自転車屋さんの高橋くん

メンドクサイ者どうしが出会ったら

自転車屋さんの高橋くん 松虫あられ
名無し

OLの飯野朋子は仕事にしろ飲み会などのお誘いにしろ、 周囲に気を使いすぎて頼まれたら断れない。 それでいて周りとは馴染めずストレスは溜まる一方。 自転車屋さんの高橋くんは一見チンピラなんだけれども、 それは、したいことしかしない、 自分にも他人にも嘘がつけない、 そういう性格で、他人をいらつかせる事もあるということ。 実際には高橋君は、困っている人をみたりしたら ほうっておけなくて手助けしてしまう良い人なのだが、 それも含めて自分は好き勝手にやりすぎると自覚していて 自分の感情に素直に行動をしていながらも、 不必要なほどにヒケメを感じたりしている。 ようするにこの二人、どちらもメンドクサイ性格だ。 上手に人と向き合えない。 だがこのメンドクサイ二人が出会い、 互いをそして自分を開放して理解していくストーリーは とても面白く、そして考えさせられる。 人と上手につきあうってどういうこと? 上手に付き合うことが正しいの?偉いの? それでみな、幸せなの?幸せになれるの? 一見いい人が見方によってはそうでもない。 その人のしていることが、すべて、したくてやっていることで それに満足しているというわけでもない。 そしてその逆だってありうる。 そういうものかもしれないと思ってしまう漫画。

僕のジル

11.27発売の作品集は絶対買ったほうがいい、たぶん

僕のジル 鯨庭
野愛
野愛

優しくて悲しくて痛くて甘くて、鍵のかかる箱に入れてそっとしまって置きたくなるような作品でした。 トーチwebでは『僕のジル』と『君はそれでも優しかった』の2作が公開されています(20.11.05現在)。 どちらもユニコーンやグリフィン、ピポグリフといった伝説の生き物と人間による物語が描かれています。 自分以外のなにものかに対して、側にいたいとか優しくしたいというのは人間の身勝手な感情なのでしょうか。自分が傷つきたくないから、寂しくなりたくないから、愛するという言葉を使って行動するのかもしれません。 人間が作り出したものならどうなるのでしょう。教育された優しさは本当の優しさとは異なるのでしょうか。 自然に生まれ出づるものだけが真実だとしたら、ひどく人道的に道徳的に産まれ落ち、十分な教育を受けて生きてきた私たちは作られたものなのかもしれません。 愛って何なんでしょう。馬鹿みたいに泣きたくなりました。 でも、悲しいだけの物語ではありません。愛に満ちた悲しくも優しい物語です。 作品集、手元に置いておきたい。優しさも悲しさも忘れないように、鍵はかけずにしまっておきたいです。