ふな1年以上前平成を代表するラブコメ漫画。ニヤニヤ無しでは読めない展開で読者を悶絶させたかと思えば、キャラの悲しさや苦しさがダイレクトに読み手に伝わるような心に迫ってくるシリアスな展開は、見事と言うしかない。作中で少しずつ育っていく、幼馴染の恋は必見……!初恋ゾンビラブコメでありラブシリアスな傑作10わかる
影絵が趣味1年以上前数年ぶりにハロルド作石の『BECK』を通して読んだら、もういい歳のくせに、ページをめくるそのたびに泣き腫らしてしまった。まだ青春時代と呼ばれる十代の頃、自分も『BECK』を読んでそう思うまでもなく、すでに社会の爪弾き者として、自身のインスピレーションに従って生きて行くしかないと心に誓ったものだったのが、いつしか歳を重ね、つまらない反骨精神だけは相変わらずだが、そのいっぽうでは自身は社会によっても生かされていると思うほどには大人になった。ようするにある程度の分別がついたのである。いまだに社会人などいう言葉には虫唾が走るが、ふいに気がついてみれば、あの頃にはあんなにも嫌悪していた社会の構成員としての大人になっている自分がいる、そんなつもりはなくても税金を払ったり健康保険の恩恵に授かったりしている自分がいる。 つまらない話になった。単に『BECK』のように徹底的に社会の爪弾き者となり、次々と難題が降りかかり、追い詰められ、尚且つそれらを乗り越えてゆくというのはマンガだからこそ起きうる事態であり、だいたいどんなに非市民的に見える人間であっても実は社会と地続きに繋がっているという意味で凡庸さからは抜き出ていないということである。もっとつまらない話になってしまった。嗚呼、マンガとは所詮嘘いつわりの虚構ではないか、夢もへったくりもあったもんじゃない、死のうかな。とでもなりそうなものだが、まだ死んでいないのは、数年ぶりにハロルド作石の『BECK』を通して読んだら、もういい歳のくせに、ページをめくるそのたびに泣き腫らしてしまうほど感動したからに他ならない。 なんか言ってることが矛盾してるんとちゃいますか、と死亡遊戯の金本くんばりの関西弁で言われてしまいそうだが、はい、その通りです、と頷くほかもない。じっさい『BECK』ほど嘘くさい話もないというか、あたかもマンガのように次々と問題が降りかかり、どうにか乗り越えたと思ったら、もっと大きな問題にぶち当たり、それら問題-解決は回を追うごとにどんどん雪だるま式に大きく膨れあがり、とうとうコユキはスターにまでのぼりつめる。そこで、ああ嘘くさい! 言い切ることができるのなら今すぐにでも自殺して楽になれるのだが、そうはならないのは『BECK』というマンガがめぐる季節の内部にあるからではないのか、という仮説が立つ。とりわけこのマンガは夏という季節から始まり夏という季節で終わる、すなわちこのマンガは夏という季節の内部にある。だいたい音楽マンガであるくせに、ライブハウスとかスタジオのコマなんかよりも釣り堀とかプールとかコインランドリーとか夏の一部を切り取るようなコマが多すぎはしないか。そして何よりも、あの夏の、膨張して怪物のように膨らんだ白い雲。それが問題-解決的なものの契機のたびに大きなコマで挿入される。だいたい雲というのは気体であるくせに、なんであの夏の雲というやつはくっきりとした輪郭をもっているように見えるのか、それこそ、ずいぶんと嘘くさい話ではないか。 私たちは誰もが皆めぐる季節の内部にいるが、その内部にいればこそ真偽の答えは常にその外部にしかない。とりわけ夏休みという季節がそうで、夏休みのあいだはすべてのことが何がなんだかわからないのが常である。そして夏が過ぎてから、そこに夏があったということを、さながら夢でも見ていたように悟る。季節はめぐり、夢は募る。あの夏の雲を見上げるたびに、私たちはまるで嘘のような夢に魅入られたひとだと気づく。BECK音楽マンガである以上に、季節をめぐる、とりわけ夏のマンガとして…6わかる
名無し1年以上前ハナさんがこのポップコーンを、 開発したり命名したりしているときの エピソードが読みたい。 しかも好評とか。 さすが食品会社のエース・ハナさん(笑)。 高嶺のハナさん特大自虐ブーメランが突き刺さるギャップ萌えラブコメ2わかる
