漫画のことを初めて知ったのは、寺山修司の文章だった。 いや、正確に言うと、寺山の文章を読んだ時には、それがクラムだとは分かっていない。 寺山は、「オランダから出ている地下新聞「SUCK」にのった「JOE BLOW」という漫画」として、作者名も記さずそのストーリーを書いていて(「サザエさんの性生活」)、それが記憶に残っており、後に原書のクラム単行本を読んでいて、「あれ? これ知ってる…寺山が書いてたヤツじゃん」となったのだ。 当然、クラムは、アメリカはサンフランシスコで活動してた漫画家なのだから、オランダのわけがない。「Joe Blow」の初出は寡聞にして知らないが、たぶん自らが発行に参画していた「ZAP」あたりだと思う。それが、回り回ってオランダのアンダーグラウンド・メディアに転載され、それをたまたま寺山が見た、ということだろう。 (「Joe Blow」に興味があるかたは、河出書房新社刊『ロバート・クラムBEST』柳下毅一郎編訳に収録されているので、古本で探してみてください) 要するに、ロバート・クラムの作品は、ミッドセンチュリーのアンダーグラウンド・シーンで一際目立つアイコン的存在だった、ということだろう。 (寺山は、「Joe Blow」の作者がフリッツ・ザ・キャットの生みの親だったり、ジャニス・ジョプリン『チープ・スリル』のジャケットを担当しているとか、全然知らなかったみたいだが) 本書『旧約聖書 創世記編』は、クラムがフランスに移住して後、今世紀になってから描かれた作品で、日本版はなんでか知らないがハリポタの静山社から出ている。 クラムの執拗で変態的かつとても味のある描線で、聖書を「一字一句、できる限り忠実に再現」したもので、この稀代の表現者のテイストを味わうには格好の一冊だし、なに気に、「創世記」読んでみようかなあ…と思う人にとって最適のコミカライズだったりします。 それはともかく。 ロバート・クラム本人を追ったドキュメンタリー映画『クラム』(テリー・ツワイゴフ監督)というのがありまして、これを観ると、「ああ、漫画家というのは、本っ当っにっ因果な商売なんだなあ」と思います。 もちろん、アンダーグラウンド・コミック・シーンの巨匠であるクラムですから、実にエクストリームに悲惨かつユニークで、それを普通の漫画家と一緒にしちゃあかんとは思うのですが、その生まれ育った家庭環境(いや、本当にすごいですよ、母とか兄ふたりとか)を思うとき、そこに「なぜ人は漫画を描くのかということの真実」を、どうしても感じてしまうのです。 『クラム』はすごい(ヤバい)映画なので観ていただければと思うのですが、要するに、 “狂った家族(世界)の中で、唯一ほんの少しだけまともだったロバート・クラムだけが、漫画を描くことでその狂気を外在化し、世界と戦い得た” ということで、そしてそれは、多かれ少なかれすべての漫画家にある「描く理由」だ、と私は思わざるをえないのですね。 いやあ、漫画家ってすごい。

Dark Moon

猥雑という使命

Dark Moon 矢萩貴子
(とりあえず)名無し
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矢萩貴子のクチコミを投稿しようと思い、マンバの作品一覧を見たら、そのあまりの猥雑さに、ほとんど感動した。 ご興味のあるかたは、この「矢萩貴子」の名前をクリックしてみてください。 そして、そこにズラズラと並ぶタイトル(?)やあらすじの、ド直球で明け透けで奥行きのない下品さに、言葉を失っていただきたい。 その後でぜひ、この『Dark Moon』の試し読みを開いてみて欲しいのだ。 オープニングのカラーから巻頭数ページだけで、この漫画家が持つ画力の精緻で凄絶なクオリティーの高さが、まざまざと分かると思うから。 かつて、レディースコミック誌というジャンルがあった。 当初は少女マンガを卒業した読者のための、男性向けでいう「ヤング誌・青年誌」のようなくくりを意味していたと思うが、やがて多様な進展を示して、主に短篇読み切りの成人女性向けエロをメインとする一群が隆盛し、そして、BLやTLの発展と入れ替わるように、急速に衰退していった。 多くのレディコミ漫画家は少女誌デビュー後にその発表の場を移してきており、作風自体は(少し古い)少女マンガのものだった。 一方で、牧美也子や川崎三枝子、あるいは森園みるくのように、(かなり古い)劇画テイストを手に入れた作家もいて、彼女たちはレディコミ界のケン月影とも言うべき無視できない漫画家たちである。 そして、それらとはまったく異なる光芒を放つ硬質の個性として、矢萩貴子は存在したのだ。 「東京芸術大学で油絵を専攻。卒業後、絵画教室の講師や高校の美術の非常勤講師をしながらSMを題材にした同人誌を作り、1987年(略)デビュー」(Wikipediaより)だそうだ。 まるで団鬼六ではないか。 つまり、矢萩貴子は、伊藤晴雨や喜多玲子と一直線に繋がる「闇の絵師」なのである。 エロを描くという志にその身を捧げた凄腕の絵師は、歴史上枚挙に暇がないが、レディコミというあだ花なジャンルにおいては、矢萩貴子こそが無比の存在だとつくづく感じる。 ただ、現在の読者にとって「面白い」作品かと問われれば、少し言葉を濁すことになるのだけれど。 彼女を心から賞賛するまでには、私たちの時代はまだ成熟していない。

