また読みたい
フォロー
漫画家・上田としこ。1917年(大正六)生まれ、2008年(平成二〇)没。これは、まだ誰も歩いたことがなかった「女流漫画家」という道を拓いた一人の実在した「女」を主人公とした物語である。上田としこという一人の素っ頓狂な少女が、戦前の満州ハルピンの高く広い空に、想像の絵を思いうかべた時から、日本の、女の、「漫画の歴史」ははじまったともいえる。村上もとかが渾身の力を込めて描く、漫画の青い青い春。待望の単行本第1集!
漫画家・上田としこ。1917年(大正六)生まれ、2008年(平成二〇)没。日本にまだ誰も「女」の漫画家がいなかった時代。上田としこという素っ頓狂な少女は漫画家を目指す。昭和初期、当時少女雑誌で中原淳一と人気を二分していた挿絵画家の松本かつぢへの弟子入り。絵の勉強のため、クロッキー研究所、スイス人画家コンラッド・メイリの教室にも通うようになったとしこだったが、絵を描けば描くほど、絵がわからなくなるのだった。そして時代は戦争に傾斜していき……?漫画の、日本の、女の、「青春」を描く待望の第2集!
漫画家・上田としこ。1917年(大正六)生まれ、2008(平成二〇)没。「漫画家は屑拾いと同じだ。世の中の色々なことを拾って心に溜めておかなくちゃならない」漫画家・近藤日出造に言われた上田としこ。“世間知らずのお嬢さん”は屑拾いをし始める。満州の地で、女一人、働き始める。
「世間知らずのお嬢さんに漫画は描けない。働いて世間を知りなさい」漫画家・近藤日出造に言われ、満州で働き始めた上田としこ。時代は戦争真っ只中。女が一人、社会で働くことの様々な困難に直面する。「言わずにはいられない女」としこは、戦時下の会社組織とは勿論、同じ女同士とも衝突する。そして1945年8月15日、戦争が終わる。日本敗戦───。だが、満州における日本人の本当の“戦い”は、ここから始まるのだった…! 上田としこの運命は果たして!? 時代の暗さと空の美しさの両面を描破する第4集!
1945年(昭和二〇)、上田としこは28歳。日本が戦争に負けた時、としこは満州の地で働いていた。もしも、叶わないものを「夢」と呼ぶとするならば、「漫画家になる」というのは、としこにとって夢でしかなかった。大きな戦争は終わった。けれど、満州の日本人、とりわけ一人の女・上田としこの戦争は、終わりが見えないのであった─────
1946年(昭和21)11月、上田としこ一家は父を満州に残して日本へ引き揚げた。日本は敗戦から一年以上経っていたが、としこの“戦後”はまだ始まってもいないのだった。生きていくために姉・康子はしんちゅうぐんのデパートに職を得、としこはGHQの民間教育情報局で働き始める。つまり敵国で働くのだ。日本、女、漫画…… 全部やり直し! の第6集。
少女雑誌の勃興と漫画追放運動。自分ひとりで、自分の決めた道を歩まんとしてきた上田としこの前に現れたひとりの男。周囲の猛反対の声にも耳を貸さず、小新聞社の新聞記者、政治ゴロとも噂されるその男ととしこは結婚する。1950年(昭和二十五)、世の中は戦後復興の渦中にあった。次々に創刊される雑誌、新しい家庭、そして新しい漫画。
「少女クラブ」1953年1月号より、手塚治虫は『リボンの騎士』の連載をはじめる。その当時、上田としこは売れっ子漫画家として多数の締め切りを抱え多忙をきわめていた。戦後復興の渦中、時代は猛烈な速度で進んでいたが、それよりもっと速いスピードで漫画も変わろうとしていた。上田としこは重大な岐路に立っていた。「女」を選ぶか「漫画」を選ぶか。上田としこはついに、ある「漫画」を産む。作品は『フイチンさん』。
『フイチンさん』の連載は人気の絶頂にあった。次々にアイデアもセリフも湧き、上田としこものっていた。そんな折、掲載誌「少女クラブ」の28歳の若き新編集長・丸山昭はとしこに言う。「『フイチンさん』の連載を考え直してくれないでしょうか」以前は小説や読み物が中心だった少女雑誌も、今や漫画が雑誌の柱になり、「漫画」に、「少女漫画」に、新しい大きな波が押し寄せてきていた。漫画は変わる。時代が変わる。漫画家・上田としこ「苦悩の絶頂期」の第9集。
時代は「漫画の時代」になった。さらに漫画は動きはじめる。「テレビまんが」────── アニメーションがテレビ放送され、全国の少年少女達は熱狂する。上田としこは漫画家としてその最前線から退いたが、漫画家だった。故郷を失い、大切な人を失い、漫画家は明日、漫画を描くだろう。人が明日を生きてゆくのと同じく、描くだろう。上田としこの人生、堂々完結。そして漫画は──────
store