何ランクであろうとも生き残りが安斎、佐藤、早乙女になってる時点で意味ないよね。 他は結局全員殺したって事だし。

早乙女君なら特Aランクに入れられてても長谷川を良い人だと言ってくれるよ。 あれだけ猿を憎んでたのに、正体だ長谷川だっただけで
憎みきれないとか言い出すナイスな思考の持ち主だからね。

同感。
結局は全員殺しているのだから、
ランク付けになんの意味もない。
例えば同じ開発室の人間でも一人は絶対殺すランクで
一人は殺さないというランク。
実際にそうしていた、ならランクの意味もあるし
ランク付けの基準に興味も沸くけれど。
例えばここで
「早乙女は殺すランク。佐藤は殺さないランク。」
とでもいうなら興味をもつけれどさ。

どうせ早乙女も佐藤も殺す必要性の低いランクだろうし、
それでいて毒を飲ませていることになっているのだから
「知る必要はない」じゃなくて
「知っても意味が無い」だよな。

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ふしぎの国のバード
外国人視点の開国後日本
ふしぎの国のバード
ゆゆゆ
ゆゆゆ
原作となるイザベラ・バードの本は読んだことがある。 でもこれほど情景豊かに想像はできなかったし、イザベラ・バード視点のみなので、やはり周辺情報が客観的に描かれる漫画はやはり違う。 絵があると、それがすべて本当のように引っ張られてしまうのが弱点と何かで読んだ。 でも、自分だけの想像力では描ききれない、田舎の恐ろしいほどのノミやその他虫、そして不衛生さ。 それらが日常の様子として描かれ続けているので、漫画とはすごいものだなと思い知らされた。 そもそも、バード女史、よく行ったな。肉もないのに。 また、環境だけでなく、懐からボトルに入れた筆を取り出し記録をしたためる鶴吉の一連の仕草。 大人になったことを誇りに思う女の子の表情。 細やかな当時の人々の日常が、ドラマの何気ないワンシーンのように描かれていて、今は消え失せた文化を知らされる。 ちなみに、ヨーロッパより難儀な雑草が多い日本で、バード女史が農民が勤勉に働き雑草を刈るから「雑草がない」と表現したコマに、フフとなった。 有名な場面ですね。 キリスト教的な倫理観が根付いている現代の我々が、当時の日本へ気軽にトリップできる、すてきな漫画です。
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