救助隊をあっさり惨殺した。
襲われると思っていないし武装もしていないから
だったかもしれないけれど、それでも
藤谷製薬にの連中だって同じように、楽勝で
皆殺しできそうなものなんだけれどなあ。

普通は殺せるのに殺さないってのは
恐怖心を味あわせるとか、なにか自白させるため
だったりするけれど、そんな感じでもないし。

八木さんが言っていたとおりで、
実は絶対的に強いわけではなくて、
自分達が返り討ちにあう可能性も実は高いので
思い切って仕掛けてこなかったのか・・。

少なくとも中身が女子大生かもしれないと
判れば、かなり恐怖感はなくなるね。
それでバランス取りに、本物の魔猿が出てきたのかもしれないが。

さすがに40人相手では逃げられる可能性もあるから、少しずつ殺したんだと思う。
結果、藤谷はどんどん山に入らされて、逃げられない場所に追い詰められてしまった。

生き残りの中に猿の目的がいるのではなく、生き残りの中の猿の仲間が、
藤谷製薬の連中が恐怖する姿を見てカタルシスを感じている、が正しいのかも。

藤谷製薬に非があるなら経営の責任になるが、社長は真っ先に殺されたし、
特定の人物が目的ではないね。

>>さすがに40人相手では逃げられる可能性もあるから、少しずつ殺したんだと思う。
絶対に全員を殺す、と決意しているわけね。

>>生き残りの中に猿の目的がいるのではなく、生き残りの中の猿の仲間が、
藤谷製薬の連中が恐怖する姿を見てカタルシスを感じている、が正しいのかも。

そうだとしたら、メチャクチャ怖い。
自身も餓えや渇きに苦しみながらも、周囲の人間が
苦しむさまを見たいから同行している、って・・怖すぎる。

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この世界の片隅に

漫画と映画を久しぶりに見返した!

この世界の片隅に
かしこ
かしこ

2025年のお正月にNHK広島放送で映画「この世界の片隅に」が放送されたのは、今年で原爆投下から80年が経つからだそうです。この機会に私も久しぶりに漫画と映画をどちらも見返してみました。 やはり漫画と映画の一番の違いはリンさんの描き方ですよね。漫画では夫である周作さんとリンさんの関係について触れられていますが、映画ではありません。とくに時限爆弾によって晴美さんと右手を失ったすずさんが初めて周作さんと再会した時に、漫画ではリンさんの安否を気にしますが、映画ではそれがないので、いきなり「広島に帰りたい」という言葉を言い出したような印象になっていました。映画は子供のまま縁もゆかりもない土地にお嫁に来たすずさんが大人になる話に重点を置いているような気がします。それに比べると戦時下無月経症なので子供が出来ないとはっきり描いてある漫画はもっとリアルな女性の話ですよね。だから漫画の方が幼なじみの海兵さんと2人きりにさせた周作さんに対して、あんなに腹を立てたすずさんの気持ちがすんなり理解することが出来ました。個人的には男性達に対してだけではなく、当時の価値観で大事とされていた後継ぎを残せない自分に対しての悔しさもあるのかもしれないと思いました。けれどもこの選択をしたのは原作である漫画を十分に理解してるからこそなのは映画を見れば明らかです。 久しぶりに漫画と映画を見返してどちらも戦争が普通の人の生活も脅かすことを伝えているのはもちろん、すべてを一瞬で無いものにしてしまう核兵器の恐ろしさは動きのある映画だから強く感じた喪失がありました。そして漫画には「間違っていたら教えて下さい 今のうちに」と巻末に記載されていることに初めて気づきました。戦争を知らない私達が80年前の出来事を想像するのは難しいですが、だからこそ「この世界の片隅に」という物語があります。どんなに素晴らしい漫画でもより多くの人に長く読み続けてもらうのは大変なので映像化ほどの後押しはないです。これからも漫画と映画どちらも折に触れて見返したいと思います。

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