名無し1年以上前ロックンロールな生き方をするんだ、 という言葉を言い訳にして 崖ッブチな年齢になるまで色々なことから逃げてきた、 自称・ロックンローラーのフリーター、 岩巻力太郎・27歳。 何も背負わず、何も決断をせず、 物事を先送りするだけの27年だった。 だが姉夫婦が突然に事故死?したために 5歳の甥っ子の人生を背負うことを決心する。 生活のため、甥っ子・青空を食わせるために 好きでもないのに27歳にして、 やるはめになったのがボクシング。 学校の体育の授業で5段階評価で常に3だった男が。 練習したり罵倒したり試合したり殴りあったりしながら、 ボクシングが本当に好きだからとか、 ボクシングがあったから生きてこれたとか、 ボクシングしかないからやっているとか、 そんなジム仲間や対戦相手の様々な人生に触れて、 力太郎の生活もボクシング感も徐々に変わっていく。 そんな力太郎の前に現れた天才ボクサー・朝比奈。 こいつは、もしかしたら青空の母である姉を 殺した男かもしれない。 純粋な動機でボクシングを始めたわけではない男が 愛憎の念が入り乱れた気持ちを抱きながら タイトルマッチに挑む。 ロックンロールな人生が幸せだとは限らない。 むしろロックンロールな生き方は結果論として、 喜劇か悲劇にしかならないのではないか? 普通の日常にこそ幸せがあり、 ロックンロール・スピリッツやプロボクシングは 幸せとは無縁なのではないか? だが力太郎はリングに上がりゴングは鳴る。RRR(ロックンロールリッキー)目標も言い訳も生き涯も生き様も、どれもが人生でどれもがロックンロール5わかる
名無し1年以上前渡辺潤先生と言えばヤクザ漫画の名作 「代紋TAKE2」の作者だし、 殴るシーンを書くのはお手のもの(笑)。 けれど暴力としての殴り合いと、 ボクシングとしての殴り合いは 違うところはあるだろうし、 うまく漫画で描けるのだろうかと 思っていたが、凄く上手かった。 ボクシングテクニックの知識や解釈も 豊富みたいだし、それを漫画として 魅せる画力など、いずれも良いと感じた。 自分はボクシングには素人なので、 素人としての感想だけれど。 そして「代紋TAKE2」と同じように シリアスなシーンのなかに適度に 笑えるシーンを挿入するのがやはり上手い。 それで白けたりすることがないので、 テンションを維持しながら読み疲れることなく 最期まで楽しんで読めた。 RRR(ロックンロールリッキー)目標も言い訳も生き涯も生き様も、どれもが人生でどれもがロックンロール3わかる
名無し1年以上前もう30年くらい前の漫画だけれども 「男旗(ダンキ)」(作・石山東吉) 少年チャンピオン連載。 高校の応援団が舞台の漫画。 普通に野球部とかサッカー部の応援をするとか以外に、 応援団としての技量を競う大会があって出場したり、 「月刊 応援団」とかの全国の高校応援団を取り上げる 月刊誌があったりとか、ソレを読んで応援団の 追っかけ(今で言う)をしている女子高生がいたりとか、 「ねーよ、それは」 といわざるを得ない漫画だったけれど 独特の熱気がある世界の漫画でしたね。 自由広場意外な題材で対決してるマンガ4わかる
名無し1年以上前木村紺先生の作品では最初に読んだ 「からん」がとても面白くて、なので 「巨娘」「マイボーイ」を読んだら それほど感じるものがなくて。 作風も各作品それぞれに違うみたいだったけれど。 「神戸在住」は評価が高いようなので 読んでみたいとは思っているけれど、 本屋の書棚で見かけないんですよね。 神戸在住まだ年若いあなたにこそ読んで欲しい。2わかる
名無し1年以上前エロのない愛か、愛のないエロか。 そして愛のあるエロか。 もちろん愛のあるエロが一番(理想論として)。 けれども愛だけでエロが無い「純愛」を 神聖視する風潮は強い。 一方で愛のないエロにも逆説的に価値観はある (性欲的に)。 これが文学とか芸術なら「純愛こそ至高」な 方向でいいし、性欲は人間の本質だとするなら 「エロこそ最高」でもいいかも。 けれど連載漫画として人気を博すためなら エロが第一なほうが受け入れられやすい。 とくに、たまたまその漫画を見た人には。 なので エロを前面に出す漫画が生まれるのは当然だし、 エロエロを競いあうようになるのは漫画界の 競争として必然だし、 エロエロエロを読者もより求めるようになるし、 エロエロエロエロだけな漫画も当然に出てくる。 エロエロエロエロエロな展開だけで話を進めて 最期はエロこそ全て、で締めても文句をいう読者も いないだろうし、逆に一転して エロよりはやはり純愛だ、で締めても それなりに納まりはつくだろう。 