ネコと鴎の王冠(クローネ)

『ネコと鴎の王冠(クローネ)』のレビュー

ネコと鴎の王冠(クローネ) 中村哲也
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

二年ぶりにドイツに帰国した、ビール職人を目指す玖郎と、彼を空港で待つ、自身もビール職人のアンナ。二人は手を取り歩き出す。新たな“自分達の一杯”を造るために……。 『ネコと鴎の王冠(クローネ)』は、中村哲也先生の「王冠シリーズ」の第1作目。 まず全編に渡って、ドイツビールを含めた歴史あるドイツ文化に目を奪われる。ビールはピルスナーしか知らない日本人としては、ドイツビールの多様さには驚かされる。季節感や料理との合わせ方についても、作中で言及がある。 それら多様なビールは、家族経営に近い小規模の醸造所によって生み出され、地域で消費されてきた長い歴史がある。そんな醸造所で遊び育った玖郎とアンナは、伝統を継ぎながらも親方の理解のもと、新たなビール造りにチャレンジしていく。このような「歴史のアップデート」が豊かなビール文化を生み出している、と思うと、彼らの頑張りにワクワクしてくる。 しかし、根を詰めがちな仕事人間の玖郎を、周囲は心配し諫める。ドイツの職人は、ワークライフバランスにうるさいようで、作中のドイツの人々の意外な力の抜け具合から、日本人の私たちが学ぶことは多い。 ドイツの文化、休日の過ごし方、誰かと支え合うこと、そして玖郎とアンナの恋の行方を追いかけながら、ビール造りの世界を知ることができる漫画。 あとアンナは可愛くてもう…もう……。 (参考作品としては『もやしもん』8巻のオクトーバーフェストは必見。最近の作品だと『琥珀の夢で酔いましょう』などどうでしょう)

ふしぎの国のバード

『日本奥地紀行』を書いた冒険家イザベラ・バードの物語

ふしぎの国のバード 佐々大河
名無し

漫画と現実は違うんだよ!とわかってはいるのですが、歴史物の漫画を読むと本人画像を確認してしまいます。高杉晋作や坂本龍馬、土方歳三なんかの写真は、フィクションイメージと変わらず格好良さですが、沖田総司はちょっとどうなんでしょうか。そら豆に似ています。漫画で綺麗に描かれているば描かれているほど、現実の落差に勝手に苦しんでしまうのです。  では『ふしぎの国のバード』に描かれているイザベラ・バードの実物はどうでしょうか。調べてみましたが、とても美しい写真が多いのです。ただ、美しいよりはむしろ強そう印象が…。それもそのはず。彼女は明治初期の日本に来て日本中を周り『日本奥地紀行』を書いた冒険家なのです。  『ふしぎの国のバード』は、イザベラ・バードが日本に到着したところからはじまります。イザベラ・バードは『ハワイ諸島探検記』や『ロッキー山脈踏破行』を著し、冒険家として既に名を成していました。鎖国をやめたばかりで何もかもがベールに包まれた日本、さらにその最北の蝦夷に興味を持ってやってきたのです。  しかし、言葉もなにもわからないのでは満足に取材もできません。文化風俗に通じた、有能な通訳がどうしても必要です。そこに現れた男が伊藤鶴吉という男です。誰よりも英語が出来、なにより蝦夷地にいったことがあるということで、イザベラ・バードは伊藤を雇い、二人の珍道中がはじまるのです。  バードにとって、全くの未知の世界である日本は興味を惹くものばかりで、建物も人も何もかも珍しく、すぐに驚き興奮してしまいます。それを「慣れて下さいバードさん」と表情を変えずに言う伊藤鶴吉の組み合わせが非常に小気味よいのです。  しかし、バードが目撃するのは、良い所ばかりではありません。西洋にくらべ、非常に不衛生だったり、人権意識がなかったり。そんな日本を下に見る西洋人もいて、バードの無謀を笑ったりもする。  開国を初め、かつての姿が消えていこうとしている日本の光と影、両方を西洋人のバードと日本人の伊藤が目撃していくのです。  クールでそれていて細やかな心遣いができるいい男、伊藤が実際にどんな顔だったのかは、ご自身で検索してください。

