半分姉弟

「ハーフ」への無理解の壁とアイデンティティ

半分姉弟 藤見よいこ
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)

たくさんの方に読んでほしい素晴らしい連載が始まりましたね! この日本で、国籍や人種が違う両親を持ち、いわゆる「ハーフ」として生きる女性を切実に描いた作品。 主人公は、母が日本人、父がフランス人(黒人)のハーフ(ミックス)の女性。 生まれも育ちも日本なのに、見た目はほとんど黒人なのでどこへ行っても「ガイジン」として扱われ、その度に心をエグられ、笑顔を顔に貼り付けて説明して笑って流すことで自分を守った。 おそらく、この感覚は当事者にならないとずっと分からない感覚だとは思う。 それでも、完全には分からなくとも、時間がかかったとしても知っていきたい。 具体的な数字を知っているわけではないけど、特定の職業や環境でもなければ日本は日常的に様々な見た目の人種と関わる機会は体感的に少ないように思う。 そして、人は見た目での印象が強いものなので、日常的に「ハーフ」と関わる機会がなければ一目見て「外国人」だと疑わないのかもしれない。 そういった無理解の大きな溝に、彼女らがいかに苦しめられ生きづらさを感じてきたのかが描かれた1話だった。 実際の感覚は分かりようがないにも関わらず、自分ごとのように感じて泣いてしまった。 ここから書くことは、この話で描かれてるものと同じものでは決してないんだけど、同様に「孤独」や「アイデンティティ」の揺れを感じた話です。 自分自身、日本人ではあるけど帰国子女で海外に10年ほどいた経験があって、日本で見た目も言葉も通じるけど「育ち」や「社会常識」が若干違うところで育っていたこともあって、会話で感じる違和感や感覚の違いで強烈に孤独を感じることがある。 先日、初対面の方と話す機会があって、簡単な世間話ではあったけど感覚的に分からない部分があって、少し掘り下げつつ話の前提を共有して詳しく話していた。 そこで、その人は「なんかあれですね、そこまで詳しく話さなきゃいけないことですか?なんとなくでよくないですか?」といったことを言っていた。 悪気なく発した言葉なんだろうけど、この人はずっと深く理解し合わなくても問題なく「普通」に暮らせたんだろうなと思って、そうではない自分に悲しくなった。 と、全く本編と関係ない体験が頭によぎってしまうほどにこの話は切実で響いた。 これから連載を追うのが楽しみで仕方がない。 http://to-ti.in/story/hanbun_kyodai01

人生山あり谷口

人生とりあえず登るしかないもんね

人生山あり谷口 谷口菜津子
野愛
野愛

生きるっていいことばっかりじゃなくて、めちゃくちゃ頑張って疲れてボロボロになってなんとかたどり着いた先にあるものがめちゃくちゃ素晴らしいとも限らない。でもまあよかったような気がするなあ楽しかったっちゃ楽しかったかなあ、みたいなことの連続だ。 それでも一度幸せを味わってしまうと、また味わいたいって思ってしまう。 谷口先生の人生も登山もまさにそんな感じ。 辛いことが重なって眠れなくなって、でもなんでもない顔をしながら舐めすぎなくらいの軽装&無知で山に登る。 もう二度とやりたくない!って思ってもいいはずなのに、周囲の人を巻き込みながら知識を身につけながら再び山に登る。 なんでも面白く作品に昇華できちゃう谷口先生だからできることかもしれないけれど、登山って人生だなあなんて思ってしまった。 イラストらしくデフォルメされてるのに妙に生々しい自然、くだらない日常会話の中に見え隠れする人間讃歌、生きるとはなんと辛く馬鹿馬鹿しく幸せなことか。 共に山を登るメンツの豪華さも霞むくらいに人生とは何かが描かれています。でも霞まないくらい豪華です。 人生って面白いね。

雪を抱く

自分の身体と呪縛と

雪を抱く 大白小蟹
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)

自分が妊娠したことを知り、ふと自分の身体が自分ひとりだけのものであったことは一度でもあったのかと、心の中で思う。 雪が続き、電車も止まってどこかで夜を明かすことに。 そんな夜に出会ったのは、髪や服、アクセサリーなどをかっこよく着こなす女性で…。 http://to-ti.in/story/yukiwoidaku 読切『うみべのストーブ』を描かれていた大白小蟹さんの新作読切。 初対面の女性二人が語り、自分の身体へ思考を巡らせ、呪縛をほどいていく。 とってもいい読切でした。 いつだって社会の中で生きていくには人は関係性の中にあり、自分自身も自分の身体も自分ひとりだけのものだったことなんてあるのか、と問われたら分からないなと思ってしまう。 特に肉体的に妊娠・出産をする上で、女性の方が強く感じている感覚かもしれない。 それがたとえ「ひとりの身体じゃないんだから」と自分を労わるような言葉だとしても、言葉の奥に、誰かに所属している自分を感じてしまう。 女性だけの問題じゃない。 上流家庭に生まれ家を存続させることを強要される人、家業を継ぐことを望まれている人、本人の意思とは別に才能に期待され業界を背負わされる人など、挙げ始めたらきりがない。 これは一種の呪縛だ。 いつしか忍び寄り、気づいてしまうと静かに重く縛り付けてられている。 水を吸った綿のように重くなった意識を、銭湯という一糸纏わぬ解放区で脱がせてくれた彼女の言葉は偉大だ。 「街を歩くときはいつも 降ってくるミサイルを避けているみたいだった」と語る表現に痺れた。 いい読切でした。