ただ、一応の納まりはついても、 エロ抜きで漫画作品として面白い形で完成して 終わる漫画は少ないと思う。 てのひらにアイを!は、 エロ抜きでも面白く、エロ漫画としても面白い。 そしてエロ漫画であるからこその面白さが弾けまくっている。 最終巻の第5巻で、それまでのエロがエスカレートして 伏線として怒涛のように展開される。 そこに単行本書下ろしの特別漫画がダメ押しする。 結果、エロと純愛が成就している。 第5巻の最期でムラタ先生自身がこの作品を 「暴走青春列車」と評しているけれど、 暴走列車が定刻に終着駅に着いて、 でも止まれないぜ(笑)という、 突き抜けちゃっている良いオ馬鹿エロ漫画だと思う。 てのひらにアイを!ラッキースケベと相反しながら共存する男の理想4わかる
名無し1年以上前「ちなみに今のバレー日本代表男子・・」 と、どこでそんなデータを入手したんだよ、 ということをのたまうこの女性、 実は元・女子バレー日本代表とのこと。 ようするにこの女性、 男子代表の童貞全員を自らが・・ってことか(笑)。てのひらにアイを!ラッキースケベと相反しながら共存する男の理想1わかる
名無し1年以上前いかにもオ馬鹿エロ漫画なストーリー展開だし、 童貞にもバレー日本代表にも 失礼極まりない話なんだが、 色々と話の持って行きかたとか上手いから ワリと乗せられてしまう(笑)。 しかも話が進んでいったら、これがちゃんとした 伏線になっていて繋がってたりするし。 バレーのテクとして全くメチャクチャな話って わけでもないんだよね。 あくまで漫画として許される話であって リアルに真面目にバレーをやっている人からみたら ふざけんな、と思う内容かも知れないが。 てのひらにアイを!ラッキースケベと相反しながら共存する男の理想10わかる
名無し1年以上前漫画家の先生の中には、エロ漫画を描きたくて 描いている人もいると思う。 描きたくないけれど描いている人もいると思う。 色んな事情から。 勝手な推測だけれどもムラタコウジ先生は とにかく描きたい絵を描く先生なのではないだろうか? あんな構図、こんなシチュエーション、こういう展開、 エロ漫画であってもなくても、思いついたシーンを 「俺はこういうふうに漫画にしたい!」 と描かずにはいられなくなってしまう方なのでは ないだろうか? エロ漫画なんて、とかく 「エロけりゃいいんだろエロけりゃ」 となりがちで、 良い意味?でエロエロなシーンばかりになったり、 悪い意味ではエロ以外が絵もストーリーも手抜きになったり、 そういう作品が多いと思う。 ムラタコウジ先生の「てのひらにアイを!」は エロいシーンもエロくないシーンも 高校バレーボールなのに何故かそうなってしまう AKIRAかドラゴンボールかと思うような バトル・シーンも、それらほとんどから 「こういう展開になったら こういう絵を描かなきゃ気がすまない」 というムラタコウジ先生のノリノリ感を感じてしまう。 そして 「たかがギャグ漫画たかがエロ漫画で、ここまで描くか!」 という面白さを生んでいる。 それはそこまで描きこむ努力と描きこんで完成させる 作画の実力がないと出来ないことだし、 多分、漫画家としての労力のかけ方は 効率としては悪いんじゃないかとか、 努力や画力に対して正当な評価を 得られているのだろうかとか、 そう考えると、凄く大変なんじゃないかとか 思ったりもする。 てのひらにアイを!ラッキースケベと相反しながら共存する男の理想12わかる
ナベテツ1年以上前天才・木村紺の処女作であり代表作。大学入学と同時に家族で神戸に引っ越した東京出身の一人の女子大生の物語。 淡々とした筆致で描かかれる日常風景は文豪が紡ぐ上質なエッセイのようであり、それだけでも一級の作品として評価されるものですが、この作品にはそれだけには止まらない、魂を震わす素晴らしさがあります。 まだ震災の痕跡が残る神戸の街と人々。少女は様々な出会いと、そして悲しい別れを経験します。作中の時期の、未だ復興を完全になし得ていない神戸という街の時代の空気感と、繊細な少女の成長という、この作品でしか描き得なかったフレーバー。彼女の受けた傷と、そこから立ち直る場面は、月並みかもしれませんが、明日を生きる勇気を与えてくれます。まだ年若く、何かを喪うことを恐れているあなたにこそ、読んで欲しい、そんな名作です。神戸在住まだ年若いあなたにこそ読んで欲しい。6わかる