仏師

幻の逸材

仏師 下村富美
(とりあえず)名無し
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時に、途方もない才能が世に生まれ落ち、そして、それほど大きな支持を得ることなく、シーンからフェイドアウトしていってしまう。 そんなことは、どんなジャンルにも、よくあることだろう。漫画界にも、それこそ数え切れないほど「幻の逸材」は存在してきたと思う。 しかし、明らかな才能のきらめきに満ちているにも関わらず、なぜ彼らの作品は多くの読者を得ることができなかったのか。 もちろん理由はそれぞれだろうし、それは読者サイドからは掴みきれないことだ。 私たちは、ただ、その単行本を初めて読んだ時の、新しい「なにか」に触れたという心の震えだけを、それ以降、モヤモヤとただ胸中で反芻することしかできない。 私にとって、下村富美はそういう才能だった。 『仏師』のプチフラワー版コミックスを読んだ時、「ああ、この漫画家さんはすごい。絶対来る」と確信したのだが、それ以降、下村はそれほど活躍することなく消えていってしまった。 後にイラストレーターとして多くのヒット小説の装画などを担当しているので、「消えた」と言ってしまったら失礼かもしれない。 しかし、その漫画作品が持つ、素晴らしい絵のクオリティーと奥行きのある物語は、「花の24年組」や「ポスト24年組」に匹敵するような才能であったと、今も思う。 もっと下村富美の漫画を読みたいと、ずっと願っているのです。

亀裂  欧州国境と難民

「他者」によって物語られる世界の亀裂

亀裂 欧州国境と難民 カルロス・スポットルノ ギジェルモ・アブリル 上野貴彦
ANAGUMA
ANAGUMA

EU域内への難民流入が国際問題として認識され始めてもう5年近くが経とうとしています。もはや日常となってしまった光景の実像が閉じ込められているのが本書です。 ルポライターのアブリルとカメラマンのスポットルノは2014年、モロッコ国境に接したアフリカ大陸のスペイン領メリリャから取材を始めます。 そこから2年のあいだに、いかにして難民という存在がヨーロッパに「定着」していったのか、彼らと国境がせめぎあって生まれた「亀裂」を、全編写真による表現で克明に写し出していきます。 通常マンガを構成しているのは、突き詰めていけば作者ひとりのことばだと言えるでしょう。キャラクターというフィルタを通しこそすれ、絵によって描かれた存在である彼らはあくまで作者の分身です。 「亀裂」の事情が異なるのは、登場する難民や国境警備の兵士、フロンテクスの職員は写真で撮影された実在する「他者」だということです。 しかしながら、カメラに映る人物はフキダシでしゃべることはありません。彼らのことばは、すべてアブリルの目と耳を通して紡がれるナレーションの中に消化されていきます。 写真という他者の絵をそのままに使うようすはドキュメンタリー映画のようでもありますが、「作者」のことばで綴られた紛れもないマンガという形で結実しています。 難民の抱える事情は地域や個々人により千差万別です。 他者の像をそのまま映し出し、それを自らの言葉で解きほぐそうとするアブリルの姿勢は非常に真摯なものと言えます。 本書の刊行は2016年。この3年の間に「亀裂」はより広く、細かく、深いものになっていったことを読後に想像させるに充分な力を持った作品です。

アンカル

バンドデシネの「イメージ」の根幹に関わる一作

アンカル アレハンドロ・ホドロフスキー メビウス
ANAGUMA
ANAGUMA

広大な宇宙の彷徨、発達した科学、自己精神世界への言及、哲学的な問い…。メビウス、ホドロフスキーの黄金コンビが手がけた本作はSFのジャンルでいうと「スペースオペラ」に当てはまります。 BD(バンドデシネ)でもよく見かける定番のジャンルです。 定番ではあるのですがやはり『アンカル』の絵と物語のクオリティは一線を画しています。 私立探偵ジョン・ディフールと謎を秘めた「アンカル」をめぐる冒険活劇がホドロフスキーの豊かなスペクタクルとメビウスの達者な筆致で描き出されていくと、途中で読むのをやめるのは難しいです。人間の想像力って無限なんだなと思い知らされます。 他にことばを絞り出すのが難しいくらい、端的に言って作品としての完成度が高すぎる。 よくもわるくもBDといえばSF・哲学的・アーティスティックというのが一種のステレオタイプとして今でも通用しています。 実際にはそれはBDの一側面に過ぎないのですが、この『アンカル』のような作品が存在しているために強固なイメージとして定着したのは間違いないように思います。 BDの世界に触れるとなったときに避けては通れない傑作のひとつであることは、これまでもこれからも変わらないでしょう。