ダンジョン飯

ダンジョンに潜る彼らは一体何を食べているのかという疑問に真正面から取り組んだマンガ

ダンジョン飯 九井諒子
名無し

いわゆるゲーム世代の私ですから、ゲームの約束事にいちいち目くじらをたてたりすることはありません(アニメキャラの弓の構え方にはうるさいが)。とはいえ、長時間RPGをプレイしてハイになってくると、いろいろと野暮な疑問がでてきます。その中でも一番は、やはり「女戦士の鎧がなんであんなに露出度が高いのか」なのは間違いないとして、「あいつら一体何を食べていやがるのか?」もかなりランクが高い問ですね。何日も何日も草原を歩き、ダンジョンに潜る彼らは一体何を食べているのか(そのあたりを少しリアルにしたゲームをプレイすると、必然的に餓死が増えるのでとても陰惨な気持ちになります)。  そんな疑問に真正面から取り組んだのが『ダンジョン飯』。作者は「竜の学校は山の上」などファンタジーとリアルの心地よく融合した作品を数多くかかれている九井諒子。この『ダンジョン飯』も例外ではなく、良い塩梅にリアリティがあるのです。  ストーリーは、主人公・ライオスのパーティーがドラゴン相手に全滅しかかるところから始まります。間一髪で脱出魔法で逃げれたかとおもいきや、しかし、妹のファリンがみあたらない。どうやらドラゴンに丸呑みにされてしまったようです。この世界では死んでしまっても、死体があれば生き返ることはできるのですが、ドラゴンの胃の中で溶かされてしまっては難しいかもしれません。  消化が終るまでに助けに向かわなければいけないのですが、荷物は全て迷宮に置いて脱出してしまい一文無し。満足に食糧を買うこともできません。しかし、金策をしている間にも消化されてしまうかも…。  そんなジレンマを抜け出すライオスのアイデアが自給自足です。ダンジョンにモンスターがいるのなら、それを食べればいいじゃない。スライムだろうが、さまようよろいだろうが。  現実社会の我々でも「それはどうか」思いますが、この世界の住人にとってもモンスターを食べるというのは一般的ではありません。  しかし、妙に熱心なライオスに動かされるまま、キノコ型モンスターと大サソリを食べようとしますが、うまくいかない。そこに、モンスター食を実践してきたドワーフが現れ、現実的な料理法をライオスに教えくれるのですが…。  実際に調理シーンになると、完全にグルメマンガのノリです。サソリは切れ込みを入れると出汁が出やすい、キノコ型モンスターの足は特にうまい、スライムは天日干しにすると高級食材になる……そんな食材豆知識とともに、モンスターがおいしく調理されていくのです。第一話の料理は「大サソリと歩き茸の水炊き」。  ファンタジーの世界に寄り添ったリアリティが、雰囲気を壊すことなく新たな面白さを教えてくれる…そんな摩訶不思議なファンタジーグルメ漫画なのです。

不死の猟犬

「人が死なない」世界のガンアクションSF

不死の猟犬 八十八良
sogor25
sogor25

その世界では、人間は死なない。正確には、死んだ瞬間に体が元通りになり生き返る。人間は寿命以外で死ぬことはなく、故にその世界には病院も薬局もない。だから例えば風邪をひいたらその治療法はピストルで頭を打ち抜き文字通り『生き返る』という方法。 そんな世界で、"人間が死ぬようになる"謎の感染症「復活不全症(RDS)」が発生したーーーという物語。 というSF設定盛り盛りでかなり難解な設定の作品で、しかも上記のような設定なので戦闘になったら血しぶきマシマシという感じなので、かなり人を選ぶ作品ではあるし、文字だけで魅力を伝えるのは難しいんだけど、何よりあのハルタで「乙嫁語り」「ヒナまつり」「ハクメイとミコチ」に次ぐ長期連載(休載や不定期連載を除く)を続けているというのがこの作品の面白さを証明してくれるのではないだろうか。 1~6巻までは「不死の猟犬」というタイトルで、RDSの感染源となる人間「ベクター」を匿う「逃がし屋」という存在と、RDSの根絶のために逃がし屋を追う警察との対決構造を中心に物語が展開しするのでガンアクションがメイン。そしてその抗争の中で徐々に明らかになるRDSの謎。最終6巻でRDSの正体が明らかになった瞬間には思わず鳥肌が立った。 そして現在はナンバリングを1巻からに戻し「不死の稜線」というタイトルで連載中。こちらは前巻までで明かした謎をそのまま明示しつつ新基軸の物語を展開し、主に登場人物の人間関係、心情描写にスポットを当てている印象。構図としては例えるなら「不死の猟犬」が『PSYCHO-PASS』テレビ本編で「不死の稜線」が今やってる映画3部作という感じ。 なので、本屋で「不死の稜線」を見かけて気になってる人がいたらまずは「不死の猟犬」1~6巻までを読んでみてほしい。そこまでしてくれたら「不死の稜線」は間違いなく面白いから。 「不死の猟犬」全6巻、「不死の稜線」2巻まで読了

レイチェル創々

少女レトロは可愛いとの相性がいいという確信

レイチェル創々 高橋拡那
mampuku
mampuku

 昭和テイストの萌えエロコメ。絵柄や構図などはビームコミックスなどでよく見る(若干食傷気味の)人工的なレトロタッチなんですが、この作者が凡百のレトロ風漫画より全然見れるな、というか良いなと思えるのは、少女漫画ばりのキラキラ感があるからでしょうか。その点は入江亜季にも似てますが、あちらはキャラまでが少女漫画的であるのに対し、こちらはどちらかというと少年漫画的です。昔の少年漫画的なセクシーなお姉さんが、昔の少女漫画ばりのキラキラ絵柄で描かれるとなるほどこうなるのか、と(もちろん、どちらも萌えの文法で今っぽくブラッシュアップされているのは言うまでもないですが。)  まず、頭の悪さ全開のスピード感がシリアスな笑いを誘う冒頭5ページでなんとなくこの作品の楽しみ方がわかります。掴みの強烈さは柴田ヨクサル「東島丹三郎は仮面ライダーになりたい」に近いです。ただしあれと比べると「レイチェル」の方が計算してやっている印象を受けます。色々と展開が雑で無茶苦茶なんですけど、そこが笑えるというか。  また、各話のサブタイトルが「ダイタンな○○」「○○に御用心」など昭和全開なところも芸が細かいというか、コンセプトがわかりやすくていいですね。私は「思ってたのと違う(ので残念)」という考え方が嫌いなんですが、目次と冒頭5ページでしっかり作品紹介ができていてとてもスマートだと感じました。